第2話 ニオス湖大災害(雛見沢大災害のモデル)

 この美しい湖はカメルーンの北西州にある休火山オク山の頂上に位置する火口湖である。

 約400年ほど前の噴火時の火山岩が湖の天然のダムを形成しており、この大量の水をせき止めている。

 その規模は全長1800m、深さ208mという巨大なものだ。

 この湖底下にはマグマ溜まりが存在し、そこから放出される二酸化炭素でニオス湖は常にほぼ飽和状態にある。

 こうした湖は世界に3つしか存在しておらず、このニオス湖とマヌーン湖、ルワンダのキブ湖があるのみである。

 ニオス湖では湖底近くの冷たい湖水ほど密度の濃い二酸化炭素が溶けだしており、湖面近づくにしたがって二酸化炭素の密度は薄くなる傾向にある。

 平時においては湖は安定しており、二酸化炭素は深層に溶け込んだ状態で留まっているが、時間の経過とともに湖は二酸化炭素で過飽和し始め、噴火や地震をきっかけにして一気に大量の二酸化炭素を地上に噴出する恐れが高まる。




 悲劇には予兆が存在した。

 ニオス湖と非常によく似た火口湖であるマヌーン湖で1984年二酸化炭素の突発的な噴出が発生し、ふもとの村民37名が死亡するという事件が起きたのである。

 しかしこの時点でニオス湖で同様の事件が発生すると予見するものはおらず、仮に起こるとしても限定されたものであろうと考えられていた。

 その予想は完全に裏切られ、運命の1986年8月21日を迎える。

 奇しくも日本の暦を考えれば、ひぐらしの鳴き声が哀愁を漂わせ始める季節であった。



 午後9時、電気もテレビもない原住民の村は寝静まっていた。

 そんな彼らの眠りを嘲笑うかのように突如ニオス湖の中央で巨大な泡が膨れ上がり大音響とともに爆発する。

 原因は前夜の雨による地滑りだ、とも小規模な噴火があった、とも湖内の対流によるものだ、とも言われるが現在もなお特定されていない。

 この湖水爆発によって実に160万トンもの二酸化炭素が空気中に排出された。

 湖水爆発後巨大なニオス湖の水位が1mも下がったというから排出された二酸化炭素の巨大さがわかるであろう。

 偶然ではあるがこの爆発によって湖底に沈殿していた鉄分を含んだ湖水が水面にあがってきたため、普段青く美しい湖面はまるで血で染まったかのように真っ赤に染まった。

 湖水の鉄分が急速に酸化したのだ。



 長年積もりに積もった二酸化炭素は空気よりも重いために物理法則に従って山を下り、その多くは近隣の二つの渓谷になだれ込んだ。

 音も匂いもない死の使者は、まずニオス湖から1キロ程度しか離れていないふもとのニオス村を直撃した。

 二酸化炭素以外にも硫化水素などの火山性ガスが混じっていたため、村では阿鼻叫喚の地獄絵図が現出した。

 酸素がなくてもがき苦しむもの、火傷をしてのたうちまわるもの、火山性ガスを肺に吸い込んで悶絶するもの。

 ニオスの村を飲み込んだ殺し屋はさらにその東のスブム村、西のチャ村を襲撃し、ここでも甚大な被害をもたらす。

 体力のある若者とその若者におぶられた主婦を含め、ニオス村で生き残ったのはわずか6名、そのほか1200人以上が自分に何が起きているのか自覚せぬままに絶命した。

 生き残ったものも自分がなぜ生き残ったのか理由はわからなかったという。

 実際に渓谷に位置したニオス村から徒歩で逃げだした彼らがなぜ無事であったのかは謎とされる部分も大きいのである。

 救助活動に赴いたある神父はこうつぶやいたという。


「村人の一部はベッドの中で眠るように亡くなっており、多くの人は家の外や道路で横たわるようにして死んでいた。まるで生物だけを殺傷する中性子爆弾でも落とされたようだった」


 総死者数1743名、死傷者4000名以上、避難退去者20000名以上。

 家畜の牛や犠牲になった村人の死因はほとんどが窒息死であったという。

 日本にも炭酸ガスが溶け込んだ火山性の湖は多いが、四季の存在する日本では湖水の対流によってほとんど全ての炭酸ガスが溜まらずに湖面から排出されている。

 熱帯に位置し湖水の対流現象が存在せず、発展途上国のため環境分野の人材が不足したカメルーンゆえのそれは悲劇であったと言えるだろう。



 現在ニオス湖では日本の技術協力で定期的に二酸化炭素の放出作業が行われているが、避難を余儀なくされた村人たちが故郷の村に戻る日は2013年現在まだ先のことになりそうだ。

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