リメンバー・フォー・ユー

逢雲千生

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 その日ロンは泣いていた。

 父親が亡くなったからだ。

 体全体を震わせて泣くロンは、誰が見ても父親思いの良い子だろう。

 葬儀に駆けつけてくれた親戚達はそう思い、泣きじゃくる少年がこれ以上悲しまないように助けてくれていた。

 けれど違う。

 そうではない。

 ロンは父親の死が悲しくて泣いているわけではない。

 長袖に隠れた彼の腕には青あざがついているし、この時代にレントゲンなんてものが存在していたら、骨が折れてくっついた跡が山ほど残されているに違いない。

 つまりロンの父親は、外面の良い暴力男だったのだ。

 この場に家を飛び出した母親がいたなら大笑いしていたことだろう。

 ようやくいなくなったと叫んでいたかもしれない。

 それほど家族に嫌われていたのだから。

 そうとも知らず弔問する近所の人達は、口々に「惜しい人を亡くした」と泣いているが、ロンはその人達に教えてやりたかった。

 優しい笑みの裏であの男がどれほど冷酷だったのか、どれだけロンを虐げてきたかを叫んでやりたかった。

 同じ村に住む幼馴染みのジェーンは、黒いワンピース姿でロンを抱きしめてくれたけれど、彼女もみんなと同じだった。

「私もおじさんが亡くなって悲しいわ。だからあなたも泣かないで。ちゃんとお祈りしてあげましょう」

 同い年なのに、妙にお姉さんぶるのが大好きな彼女は、そう言ってロンの手を引きながら柩の前に連れていった。

 濃い茶色の棺は質素だがしっかりした作りで、大柄な父親でも窮屈には見えない。

 胸の上で両手を組むその男は、安らかな顔でロンを出迎えたのだ。

 とたんにロンは父親を殴りたい衝動に駆られた。

 お前が組んでいるその両手は、他人には優しく触れるのに家族には痛みしか与えなかった。

 お前が閉じているその目は、近所の子供には愛情深く開かれているのにロンには冷めた視線すら与えなかった。

 そんな考えが頭の中に浮かんだからだ。

 まだ幼い少年にとって棺の中の父親は、すでに親ではなくなっていたのだ。

 たまらず外へ飛び出したロンはまた泣いた。

 今度は大声を上げて走りながら泣いた。

 泣いて泣いて走り切った先には、自分の家が見える。

 一気に走って家の中に入ろうとした時、目の前を誰かが横切ったのだ。

「おおっと危ねえな」

 聞き慣れない声の主が、止まれなかったロンを両手でつかまえる。

 ロンはどうにかぶつからなかったが、つかまれた腕が痛い。

 顔を上げると若い男が自分を見下ろしていたが、その顔に見覚えはなかった。

「こんな狭い道を走るなよ。俺だから良かったが、もし年寄りでもいたら大変なことになってたんだぞ。わかってるのか」

 返事をしないロンに苛立った男は腕を放すと、思い切りその頭をはたいたのだ。

「返事は?」

「は、はい」

 満足したらしい男はどこかへ行こうとしたが、今度はロンが男の腕をつかんだ。

「おじさん、どこの人?」

「おれはおじさんじゃない。お兄さんだ」

「どっちでもいいよ。どこの人」

 話を聞かないロンに男は再び苛立ったが、少年の服装と村の雰囲気から何があるのかわかってしまったため、しぶしぶ答えた。

「遠いとこだよ。この村からウンと遠い所。そこで俺は生まれ育ったんだ。これで満足か」

 めんどくさそうに答えた男にロンは言った。

「お願い、僕を外に連れてって!」

 驚く男だがロンは真剣だ。

 父親は死んでいないし、母親はとっくの昔にどこかへ行ってしまった。

 頼れる親戚も財産もない彼にとって今日は、自分が本当の意味で独りぼっちになってしまう日なのだ。

「僕の父ちゃんが死んだんだ。母ちゃんは家を出て行ったし、親戚達が僕を引き取る気が無いのだってわかってる。だから僕、外へ出たいんだよ」

「それはゴシュウショウサマ。だが、あいにくおれは根無し草の旅人だ。子ども一人連れ去ったって世話できねえよ」

 男は背を向けるがロンは腕を放さない。

 それどころかますます力強く握り締めてくる。

 子供相手に大人げないことはしたくないと思ったが、彼にはすぐに村を離れなければならない理由があるのだ。

「おい坊主。お化けは好きか?」

 沈みゆく夕日が男の輪郭に影を付ける。

「嫌いだよ。怖いもの」

 ロンが答えると、男の口はニイッっとつり上がった。

「なら手を離せ。そら、日が沈むぞ。夜が来る。お化けの時間が始まるんだ」

「何言ってるんだよ。お化けなんて夜遅くならないと出てこないじゃないか」

 不気味な笑みを浮かべる男にロンが言うと、男は首を時計回りにグルリと回した。

「いいや、お化けは出るぞ。ほら、あそこにな」

 かすかな明かりが遠くで見えた。

 何度か点滅を繰り返すその光は、遠くの山に消えていく夕日に合わせ、影に沿って近づいてくる。

 男にも明かりが見えるのだろうが怖がってはいない。むしろ待っているようだ。

 村にはまだ明かりが灯らず暗いままの家がたくさんあり、葬儀が行われている丘の上の教会だけが明るい。

 そこでロンは気がついた。

 ――僕、いつの間に丘なんて駆け降りたんだろう。

 この村はほぼ平地で、遠くにある山を境に隣近所の村とつながっているような場所だ。

 丘なんてものはなく、ただただ平べったい地面が山の麓までつながっているだけで、教会だっていつ建てられたのだろうか。

 背中が井戸水を浴びた時のように冷たくなり、反射的に男の顔を見上げた。

 男の顔は影になっていてよく見えず、遠かった明かりが近くに見え始めている。

「坊主。村の外に出たいのか?」

 男が尋ねる。

 しかしロンは固まったように動けず、唇を微かに震わせながら見上げるだけだ。

「村の外に出たいのなら歓迎するぞ。ただし、俺のようになるんならな」

 影がロンを覆い隠した。

 同時に男の顔が露わになり、瞬間、ロンが悲鳴を上げて走りだす。

 がむしゃらに走るロンが丘を駆け上がり、教会の入り口に立つジェーンに抱きついたとたん気絶したのは、今では良い笑い話だ。

「それで。それでロンおじいちゃんはどうなったの?」

 無垢な目が期待に染まり祖母を見上げている。

 祖母は優しく微笑むと照れくさそうに、ロッキングチェアに腰掛けて本を読む夫に聞こえぬよう腰をかがめた。

「あの後ね、おじいちゃんは三日間起きなかったのよ。でも起きたらすぐに私のところに来て、今の話をしてくれたの。村の大人達は信じてくれなかったけど、私は彼の話を信じたわ」

「それから二人は結婚したのね」

「ジェシーはおませさんね。でもそうよ。それからおじいちゃんとおばあちゃんは仲良くなって結婚したの」

 孫の耳元でそう言うと、ジェシーは嬉しそうに悲鳴を上げた。

 ロンがパイプをくゆらせながらこちらを見たが、いつものことだと本へ視線を戻してしまった。

 自分の昔話をされているなど露ほども思っていないことだろう。

 おませなジェシーは両手の平で口を覆って駆けだすと、ママのいる外へと行ってしまった。

 洗濯物をとりこんでいるママはジェシーの相手で大変だろう。

 孫娘は大人びているけれどまだまだ子供で、母親の邪魔をしているとは思ってもいないはずだ。

 ジェーンが弱くなった足を庇いながら立ち上がると、気がついたロンが肩を貸そうと立ち上がった。

「さあ、つかまって」

「ありがとう、ロン」

 重なり合う二つの影が扉の向こうへ消えていくと、パイプの煙がたなびいた。



「おいおい、お前よくも邪魔しやがったな」

 悪魔が男に言う。

 その目はつり上がり、黒い蝙蝠のような翼が扇ぐように動いた。

「勝手に魂をとろうとしたからだろう。あの坊主はまだまだ生きる魂だ。そのずる賢いマヌケな頭じゃ、そんな区別も出来なくなったか」

 鼻で笑う男に悪魔が拳を振り上げる。

 勢いよく男の頬めがけて下ろされたが、拳は男の頬をすり抜けた。

「くそっ、これだからお前は厄介なんだよ」

「お前のマヌケが生んだ結果だろうが。そうじゃなきゃ、俺はいまごろ地獄で暮らせてたんだがな」

「元はと言えばお前が悪い! お前が卑怯な手を使わずに大人しく魂を寄越していれば、俺だってこんな苦労しなくて済んだんだぞ!」

 甲高い声で怒る悪魔に耳鳴りがする。

 どうしてこう地獄の悪魔という奴は、うるさくてずる賢くてマヌケなのだろうかと考え込んでしまうくらいだ。

 男がした悪魔の邪魔は百を超えた。

 この悪魔とは生前からの付き合いだが、いつ会っても変わらないマヌケぶりに笑いがこみ上げてくる。

 自分がこうなってからかなり経つのだろうが、どこへ行っても人々の暮らしは変わらないのだから同じことなのだろう。

 空に星が瞬くと、悪魔は月の下で悔しそうに翼を広げる。

「次に会った時は容赦しないからな」

 いつもの捨て台詞に片手を上げて返事をすると、悪魔は怒りながら飛び去って行った。

「……次に会ったらって、何回言ったのか覚えてるのかよ」

 どうせ忘れてるんだろうな。

 そう思いながら星を眺めていると、離れたところを浮いていたかぶが男の元へと戻ってきた。

 数回腰の高さで回り空へと浮き上がると、男の左肩辺りまで下りて止まった。

「行くか」

 答えるはずがないとわかっていても、このかぶとは死んでから長い付き合いになる。

 人の顔のようにくり抜かれたその中には、人間界ではけして見ることができない美しくも暗い炎が灯っている。

「次はどこへ行くかな」

 男が歩き出すと、かぶは足下を照らすように下を向く。

 男が迷わないようにと真っ暗闇の中で、健気について行くのだった。











《後書き》


 ハロウィンということで、ジャック・オー・ランタンを登場させてみました。


 



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