第十七話  オブグラッド寺院

 オブグラッド寺院はズベズダ山脈の北端、アイシエム山の麓から中腹にかけての、広大な敷地に建立されていた。


 その門扉は、そこに祀られるエカール百八の神の熱心な教徒から、寺院での修行を希望する者、ただの観光で訪れるものまで、幅広い人々に開かれている。


 入り口付近は小さな街のような様相を呈しており、実際にこの寺院で生活する者の大いなる助けとなっている。


 シネッサ聖女修道院を発ってから二十一日、俺たちは無事にオブグラッド寺院へと到着し、おやじさんとも合流することができた。


 おやじさんによると、レーヴェウスらしき男と彼が連れている鎖でつながれた老魔術師の姿は、二週間ほど前に一日だけ目撃されており、以降の足取りはつかめていないとのことだった。


 俺たちは、おやじさんからこのオブグラッド寺院の高僧の一人で、賢者連盟の一員でもあるオンノブ師を紹介された。オブグラッド寺院に滞在する間、俺たちの活動を支えてくれるのだという。


 オンノブ師は年の頃おおよそ四十代半ば、剃り上げられた頭と整えられた顎髭が印象的な、鍛え上げられたいかにもな武闘僧モンクだった。聖職者としての力量も充分な上、このオブグラッド寺院の書庫を管理するという重要な役割を任じられているという。


 おやじさんは一通り俺たちを紹介してくれると、所用があるから後ほど、と去っていった。


「しかしてこのオブグラッドの僧に、どのような願いを?」


 オンノブ師の問いに答えたのはアリサだった。


「私たちは、いくつかの目的を持ってここオブグラッドを訪れました。一つは、今ここにいるシネッサ聖女修道院の聖女、シュニィ・ヴィーントにかけられた呪いを解いてもらうため。そしてもう一つが、この寺院に封印されている双子の魔王がもし復活していたならそれを倒し、改めて魂の封印石に封じるため、です」


「解呪と、魔王の封印、ですか。魔王の関連というのは、スタンフラー師が追っている黒尽くめの謎の男との関連が――」


「ええ、その男の正体はトライスタで打ち倒した魔王レーヴェウスの新たな肉体です。彼は世界各地の魔王を復活させようと旅しているようで、私たちは彼の後を追って先日シネッサ聖女修道院で魔王の一人、カッツエルを打ち倒し、封印しました」


 アリサの言葉に、オンノブ師の片眉がピクリと動いた。


「トライスタでレーヴェウスを打ち倒した勇者というのはもしかして――」


 オンノブ師の視線が俺に向く。


「はい、俺がレーヴェウスを倒し、そして結果みすみす取り逃がしてしまいました」


「いやいや、取り逃がしたのはあなたの責任ではないでしょう、スタンフラー師から聞き及んでおります」


 言いながら、オンノブ師は首をゆるゆると横に振る。


「ですが、その取り逃がしたレーヴェウスによって彼女、聖女シュニィは呪われてしまったんです」


 俺があの時レーヴェウスの魂にいち早く反応していれば、シュニィの身に降りかかった悲劇は防げたかもしれないのだ。


「ではまずは、その聖女様の解呪から執り行いましょう。幸いにして、今このオブグラッドには、イズニフの修行僧がおります。先祖返りではなく、純血のイズニフが」


 純血のイズニフ……すなわち、正真正銘の天使と悪魔の間に生まれた子供というわけか。


 イズニフという言葉に、アリサとシュニィも敏感に反応する。彼女たち二人もイズニフではあるが、いわゆる先祖返りと呼ばれるそれだ。


「やはり、純血のイズニフの力というのは、より強いのですか?」


 そう尋ねたのはシュニィだった。


「個人差はもちろんあるかと思いますが、一般的にはそう言われておりますね」


 ならばもしや――という想いが、俺たち三人の心を走る。


 イズニフが悪魔や天使から恐れられる最大の理由は、その力が彼らをより上回るからだ。その力を恐れるがあまり、過去において天使や悪魔は人間界をたびたび蹂躙してきた。


 その力ならば、或いはレーヴェウスの力を上回ることができるかもしれない。


「では、本堂の方へご案内いたしましょう」


 俺たちはオンノブ師にそう促され、本堂へと案内された。




 オブグラッド寺院の建築様式は、日本と中国の寺の折衷のようなものだった。文化的にも日本と中国のようなそれに近いが、住まう人々が俺の認識で言うところの白人が主であり、そこに東洋人と思しき人々の姿はなかった。ゲッコー丸や『グーン』のルーンストーンの発祥の地である東方の国はまた違った文化・文明を持っているのだろう。


 オブグラッドの僧が身に付けている服は、拳法着、中でも太極拳のそれに近い。


 寺院の渡り廊下を案内されながら開けた庭を見ると、まさしく武術の修行中と思われる少年少女たちが拳法着を着て一糸乱れず演舞を行っていた。


「凄いですね……」


 その光景に見入り、俺はついそう呟いた。


「いえ、彼らはまだまだです」


 オンノブ師は彼らを温かく見守りつつも、そう言う。


「ここで心身ともに鍛え、何年も修行を続けて、やっと一人前となります。まぁ、中には例外もいますが」


 そう言ってオンノブ師は微笑む。何やら含むものがあるようにも見える微笑みだ。


「さて、こちらです」


 俺たちが通されたのは、十メートル四方ほどの真四角の板張りの部屋だった。


「こちらでお待ちください」


 俺たちにそう言い残して、オンノブ師は部屋を出て行った。


 さて、板張りの部屋である。俺は正座で腰を下ろした。それを見てアリサとシュニィはペタンと女の子座りをする。そう、男ではできないアレだ。二人の美女がペタンと座り込むさまに、俺の胸がキュンとなった。かわいいものはかわいいのである。


「どうしたの?ヒュージ」


 まるで俺の心の中を読むかのようなタイミングで、アリサがそう訊ねてきた。


「あ、うん、何て言うか、かわいいなって思って。二人とも」


 素で言ってしまった。

 そして俺の言葉を聞き、アリサはニヤッと笑い、シュニィは顔を赤くした。


「何よいきなり。当たり前じゃない……で、なにが?」


「ああ、その二人の座り方が、ね」


 かわいいものはかわいいのである。かわいいは正義だ。


「不思議なことでかわいいとか思うのね、ヒュージってば」


 ねぇ、とアリサはシュニィに同意を求めると、


「そ、そうですね」


 と困り顔でシュニィは受け答えた。




 それから程なくして、部屋の引き戸がノックされた。


「失礼いたします」


 オンノブ師だった。そして、その後ろには――一人の小さな少女がいた。


「失礼いたします」


 オンノブ師に倣い、その女の子もそう言って頭を下げた。

 整った顔立ちに、ボーイッシュに短く刈り揃えられたプラチナシルバーの髪。まつ毛が長く、直線的で切れ長に見える目。意思が強そうな印象だ。年齢は、五、六歳といったところか。


「イズニフの少女を連れてまいりました」


 オンノブ師はそう俺たちに言うと、少女にご挨拶なさい、と促した。


「はじめまして、エリカと申します。字名はないです。五歳です」


 苗字が無い、ということか。


「彼女はまだ一歳に満たないころに、母親だった悪魔の女性に籠に入れられ、この寺院に捨てられているのを見つけられ、以後ここで育ちました。その時一緒に入れられていた手紙に、素性と名前だけが記されておりました」


「エリカちゃんか、かわいいわね」


 アリサがそう言って微笑んだ。


 それにつられてか、エリカも微笑む。そう言う様子を見る限りでは、年相応の子供なのだろう。


「呪いのお祓いにきました。どなたの呪いを祓えばいいのでしょうか?」


 さすがに寺院の修行僧だけあって、物言いはしっかりしている。


「はい、私です」


 シュニィが手を挙げた。


 そして彼女は立ち上がってブーツを脱ぎ、革のパンツを下ろし、解呪のプレートを外すと再び座り、上着をめくりあげて淫紋を露わにした。


「これを……取り除いて欲しいのです」


 その表情にはやや恥じらいが見える。それはエリカへのもではなく、思うにオンノブ師へのものだろう。


 エリカがシュニィの前まで来ると、彼女はその呪いの紋様をじっと見つめた。


「邪悪な感じがします」


 そう言って、エリカはその小さな手を淫紋へと当てた。


「お腹に、邪悪な命が宿っています」


 やはりお腹の中の子供は魔王の血が混じり、すでに邪悪な存在になっているということなのだろうか。


「では、呪いを祓います」


 エリカがシュニィの顔を見て小さく頷いた。

 と、次の瞬間、エリカを中心に気合か何かの衝撃が発生した。


「エリカが気門を解放しました」


 オンノブ師が説明する。

 と、そこへエリカの詠唱の声が差し込む。


「エカールの神々よ、今この場に聖なる印を刻み、穢れなき神聖なる領域を展開し給え……『聖域展開』!」


 再びドン、と衝撃波のようなものが発生すると同時に、シュニィを中心として直径五メートルほどの魔法陣のようなものが展開された。円形に梵字のような文字が書き込まれている。俺の言語認識能力では、これは経文だった。意味までは理解できないが、これがエカール神へと捧げられる経文なのだろう。


 魔法陣からは、俺が浄炎を使った時と同じような銀色の光が溢れていた。チラチラと粒子のようなものが舞っている。


 この結界の中は、まちがいなく清浄だ。


 この様子に、アリサも、そしてシュニィまでもが驚いている。シュニィにとっては、自分が使う聖なる祈祷よりもこれだけでより強力だということがわかるようだった。


 そして、エリカはさらに新たな祈祷を詠唱し始める。


「エカールの神々よ、この女性にかけられた不浄なる呪いを祓い、清浄なる身体へと戻し給え……『退呪』!」


 詠唱が終わると同時に、シュニィのお腹に当てられたエリカの手のひらが眩い銀色に包まれ、その手からキーンと甲高い音が響き渡った。


 シュニィの下腹部に刻まれている淫紋は徐々にその色を失っていく。


 だが。


「お腹の中の、命が必死に抵抗しています……!」


 エリカの眉間にしわが寄る。


「このまま続けて呪いを解いてしまうと、お腹の中の命が暴走するぞ、と脅してくるのです」


 エリカの目に困惑の色が浮かぶ。

 シュニィの顔色も思わしくない。ふとシュニィの下腹部を見ると、七芒星からうっすらと血が滲み始めていた。


「おなかを喰い破るぞっていってます……これ以上は、無理、です……!」


 エリカが手のひらを離した。と同時にエリカの手の発光が収まり、音が止む。


「ご、ごめんなさい……」


 消えかかっていた淫紋の色が元の色へと戻ってゆく。七芒星からは血が一筋垂れていた。


「お腹の中の命を何とかしないことには、呪いは解けません……。しかもその命は、お腹の七芒星によって守られています。今の私には……消すことができません」


「ごめんねエリカちゃん、無理をさせてしまって」


 シュニィがエリカにそう声をかけた。彼女自身が解呪できなかった時と同じ悔しさを、きっとエリカも感じているのだろう、そう思っての言葉なのだと思う。


「エリカちゃん、参考までに聞かせて欲しいのだけど――」


 アリサが言葉を挟む。


「お腹の中の命と、お腹の七芒星と、その周りの呪いの模様、この三つはバラバラの要素なの?」


「そう、です……。正確には、周りの模様と七芒星が別々の呪いで、お腹の中の命は呪いではなく邪悪な存在なんです」


 今まで単純に淫紋一つの問題と思っていたものが、実は淫紋と七芒星、そしてお腹の中の子供、三つの要素が複雑に絡み合っている、ということなのか。


 とすれば、この三つを消滅させるにはそれなりに手順を踏まねばならない、ということになる。


「周りの模様の呪いだけを消すと七芒星がお腹の中の命を暴走させる、と脅してくる。では七芒星が先か、お腹の中の命が先か、という選択になるのね」


 アリサの問いに、エリカは


「私の力では、お腹の中の命だけはどうにもなりませんでした。それさえなければ、呪いも、七芒星も消せたと思います」


 と答える。


「シュニィちゃん、念のために聞くけど、産む意思は無いのよね?」


 アリサの問いに、シュニィは目を伏せながら


「ありません。悪魔の子を世に放つなど、聖女たる私が取るべき道ではありません」


 当然だろう。しかし、問題はどうやってその子供を亡きものとさせるか、だ。

 シュニィが子を宿してから、既に二月近くが経過している。だがこの世界の医療事情を見ても、確実といえる人工堕胎の方法はない。


 もしかすれば祈祷などの方法で堕胎はできるのかもしれないが、いくら存在が邪悪とはいえ、宗教組織で人工堕胎に関わる何かを行うというのも考えにくい。


「魔法でお腹の中の子供を亡きものとする方法って――」


 俺の問いに、アリサが答える。


「私の知る限りではその種の呪文は知らないわ。探しては見るけれど、内容からして禁呪だと思うわ」


 すると、俺たちの様子に気をやんだのか、エリカが口を開いた。


「役に立てなくてごめんなさい。でも、そのお詫びにといっては変な話ですが――あたし、そこのお兄さんと、その、遊びたいです」


 遊びたい?俺と?


 すると、その言葉にオンノブ師が、


「エリカ、まさか――」


「ええ、オンノブ老師、そのまさかです」


 そう言って、エリカはあどけなく微笑んだ。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る