第51話 9月1日 会長③

「来ないですね」


 美咲がもう何度目かになる呟きを発する。

 美咲は暇つぶしなのか、机でなにやら細々とした機械をいじっているが彼女自身が「来ないですね」を定期的に発音するロボットになり果てていた。


「今日2年は何かイベントごとでもあったか?」

 薫が首を捻って問う。

 答えは薫自身既に分かっているのだろうが、問わずにはいられない、といった様子。


「何にもないよ。2年D組の掃除当番は慎ちゃんでも遥香でもないよ」私は事前に調査している情報を提示する。


 今日は『なんで僕のクラスの掃除当番事情を把握してるの?!」と騒ぐ声がないから、静かだ。

『慎ちゃん情報をリークするのは私の仕事ですよ!』とわけのわからないクレームを言うストーカーもいない。


 慎ちゃんと遥香はまだ生徒会室に来ていなかった。

 私たちは各自仕事をしながら、2人を待ったが一向にやってこない。

 いくらなんでも遅すぎる。

 もうすぐ5時になる。

 欠席する連絡も何度も確認したが、やっぱり来ていない。


「慎様がどこかで油を売っているのはいつものことですが、桃山さんまで遅刻なんて……。なにか、あったのではありませんの?」ドリちゃんが心配そうに言う。


「もう一回電話してみます」美咲がスマホを取り出して電話をかけた。

 ――が、


「ダメです。でません」


 もうこのやり取りも10回以上しているのではなかろうか。


「連絡もないのは、ちょっと心配ですわ」ドリちゃんが私に目で訴えかける。分かっている。私も同じことを考えてた。


「仕方ない。仕事は一時中断して、みんなで慎ちゃんと遥香を探そう」


 私が言うと同時に、3人は立ち上がった。

 私たちはそれぞればらけて校舎内の2人が行きそうな場所を順々に訪れることにした。

 ――が、探しものの片割れはすぐに見つかった。

 私が屋上を探しているときに、美咲から電話があったのだ。


『見つけました! でもちょっと様子がおかしいです。2Dの教室です』

「分かった。すぐ行く」


 出しうる限界までダッシュして、2年D組の教室に向かった。


 夕焼けが差し込む2年D組の教室は、どこか廃墟のような切なさと不気味さをたたえていた。


 いた!


 遥香がそこにいた。

 窓側の席に、顔を突っ伏して座っている。

 机の横にはスクールバックがぶら下がり、椅子の背もたれにブレザーがかかっている。

 帰りのホームルームを受けてそのまま、といった様子だった。


 遥香の横に必死に声をかける美咲と薫とドリちゃん。

 遥香は3人の声掛けに応じる様子はなく、ただ呼吸の波だけが感じ取れた。


「何があったの?」私も息を整えながら、駆け寄る。


「分かりません。見つけた時にはすでに」

「声をかけても反応がありませんの」


 ドリちゃんが遥香の背中をさすりながら、自分もほとんど泣きそうな顔をしている。

 私も遥香に近づき、肩に手を置く。


「遥香? 大丈夫? 具合悪い?」


 やっぱり返答はない。


「どうします?」美咲が困ったふうに意見を求めた。

「今の桃山さんは一人にしておけませんわ」


「そうだねぇ。でも、まだ慎ちゃんも見つかってないし――」


 私が言いかけた時だった。

 これまで反応のなかった遥香がビクッと揺れ、小刻みに震えだす。

 明らかに慎ちゃんの名前に反応していた。

 なにか嫌な予感めいたものが胸を侵食していく。

 謎の危機感が私の平静を黒く塗りつぶしていった。


「遥香?」


 ほとんど声にならないかすれた声が出る。

 相変わらず遥香は反応を示さない。

 ただ、それ以上踏み込まれるのを恐れるように震えている。


「ねぇ遥香? 慎ちゃんは? 慎ちゃんに何かあったの?! ねぇ?!」私は自分が抑えられず、気付けば遥香の両肩を持って強く揺すっていた。


「おい智美、やめろ!」「会長落ち着いてください」


 薫とドリちゃんに抑えられ、遥香と離される。

 放課後の静かな教室に、はぁはぁと自分の乱れた息と、校庭から聞こえる溌剌とした運動部の声とが重なる。


「遥香」


 私はまた彼女を呼ぶ。


 神に祈るような、懇願を込めて呼ぶ。


「……………………何か知っているなら教えて」


 遥香は顔を上げない。


 だが、「うぅ」と嗚咽を漏らし震えている。


 だめか。


 諦めようとしたとき、遥香が顔を上げた。









 涙に濡れた顔。








 泣きはらした目。










 瞳は暗く、光がない。












「会長」


 蚊の鳴くような声で遥香が私を呼ぶ。



 返事の代わりに遥香の目を見つめ、小さく頷く。

 皆が息を飲んで、遥香の言葉を待った。


「慎ちゃんが…………慎ちゃんが……転校しちゃいました」







 ――――ぇ。






 理解が追いつかない。

 遥香の言葉の意味を理解し、しかしそれは受け入れ難く、また別の意味を探す。


 それの繰り返し。


 だが、それも永遠ではない。


 やがてブラウン管テレビが切れるようなブツンという音と共に視界が暗転し、光に満ち溢れた世界は途絶えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る