第4話 タイタニック号事件

 映画化もされ知らぬ人のいないタイタニック号の悲劇については今さら管理人が言及する必要もないほど世情に流布しているのだが、ミステリーサイトを運営している以上触れておかなくてはならない欲求にかられるのだからやはりタイタニックは今なお魅力的なミステリー素材なのである。



 タイタニック号はホワイト・スターラインが北大西洋航路のために計画した3隻のオリンピック級客船全長269.08m基準排水量46328t全幅23.19mという堂々たる巨艦の2番艦である。

 奇しくもイギリスはタイタニックと同じく不沈艦と謳われたキング・ジョージ5世級戦艦の2番艦であるプリンス・オブ・ウェールズを大日本帝国海軍航空隊に撃沈されている。

 知名度の割にこれらがネームシップである1番艦でないことはあまり知られていないようだ。

 当時世界最大級として認知されていたのは先に就航していたオリンピック号であり、タイタニック号の評価はあくまでこのオリンピック号の新造同形艦であるというものでしかなかった。

 映画タイタニックのなかではあたかもタイタニック号が比類ない巨大客船であるかのように賛美されているが、当時の北大西洋航路はドル箱の激戦区であり、 オリンピック級の3番艦であるブリタニア号も完成は間近に迫っていたのである。


 オリンピック号とタイタニック号の差異は少なく、絵葉書や紹介写真では両者の混同が多く見られる。

 日本の戦艦、大和と武蔵や長門と陸奥のように同形艦というのはなかなか判別がつきにくい。後から就航したタイタニック号はオリンピック号の問題点を改善し、プロムナードデッキを吹きさらしのテラス型から風と波の防護のためサンルーム状の半室内とした。

 またBデッキが廃止され、その空いたスぺースにスイートルームと一等船客専用レストランが設けられた。

 映画タイタニックのヒロインの婚約者が宿泊したスイートルームがまさにこれである。

 ―――――だが逆にいえばオリンピック号とタイタニック号の判別する相違点はそれくらいしかなかった。少なくとも素人には見分けのつかぬほど酷似していた。



 タイタニック号の実質的なオーナーは、あの有名なJ.P.モルガン氏である。

 イギリス・アメリカ金融界に絶大な影響力を持つあのモルガン・スタンレーグループの創始者だ。

 タイタニック号の事件で一躍有名になったホワイト・スター社は、この熱狂的なヨット好きでも知られるJ.P.モルガン氏が買収させた子会社のようなものであった。

 ホワイト・スター社の経営方針そのものは、すべてこのモルガン氏が掌握していたのである。


 そのような関係上、当初はモルガン氏もタイタニック号の処女航海には乗船する予定だったのだが、なぜか急遽キャンセルし、事故当時、船には乗っていなかった。

 なぜかというのは語弊がある。確信的にキャンセルしたと言っていいだろう。

 なぜなら氏はその後悠々とエジプト旅行に出発しているからである。

 もちろんそのことを知らされたモルガン氏の知人・友人たち55名も同様に直前になってキャンセルして難を逃れた。



 そして1912年4月10日イギリスのサウサンプトン港からニューヨークへ向けてタイタニック号はエドワード・J・スミス船長指揮のもと2200名以上の乗客を乗せて処女航海へ出発した。

 しかし出港直後からタイタニック号では数々の錯誤が頻発する。サウサンプトン港で下船した二等航海士ブレアは後任の二等航海士ライトラーに双眼鏡を二等航海士キャビンにしまったことを

 引きつかずそのまま航海中双眼鏡は行方不明になってしまうのである。当時はまだレーダーが存在せず航路の安全は目視によって確認していた時代である。

 この双眼鏡の紛失は近眼者が眼鏡をなくした状態に等しい。その悪影響は出港から覿面に出ており、出港早々タイタニック号は客船ニューヨーク号と衝突寸前にまでなっている。

 それほどの危険にあってなおフランスのシェルブールやアイルランドのコーヴに寄港してもライトラーが双眼鏡を調達しようとした形跡はないのはいささか不自然と言わねばなるまい。

 4月14日に入るとタイタニック号のもとに流氷群警戒の無線が寄せられ始めた。少なくともこの日だけでタイタニック号は船舶間の無線通信で同様の情報を6通は受け取っている。

 しかしこの時期の流氷は決して珍しいというものではないので、航海士間での情報共有も全く不完全なまま放置された。

 特に衝突の40分前にも貨物船カルフォニアンから警告が発せられているのだが、どういうわけか前日タイタニック号は無線が故障しておりこのとき通信士は旅客の電報発信業務に追われていた。

 そのせいか機械的故障かは不明だがカリフォルニアンからの無線は混線による雑音として処理される。(一説にはやかましい!黙れ!と怒鳴られ相手にされなかったという)

 そして遂に、4月14日23時40分、北大西洋のニューファンドランド沖でタイタニック号の見張り員が前方450mに氷山を発見する。

 見張り員はただちに鐘を3回鳴らしブリッジに氷山の発見を報告。

 夜間指揮をとっていた一等航海士ウィリアム・マクマスター・マードッグは取り舵いっぱいを指示したがタイタニック号の全速に近い20.5ノットで航行していた船体は舵が利き始めると時を同じくして氷山に激突した。

 なぜタイタニック号がこれほど高速を出していたのかはいまだに謎とされている。

 視界の悪い夜、霧の多い季節でしかも流氷が南下している状況でこれほどの速度を出すのはいかにタイタニック号が安全性の高い船体であるといっても危険が大きすぎる。

 姉妹艦であるオリンピック号が度重なる事故で保険に入れなくなっている状況を考えればより安全を考慮してしかるべきであった。


 しかしそんな悪条件にもかかわらず船体の損傷はそれほどではなかった。

 当初氷山を右からかすめるように接触したため右舷からの浸水が水密区画を突破して浮力を失わせたと考えられていた。

 実は氷山との衝突であいた穴は約1m程度にすぎないことが後の海底探査で判明している。ではどうしたタイタニック号はあれほど急速に沈没したのか。

 海底探査のサンプルから当時の製鋼技術では不純物の混入が防げず、タイタニック号の船体を覆う鋼鉄は硫化マンガンを多く含んでいたため事故当日のような低温では衝撃にもろくなることが確認されているという。

 またブラッド・マトセンの著書によればタイタニック号は重量軽減のためリベットを約3.2mm細くすることで2500tもの重量を軽減していたらしい。

 海底探査の事故調査でも、リベットが衝撃で脱落したため右舷側から一気に浸水したという見方がもっとも有力である。

 乗組員の決死の作業(船の下層にあたるボイラー船員などは救命ボートを操作する電力を供給し続けるため、あえて脱出口からもっとも遠い現場に留まり続けた)にもかかわらず乗員の数に対して救命ボートの数は圧倒的に足りず、浮力が大きいためなかなか沈まないと信じられてきたタイタニック号は船の船首部分から沈みはじめ(映画とは逆である)船尾が持ち上がる形となって深夜2時20分自らの重みに耐えきれず真っ二つに折れて急速に波間に消えていった。

 海難史上最大の事故となったこのタイタニック号には日本の鉄道官僚であり、音楽家細野晴臣氏の祖父細野正文氏が乗船していたが全くの誤解から他人を押しのけて自分が助かろうとした卑劣な日本人との報道がなされ、これは本人の死後報道した白人のボートに細野氏は乗っておらず、かわりに中国人が乗船していたことが判明するまで日本人中傷の象徴となった。



 さてここからが問題である。



 はじめに述べたとおりタイタニック号にはオリンピック号という同形艦が存在する。(3番艦のブリタニア号は建造中)

 そして先に就航したオリンピック号は就航わずか9ケ月にして保険会社から保険の加入を断られるほどに傷ついており、現にタイタニック号の処女航海の直前までドッグで修理を受けていたというのである。

 タグボートを転覆させた程度はまだしも、現役の軍艦である巡洋艦ホークと接触したダメージは大きく、オリンピック号は新造間もないにもかかわらず耐久性能に難ありとして莫大な費用をかけた大規模補修、あるいは廃艦の決断を迫られていた。

 ところがこのオリンピック号その後1935年に引退するまで事故らしい事故もなく大活躍している。なかでも特筆すべきは第一次大戦でUボートに攻撃されたオリンピック号は逆にUボートに向かって突撃しその巨体でUボートを踏み潰してしまった。

 いったいどこが耐久性能に難ありだ、と言いたくなるのもむべなるかな。

 そこで噂されたのがオリンピック号とタイタニック号のすり替えによる保険金詐欺疑惑である。



 事故後の査問会では事故に至る不自然な錯誤が噴出した。

 当時船内には4つの双眼鏡があったのだが(うち1つはブレアがしまったもの)、衝突前にはその4つ全てが行方不明になっていたことが判明した。

 これはいくらなんでも不自然である。しかも海底探査によってタイタニック号の船内からは確かに双眼鏡が発見されている。

 よりにもよって事故の直前4つとも無くなるなどということがありうるだろうか。



 おそらく犯人はオリンピック号の修理にかこつけてオリンピック号をタイタニック号そっくりに改修し、両船を入れ替え、ホワイトスター社長イズメイを乗船させることで事故を引き起こすように仕向けたのだろう。

 名目上とはいえ社長であるイズメイ氏の命令に逆らえる船員はいない。設計上はタイタニック号は正面から激突するかぎり隔壁を破壊されないようになっていたという。

 双眼鏡なく氷山に正面から衝突してくれれば巨体をいかした浮力によって犠牲者は最低限に食い止められタイタニック号(この場合はオリンピック号)は無事海の喪屑となって証拠は隠滅されるというわけだ。

 ところがイズメイ氏の就寝後に氷山が発見され、咄嗟に航海士が取り舵をとってしまったために船は右舷から氷山をかすめるように激突し想定外の浸水を引き起こした。

 本来ほとんど犠牲を出さずにすむはずであったのに未曽有の犠牲者と莫大な補償金を支払うはめになってしまったというわけだ。


 ―――――結果からいえばこの説は非常に魅力的なのだが、これだけ聞けば陰謀論がまかりとおるのもよくわかるのだが――――やはり都市伝説の類であろうと思う。

 ホワイト・スター社は、経営不振から脱するために保険金を手に入れる目的で、外見が瓜二つの姉妹船である“タイタニック号”と“オリンピック号”の塗装を変更してすり替え、故意に氷山に衝突させる事を企て、事故を引き起こしやすい状況を指示させるため、ホワイト・スター社の社長であるイズメイ氏を乗船させた。

 早期に氷山が発見されると計画が頓挫する恐れがあるため、船内に4つあった双眼鏡を全部隠し、見張り役には口封じの金を渡して買収した。


 ちょっと待って欲しい。

 ホワイトスター社はタイタニック号の沈没によって少しも儲かっていない。

 保険金額は100万ポンドと当時としては破格のものであったが、タイタニック号の建造費用50万ポンドを大きく上回っているとはいえ犠牲者への賠償金、オリンピック号とブリタニア号の改修費用(二重船殻の採用などの衝突安全工事が行われた)、大弁護団を編成した裁判費用、そして失われた企業イメージまで含めれば間違いなく赤字である。

 しかし経営不振とされたホワイトスター社は倒産していないし、ましてJ・P・モルガン氏にとってはホワイトスター社など彼の資金源の極一部にすぎなかった。

 あくまでも氏の本領は金融界にあるのだから当然である。

 ゆえに、タイタニック号とオリンピック号のすり替え保険金詐欺疑惑は不審は残るものの無罪、と判断せざるをえない。

 近年「遺物の劣化を防ぎ、違法な遺品回収行為から守る」といった内容の条約、『タイタニック号保護条約』にアメリカが署名したため今後、潜水調査や遺品回収ができなくなってしまった。

 これは証拠の隠蔽であると見る向きがあるが、これはその前の段階で映画で知名度を増したタイタニック号の遺品に注目が集まり、勝手に遺品を回収し利益目的で競売にかけられるような行為があったために遺族からの批判を浴びるという事件があった。

 いまだ遺族が存命で所有権を争うことが出来るという現状を考えれば条約の内容は妥当なものと言うことが出来るだろう。





 タイタニック号が沈没した理由としてはエジプトのファラオのミイラが乗せられていたという説もよく見かけることが出来ます。

 しかし大英博物館からニューヨーク市立美術館に運ばれるはずであったというミイラが、タイタニック号とともに大西洋に消えたというならともかく、今は大英博物館の地下深くに眠っているというのはいかがなものか。救命ボートに乗員を乗せることすら不可能ダッタタイタニック号からミイラがどうやって運び出されたのか合理的な説明がなされた文献を見たことはありません。

 やはり都市伝説レベルというべきでしょう。



 それ以外にもモーガン・ロバートソンによって「タイタン号の悲劇」なる短編小説が出版されており、これがタイタニック号の沈没と状況が似ていることから予言であるという風評がたった。

 しかしトム・クランシーの合衆国崩壊が9.11テロを予言していたという説と同様に偶然の一致である。

 巨大な船が船員の油断によって沈没する。海難事故を想定する小説を書くうえで想像することがそれほど困難であったと管理人は思わない。

 これが予言でまかりとおるなら週刊少年マガジンのMMRは千年に一度の予言書である。

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