第50話 8月31日 会長②
西条家は代々跡継ぎを当主が独断で決めることになっている。何人たりとも口を出すことは許されない。
どういう判断基準に基づいて跡継ぎを決めているのかは、誰も知らない。
跡継ぎ候補者は結果に抗議することも、相続を辞退することもできない。
一度決まれば、翻ることはない。
そのため、候補者たちは決定が下る前にブンブンブンブン飛び回る。
蚊、アブの如し。
うっとうしいことこの上ない。
候補者同士の争いで過去には殺人沙汰にまでなったこともあるとか。
事実、私も常に人につけられている気配を感じるし、兄も姉も私を親の仇のように嫌悪している。その親のせいでこんな殺伐とした諍いに巻き込まれているというのによくやるものだ。
正直私は自分が優秀である自覚はある。
小さな頃から何をやっても上手くいくし、兄や姉に劣っている分野はなかった。
そのためか、私は相続には興味がないと公言しているにもかかわらず、昔から兄と姉から共通の敵に位置付けられているようだった。
敵の敵は仲間。兄と姉は共闘している。
勝手に私をラスボス認定しないでいただきたいのだが。
世界を襲わないと言っているのに勇者に討伐される魔王の気分だ。
奴らが仕掛けてくるバカ丸出しの策略を軽くいなして、しっぺ返しを食わすのももはや日常になってきている。
ただ、一度だけ。
たった一度だけ、失敗したことがあった。
♦︎
もうすぐ2年生になろうかという1年生の3月。
その日は新入生の入学説明会の日だった。
一般生徒は休みだが、私はその頃にはすでに生徒会役員だったため、設営等の準備で登校していた。
「西条さん。お疲れ様」
3年の生徒会長がにこやかに言う。
軽く頭をさげてから、帰路に着いた。
生徒会役員は新入生と見分けがつくようにと、私服で来るように言われていたので、今日は目立たないシックな色合いのワンピースで登校していた。
駐車場に着くとすぐに違和感に気付いた。
使用人も車も姿が消えている。
はぁー面倒くさい。
ため息と共に活力を排出し、苛立ちを吸い込む。
おそらく兄と姉に買収でもされたのだろう。
別に慌てることもなく、私は徒歩でタクシーを拾うため大通りに歩を進めた。
護身術は一通り修得済みだし、隠しスタンガンも準備してある。私ならどんな状況でも対処できる。
そうそう捕らわれることもないだろう。
そう高を括っていたのだ。
しかし、私に話しかけてきたのは、ぽけーっとした何も考えてなさそうな男の子だった。
「キミ、迷子? ママと来たの?」
どうやら私に聞いているらしい。
少年は失礼なことに私を迷子だと勘違いしているようだった。
私と同じ学校の制服を着ている。ピカピカの制服。おそらく新入生だろう。私は先輩として、注意してやろうと口を開く。
「あなたねぇ、初対面の先パ――
「――あ! アメちゃんいる? デトロイト味しか持ってないんだけど、子供でも食べられるかな?」
デトロイト味って何?
デトロイトは分かる。
アメリカ合衆国のミシガン州南東部にあるアメリカ中西部有数の世界都市のことだ。
で、つまるところ何味なのソレ?
ちっとも分からない。
というかアメちゃんはどうでもいいから私の話を聞いてほしい。
「私は子供じゃなくてあなたの先パ――
「――分かってる! 分かってるから! すべて分かってる! 分かってるよ安心して! 僕が一緒にキミのママ探してあげるから」
分かってない。何も分かってない。まるで分かっていない。
全然話きかないじゃん、この子。
全部かぶせてくるじゃん。
でもまぁ、さすがに兄と姉も一般人を巻き込んで仕掛けてはこないだろうし、ちょうど良いっちゃちょうど良いか。
私は彼を利用することにした。
「ありがと、お兄さん。じゃあ、こっち探してみたいから一緒に来て?」
私は少年の手を引いて、大通りに向かって歩き始めた。
♦︎
少年は慎一というらしい。
慎一くんは優しかった。
男といえば、男であることを鼻にかけて、大した能力もないのにやたら上から目線で話しかけてくるごみクズばかりだと思っていたので、驚いた。
だが、きっと慎一くんにも裏がある。
私がどこの令嬢なのか知って取り入ろうとしている可能性もあれば、兄や姉の使いである可能性もある。
誰も信用できない。
誰も信用しない。
私はずっとそうやって生きてきた。
慎一くんは一生懸命に私に話を振ってくれた。
入学説明会で「1個取ったら隣の人にまわして下さい」と飴ちゃんを配っていたら怒られたこととか、今日はリトルキャンディシリーズのゴートゥーヘル味の発売日であることとか。
話を振ってくれるのは良いけど、なんで飴ちゃんの話ばかりなのか。謎だ。
でも楽しかった。
彼の話はツッコミどころが満載だが、話のどこにも自慢やあざけりや欲望が見えない他愛もない雑談であり、私にはそれが心地良かった。
男子と話して楽しいと感じたのは初めてだ。
それもあって油断していたのだと思う。
もう大通りには着いていた。
ただ私は少し慎一くんに興味を抱き始めていた。
もう少しだけ話したら、彼と別れてタクシーを拾おう。
そう思った矢先のこと。
猛スピードでワゴン車が疾走してきて、私の真横で急停止し、私を引っ張り入れようと中から手が伸びてきた。
ちっ、油断した!
私がスタンガンを取り出そうとしたとき、その腕を抑えるように慎一くんの腕が私を抱きしめた。いや、正確には私がワゴン車に引っ張り込まれるのを阻止してくれている。
だが、そのせいでスタンガンが取り出せず、慎一くんの抵抗もむなしく私はワゴン車引っ張り込まれてしまった。
直後、仮面をつけた女にナイフを向けられる。
「おとなしくしなさい」
女が拘束具を取り出す。
私としたことが、油断した。
女の目と動きを見る。迅速で的確な動き。おそらく元軍人。
私が動けば、ためらいなくナイフを差し込むだろう。
このまま拘束されればそれまでだ。もうなすすべはない。
私があきらめかけたそのとき、真横からガチャっとドアを開く音が聞こえた。
「貴様、いつの間に?!」
「慎一くん?!」
いつの間にか私の足元に丸まっていた慎一くんが車のドアを開いていた。
そして私はその細く頼りない腕に抱かれ、慎一くんと共に走行中のワゴン車から身を投げ出される。
「ひゃ?!」
宙に浮いている間、時間がやけにゆっくりに感じる。
体感では何秒間も宙に浮いたままのように思えた。
恐怖に顔が引きつる。
速度は軽く100キロ近く出ている。
普通に考えて無事では済まない。私を包むように抱きしめた慎一くんは、衝撃に備えて私を覆った腕にさらに力をこめた。
慎一くんの匂いに包まれる。
なぜかその一瞬で私の恐怖心は跡形もなく消え去っていた。
衝撃と同時にダムっとバスケットボールをつくような音と、骨が軋む音が聞こえた。
次に周りから「救急車! 救急車を早く!」という声が聞こえる。
私の痛みはさほどでもなかった。
しかし、隣の少年は違う。
真横の慎一くんを見ると慎一くんは頭から血を流し、私と反対側に顔を向けて倒れていた。
体はプルプルと痙攣するように震えている。
「慎一くん!」
彼は返事をしない。
私は慌てて慎一くんを引き寄せ、こちらを向かせた。
慎一くんの顔がこちら側に向くと、彼は震えた体で、最後の力を振り絞るように――
――懐から飴ちゃんを取り出した。
今食べる?! 瀕死の状態でまず飴って、どういう思考回路してんだ、この子?!
でもどうやら命に別状はなさそうだ。
安堵で力が抜けガクッと私も地面にこめかみをつけて横たわった。
慎一くんも同じようにこちらを向いている。
まるでベッドの上の恋人同士のようだ、とふと思い、頬が熱くなる。
慎一くんは相変わらず飴ちゃん袋を開けようとするが、なかなか開かないのか歯に咥えて引っ張っていた。
私は慎一くんの手を包むように押さえた。
「よく車のドア開いたね。チャイルドロックかかってたでしょ?」
車での誘拐を計画している以上、内側からあかないようにロックをかけておくのは当然だろう。
だが、慎一くんは内側から扉を開けた。
つまり、入る時にロックを解除したとしか思えない。
そんな咄嗟の判断ができる人には見えなかっただけに驚きである。
そもそも誰にも気づかれずにどさくさに紛れて入り込んでいるのが奇跡なのだが。
慎一くんはぽけっとした顔で、答えた。
「よく分からないけど、入る時、ドアにチャイルドって文字が見えたから押しといたよ。子供が乗るんだから、『チャイルド』でしょ?」
「誰がチャイルドだ!」
あの状況で、なんでそんなことに気を回してんの?!
この子、すごいのか、すごくないのか、もう分からない!
助けてもらっておいて、恩知らずと言われても仕方がないが、私は少し慎一くんに腹がたってきていた。
その想いが口をついて出る。
「なんであんな危ないことしたの! 私は赤の他人なんだから放っておけばよかったじゃない」
私の怒りを他所に慎一くんは相変わらずポケーっとして「何言ってんだこいつ」みたいな顔をしている。
そして飴ちゃんを袋ごと私の口に押し込み、あっけらかんと言い放つ。
「ほら、飴ちゃんやるよ」
「もがっ?! んぺっ! ぺっ! ちょ! やめ! せめて袋から出して?!」
「子供が泣いてたら飴ちゃんやるのは当たり前」
「子供じゃないし!」
なんで袋ごと?! 開かないからって諦めないで?!
慎一くんを見ると、彼は優しく微笑んで言った。
「子供が誘拐されそうになってたら、助けるのも当たり前」
慎一くんの目にはやっぱり私はチャイルドに映っているらしい。
でも、私の目には慎一くんはヒーローに映っていた。
お節介を焼いて、トリッキーな動きで、自分を顧みず他人を助ける。
そんな素敵でヘンテコなヒーロー。
彼を見つめているとトクントクン私の中心で熱が脈打ち、その熱は頬に届き、耳を染め、ついには私の思考をトロンと溶かす。
「子供じゃないし……」
かろうじて出た言葉は、やはり彼には届かなかった。
彼が優しい眼差しで、ようやく開いた飴ちゃんを私の唇にそっと添える。
カロンと口に含んだそれは、間違いなくデトロイト味だった。
♦︎
慎ちゃんは優しい。
優しすぎるくらいだ。
だから、西条家の相続問題を知れば必ずまたお節介を焼くだろう。
自分を犠牲にしてでも私を守ろうとする。
私のせいでまた慎ちゃんが傷つく。
私はそれが怖かった。
一人ならどうとでもなる。
でも、慎ちゃんを守り抜く自信がどうしても持てなかった。
覚悟が持てないまま、なあなあにしてきた。
でも、いざ慎ちゃんと深く繋がるとなったとき。
慎ちゃんに好きだと言われたとき。
私のすべてが欲しいと言ってくれたとき。
もうなぁなぁには出来ないと悟った。
他の誰よりも深く。
強く。
慎ちゃんを愛している。
それ故に簡単には答えられなかった。
でも。
それでもやっぱり。
私は慎ちゃんと繋がりたい。
一緒にいたい。
慎ちゃんの泣きそうな顔がフラッシュバックする。
胸をえぐられるように痛い。
傷つけてしまった。
そう思うと自分が憎くなる。
嫌われたかもしれない。
そう思うと死にたくなる。
あれだけ猛アタックをかけておいて、告白されたら保留にするなんて、自分でも最低だと思う。
でも、もう逃げない。
もう迷わない。
もう決めたんだ。
私は西条家を捨てる。
相続問題なんてクソめんどくさいこと終わらせてやる。
駆け落ち上等だ。
慎ちゃんがいない毎日なんて私には考えられない。
私は西条の名を捨てたとしても、慎ちゃんだけは絶対に手放したくない。
普通に平凡な会社員として働いて、平凡な生活、平凡な人生。
それでもいい。
慎ちゃんさえいてくれれば、私にとってはこの上ない幸せな人生だ。
だから、どんな手を使ってでも慎ちゃんだけは必ず私が守る。
慎ちゃんに害をなそうとする者は絶対に許さない。
よし。明日、学校で言おう。
「好きです」って。
「私のすべてをささげます」って。
私はこれから始まる幸せな毎日に胸を高鳴らせて、翌日を心待ちに眠りについた。
この日が慎ちゃんとの最後の日なるなんて。この時はまだ思いもしなかった。
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