異端審問特級神官グレーテルによる異端審問会記録 二
あの日の晩。わたくしはその日のつとめをはたし、自室で休んでおりました。
ですが、就寝する前に王太子殿下がおたずねになりました。
聖女とは神の奇跡の一片を民に授けるものであり、それは王族も平民も変わりありません。
聖女がこうべをたれる相手は神だけでございます。であるからにして、聖女は王族にかしずく臣民ではなく、対等というのが、聖女と王族ー―いえ、教会と王族のならいでございます。
ですが、王族というのは、聖女と、そして聖女の属する教会の守護者、とされています。しかるに、王太子殿下の夜のおとずれが、いささか非礼にあたるものであっても、無下に断れないものです。
この点は貴君にもご理解できるかと思います。グレーテル司祭。
わたくしがあの晩、王太子殿下を呼び出したのではないかと?
そのようなことはしておりません。
確かに、大教会は王城の隣であれど、そうやすやすと行き来できるものではない。聖女に呼ばれたからこそ、夜といえど王太子殿下が教会にはいることができたのではないか。門番の証言も、王太子殿下は聖女からの手紙をたずさえて、面会を願い出たとおっしゃっていると。
であれば、その疑問は確かに正しいかと思います。
ですが、わたくしは決して、その晩、王太子殿下を自室にお誘いしておりません。
わたくしはこの審問会で、決して嘘を申しません。
なにを信じられるかは、グレーテル司祭が決められること。
わたくしは、その疑問に回答を授けるためにここにいるのではありません。
ただ、その晩に、なにがあり、なにをしたか。それを語るだけでございます。
さて。王太子殿下はわたくしの部屋に訪れになりました。
歓待をすべく、わたくし付きの侍女が紅茶をいれました。昼間でございましたら、なにかとございますの、数人の侍女がおりますが、就寝前でしたので、侍女はひとりきりでした。
ですが、王太子殿下は紅茶より、ワインを所望されました。
他の神官のかたがどうされているかはわかりませぬが、わたくしの部屋にはワインを置いておりませぬ。
そのため、侍女がワインを食堂までとりにいきました。それから侍女が戻り、わたくしと王太子殿下はワインを飲みました。
わたくしは酒精につよくございません。ですので、グラスに注がれたワインは、指三本分ほどでございました。
しかし王太子殿下は、ワインをそのままで飲めぬのならば、なにかで割ればよい、とおっしゃり。そのワインに合う果実水を侍女に持ってくるよう命じました。
いくどかワインにいろいろな果実水をまぜ、これはあわぬ、あちらのほうがいいのではないか、といろいろお試しになられ、そのたびに侍女は頻繁に部屋と食堂を行き来することとなりました。彼女にそのときの疲労が溜まっていないか、心配でございます。
何種類もの果実水で薄めたワインをそのたびに飲むこととなり、いくら薄めてるといっても、何杯も飲めば酒精に弱いわたくしには十分です。
酔いが回ってきましたので、殿下に無礼なところを見せる前に、これ以上はいただけないとお断りいたしました。
そのとき、わたくしの侍女は殿下のほかの果実水を用意するように、という命に従って部屋をでておりました。
では、最後にこの果実水で薄めたものを飲んでみないかと、殿下にいわれ、それを最後の一杯とします、と断り、わたくしはワインを飲みました。
そのあとの意識は、途切れております。
いつもより酒精をたしなんだためか、急に酔いが回ったようにその時は感じたのです。
気づけば、もう深夜でございました。
部屋には王太子殿下おひとりでした。
そのあとは、先ほど申しました通り。
わたくしは、王太子殿下を殺めました。
その時の意識ははっきりとございます。
わたくしは、チーズや果物を切るための、細く小さいナイフを手にして、王太子殿下を刺しました。
なんども、なんども、なんども。
嘘をつかないと、わたくしは申し上げました。ですが、この点は残念ながら、わたくしは何回、殿下を刺したのかまでは覚えておりません。
ただ、いくども刺したのは間違いございません。
わたくしは、わたくしの意思で、王太子殿下をナイフで刺し、殺めました。そのときの皮膚から食い込み、肉にうまる感触。あふれる血の熱さ。王太子殿下がくぐもってだす悲鳴。すべて覚えております。
たしかにわたくしは、わたくしの意思で、王太子殿下を殺めました。
十三の刺し傷があったのですか。
わたくしは十三度、王太子殿下にナイフを刺したのでございますね。
いくら小さきナイフといえど、一刺しでは人を殺めることなど、できませぬから。
グレーテル司祭、難しい顔をされておりますね。
ええ、貴君が見聞きした状況や、伝えられた様子から予想していたものとは、食い違いがあるのでしょう。
わたくしと殿下の死体が発見されたとき、わたくしも殿下も、服をまとっていなかった。
裸の殿下の死体はわたくしのベッドの上にあった。
わたくしはそれを見下ろしながら、裸のままナイフを持って立っていた。
そのお話でございますね?
グレーテル司祭。貴君はその話を聞き、こう考えられたのではないですか。
門番からの証言の通り、殿下は聖女アリスに乞われて聖女アリスの部屋におとずれ、聖女アリスが殿下を誘惑し、同衾した。
もしかしたら、以前より聖女アリスと王太子殿下のあいだには男と女が交わす情があったのではないか。
しかし王太子殿下には婚約者がいらっしゃる。来年にはご婚儀を控えていらっしゃる。
それを発端として、痴女のもつれが起こり、激昂したわたくしが殿下を殺めたのではないか。
そういう予想図を描いていらっしゃったのでは?
ええ。そちらのほうが、ひとびとにもわかりやすい話でございます。
わたくしが裸であったことも、死体となった殿下が裸であったことも、事実でございますから。
聖女の身でありながら、淫蕩の欲におぼれ、心の隙間を悪魔に支配され、殿下を殺めたのではないか。
神の声を聞き、その下僕たる聖女が人を殺めるなど、ありえぬこと。
人を殺めることは、人の命を奪うということは、原初のはじまりの十の約束にもあり、聖経典でも厳しく禁じられておりますゆえに。
であるならば、以前から聖女は聖女としての資格を失っており、悪魔に魅入られた魔女と成り果てていたのではないか。
それは貴君だけではなく、異端審問派、ならびに教皇猊下もそのようにお考えになられた。
だからこうして異端審問が開かれている。
悪魔つきであり、すでに聖女の資格をなくし、堕落した元聖女、ただのアリスという女を、神の名のもとに裁くために。
……あら、グレーテル司祭、どうしてそのような怖い顔を?
まあ……わたくし、笑っておりましたか?
申し訳ありません。いえ、ですが、おかしくって……。
……殿方のお考えになられることは、本当に似ていらっしゃるな、と。
ふふ、ふっ……。失礼いたしました、いえ、貴君を侮辱する気持ちはありません。むしろ、その素直な考えが愛おしく、聖女として慈しまねばならぬと思いまして。
今、ここでこれ以上お話をしても、貴君はなにも納得なさらぬでしょう。
わたくしはわたくしから見て、聞いて、話したことを嘘なく話しました。
このまま、お続けになりますか?
さようでございますか。本日の審問会は終わり、でございますか。
噂にありました、爪を剥ぐですとか、鞭打ちやら、水を浴びせ続けるなどはしませんの?
ああ……確かに、わたくしはすでに王太子殿下を弑したことを認めておりますものね。
それでしたら異端審問官の仕事として、残るはわたくしがいつ悪魔にとりつかれたのか、というお仕事になるのですね。
ですから仕切り直し、ということですか。承知いたしました。
ああ、ですが、グレーテル司祭。
それでしたら、わたくしに聞くべき問いが残っているのではございませんか?
――ええ、その問いでございます。
それについて、わたくし聖女アリスはお答えいたしましょう。
わたくしは、悪魔に魅入られておりません。
たとえ人を殺めてしまったとしても。
わたくしは貴君が、また、異端審問派、教皇猊下、我が友たちが考えている悪魔というものに誘惑などされておりません。
わたくしが聞いたことがあるのは神の声のみ。
悪魔の声は聞いたことがありませぬ。
どうやら、今のグレーテル司祭はわたくしの言葉を聞く価値なしと思っていられるご様子。
それでもよいでしょう。わたくしは、嘘をついてなどおりませんから。
なにを信じるかは貴君次第でございます。
それでは失礼させていただきますわ。
ああ、ですが、その前に……。
何故。王太子殿下は、王城にあるご自身の部屋ではなく、教会のわたくしの部屋でわたくしとお会いしたのでしょうか?
次の審問会で、お会いできるのを楽しみにしております。グレーテル司祭。
それでは、ご機嫌遊ばせ。
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