第十九話 小さな師匠(二)
「まずはヒュージがどれくらい強いか見てみたいわ」
エリカによる特訓その二、格闘技実践編だ。
「気門開放なしで組手からね」
そう言うと、目の前の小さな師匠はすうっと格闘の構えを取った。身体を半身にし、右手を正面中段へ、左手をやや下げ気味にこちらも正面中段で構えている。
この歳にしてすでに隙が無い。身長など一メートルちょっとしか無いというのにだ。
俺もいつも戦う時の構えを取った。ちなみにまだ変身態のままだ。
「ヒュージ、かかってきて」
エリカに言われ、俺はじりじりと間合いを詰める。そして一歩踏み込むと同時に、ローキックを入れた――瞬間、俺は見えない何かにその場で仰向けにされ、いつの間にか俺の上には拳を寸止めで鼻先に当てているエリカの姿があった。
何が起きた?
エリカが俺に手を伸ばし、俺の上体を引き上げる。小さな体なのに、平然と俺の身体を引き上げるとは……一体どこにその力が隠されているのだろう?
「もう一度よ」
再びお互い構える。そして再度俺から、今度は踏み込むと同時に正拳突きを放ち――パンパンパン、と三撃、俺の拳を弾かれ、右足を止められ、そしてエリカの拳が俺の鳩尾に当てられていた。
「師匠……強すぎます」
このままでは何年経とうが勝てない。
「ヒュージは力に頼りすぎね。せっかくカエルさんの素早い身体を持ってるのに、宝の持ち腐れよ」
いや、俺が遅いのではない、エリカが速すぎるのだ。
「師匠、ちょっと待っててください」
俺はエリカにそう言うと、コンピュータに命令する。
(今の二回の戦闘をスローモーションで見せてくれ)
『映像記録、速度二分の一で再生します』
まず最初、俺のローキックに対しエリカは一歩俺の懐に入り込むと、くるりと俺の背中側に回り込んで足払いを入れつつ右へ回避、俺の転倒後に俺に跨り鼻先に拳を当てていた。
次、俺の正拳を左手の甲をパンと当てて弾きつつ、前進する右足に対しエリカの左足がパン、と地面を蹴って妨害、俺の動きが止まったところをエリカの拳が俺の鳩尾に入っていた。
「師匠、もう一度お願いします」
俺が言うと、エリカはまたスッと構える。俺もそれに相対して構えを取り、今度は右で正拳を入れると見せかけ左拳で裏拳を――エリカの両足が俺の肩に巻き付き、腕で関節を極められた。そしてエリカは身体を勢いよく捻ると、俺の身体が宙を舞い、背中から叩きつけられた。もちろん身体のクッションが効いているためダメージは無いが、軽々と五歳児にひっくり返されたことによる精神的ダメージは大きい。
「ねえヒュージ、気を感じてないでしょ」
起き上がりながら、エリカがそう言った。
気を感じる、とは?
そうか、思い出した。コンピュータに気をモニタリングできるかどうか確認してから、それを解除したままだ。だが待てよ、今エリカは気を「感じる」と表現した。見えているではなく、感じなければならないということだ。
(コンピュータ、気を視覚以外で感じ取ることは可能か?)
『可能です。触覚を利用できます』
(なら、センサー情報に触覚による気の探知を登録してくれ)
『完了しました』
「師匠、もう一度お願いします」
何かを感じたのか、エリカがニコニコ笑いながら構える。
俺が構えを取ると――エリカが先に攻撃を仕掛けてきた。
だが、その動きに対し、気の探知が働いているためか、先程よりもエリカの攻撃の予測がつく。これまで避けること敵わなかったエリカの攻撃に、身体が付いて行っている。
「動きが見違えたわ」
だが――そこで一瞬のち気配が追えなくなり、俺は地面に転ばされていた。
「ごめんなさい、いきなり動きが良くなっちゃったから、ズルしちゃった」
そう言って、エリカはてへっと笑う。
「気ばかり追ってると、逆に今みたいにあたしが気を消して攻撃したらついていけなくなるのよ。だから一つの感覚ばかりに頼っちゃダメ」
なるほど、これが「気配を断つ」ということなのか。時としてこれは有効打になる。
「さて、と。ヒュージの実力は大体わかったよ。格闘技、我流でしょ?東の島国のハガワセやアオノシマのカラテにも似てるけど」
「ええ、我流です。空手っぽく技を出してますけど見様見真似みたいなものです」
やはりわかる人にはわかる、ということだろう。と、思わぬところで東の国々の名が聞けた。ハガワセとアオノシマ。なるほど、和風の名前だ。
「ヒュージはまだまだ強くなる。すんごく才能があるよ。我流じゃなく、ちゃんと技を身に付けたら、もっともっと強くなるよ」
そう言って、エリカは俺からやや離れた位置で、構えを取った。俺に対してではなく、何かを見せるように。
「今からあたしが演武をするから、最初はよく見てて。二回目からはヒュージも一緒にやってみて。この演武に、技の基本がたくさん詰まってるの。毎日これをやるだけでも修行になるわ」
俺はエリカの演武を真剣に目に焼き付けようとコンピュータに指示を出そうとすると、エリカが何かを感じ取ったのかさらに続けた。
「記憶しちゃダメ。心で感じ取って。じゃないと自分のものにならないよ」
「はい、師匠」
俺はそう応え、エリカの演武の開始を待った。
エリカは一度目を瞑り、一瞬のちに目を開くと、演武を始めた。
それは、とても五歳児が見せるような児戯ではなかった。滑らかな動きと、華麗な足さばき。きびきびとした動きからゆったりとした動きまで緩急つけられた技の数々。時に力強く、そして時に流れるような素早い打撃。そして受けや躱しを意識した流麗な動き。上段から下段へ、下段から中段へ、その繋がりに不自然な点などない。まさに技の宝庫だった。
そして、演武が終わった。
「どうだった?何か感じた?」
清々しささえ感じる笑顔で、エリカは俺にそう問うてきた。
「動いてみたいって思いました。自分も同じように動けるようになりたいと」
もし同じように舞うことができるのならば、俺の戦いはさらに高みに引き上げられるだろう。そのためには、俺もこの演武を身に付けたい、自分のものにしたい、そう感じずには居れなかった。
それから、演武の実践が始まった。最初はエリカと共に何度か一通り行い、おおよその流れを覚えたのち、俺の動きにエリカが指導を入れる、という形に移行した。
動きだけではなく、その動きに合わせて気をどのように体内で移動させるか、という部分も教え込まれた。それが身に付くだけでも、技の威力が格段に違うのだという。
そこで初めて、
今までの俺の格闘術は、力任せの単発技を無理矢理つないでいたようなものだ。身体に怪力が備わっているからその力押しが成立していたようなもので、これがもし俺のような改造人間でなければ、どこかで均衡を崩していたに違いない。
だが今教えを乞うているこの演武はどうだ。力任せの無理矢理ではなく、身体が動く自然な動きの連続だ。そしてどんな体勢からも次の技に転じることができる柔軟性を持ち合わせている。余計なことに力を取られず、ただ目的の打撃に純粋に力を込められる。
そう、これが本来の格闘技の姿なのだ。
何よりも、今自分の身体がこの動きを素直に受け止めている。自分のものにしようと貪欲に望むのではなく、これらの技が本来の自分のものなのだ、とストンと身体に収まるような、自然な感覚。
これを日々繰り返すことにより、きっとこの演武に込められている様々な真意を次第に理解できるようになるであろう深みを持っている。そして何より、この演武を通して身体を動かすことによって、自分の気が研ぎ澄まされていくことがわかるのだ。
気が、微に入り細に渡り、身体に浸透してゆく。突然目覚めさせられた新たなエネルギーが、あたかも最初から自分の体に備わっていた力であるかのように、自然と隅々に行き渡る。
今や俺の人工筋肉は機械ではなく、心と一体化した己の肉として感じられる。人工筋肉も鍛えることによってより柔軟になるという言葉がよくわかる。
己の体一つで戦うことを宿命づけられた改造人間たる俺にとって、これは何物にも勝るパワーアップだ。わずか一日の修行で、ここまで己が鍛えられるとは予想だにしていなかった。
そして、それをたった少しの時間で見極め、俺を導いたこのエリカという少女の懐の深さも驚きに値する。僅か五歳の少女が、である。純血のイズニフという点を差し引いたとしても、この教え方は老練の師範にも勝るとも劣らない。
「それはね、ヒュージが強さの本質を知っているからだと思うの」
俺の感動をエリカに伝えると、彼女はそう言った。
「強さの本質……ですか?」
「そう。強さって闇雲に力ばかりを求めるものじゃないと思うの。力ばかりを求めるなら、他にも方法はいっぱいあると思う。でも、強さっていうのは、力じゃなくて心に宿るものだとあたしは思うの」
強さは、心に宿る。
「守りたいものがあって、戦う理由があるから強くなれると思うの、あたし」
とても五歳児の発想ではない。達観している。技にしても、信仰にしても、そして心にしても、彼女の持っているものは大人のそれだ。
「師匠、あなたは神か――」
現人神が実在するというのなら、まさに彼女がそうなのだと思う。もしくは、神が遣わしたる使者なのか。
「あたしもヒュージと同じ人間。あたしだってまだまだ子供だよ」
そう言って笑うエリカの表情は、確かに子供のそれだ。
ああ、だからこそ彼女にその力が授けられたのか。純真無垢な子供だからこそ、力を間違った方向ではなく、自然と正しい方向へ向かって、植物が太陽に向かってすくすくと伸びるかのように、まっすぐ成長しているのだ。
彼女も大人になれば、今の俺と同じように魔王との戦いに駆り出されることになるのだろう。だがエリカなら問題ない。未来は明るいものとなるだろう。
「じゃ、今日のおしまいにもう一回組手して終わりにしましょ」
言って、エリカが構えを取った。
俺もそれに合わせ、構えを取る。
俺の構えが変わっていた。演武の最初にとる構え――エリカと同じ構えだった。
どちらともなく、ほぼ同時に動き出していた。
一手、二手、三手先を読みながら技を組み立ててゆく。予想外の攻撃が来ても、あせらず最小限の動きでそれを躱しながら次の自分の攻撃を繰り出す。
相手の動きを誘うためにフェイントを交え、相手の動きを阻害し、裏の裏をかく。
互いに一撃も喰らうことなく、技の応酬が続く。
だが、次第にエリカの動きに鋭さが加わってくる。動きは予測できても、速度がそれを上回る。やがてぽつらぽつらとエリカの攻撃を喰らうようになり――最後に、鳩尾にエリカの上段蹴りが綺麗に入り、組手が終わった。
「初日にしてはものすごい上達よ。すごい!」
「いえいえ、これも師匠のおかげです。ありがとうございます」
そうして、その日の遊びという名の特訓は幕を閉じたのだった。
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