第52話 7月20日 慎一①
「では、出発します。須田様、シートベルトをお締めください」
専属の機長に促され、シートベルトをカチャリと鳴らす。
アメリカまで数時間はかかると説明は受けている。
アメリカのどこなのか、全く情報はない。
これではまるで拉致ではないか。
聞いてもはぐらかされて教えてくれないのだ。
プライベートジェットが動き出す。
徐々にスピードを上げ、あっという間に地から離れていった。
プライベートジェットでの太平洋横断なんて、普段の僕ならば、大はしゃぎしているところ。
しかし、今の僕にはその気力がわかなかった。
アメリカか。
会長にグアムまで拉致されて日帰り旅行したのが懐かしい。
わりかし最近のはずなのに、はるか昔のことのように感じられる。だが、今度のは旅行ではなかった。
『移住』である。
僕はアメリカに引っ越す。
おそらく日本にはもう戻れない。
生徒会メンバーには誰一人、このことを言っていなかった。
「みんな怒ってるかもなぁ……」
絶望する桃山。
冷静に状況把握に努める薫先輩。
GPSで僕の居場所を特定しようとする美咲ちゃん。
オロオロするドリちゃん先輩。
そして静かにブち切れる会長。
はは。なんだか、目に浮かぶな。
ポタっと僕のシャツに、1粒の染みができた。
え? うそだろ? 僕泣いてんの? ウケる。
気づいてしまえば、もう止まらなかった。
とめどなく感情が溢れ、染みを大きくする。
後悔はない。
こうするしかなかった。
僕は彼女たち全員が大切で、彼女たち全員が好きなのだから。
これで、よかったんだ。
♦︎
【夏休み前】
「慎ちゃーん。総ちゃんが遊びに来てるわよぉー?」
階下から母さんが僕を呼ぶ声が聞こえる。
せっかくおかず本の整理と、新調するおかず本のジャンル検討をしていたのに、もぉお!
てか、総ちゃんて、誰だよ。
僕の知り合いに総ちゃんなる人はいない。
仕方がないので、リビングに降りるとソファにビシッとスーツで決めた40代そこそこの綺麗な女性が座っていた。
その後ろにはSPっぽいお付きの人。
……………………てか、総ちゃんって――
「総理大臣かよオオオオオオオ?!」
現総理大臣の米山雅子、その人であった。
「だから、そう言ったじゃない」母さんがトーストにバターを塗りながら、ほざく。
「いや言ってねぇーわ! 総理大臣は断じて『総ちゃん』ではないわ!」
本人を前にしてよく『総ちゃん』呼びできたな、母さん!
というか、総理大臣にバタートースト出すな! もっと洒落たもの出せェ!
ほらみろ!
若干、ひきつってるじゃん。総ちゃん若干顔、ひきつってるじゃァん!
「うちの子、時々、変なこと言い出すときあるの。気にしないでね総ちゃん」
「え、あ、はぁ…………」
母さんがぐいぐい総ちゃんに迷惑をかけていく。
うちの母は天然で人に迷惑をかけまくるスタイルなのである。ご容赦願いたい。
仕方がないので、僕も米山首相の対面のソファーに座って、丁重に米山首相に歓迎の言葉をかけた。
「よく来たね、総ちゃん。ミニ四駆する?」
「しねェェエエエわ! いい加減にしろよ?! お前ら親子!」
総ちゃんではなく、お付きの人がツッコむ。なかなかの逸材である。
総ちゃんはやはり引きつり顔をしていたが、お付きの人を手で制して止めた。
さすがは国を背負うだけある。貫禄が違う。
それはさておき、いよいよ本題か?
さてなんのご用向きなのか。
妙な緊張感が漂う。
僕は息をのんで総ちゃんの言葉を待った。
「当然ビークスパイダーはあるのよね?」
結局ミニ四駆するんかい!
緊張して損したわ。
しかも総理大臣のくせにやたらダークなマシン使うのな!
ミニ四駆のコースどこしまったっけかなぁ。
♦︎
「なんで私が…………」
SPちゃんがせっせせっせとコースを設営している間、僕と総ちゃんは茶を飲みながら先に話を進めていた。
「それで、何故、こんなミニ四駆とそのコースしかない家にお出でなすったんで?」
僕が茶をすすって尋ねると、母さんが横から割り込んできた。
「こら慎ちゃん! 失礼しちゃうわね。ベイブレードもありますぅ!」
無視して進めるよう総ちゃんに目で合図を送る。
「慎一君。今日はあなたに話があって――
「――ゾイドもあるのよ? ライジングライガー」
「デスレックスもあるかしら?」
いいから! 母さんの話に乗らなくていいから! 話が進まないから戻ってきて総ちゃん!
てか、なんでさっきからダークマシンばっかり選ぶの総ちゃん!
「デスレックスはいいから! で何、話って?」
総ちゃんは一瞬悲しそうな眼をしてから、しかしこれからする話が余程大事な話なのかすぐに顔を引き締める。
「慎一君、あなたにはアメリカに行ってもらいたいの」
「「アメリカ?」」
僕と母さんの声が重なる。
「順を追って説明するわ」
そう言いながら総ちゃんは蜘蛛をモチーフとしたミニ四駆、ビークスパイダーをヒョイと拾い上げ、モーターをオンにした。
ウィィィィイイとビークスパイダーが唸り、ゴムが焦げた匂いが漂う。
「待って待って待ってくださいぃ! まだコースできてないんです! まだですぅ!」
SPちゃんが両手をブンブン振って総ちゃんを止めようとする。
総ちゃんは聞いているのかいないのか。ビークスパイダーをコースに乗せた。
ビークスパイダーはシャーーっと爽快に疾走し、やがてデッドエンドでSPちゃんの顔面にぶつかってひっくり返り、止まった。
SPちゃんも「へぶぅ!」とうめいてひっくり返っている。
SPのくせに鈍くさい。
総ちゃんは何事もなかったかのようにスパイダーを拾い、モーターを切って続きを話し始める。
よくあれで普通に話の続きに入れるな。
話が頭に入ってこないから真面目にやってくれないかな。
「あなたは特別な人なの慎一くん。生まれ持った特別な力がある人」
「特別な人?! 何それ何それ! めっちゃ上がるんですけど!」
要はコレあれでしょ? 実は僕に特殊能力が備わっていて、これから僕の無双物語が始まるってことでしょ?!
キタコレええええええええええ!
「そう。特別なのよ。………………あなたの精子は」
「うんうん、そうでしょうそうでしょう――て、ぇ待って。精子?」
僕の聞き間違いかな?
今精子って言った? あ、戦士かな? あなたは戦士って言ったのかな?
「そう精子。あなたのそのカノントータスの液冷式二連装高速自動キャノンから発射される白く濁った濃厚な――
はい精子ー! 確定精子ー!
てかいちいちゾイドで説明すな!
リクガメ型のゾイドカノントータスの名誉のために言うが、カノントータスは白濁液を発射したりしないから!
「精子って、え? 僕の精子が能力者で? 僕が精子で、精子が僕で? 僕の無双物語でなく射精物語が始まるってこと?! え待ってどゆこと?!」
「慎ちゃん、夢精物語かもしれないわ!」
「母さんはちょっと黙って!」
混乱している僕に総ちゃんが丁寧に説明する。
「世界各国で男性不足に悩まされているのは知ってのとおりだけれど、ではなんで男性不足に陥っているのか。あなたは知っている?」
考えたこともなかった。
というか僕にとって答えは「そういう異世界だから」以外の何物でもない。
それでも僕は一生懸命に考えて答えようとした。
「おそら――
「――それは少し専門的な話になるから詳しくは省くけど、実は男性の精子の構成上の問題なの」
聞けよォ、オイイイ!
会長と同タイプかよ、この人ォォオオ!
なんで偉い人って話聞かないの?
総ちゃんは構わず続ける。
「普通の男性が性交して女性が妊娠した場合、男児が生まれる確率はおよそ5パーセント。残りの95パーセントは女児になる」
この世界の男子不足は、そもそも男性の精子のせいだったようだ。
男子の端くれとしてなんか責任を感じてしまう。
「でも慎一君。あなたは違う」
僕はその一言で全て理解した。
日本の独身男性は全員もれなく、月に1度精子を提出することが義務付けられている。
当然僕も毎月提出している。
おそらくそれで発覚したのだろうな。
総ちゃんは犯人の罪を暴くかのように、はっきりと告げる。
「慎一くん。あなたの精子を使った場合の男子出生率は高すぎる」
やはりそうか。
須田慎一の体はこの世界の体だけれど、心はこの世界のものではない。
男児か女児かをわける
「慎一くんの精子を使った場合の男児出生率はおよそ50パーセント。通常の10倍。これは驚異的な数字よ」
僕としては50パーセントとか言われても、まあそうだろうな、としか思えないのだが、この世界の常識と照らせば、とてつもなく高確率だ。
「ん…………それは分かったけどさぁ」
僕はミニ四駆サイクロンマグナムを拾い上げて、モーターをオンにする。サイクロンマグナムは元気よくうなりをあげた。
「だから待ってって! お願い待って! まだなの! まだコースできてなヒギャアアッ!」
サイクロンマグナムがSPちゃんのおでこにぶつかり、SPちゃんはサイクロンマグナムと一緒にひっくり返った。
僕は総ちゃんにならいSPちゃんを無視して続きを話す。
「なんでそれがアメリカにつながるわけ?」
「慎一くん…………この子にそんなことしておいて、よく普通に話の続きに入れるわね」
「あんたにだけは言われたくないよ?!」
偉い人ってなんで自分だけ棚に上げちゃうの?
「慎一君の人体を一度、最先端の技術で精密検査したいとアメリカの大統領が言ってきているの」
今度は大統領。なるほど。大ちゃん、かな。次点で領ちゃん。
「天下のアメリカ様のご要望だから断れないってこと?」
「た、確かに断りにくいのは認めるわ。今のアメリカは断れば何をしだすか分からない危うさがあるし……」
総ちゃんの言葉が尻つぼみになる。
異世界でも各国の上下関係ってあるんだなぁ。
僕がぼんやり聞いていると総ちゃんは勝手にヒートアップして熱弁しだす。
「でもそれだけじゃないの。アメリカはやっぱり天下のアメリカなのよ。向こうの最新技術は日本とは比にならないレベルで発展している。もしかしたら、アメリカなら少男化問題を解決できるかもしれない! 私はそう思うの! もしかしたらアメリカなら本物のデスレックスだって作れるかもしれないし――」
何の話だ。いや分かっている。ゾイドの話だ。おもちゃからいったん離れてくれないかな。
「――でも僕行きたくないんだけど」総ちゃんの話に割って入るように言う。
「じ、人類のピンチなのよ?! 人類を救うチャンスなのよ?!」
「アメリカンな金髪女は第28話で僕のペ◯スをあざ笑ったから嫌い」
「第28話って何?! こ、これは政府の決定よ? 拒否することは許されません!」
おい。横暴だよ。
この世界の内閣どうなってんだよ。
もしかして元居た政界も僕が知らなかっただけでこんなものだったん?
「やだよォ、僕一人でアメリカの一等地にそびえ立つプール付き豪邸に住むなんてェ」
「誰もそんな豪勢な暮らしできるとは言ってないのだけれど……」
世界の救世主とか言ってた割にけち臭い。
「だけど、まぁ家族なら同行して構わないわ。先鋒の許可もおりているし」
家族…………。家族か。
妙案を思い付く。
「家族って嫁も入るよね?」
「まぁそうね。籍が一緒なら家族と言えるわね」
よっし。こうなったらやるしかない。
僕が何を考えているのか察したのか、総ちゃんが「ただし!」と付け加える。
僕は総ちゃんがどんな条件を出してくるのか、息をのんで待った。
しかし、ここでSPちゃんの空気を読まないKYムーブが炸裂する。
「あ、コースできましたァ!」
「……………………」
「……………………」
総ちゃんはSPちゃんを一瞥した後、SPちゃんを無視してゆっくりと口を開いた。
「ただし! 時間はあまりないの。これから妻を迎え入れるなら夏休み中にしてちょうだい」
「――コースぅううう! できましたァ!」
「はァァァアアアアア?!」
これってそんな急ぎの話なの?!
まだ1年くらい猶予があるものと思っていた。
たった1か月ちょっとで、プロポーズして、成功させなくてはならないのか。
またとんでもないことになった......。
「あのォォオオ! コース! コースできたんですけどォ?! ちょ、総理?! 須田慎一!? ちょっと! どこ行くの?! コース! ねぇコースうううう! コースで遊んでェエエエエエエエエエ!」
こうして僕の波乱の夏休みがはじまった。
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