第二十二話 オブグラッド寺院 地下
正直なところ、その光景は予想の遥か斜め上を行っていた。
あれだけ深い階段を降り、鉄の扉を挟んだ向こうが、おびただしい蜘蛛の巣に覆われた、まさに蜘蛛の巣窟とは思いもよらなかった。
迷宮だのダンジョンだのという言葉はこの空間には当てはまろうはずもない。暗闇に覆われていたであろう広い空間におびただしい数の大小様々な蜘蛛が存在し、至る所に様々な種類の蜘蛛の糸が張り巡らされ、巣を為しているのだ。
その中に、何日も前であろう、誰かがこの中を進んでいった痕が残っていた。レーヴェウスとグラヴィス師のものと思われる。
空間自体は、岩場を掘って作ったのであろう人工的なものだ。だが、綺麗に整地されているわけでもなければ、石が敷き詰められているわけでもない。掘りっぱなしの空間。
床に当たる部分はそれなりに平坦には見えるが、その上を至る所が蜘蛛の巣に覆われているため、ともすればそれも錯覚なのかもしれない。
「ひとまずこの足跡を辿るしか無さそうだね」
俺の言葉に、二人も頷く。
「二人とも、蜘蛛は平気かい?」
俺がそう問うと、アリサは平然と大丈夫だよと答え、シュニィはハイ、と返してきた。
足跡は、迷うことなく直線を進んでいた。大方ここを訪れたことがあるのだろう。
時々足の下で何かがぐちょりと潰れる感触があった。これだけ蜘蛛がいれば、当然踏んづけてしまうこともありうる。が、決していい感触ではない。
時々手のひら大の蜘蛛がのそのそと歩いている様子を見かける。日本にいたころアシダカグモを何度か見たことがあるが、あれよりも大きい。見た目も毛むくじゃらではないのでタランチュラのたぐいでも無いだろう。
少なくともセンサーで感知している範囲内では、脅威となりうるものはいなさそうだ。
が、その時突如警告が現れた。
『警告 右方向より大型生物一体接近』
咄嗟に右を見ると、十五メートルほど離れたところから体高一メートルはあろうかという凄まじく大きな蜘蛛がこちらに迫って来ていた。
『警告 右方向より未確認の物質が飛来』
立て続けの警告に焦りながらも、二人に敵の接近を告げる。
「右から敵だ!」
と同時に、俺に向かってきた飛来物を右手で受け止める。
しまった!蜘蛛の糸――!
すかさず左手でバックルのルビーに指を這わせる。
『フレイムモード』とシュニィの声が響き、俺の手に炎が宿る。右手にへばりついた蜘蛛の糸がメラメラと燃える。
「ヒュージ、ここでは火は危険よ!、辺りに引火しちゃう!」
俺の行動に、アリサの注意が飛んできた。咄嗟にフレイムモードを解除する。
「ごめんアリサ!」
火のついた蜘蛛の糸を慌てて足で踏み消し、迫りくる巨大蜘蛛に注意を払う。
巨大蜘蛛の動きは素早かった。既に目の前に迫りつつある。
大きく振り上げられた二本の前脚を躱しつつ、右側に回り込みすぐ後ろの脚の関節目掛けて拳を数発叩き込む。その感触は固い。しかも痛覚が無いのか怯むことをしない。
敵が素早くこちらに向き直る。脚が多いだけに動きが一瞬だ。
と、こちらに尻を向けてきた。マズい、再び蜘蛛の糸――。
その時。ヒュン、という音と共に蜘蛛の左側の脚が数本切断され、敵の身体がガクンと沈んだ。アリサの放った風の刃だった。
この好機を逃してはならない。
「ウオォォッ」
右手に気を込め、いくつもの眼がぎらつくその頭部目掛けて拳を放った。その拳は吸い込まれるように蜘蛛の頭部を貫き、ぐちゃりと潰す。
俺はそのまま拳から気を放出した。気弾がそのまま体内を貫き、その背から大量の粘液が飛び散った。残った脚がカクカク動いていたが、ややあって、蜘蛛の動きが止まった。
俺は粘液が飛び散らないように慎重に拳を抜いた。引き抜いた拳にも粘液がべったりと付いていた。さすがにこれは気持ちが悪い。
すると、さすがに見かねたのかアリサが気を利かせて水の玉を出現させてくれた。
「ありがとう、助かるよ」
水の玉に手を入れて粘液を落とす。
「最後、凄かったですね。気弾ですか?」
シュニィに問われ、
「うん、試してみたら思いのほか上手くいったよ」
そう応えると、アリサが興味深げに貫通した蜘蛛の背中側を観察に行った。
「すごいわね、中で爆発しているみたい。こんなに硬そうなのに」
確かに、最初に脚を殴った時の感触は予想よりも硬かった。だが同じ材質のはずなのに、その後気を込めて殴った時は、いともあっさり砕くことができた。そして気弾の貫通である。やはり気は己の能力を高めるのに有効な手段だということが実感できた。
その後も足跡を辿って空間を進んだ。途中、三匹の大蜘蛛の死体を見かけた。そのどれもが、より小さな蜘蛛の餌となっていた。
やがて、その空間の中にあって異質なものが見えてきた。石積みの建造物だった。足跡に沿って建造物の裏手に回ると、金属製の扉があった。
センサーに反応はない。中は無人だ。
「入ろう」
言って、俺は扉を開いた。
建造物の中は、今までの光景と比べれば遥かに綺麗な小部屋だった。その中央には、さらに下へと向かう階段があった。
階段を降りた先の空気に、どことなく以前と似たようなものを感じた。
カッツエルを倒した後、シネッサ聖女修道院の地下最下層、カッツエルの肉体が封じられていた部屋。あのどこか張り詰めた空気感と同じようなものが部屋中に漂っていた。
そこはカッチリと石材で組まれたホールだった。奥は一段高くなっており、そこに祭壇のようなものが二つ並んで置いてあった。
二つの祭壇の中央には、かつてレーヴェウスやカッツエルの封じられていた場所にあったのと同じような、紋章の刻まれた石碑が置いてある。だが、以前に見たそれとは違い、一切の光を発していなかった。
「欺瞞……ね」
ちょうど同じものを見ていたのだろう、アリサがぼそりと呟いた。欺瞞の紋章ということなのだろう。
祭壇の前には、それぞれに天面が平らな棺桶のようなものが置いてあった。
そして。
その左側の棺桶状の台には、人間らしきものの裸体の青年の右半身だけが寝かされていた。
近寄って注意深くそれを見ると、頭頂部から股間までを鋭利な刃物で斬ったような、美しくもグロテスクな状態の人間――いや、人間に似た悪魔の半身だった。
それは生きてもいなければ死んでもいない。断面から血は一切流れていないが、腐敗などは全くしていない。しかし肌のつやはまるで生きているかのようで、今にも動き出しそうな雰囲気すら醸し出していた。
とすれば、この半身はここに封じられている欺瞞の王子レパルエルのもの、ということなのだろうか。だが、ではもう一体の苦痛の王子ゲパルエルの半身はどこだ?
「なぜ片方しか無いんだ?」
もう一方の祭壇の前の台は何も置かれていない。そこに、本来であればもう片割れの半身が置かれていたのであろうことは明白だ。
俺は祭壇から離れ、室内の観察を始めた。センサー情報に何かヒントがないかを注意深く探しながら。
すると――やはりあった。祭壇の右側の壁に、赤いラインが示されていた。その壁に近づき、手を当てて少し押し込むと、壁が引き込まれ、奥へ行く通路が現れた。
「隠し部屋だ」
奥を探知すると、生命反応こそないが、何やら大きな魔力が動いていることがわかった。
「奥に何かあるみたいだ」
二人に声をかけ、その奥へと進む。と、そこには大理石で繊細な彫刻が施された柱が二本立っており、その柱の間には大きな空間の歪みが発生していた。
「次元の門ね……しかもかなり強い魔力を持っているわ。余程遠くへ通じているのかしら」
次元の門。離れた場所へと繋がる、魔力による転送門の一種だ。強力な魔力により制御され、離れた場所へ安定して繋がっている。
「私が思うに、双子のもう片割れが封じられている場所に通じているんじゃないかと……ユニモデイル島とか言ってましたね」
そのシュニィの言葉に、先ほどのオンノブ師の話を思い出した。アルマダという集落に住む部族の神殿。それがどのような部族なのかまではわからないが、賢者連盟に所属するオンノブ師の話であれば間違いは無かろう。
「行くしかないわよね」
アリサの言葉に、俺はもちろん、と頷いて見せる。
無論、この先で魔王の一人と遭遇するであろうことは覚悟の上だ。予想するにその相手は苦痛の王子ゲパルエル。魔王序列第六位、つまりカッツエルよりも強い。
次元の門の向こう側に見えている景色も、今のこの部屋と同じような雰囲気だ。双子の魔王を封印しているだけあって、敢えてそのような作りにしているのだろう。
それにしても不思議に思うのは、これらの魔王を封じている施設は、一体いつ、誰が、どうやって建造したのか、という点だ。加えてその封印方法や封印を解く手段。
少なくとも賢者連盟がそれを行ったとは考えにくい。いかに偉大な魔術師たちが属していようが、その人数は決して多くは無かったはずだ。ならばそれを結成した大天使たちが作り上げ、封じたのだろうか?長らく地獄界と、魔王たちと対立していたのは他でもない天界の天使たちだ。さらにその上にいるはずの神々ではない。
かつての人間界は、今よりも魔王や大天使の干渉は直接的だったと、堕天した天使フォクスエルは言っていた。その
例えばカッツエルの迷宮の封印解除の条件であった聖女の破瓜の血。このレパルエルの迷宮の封印解除の条件は双子のイズニフの首。どちらも、人間ならば条件としてそんな残酷ものを要求するはずがない。少なくとも人間の所業ではない。とすれば、人間を下等と見なしている天使による条件付けだと考える方が自然だし、納得も行く。
これから遭遇するであろう他の魔王の封印解除も、きっと同じような人間では考えつかない条件付けがなされているのだろう。
俺は、少なくとも天使が人間の味方であるとは考えていない。ごく一部、人間に与する者もいるようだが、それは天使の中では異端なのだろうと思っている。
結局は天使も悪魔も、人間にとっては何ら変わらない存在なのではないか、俺にはそう思えてならない。
「行くよ」
そう言って、俺は次元の門へと足を踏み入れた。一瞬の眩暈と共に、俺は門の向こう側へと抜けた。
やはり同じような作りの部屋だ。ただし、左右逆。まるで鏡のような世界だ。
そして、本来隠し部屋であるはずのこの部屋への入り口は閉ざされていた。次元の門の向こうと同じ位置を見ると、隠し通路の存在を示す赤いラインが表示されていた。仕掛けまで一緒だ。
やはり壁を押し込むことで、隠し通路が現れた。
隠し通路の向こう、祭壇の部屋と予想される箇所から、一体の悪魔の反応が確認できた。
やはり、いるのだ――魔王が。
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