第17話 薫の芸能界

「生徒会をやめるぅ?! 本気ですか薫先輩?!」


 生徒会室に皆が揃ったところ、話があると切り出して、一通り説明したところだった。

 慎一が机に乗り出して、私に問い返す。


「かもしれない、というだけの話だ」


 このままいけば、生徒会を辞めることはまず確実なのだが、心苦しくて、言い訳めいたことを言ってしまう。

 私だって辞めたくて辞める訳ではない。

 ただ両立は事実上、不可能なのだ。



 私は芸能界に復帰する。



 私の母は、テレビで見ない日はないと言っても過言ではない程の大女優で、そのコネで私も高校1年までは、少し芸能活動をさせられていた。母は私を女優にしたいらしい。

 しかし、高校に入って、慎一と出会い、なんやかんやあって、初めて母に反発し、1年間の『休業』を勝ち取ったのだが、それはまた別のお話。

 1年と言いつつ、延び延びにさせていた休業も、とうとう言い訳がつかなくなり、今度の芸能界復帰にいたるという訳だ。



「…………それは薫先輩の意思なんですか?」



 慎一がムスッとしながら、詰問するように言う。



「母がどうしても、とな。私だって生徒会は辞めたくない。芸能界にだって本当はさほど興味はない。でも、親の意向ってものは絶対の力を持つんだよ。智美、お前なら分かるだろ?」


 智美のところは、割と理解のある親御さんだと聞いているが、それでも巨大財閥の娘。ある程度の制約はあるだろう。

 その辺の事情が分かるからか、智美は机上の一点を見つめて、何も言わない。



「今度の土曜日の生放送バラエティが復帰一発目の仕事なんだ。上手く軌道に乗れば、これからはメディア露出も増えると思う。応援してくれると嬉しい」



 笑って言うように努めたが、失敗したらしい。

 皆が神妙な面持ちで俯いている。

 私も顔が引き攣ったヘンテコな笑みを浮かべている自覚はあった。

 でも、涙をこぼさなかっただけ、頑張った方だと思う。




 ♦︎



「今日のゲストは美人女子高生モデル 菊池 薫さんでーす! よろしくお願いしまぁす!」


「よろしくお願いします」


 バラエティ番組『笑ってよがんす』が始まる。

 私はいつもの口調ではなく、お淑やかに、にこやかに話す。男のような口調が世間一般的にウケないのは、分かりきっている。その口調が原因で、芸能界から姿を消したタレントは挙げればキリがない。

 それほどまでにこの界隈では『お淑やか』が絶対条件なのだ。



 台本通りの進行に安心しきっていると、突如MCが台本と違うセリフを吐いた。


「え〜と……今日はここで特別ゲストがもう1人いるそうです! それでは出てきていただきましょう! どうぞ!」


 もう1人ゲストがいたのか。

 私は第二ゲストに注目が集まる隙に、ゲストに用意されたお茶をストローでちゅーちゅー飲んで水分補給する。



「どうもォ〜! ドMの勝手は許さない! 正義のヒーロー! Mr.シャクレでぇ〜す!」



「ブフゥゥ! ゴホッ、ゲホッ!」



 盛大にお茶を吹いた。

 壇上にはスーパーマンのような格好をした慎一がポーズを決めて立っていた。

 何故かずっとアゴをしゃくらせている。


 何やってんだ、アイツ!



「ぇ……え〜っと、ドM……?」


 慎一ィ! 自重しろ! 頼むから自重しろ!

 MCが困ってるから! 掘り下げていいのか、判断しかねてるから!


 慎一が壇上から降りてきて、私の横に並ぶ。

 MCはカンペを見て、気を取り直して進行を再開した。


「Mr.シャクレさんはさすらいのピン芸人らしく、プロデューサーの一推し芸人だとか!」


 絶対嘘だ。慎一が芸人だったなんて聞いたことない。

 これアレだ。

 智美の力でプロデューサーに無理言って、押し込んだやつだ。

 でなければ、いくら男性だからといって無名の高校生がいきなり生放送のバラエティ番組に飛び込み出演するはずがない。


「菊池 薫さんとは学校の先輩後輩の関係なんですよね」とMC。


「はい。とってもお世話になっている先輩です」と慎一が顎をシャクレながら、にっこりと微笑む。


「テレビ出演は初めてだって聞きましたけど、すごいですね! 全然緊張しているようには見えませんよ」


 MCが驚く。

 そりゃそうだ。慎一は緊張とは無縁の男だ。

 今だって、生放送中だというのに飴を開けて、口に放っている。

 だが、慎一は否定した。


「いやいや。緊張してますよぉ〜! もうガチガチ! ほら! 見てください!」


 そう言って、Mr.シャクレは青いタイツを突き破らんとテントを張っている自らの軍人ジョニーを指さした。

 それは確かにガチガチであった。

 いや、ゴールデンで何やっとるか己は……。

 というか、なんで勃ってるの? 何に興奮してるの?


 ドン引きされてもおかしくない状況。

 しかし、意外なことに会場は爆笑に包まれた。

 考えてみれば、そうおかしなことでもない。

 今まで、そんな体張ったギャグをする男芸人など、現れたことがなかった。

 男はプライドが高いから、いわゆる自虐ネタなんかは絶対にやらない。そもそも男は芸人に向いていないのだ。

 そこにきて、この変態だ。

 Mr.シャクレが芸能界に新たな旋風を巻き起こす


 今度はMCよりも先に慎一が動いた。

 というか、さっきから台本逸脱が甚だしい。


「ちょっと緊張を解くおまじないしてもいいですか?」


「え? ええ。どうぞ」


 慎一は自分の手のひらに『人』とたくさん書いている。知らない人はいないと言っても過言ではないほど有名なおまじないだ。


 書き終わると、慎一はおもむろにそれを口に突っ込んだ。




 私の口に。




「あがががががが!」



 痛い痛い痛い! そんなに口開かないから! ちょ! 指で舌掴むのやめて! ちょっと興奮しちゃうから!




 私のお淑やかなイメージをぶち壊しつつ、会場はばかウケする。



「あははははは! いや! ふふっ! 普通は自分の口でしょ!」とMCが爆笑しながらツッコむ。



 Mr.シャクレは飄々ひょうひょうと答える。


「あ。そっか。逆か!」


 そして、間違えを正すように私の口から手を引き抜き、今度は私の手を持って、それを慎一は自分の口に突っ込んだ。


 んなぁぁあああああ?! やめてぇぇええ! 指を舐めないでぇぇええ! なんかエロい! なんかエロいからァ! 生放送中に発情しちゃうからァァ!


 顔が熱い!

 多分私の顔は真っ赤になっていることだろう。


 またもばかウケする会場。

 いや、ウケているだけじゃない!

 何人かのタレントがすごく羨ましそうに見ている。

 こら、そこの子役タレント! お股に手を持っていくんじゃない! キミにはまだ早い!


 慎一の口から手を引き抜く頃には、私の手は慎一のヨダレでベトベトになり、何故か慎一の舐めかけの飴が手に握らされていた。

 私はそれを後で楽しむためにポケットにしまった。



 時間が押してるからか、MCが企画を進める。VTRが流れる合間に私は慎一に顔を寄せて小声で言った。


「何しにきた慎一!」


「え? 慎一じゃありませんよ? Mr.シャクレです。はじめまして」


 慎一もといMr.シャクレはアゴをしゃくらせながら、眉毛をふよふよ上下させて、私に握手を求める。

 私は慎一の握手を求める手をパシッと払った。


「やかましいわ! お前、自分のしてることが分かってんのか? これテレビだぞ? 全国放送だぞ?」


「分かってますよ。だからこそ、じゃないですか」


 慎一が意味深にニヤリと笑う。

 そして、私の目を見据えて今度は真剣な表情でシャクレながら言った。


「何しに来たかって? そんなの決まってます」


 慎一が真っ直ぐに私を見つめる。シャクレている。


















「前途あるドMタレントをちょっと潰しに」


 そう言ってから優しく微笑む慎一は、やっぱりシャクレていた。


 私は苦笑しながらも、心の中では実は嬉しかった。

 もし本当に私のタレントとしての道を潰してくれるのなら、それは願ってもないことだ。

 でも、それは起こり得ない。

 慎一の一言で1人のタレントを干すことができる程の力は慎一にはない。

 私がやらかさなければ、干されることはないはずだ。

 私は、それが叶わないことでも、慎一が私のために力を尽くしてくれていることが、嬉しかったのだ。

 口の端が自然と上がる。

 私は照れ隠しに慎一から目を逸らして、VTRに集中しているフリに勤しんだ。




 ♦︎




 番組も後半に差し掛かる。

 今、MCがコーナー説明しているのは、『未成年の激白』という人気コーナーだ。

 中高生の女子又は男子が学校の屋上から、自らの秘密を赤裸々に叫んで告白する、といった企画だ。

 何人かの女子が、いぼ痔であることや、クラスの男子のリコーダーをしゃぶったことなどを叫び、笑いをとる。



 私がふと隣を見るとMr.シャクレが私の横から消えていた。

 そして、前方の『未成年の激白』が行われている学校を生中継しているモニターを見ると、Mr.シャクレが映っていた。


 いつの間にィィイイイ!



「次の激白者は、なんとォ! 本日の特別ゲストのミスタァァアアア! シャクレぇぇええええ!」



 中継は繋がっているので、スタジオと学校で相互に意思疎通ができる。

 こちらのスタジオからMCが慎一の解説をしはじめた。



 その間、Mr.シャクレは片膝をついて、両手を右側に伸ばし、パーにした手をヒラヒラ振って、隣の誰かを強調するようなジェスチャーをするが、隣には誰もいない。

 慎一、それはソロでやるポーズじゃないぞ……。



 というか、嫌な予感しかしない。




「それでは激白してもらいましょう!」





 慎一がスゥゥゥウーっと息を吸い込む。



「僕はァァアアア! 薫先輩がァァアアア! 好きでぇぇぇぇえーーーーーーす!」



 な…………?!

 顔が一瞬でボッと熱くなるのを感じる。




「……え? 薫先輩って……菊池 薫?」

「うそ! まじ? ガチ告白?」

「えぇ?! これヤラセじゃなくて?」


 ざわつく会場。

 この企画で告白するものはよくいる。

 だが、それは女子から男子に、だ。

 今回はその逆。しかも、相手は芸能人である私だ。下手すれば、放送事故である。

 会場がざわめくのも無理はなかった。


 しかし、慎一は止まらない。

 お構いなしで、続きを叫ぶ。


「薫先輩のォォォ! 優しいところォォ! 真面目なところォォ! ドMなところォォ!」


「え? …………ドM?」

「今ドMって言った?」

「菊池 薫ってドMなの?」


 さらにざわつく会場。


 慎一ィィイイイ! それダメなやつぅぅ! バラしちゃダメなやつぅぅうう!

 今まで積み上げてきたお淑やかで清純なイメージが、『ドM』の一言で軋みをあげる。



 だが、やっぱり慎一は止まらない。

 周りのドン引きを知ってか知らずか、慎一がドン引きの中心で愛を叫ぶ。




「そしてぇぇえ! 恥ずかしがりながらもォォ! バケツの中にィィイイイ! おし――――」



「――し・ん・い・ちィィイイイ! お前! やめろォ! それだけはやめろォォォォ!」






 ……………………ぁ。







 Mr.シャクレがニンマリと笑う。

 まるでイタズラが成功したかのように満足気に満面の笑みで笑う。


 ざわついていた会場は今はシーンと凍りついていた。

 お淑やかだと思っていたタレントの突然の豹変。

 特大の放送事故である。

 私はドン引きに包まれるなか、諦めを表すかのように静かにまぶたを閉じる。




 Mr.シャクレは近くの女子アナからマイクを掻っ攫って言う。


「その口調も、その間抜けなところも、全部好きです。だから、生徒会をやめないでください。薫先輩」




 慎一はシャクレていなかった。

 代わりに頬を涙で濡らしていた。




 最後の最後で泣き落としか。

 …………悔しいが効果は抜群だな。

 私はため息をついてから、笑って言った。


「仕方のないやつだな」


 あれ? おかしいな。笑ってたはずなのに、嬉しいはずなのに、私の頬もいつの間にか涙で濡れていた。安堵の涙だった。



 ♦︎



 結局あの放送事故で私の評判は著しく落ちた。

 母さんにこっぴどく叱られたけれど、最終的には土日にモデル活動は続ける条件で、芝居やバラエティなんかのタレント活動は勘弁してくれた。まぁ勘弁するも何も、仕事なんて来なくなったんだけど。



 放課後の生徒会室。

 やっぱり、ここは落ち着く。

 慎一は今、生徒会室のお馴染みの席で、動画投稿サイトにUPされた例の激白の動画の再生数を見て、白目を向いているところだ。



「時に、慎一。あれは愛の告白だよな? 私のことが好きなんだろう? ということは、私は慎一のこ、こ、こ、恋人……ということだよな?」


 一応の確認だ。一応の確認なのにまるで私が慎一に告白したかのように胸がドキドキする。

 『恋人』というワードに反応し、生徒会女子メンバーがバッとこちらに驚愕の表情を向ける。

 ふふふ。悪いな皆。慎一は私のものになったのだ! 私の勝ちだ!



 だが、慎一はスティック飴をチュパチュパしながら、あっさりと言った。



「いいえ。違いますよ」


 智美、遥香、美咲がホッと胸を撫で下ろす。



「はぁ?! どういうことだ慎一! あれは嘘だったのか?!」


 天国から一気に地上にぶち落とされる。


「嘘じゃないですよ? 僕は薫先輩が好きです。でも付き合ってくれとは言ってませんよ?」


「なんだそれ!」


 こいつ、巷で噂の小悪魔系男子を軽く凌駕している! 魔王だ! こいつ多分異世界から来た魔王だ!

 はぁ……。女垂らしで女泣かせなやつめ。





 この生徒会副会長の思わせぶりな態度がヤバい……。

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