第35話 最強の刺客

 ハルウララという競走馬がいたらしい。

 競走馬としての成績は別として、その名前は今の私の現状をよく表していた。


 要するに、何が言いたいのかというと、私、花咲 麗はなさき うららにも春がきたということだ。

 いや、『春がきた』という表現が、『恋が成就した』という用法で使われるのならば、正確にはまだ春は来てない。

 春を呼び寄せようと、ありとあらゆる手段を試しているところだ。

 この16年間、剣道が恋人と公言し、剣道一筋で生きてきて、『若き剣聖』なんてもてはやされた私だけれど、まさか自分が誰かに恋焦がれることになるなんて、予想だにしていなかった。


 きっかけは自分でも呆れるくらい単純だった。

 端的に言えば助けられたのだ。

 私は剣道では誰にも負けないと自負している。完全実力主義の亜保那あほな高の剣道部で、部長を押しのけて、最強の座を獲るくらいには腕が立つ。

 しかし、人間関係では打って変わって、最弱に位置するコミュ障根暗女なのだ。

 友達も一人しかいないし。


 そんな私に唐突に、脈絡もなく話しかける者がいた。

 私が下駄箱で靴を履き替えていると、突然後ろから、



「ねぇ。牙突がとつできる?」



 振り返ると、スティックキャンディをチュパチュパ舐めながら棒立ちしている黒髪天パの眠たげな目をした先輩がいた。

 私はコミュ障だが、剣道についてなら、話は別だ。

 家には、るろ◯に剣心全巻揃ってるし、牙突と天翔龍閃の練習は誰しもが通る道だ。


「……できます……けど」


「まじ?! っしゃ! 教えて!」


「…………は、はぁ……」


「いや、僕ってさ、主人公なのに弱すぎると思うんだよ。もっとこう、変態どもをばったばったとなぎ倒す強さが必要なんだよ僕には!」


 こうして私は、なぜか自分を主人公と疑わない謎の先輩に牙突を教えることになった。



(1時間後)


「違います! こう構えて、こうです!」



「な、なるほど! こう構えて、こう!



「そうそう! いい感じです!」



「ありがとうございます、斎藤 はじめさん!」


 なんか勝手に斎藤 一にされてしまった。

 私はコミュ障であるために、特に訂正ができず、もう斎藤さんでいいや、と思い始めた時であった。


 前から剣道部の部長、寺澤 岩男さんがズカズカと、取り巻き女子を引き連れて歩いてきた。寺澤さんは男子なのに、屈強な肉体を持ち、190cmの身長を持つ大男である。

 私はいつも部活でボロクソに寺澤さんを負かしているため、かなり嫌われていて、目の敵にされている。



 すれ違いざまに寺澤さんがワザと私の肩にぶつかる。

 私は巨体に当たられ、尻餅をついてしまう。

 寺澤さんは満足げにニヤッと笑うと、そのまま去ろうとした。



 が、そうはいかなかった。

 私は謎の先輩に声をかけられる。



はじめさん、こうですか?」



 え……は?!

 謎の先輩は寺澤先輩に照準を合わせて、腕を引く。






「牙突!」





 謎の先輩が寺澤さんの後ろから、スティックキャンディで牙突をかます。

 あろうことか、謎の先輩は寺澤さんの肛門にスティックキャンディをブッ刺した。

 ズボンの上からでもはっきり分かる。あれはぶっ刺さっている。なかなか深くぶっ刺さっている。まるで初めからそういう生物であったかのように、ごく自然に尻尾化している。



「ぬおおぉぉぉぉぉおお!」



 寺澤さんがお尻を抑えてもがく。

 ぶっ刺さっているのだから当たり前である。


「どうでしたか?! はじめさん!」


 先輩が私に振り向き、フォームの確認を行う。

 目がキラッキラして純粋そのものであった。

 背後から肛門に牙突かましといて、なんでそんなにキラキラした目ができるのだろう? 自称主人公の割に手口が汚い。いろんな意味で。


「は、はい。でも、今は逃げた方がいいかと……」


 寺澤先輩はスティックキャンディを引き抜けなかったのか、尻尾をはやしたまま立ち上がる。


「てめぇ! オイ! 喧嘩売ってんのか?! あ゛?!」


 謎の先輩は、ぽけ〜っと眠そうな目で寺澤先輩を見つめていた。まるで『なんでこの人、怒ってんだろ』と言いたげな表情である。

 いや、怒って当たり前だから! いきなり尻尾はやされたら、そりゃ怒るから!

 すると、寺澤先輩の取り巻きの1人が声をあげる。


「げっ! こいつ須田慎一ですよ! ヤバいですよ! 寺澤さん! こいつに手出したら、あのイカれた生徒会が黙ってないですよ!」


 須田慎一……。この牙突の先輩が?


「ハハハハハ、イカれた生徒会! 確かにィ!」と何故か慎一先輩は爆笑している。


「くっ……! おい、行くぞ」


 寺澤先輩は生徒会にトラウマでもあるのか顔を真っ青に染めて、そのまま去って行った。

 以降、寺澤先輩の表立った嫌がらせはめっきり無くなるのであったが、この時の私はまだそれを知る由もない。

 寺澤先輩が去った後、慎一先輩はそっと私に手を差しのべると、私を引き起こそうとした。

 しかし、力が足りず、逆に私に引っ張られ、私に覆い被さる。


 慎一先輩の顔がキスできそうな程、近くにあった。

 慎一先輩は甘いキャンディの香りがした。



 慎一先輩がニコッと笑う。

 そして、おそらくは引き起こしに成功していたら言おうとしていたであろうセリフを、私に覆い被さったまま、言った。


「何か困ったことがあったら、いつでも生徒会においで。はじめちゃん」



 『はじめちゃん』はるろ剣ではなくて金田一少年では? と思ったが、コミュ障の私はやっぱり黙っていた。

 黙って慎一先輩の屈託ない笑顔に高鳴る鼓動を、ただただ聴いているのであった。




 ♦︎




「――ということが、あってね」


 私は唯一の友人である山中 美咲に放課後の教室で相談していた。

 誰を好きになったかは伏せた上で、だが。


「ど、どうしたらいいかなァ?」


「『ど、どうしたらいいかなァ?』じゃないよ。そんなしょうもない相談しないでほしいよ」


 美咲は呆れたように言い放つ。

 なかなかに辛辣だ。思えば美咲と恋バナをしたことがない。いつもメカか剣道の話ばかりだ。



「うぅ……。美咲、冷たい。ねぇ、美咲だったら、好きな人にどうアプローチするの?」


 美咲はカバンから高級そうなチョコの入った箱を取り出した。


「これ、フィンランドのお婆ちゃん家から送られてきたチョコ。食べて」


「ありがと」と言いながら、一つチョコを手に取る。


 美咲は頭の上に両手を乗っけた姿勢で、椅子をグラグラと不安定に揺らしながら、先の質問に答えた。


「アプローチなんて簡単だよ。とにかく押して押して押して押し倒して、既成事実を作る勢いで押す! それだけ」


 実に美咲らしいシンプルで効果的な方法だ。

 でも、ちょっと私にはハードル高いなぁ。

 そう考えながら、私はチョコの包みを開き、口に放り込んだ。


 ん?! なんか……これ……変な味が……


 ぐるぐると回転する視界の中で、美咲の声が聞こえた。


「あ、これウイスキーボンボンだった。――って、えぇ?! 何?! うらら酔っ払ってんの?! ウイスキーボンボンで?! 漫画かよ!」



 美咲が何か言ってるが、割とどうでもいい。

 それよりも、春の話だ!

 私の春、つまり『慎たん先輩』! 慎たん先輩とどうやって、既成事実を作るかって話!


 にしても、押して押して押し倒すか……。

 確かにね。理にかなっている。

 私は今まで欲しかった賞やメダルや栄誉や、あらゆるものを力で周りをねじ伏せ、もぎ取ってきた。

 全てはそれと同じではないか。

 結局は力なのだ。力でもぎ取ればいいのだ!

 慎たん先輩のアレももぎ取ろう! もぎもぎした〜ら、もぐもぐぅしよう!

 私は真理に辿り着いた。




「私行ってくる!」



 勢いよく立ち上がって、美咲に一応報告しておく。



「へ?! 行くってどこに?! 何しに?!」



 どこに、何しに行くかって?

 そんなの決まってる。




「慎たん先輩の所に! 慎たん先輩を押し倒しに!」




 つづく

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