第49話 8月31日 会長①

 重厚な亜保那高校の生徒会室の扉を軽く握った右手で叩くと、コンコンと小気味良い音がした。

 中から子供のような可愛らしい声で「どうぞー」と返ってくる。


 お馴染みの扉を、いつもより少し浮ついた気持ちで開いた。

 そこにおわすは、僕を呼びつけたこの部屋の主。

 小学生だと言われれば、なんの疑いも持たないであろう幼い容姿の少女が立っていた。


 ライトブラウンのミディアムボブカットが可愛らしい。

 頭のてっぺんからはアホ毛がぴょこんと伸びている。

 あの『アホ毛』は『アホ』ではない。『正義』である。可愛いは正義。これからは『正義毛』と呼ぼう。

 だが残念なことに、その正義毛の持ち主、彼女は『アホ』だ。正真正銘の『アホ』。産地直送の『アホ』。

 というか、現在進行形でアホである。アホ進行形である。




 いや、だって――


「どう? 慎ちゃん? このスク水! かわいっ? 私かわいっ?」


 ――スク水なんだものォ! 生徒会室で無駄にスク水着てるんだものォ!

 胸元には『かいちょー」と貼られている。せめて名前書けよ。どうだい? これをアホと呼ばなければ何と呼ぶよ?


 ぴょんこぴょんこ跳ねていた会長がなんの前置きもなく唐突に前かがみになって胸を強調しだした。

 アホである。

 だがしかし、そんな会長の浅はかな企てに乗ってしまう自分もアホといえる。

 会長は、見た目は小学生みたいな癖に、胸だけは立派なものを持っている。巨乳ロリとは会長のための言葉だ。


 谷間に少し汗が張り付いていて、エロい! もう一杯!


「よく来たね慎ちゃん!」

「会長、なんでスク水着てるんですか? 会長の脳みそも夏休みですか?」


 会長はポーズを変え、片手を頭の後ろに添えて、もう片方の手を腰に当てる。

 さっきから謎のポージングがうざい。


「どう? 色気ムンムンでしょ?」


 なんで色気=スク水だと思った、このちびっ子。

 せめてビキニ着ろよ。なんで学校指定?

 しかし、僕がこれだけなじっているのに、僕のジョニーはビヨンビヨンと2回頷いた。

『うんうん』じゃないんだよ!

 ペシっと叩くと追加で2回頷いた。




 今日は僕が会長を呼び出したのではない。

 会長が僕を呼び出したのだ。

 8月31日、夏休み最終日。

 どうやって会長を誘い出そうか、僕がうんうん考えていると、会長からメールが届いた。


『本日、午後1時に生徒会室集合。 あなたの会長より』


 僕はこれ幸いと生徒会室に意気揚々とやってきた次第だ。

 あなたの会長とかほざいているから当然、僕だけを呼び出したのだろう。

 おそらく会長は何らかのエロ工作を仕掛けてくるに違いない。

 僕はそれを拒否せずに受け入れてやれば良いだけの簡単な展開。

 それだけで僕の目的は達成する。

 僕は注意深く会長の出方を窺う。



「ふっふっふ。慎ちゃん、今日こそは逃がさないよ? もうすでに外から私の手の者がカギに細工をしているころ。これで中からは開けられなくなっているはずだよ!」


 会長が得意げに言う。

 ――――が僕は一向に困らない。


「はい会長。密室に二人っきりですね」

「………? お、おまけにこの生徒会室は――」


「――はい会長。おまけにこの生徒会室は完全防音。会長に襲われても僕は成すすべありませんね」

「なんで冷静?! てか、私のセリフ奪わないでほしいよ?!」


 会長は僕の反応が自分の思い描いたものと違ったのか慌てている。今の僕は無敵だ。どんなセクハラにも動じない自信がある。


「くっ……こうなったら」


 会長は自らのスクール水着の胸の部分をつまんで横に引っ張り、おっぱいの際どいところまで僕に見せつけた。やはり会長の脳みそは長期休暇のようだ。


「ど、どうだ! 思い知ったか!」


 何をどう思い知るというのだろうか。

 そういうセリフは乳首を露出してから言ってほしい。

 会長は言いながらも顔を真っ赤にして、額に汗をかいている。恥ずかしいなら、しなければいいのに。


 僕はちょっと物足りないと思い、会長のお股部分のスク水の生地にも横から指を差し入れて、下に引っ張ってみた。


「ちょわァァァアアアアア?! ななな何してんの?! 何してんの?! 変態! 慎ちゃんの変態ぃぃいいいい!」


 会長は慌てて僕の手を取り払い、さらに顔を赤らめる。可愛い。


 会長の黒いジャングルもとい草原が一瞬見えた。それは◯ラッタかポッ◯が出てきそうな薄さだった。

 会長のあそこはマサラタ◯ンと呼ぶことにしよう。

 マサラタ◯ンのおかげで僕の息子も立ち上がってファイティングポーズをとっている。立て! 立つんだジョー! もう勃っている。むしろ座るんだ、チン!


「まったく! 信じられないよ! 救いがたいよ! 救いがたい変態だよ!」


 会長がぷんぷん怒っている。可愛い。


「会長、自信もってください。素晴らしいマサラタ◯ンです」「マサラタ◯ンて何?! 人の大事なところを勝手に命名しないでくれる?!」


 会長は喉が渇いたのか持参した水筒をちまちま飲みはじめた。可愛い。この人、定期的に可愛い動作してくる。可愛い。


 あーあ、しかし会長はいつになったら襲ってきてくれるのだろうか。

 かと言って、こんなこと、直接聞くわけにもいかないよなぁ。


「ところで会長はいつになったら襲ってきてくれるんですか?」


「ぶふうううううっ!」


 会長は飲んでいたお茶を霧状に噴出した。


「な、な、な、何言ってんの?! や、やっぱり今日の慎ちゃんなんか変!」


「会長は口では僕を好きだって言いますけど、全然迫ってきてくれませんよね? ヘタレなんですか? 偽りの変態なんですか? ファッション変態なんですか?」



「変態ってファッションになりえるの?! というか私変態じゃないよ?! 慎ちゃんと一緒にしないで?!」


 僕は思いつく限りの言葉で会長をあおるが、会長は自らの変態性に自覚がない。無自覚系変態である。

 仕方がない。会長が来ないなら僕から攻めるしかない。僕は会長に一歩ずつ近づいていく。


「え、何?! なんで近づいて来るの?!」

「会長がいけないんですよ? 僕はもう我慢の限界です」


 臨戦態勢のジョニーを携えて、堂々たる歩みで会長に近寄る。一歩。また一歩と会長に近づくが会長は僕に合わせて一歩ずつ後ずさる。

 しかし、広い生徒会室も無限に広がっているわけではない。生徒会室をぐるぐる回った末、会長の背中がトンと生徒会室の扉にぶつかった。


「さぁ。会長。もう逃げられませんよ?」


 会長はバッと扉の方に向くと慌ててドアノブをひねって強く引いた。


 しかし――――


 ガチャガチャガチャガチャガチャガチャ


 いくら引いても扉は開かない。

 しまいには力一杯引っ張っている。

 可愛いがやはり扉は開かない。


「くぅゥゥ……ぬ! 閉じ込めるなんて卑劣だよォ!」

「いや自分ん!」


 自分の罠に自分でかかっている。やはりアホだ、この人。


「さぁ会長。観念してください?」


 僕は逃げ場をなくした会長を強く抱きしめ、うなじの匂いを嗅ぐ。

 少し汗ばんだモチモチした会長のうなじが鼻に当たる。

 金木犀きんもくせいのように甘くて、優しくて、少し切ない。そんな香りがした。


「ふぁ…………。慎…………ちゃん。ぁ……❤︎」


 会長の体温が熱い。


 会長はとろける目で宙を見つめ、腕は所在なさげに僕の後ろで固まっている。

 いつまで立っても会長は手を僕の背中に回してはくれない。

 ここに来て、会長の愛をもらえない。

 僕は焦燥感にかられた。


「会長。まだ分かりませんか?」


 強く抱きしめたまま会長に問う。


「…………ぇ。ぁ。な、なにを……?」


 会長は僕に抱きしめられたまま消え入りそうな声で聞く。会長。分かっているんでしょう? 本当は。


「僕は会長が好きです。どうしようもないほど好きです」


「……………………」


 会長が息を飲む音が僕の耳元で聞こえる。


 どうして何も言ってくれないんです?

 どうして『私も』って言ってくれないんですか?

 僕はほとんど泣きそうになりながら言った。


「会長。会長のすべてを僕にください」


 ゆっくりと会長に顔を近づける。


 会長は拒まなかった。二人の唇が重なる。


 会長の唇は柔らかく、温かく、少しコーヒーの味がした。


 甘く、ほろ苦い。


 僕は静かに顔を離してから、俯く会長を見つめた。


 まだ、答えをもらっていない。心臓が張り裂けそうに痛い。


 期待と不安。


 大丈夫。大丈夫だ。


 会長はずっと僕を好きでいてくれた。


 ずっと僕を追いかけてくれた。生徒会でのこれまでの思い出がそう言っている。大丈夫。

 会長はきっと受け入れてくれる。


 会長がゆっくりと顔を上げる。


「ごめん。慎ちゃん。少し…………考えさせて」



 会長が困ったように笑うと、どこからか季節外れの金木犀きんもくせいの香りがした気がした。









 甘く。


















 切なく。

















 儚い匂いだった。

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