夏果

サトウ

夏の果て

「今年も夏が終わるわね〜」

 お店の前で掃き掃除をしていたみさきさんが汗を拭いながらそんなことを口にした。私はテラス席で本を読んでいたから聞き流すのもそれはそれで有りかなって思ったけど、気まずい感じになるのもあれだったから返事をした。

「そうですね。夏と一緒にやってきたのに、夏の陰に隠れていた臆病な秋が、私達に顔を出す時がもうすぐ来ますね」

 岬さんはキョトンとした顔で私を見る。

「何か詩人さんみたいだね」

 私は岬さんの言葉に自分が飾った言葉を言った事に後悔した。こんな恥ずかしい気持ちになるくらいなら言わなければ良かったかも知れない。

「小説の受け売りです、知ってる人は知ってますよ」

 出来るだけすました顔をして場を流すことに徹する私。気を紛らす為に手元のアイスコーヒーに手を付けてしまう。氷で薄まるのが嫌で早めに飲み干してしまったから、溶け出した氷位しか吸えなかった。底の飲み物を飲む時の、あの卑しい音が響く。そんな私の照れ隠しなんて気が付かない岬さんは夏と秋が一緒に来るなんて考えた事もなかったよ、としきりに感心している。

「私が考えることなんて詩的じゃないからさ、生きている内にあと何回の夏を迎えることが出来るのか位しか思いつかないよ」

 岬さんは笑ってそんな事を口にする。

「私があと何年生きるか知らないけど、もし80歳とかその位まで生きるとしたら50回位しか夏に会えない訳じゃない? そう思うと何だか悲しいような、50回しかないからこそ1回1回を楽しまなきゃいけないとか、色々考えちゃうよね〜」

 岬さんが軒先で太陽に照らされながら、私を見つめている。何だ、私に詩人ぽいって言う割には岬さんもそんな事を考えながら掃き掃除してたのか。少し気分が高揚する。

「岬さんも同じようなもんじゃないですか。私は夏にあと何回会えるかなんて考えたことないですよ」

 もしかしたら、私はいつも夏に出会って無かったのかもしれない。すれ違っただけで、挨拶をしたぐらいにして分かった気になっていたのかも知れない。今日の私は違うのだ。

 本を閉じて岬さんのいる店先に出ていく。軒下から出ると日差しの眩しさに思わず、顔をしかめてしまう。

「箒、その箒貸してください」岬さんは困惑しながら私に箒を渡してくれた。

「どしたの? 急に」

「夏に会いたくなったんですよ」

 私の言葉を聞いても岬さんはぼんやりしている。と言うより、反応に困っている。

「岬さん見てるとなんか夏を謳歌してる気がして、だから私が掃き掃除します。岬さんはそこで私の小説でも読んでて下さい」

 岬さんは、夏に日陰で読書してるのもそれはそれで夏を堪能してると思うけどなんて言いながら私に背中を押されてテラス席に座った。きっと上手くいく筈なのだ。

 最初は意気揚々と掃き掃除をしていたけれど、明らかに存在を誇張している日差しに気が滅入り始めた。岬さんも小説を読んでいるようだけど、少し難しい顔をしている。

 失敗してしまった気がした。私はやるせない気持ちになっていく。自信のあったテストがあまり良い点ではなかった時と似ている気がする。こんな筈では無かったのに。岬さんを少しでも知りたかっただけなのに、私を少しでも知って欲しかっただけなのに。

せきちゃん。何時ものやらない?」

 俯いていたら岬さんが声をかけてくれた。その声に吸い寄せられるようにテラス席に歩いていく。ホウキを壁に立て掛けて、岬さんの前の席に座った。私は慣れないことなんてしないで、この軒先の影で小説を一人で読んでいるのがお似合いなのだと思うと、どんどん惨めな気持ちになっていく。どうして何時もこうなのだろう。

 岬さんはじゃあ、取ってくるねと店の中へと消えていった。何時ものというのはオセロの事だろう。ある日、お店でふたりきりの時に岬さんが言い出したのだ。「暇つぶしにオセロでもやらない?」と。

 それから、ふたりきりの時はオセロをやるのが私達の習慣になっていた。使うオセロも磁石とかの小さいやつではなく、もっと大きな、少し高級そうなオセロだ。私は岬さんとオセロをするのが楽しみでこのお店に来ているというのもあるのかも知れない。今はあまり気分が乗らないけど。


「テラス席でオセロをするのは初めてかもね」

「初めてです」

 いつもは店内のカウンター席に私が座って、岬さんはカウンターを隔てた先で立ちながら対戦をしていた。今日はこのテーブルでやるから、距離感がいつもと違う。いつもよりもずっと岬さんが近かった。それに何だか、私と岬さんが対等な立場になった気がした。いつものお客さんと店長という関係から、少しでも。

 私は知っている。いつも私達を隔てているものがとても大きなものだって。


 あの日の私は、今日の様に、少しばかり臆病な好奇心を宿していた。いつもの様に岬さんがオセロを取りに行った時に、カウンターの先のキッチンがどうなっているのか知りたくて、席から身を乗り出した。はしたないことなんて承知の上だ。

 そこに普通のキッチンが有って、別に取り立てて私の気持ちを動かすものなんて無いと思っていた。でも、そうではなかった。ちょっとしたワクワク感を持っていた私の心は一瞬で冷え切った。

 キッチンの端には何故か、木目のフレームの写真立てが伏せて置かれていた。きっと写真立てだろう。見た感じそうだ。私はその日ほど、自分の好奇心に殺されたことは無かったと思う。誰が写っているのだろう。岬さんと誰かが写っているのだろうか。もしもそうなら確かなことは、私以外の誰かという事だけなんだ。

 このカウンターは私と岬さんの境界線なのかもしれない。私の勝手な線引だとしても。現実はそう思えて仕方なかった。 

 その日の対戦は私の完敗に終わった。


「このオセロって、前は誰とやってたんですか」

 試合も中盤戦に差し掛かってきた時に私はそう言った。ずっと思っていたことだった。

 オセロは一人用じゃない、子供でも分かる。相手が居ないと出来ない。だから、私の前に岬さんの相手をしていた人が必ず居るのだ。盤面を見て考えるフリをしながら顔色を伺う。なんて、怖がりの私には出来なかった。ただじっと盤面を見つめる。

「関ちゃんの前では、カッコいい大人で居たいな〜、なんて思っちゃうんだけど。カッコつけたいタイプだからさ、私」

 岬さんが陽気に次の一手をさす。私の黒が白に染まっていく。裏返す手が少し、ほんの少しだけ震えているように見えた。


 負けちゃったよ、岬さんが少し笑ってそう言った。盤面は黒が大勢を占めているし、角も3つ取ることが出来ている。数えてはいないけれど私の勝ちだと思う。でも、最後の角だけは、白と黒の争いから逃れて、ぽっかりと隙間を作っている。別に私がなくした訳じゃない。私と岬さんがオセロを初めてやったときから、オセロの枚数が足りていないのだ。

 そんな事すら私と岬さんを隔てる壁に見えてしまう。私には一生をかけても埋められないものだから。嫌なのに、口に出してしまう。


「岬さんは、お店が休みなのにお店のドアを開けてずかずかと入って来て、何時もの、なんて頼む人なんて、嫌いですか?」

「私は……嫌いにはなれないタイプかな」


 岬さんはまたやろうね、と言って店の中へとオセロをしまいに行った。

「埋められなかった」声に出すつもりなんてなかったのに。

 私の完勝だった筈なのに。未だに最後の角の隙間が脳裏にチラつく。

 私の気持ちも勝ち負けで白黒ついてくれればいいのに。テーブルに突っ伏して軒先を眺める。

 夏果、夏の陰に隠れていた秋がそっと顔を出す時。私の中の、卑怯で臆病者の秋も顔を出したのかも知れない。そよ風が吹き、私を包み込む。

 秋が私の頬を撫でたように、そう感じた。

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夏果 サトウ @satou1600

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