第12話 遠足
「……山中 美咲さん。これは何かしら」
「これは慎ちゃん先輩です。先生」
田原先生は頬を引き攣らせて、質問を続ける。
なんだろう? 怒ってるのかな?
「それは見れば分かるわ。どうして須田くんがこんなところにいるのかしら」
「慎ちゃん先輩は『おやつ』だからです先生。先生がそうおっしゃったんじゃないですか」
田原先生は額を押さえて大きなため息をついた。
今日は一年生の遠足で少し遠くの大きな公園に来ていた。水上アスレチックゾーンや広い原っぱのあるなかなか面白そうな公園である。
今、公園に到着したところで、『さぁこれから遊ぶぞ』と酸素カプセル機能付き特大キャリーケースを開いたところで先生に呼び止められたのだ。
慎ちゃん先輩は酸素カプセルが気持ち良かったのか、キャリーケースの中で丸まって、すやすや眠っている。可愛い。先生に呼び止められていなければ、おでこにキスしているところだ。
それだけに先生の詰問は鬱陶しかった。
そもそも先生が言ったことではないか!
数日前、1年A組で遠足のオリエンテーションを行なっていた時のことだ。
「はい。遠足についての説明は以上です。何か質問はある?」
田原先生が生徒たちを見渡して言った。
田原 京子、36歳、独身。この学校が最初の赴任で、以降14年、一度も移動がなく、この学校のベテラン教師として君臨している。その気の強さが災いして彼氏が出来たことがない。というのが、私が調査した田原先生の経歴である。
だが、この先生はなかなか陽気で明るく、時には生徒と冗談をかわす程、親しみ易い先生でもある。
一人の女子生徒が手を挙げる。
「先生、おやつはいくらまでですか?」
持って行くおやつの金額上限についての質問であった。私はこの時点では、遠足にはさほど興味もなく、頬杖をついて、『早く生徒会室に行って、慎ちゃん先輩に会いたい』と考えていた。
「小さな子供ってわけでもないんだから、上限はないわ。節度を守って、各自の判断でいいわ」
「はいは〜い!」
今度はクラスのおちゃらけキャラの女子が手を挙げる。
もう! なかなか終わらない! 早く生徒会室行きたいのに!
「男子はおやつに入りますかー?」
キャハハハハ、何それ〜という女子の声と、それを冷めた目で見つめ、ドン引きする男子。よくある光景である。
田原先生は答える。
「あー。そうだな。男子はおやつに入るぞ。ちょっと小腹が空いたから、唇でも……ってバカか! バカ言ってんなら質問タイムは終わるぞ」
あはははは、と大声で笑うか、ドン引きするか。教室はほとんどの人がそのどちらかだった。
でも、私は違った。
私は涙した。
歓喜に震えていた。
夢のようだ!
慎ちゃん先輩を遠足に『おやつ』として持っていけるとは!
早速プランを練らねば。
「先生ー。山中さんが泣いてまーす」
「え゛? なんで?」
教室はドン引き一色に染まった。
その後は簡単だ。
遠足の日の朝、慎ちゃん先輩に睡眠薬入りのカップケーキを食べさせてから、私が超特急で開発した酸素カプセル機能付き特大キャリーケースに収納して、何食わぬ顔でバスに乗り込んだ。
慎ちゃん先輩はカップケーキに嫌な思い出でもあるのか、『カップケーキかぁ〜……』と食べるのを躊躇っていたが、『私の作ったものなんて、食べたくないですよね……』と悲しんでみせたら、食べてくれた。
優しい。好き。
そして冒頭に戻るのである。
「確かに言ったが……、あれを本気にする奴がいるとは」
先生は自分の発言が発端だけに怒るに怒れず、ただ頭を抱えていた。
「ん……んんぅ……んぁ?」
慎ちゃん先輩が起きる。
ヨダレを垂らしてアホ面を晒している。
可愛い。アホ可愛い。
「慎ちゃん先輩、おはようございます」
「……あれ? ここは……どこ? 僕は確か……カップケーキを……ッ?! カップケーキ?!」
慎ちゃん先輩は何故かカップケーキに反応する。
そう言えば、食べるのも何故か渋っていた。
カップケーキがトラウマなのだろうか?
「須田くん。混乱するのも無理ないけど、落ち着いて。あなたは睡眠薬入りのカップケーキで眠らされて、山中さんに一年生の遠足に連れて来られてしまったの」
先生が状況を慎ちゃん先輩に教える。
でも言い方が気に食わない。まるで私が何かいけないことをやらかしたみたいではないか。
私はただ『おやつ』を持ってきただけなのに。
「またカップケーキかよぉおお!」
慎ちゃん先輩が泣き崩れる。可愛い。私はニュートラルだと思っていたが、ドSに目覚めそうだ。それ程に目の前の慎ちゃん先輩は哀れ可愛い!
「大丈夫です。強力だけど、人体に害はないやつです!」
「僕はもう二度とカップケーキは食べない。絶対に」
慎ちゃん先輩は硬く決意しているようだけれど、優しくてチョロい慎ちゃん先輩のことである。多分また泣き落とせばイケる。
「とにかく!」と先生が切り出す。
「『須田くん』は没収です!」
「えぇ〜?! そんなァァ!」
「いや。先生、物みたいに言わないでください」
慎ちゃん先輩は先生に連れて行かれてしまった。
私の遠足は終わった。
ように、思われた。
が、実態は違った。
まだ、私にもチャンスが残っていたのである。
この公園の原っぱはとても広い。
しかし、広いだけで何もないのだ。ただただ広い。
学校側もそれはあらかじめ分かっていたので、色々と道具を用意しているようだった。
原っぱに並べられる遊具。
一輪車。
大縄跳び。
サッカーボール、バレーボール。
野球ボール、バット、グローブ。
バドミントンラケットと羽
そして、慎ちゃん先輩。
――慎ちゃん先輩?!
慎ちゃん先輩が遊具顔で遊具の列に加わっている。
いや、遊具顔ってどういう顔だ!?
慎ちゃん先輩はボケーっとした顔でスティック飴を舐めながら、体育座りで遊具化していた。
周りも気付き、ざわざわしだす。
「え!? あれ……慎ちゃんじゃない?」
「え。本物?」
「でも遊具に並んでるよ? ラブドールなんじゃない?」
「遊具って大人のオモチャも含まれるの?」
皆、まだ本物だと確信していない。
今がチャンス!
私は全力で駆けた。
多分、私史上最速の50mだったと思う。
だが、位置が悪かった。
私よりももっと慎ちゃん先輩の近くにいた人も走り出す、スタートダッシュを切った私のアドバンテージが帳消しになる。
私が慎ちゃん先輩の右足を抱えた時には、同時に一人のギャルが慎ちゃん先輩の左足を抱えていた。
「ちょっとォ! あたしが先だったじゃん! 山中! 離してよ」
「嫌です! 私が先でした! 慎ちゃん先輩は絶対に渡しません!」
私たちはお互いを睨みつけながら、慎ちゃん先輩を引っ張る。
「痛い痛い痛い痛い! 股が! 股が裂けるからァァ! なんで足なん?! 手を引っ張れよ!」
慎ちゃん先輩は強引に引っ張られて、足を180度近く開脚する体勢になっていた。
ごめんね、慎ちゃん先輩! 女には負けちゃいけない戦いがあるんだよっ!
「ちょっと、ちょっと! 落ち着いて2人とも。慎一先輩が痛がってるよ?」
横から現れたのはクラス委員長の
柔和で争いを好まない優しい子である。
だが、今は邪魔だ。
「どいてて和泉さん! 私は争ってでも慎ちゃん先輩を手に入れなくてはいけないの!」
「その争いで傷つくのは僕なんだが!」
慎ちゃん先輩が苦痛に顔を歪めつつも、ツッコみは忘れない。
もう少し辛抱してね。後でヨシヨシしてあげるから。痛かったところをヨシヨシしてあげるから。でゅふふふふ。
「遊具はみんなで使う物でしょ! 仲良くみんなで慎一先輩を使いましょうよ!」
「僕遊具じゃないんだが!」
それでも諦めない私と桜井さん。
あわあわする和泉さん。
白目を剥く慎ちゃん先輩。
和泉さんは何か思いついたのか、「じゃあ」と提案する。
「慎一先輩に誰に使われたいか選んでもらうのはどうかな?」
ニッコリと笑う和泉さん。
「その『使う』って表現どうにかならない?!」
慎ちゃん先輩は痛がりながらも、ど根性でツッコむ。
「まぁ……それなら」
「はい。慎ちゃん先輩が選ぶのなら」
私と桜井さんは了承しつつも足を引っ張るのはやめない。
一瞬の油断が命取りなのだ。
「じゃあ……慎一先輩。山中さんと桜井さん、どちらと遊びたいですか?」
和泉さんが慎ちゃん先輩に問う。
私には勝算があった。
何せ私は生徒会役員である。これまでの慎ちゃん先輩との思い出は確かな絆となって私と慎ちゃん先輩を繋いでいるのだ!
慎ちゃん先輩が指さす。
その先にいたのは、
「「和泉さん?!」」
私と桜井さんの声が重なる。
なんで?!
なんでなんでなんでなんでなんでなんで?!
その思いは言葉となる。
「なんでですか、慎ちゃん先輩!?」
「自分の胸に、いや、僕の股を裂こうとしているその腕に聞いてみな」
えぇ?! 分からない! 慎ちゃん先輩の言ってることが全然分からない!
でも、大丈夫!
和泉さんはさっきこう言っていた。
『仲良くみんなで慎一先輩を使いましょう』と。
慎ちゃん先輩を独占することは叶わなくなったけど、少なくとも独占されることはない!
そう思った瞬間。
「私の慎一先輩から手ぇええ離せやァァァァ!」
和泉さんである。
豹変した。和泉さんが豹変した。
こんなヤンキーみたいな和泉さん今まで見たことない。
「いや、和泉さん。さっき慎ちゃん先輩はみんなで使おうって――」
「――慎一先輩はワシのもんじゃァ! コルァァアア!」
巻き舌である。
あの優等生の和泉さんが巻き舌である。
一人称が『ワシ』になっている。怖い。
慎ちゃん先輩も和泉さんの豹変に恐怖し、震えている。涙目である。可愛い。
と、その時、後ろから慎ちゃん先輩の肩に手を置く者がいた。
男性教諭の角野先生であった。
「須田。帰りのタクシー着いたんだが、もう行けるか?」
慎ちゃん先輩は神の使いでも見るかのように、先生に手を合わせて拝み出す。
「ありがたや……。ありがたやァァ! 行けます! 先生、いえ、神様! 今すぐ行けます!」
角野先生は『神様……?』と若干ひきながらも、慎ちゃん先輩を連れて行った。
「慎一先輩!? 慎一せんぱァァァァアアアアアアアアアアい!」
未だかつてない大音量で、広大な公園内に委員長の咆哮が響くのであった。
この遠足事件をきっかけに、須田慎一ファンクラブの掟に『慎一くんをおやつにするべからず』、『慎一くんを遊具にするべからず』という条項が追加された。
もう慎ちゃん先輩を『おやつ』として、連れて行くことは叶わなくなった。
でも、大丈夫!
慎ちゃん先輩は全てであり、全ては慎ちゃん先輩なのだ!
よって、慎ちゃん先輩は何にだってなれる。
そして、何になったとしても慎ちゃん先輩の魅力は失われない。
私は2年時のスキー教室では『ドライヤー』として慎ちゃん先輩を連れて行こうと画策している。
きっとなれる。慎ちゃん先輩ならばドライヤーになれる。
私はそう信じているのだ。
慎ちゃん先輩のもつ可能性はヤバいのだから。
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