第二章  オブグラッド寺院

第十六話  蠢く悪意

 シネッサ聖女修道院を発って二週間が過ぎた。山岳沿いの道を馬で行く旅は順調で、今までのところ特に大きなトラブルはない。


 解呪プレートを終日身に付けるようになってからは、シュニィの変化は発生しなくなった。


 先行してアイシエム山のオブグラッド寺院に向かっているおやじさんからは、数日前に使い魔が来た。道中、ゴーツという獣人が出没するので気を付けろ、という連絡だった。


 アリサによれば、ゴーツとは山羊の頭と足を持つ獣人で、主に山岳地方に集団で住んでいるらしい。原始的な文化を持っており、シャーマンが存在し、簡素な村らしきものを作ったり、洞窟などに集団で住むなどしているそうだ。彼らは人間とは共生関係になく、容赦なく人を襲う。


 世界にはゴーツ以外にも様々な獣人がいるらしい。主に砂漠などに住むレオルクという獅子の獣人や、ウルバと呼ばれる森にすむ狼型の獣人などが有名だそうだ。やはりそのどれもが独自の文化を持ち、また人との共生関係は無いという。


 先日のカッツエルの人間体――いわゆる猫耳でほぼ人のような獣人――がこの世界にはいるのか?と聞いたところ、アリサは知る限りではいない、といっていた。いわゆる亜人のたぐい、ファンタジー小説などで出てくるエルフやドワーフのような存在も、この世界にはいないという。


 すなわち人間か、それ以外か。その上の段階の話で言えば、天使か悪魔か人間(イズニフを含む)か、そしてそれ以外か。つまりはそういう区別になる。


 そして、そのおやじさんの忠告通り、その日俺たちはゴーツと遭遇することになった。




 そのきっかけとなったのは、道中で遭遇した商人の荷馬車だった。荷馬車には商人と御者が乗っていたが、本来であれば共に行動しているであろう護衛のたぐいの人々がいなかった。馬車は俺たちが進む方向と同じ側を向いていた。


 よく見れば、道の脇に三人ほどの護衛と思われる者たちの遺体が置かれていた。そのどれもが酷い怪我を負っており、明らかに大型の武器による斬撃の裂傷や、何本も突き立てられた粗雑なジャベリンが戦闘の激しさを物語っていた。


 商人と御者はそこまで深い怪我は負っていなかったものの、何やら動けない様子だった。


「大丈夫ですか?」


 俺は商人にそう問いかけた。


「途方に暮れておりました」


 商人は、げっそりとした表情で最初の言葉を吐き出した。


「何があったんです?」


「ゴーツに襲われたのです。十匹はいたでしょうか、私たちの護衛がたちまち殺されてしまって、挙句に娘と護衛の一人を連れ去られてしまいました。荷物の食料も奪われてしまって――」


 娘さんと護衛が攫われた。

 食料が奪われたのはわかるが、なぜ人を攫うのだろうか?

 思わず、俺はアリサに問うた。


「ゴーツっていうのは人を食べたりするのか?」


「いえ、人間を食べるっていうのは聞いたこと無いわね。儀式的な生贄なのかも」


 そうか、アリサはゴーツにはシャーマンが存在すると教えてくれた。ということはなにか占術だったり呪いだったり、そういったたぐいの儀式を行うのかもしれない。


「襲われてどれくらいの時間が経ちましたか?」


「小一時間程度でしょうか……」


 その程度の時間ならばあるいは――」


「アリサ、シュニィ、助けに行こう」


 俺がそう言うと、二人も快く頷いてくれた。


「すみませんが、その間俺たちの馬を見ていてもらえますか?」


 俺が商人にそう頼むと、商人ではなく御者が「お任せ下さい」と頷いた。




 俺は改造態に変身して、周囲の痕跡をセンサーで探った。

 特に足跡を隠そうとした痕跡はなく、状況的にも追跡は容易い。


「行こう、こっちだ」


 俺の先導に、アリサとシュニィが付いて来る。


 シュニィの服装は修道院で着るような聖女専用のローブではなく、聖職者らしい意匠の取り込まれた活動しやすそうなやや丈の長いシャツと、革製のパンツにブーツ、そしてシャツの上からは丈夫そうな厚手の白い布のマントだ。手には大天使らしき小さな彫像が上部についているスタッフを持っている。


 アリサはタートルネックで胸元が少し開いたノースリーブの白いニットの上から革製の赤いチョッキ、そしてホットパンツにロングブーツ。肩からはいつもの赤と黒のマント。そして、手に持つ杖は先日の修道院地下で手に入れた宝石をあしらった、おニューのロッドだ。


 二人とも、森の中を歩くのにはそこまで不便ではない服装だ。


 俺は踏まれた下草や枝を探知しながら、ゴーツの移動経路を追跡する。

 時々刃物で払われたのであろう枝の跡などもあり、露骨にそれとわかる。


 そうして三十分弱の追跡の後、俺たちは少し開けた場所へと辿り着いた。百メートル四方程度の空き地だった。その外周部にはいくつかの掘っ建て小屋のようなものがあり、中央には無造作に置かれた木の枝や幹で祭壇のようなものが作られ、そこには二人の女性が縛り付けられていた。


 もちろんその周りには、大勢の山羊の獣人達がいた。三十人ほどはいるだろうか。

 縛り付けられた二人の女性の前には、なにやら捻じ曲がった木の杖を持った、角の大きな獣人がいた。恐らくそれがこのゴーツのシャーマンなのだろう。


 ゴーツたちは大声で何やら叫んでいた。早く火をつけろ、祈りはまだか、と急かすような内容だった。が、その言葉は人間のものとは異なる。


「何か叫んでるわね」


 疑問の顔を浮かべているアリサに、


「うん、早く始めろって急かしてる」


 と俺が答えると、アリサとシュニィは驚いたように俺の方を見た。


「ヒュージ、奴らが何言ってるかわかるの?」


 ああ、なるほど――どうやら俺の言語理解能力で連中の言葉がわかるらしい。

 俺はうん、と頷き、再び連中に耳を傾けた。

 すると、急かす周囲のゴーツに対し、シャーマンが声を荒げて言った。あの方々への祈りが先だ、おとなしく待っていろ、と。

 その声に周囲の怒声がピタリとやんだ。


「あの方への祈りが先だ、って言ってる。こいつら、何か信仰でもあるのか?」


「いや、私の知る限りでは信仰的なものは持ち合わせていないはずだけど」


 とすれば、奴の言うあの方とは一体何を指すのだろう?


「獣人たちと魔王の繋がりってあったりする?」


「いや、それも考えられないわね。悪魔にとっては人間よりもさらに下等な連中と思われてるから」


 ともあれ、その謎の存在への祈りが行われている間は、縛られている二人が火あぶりにされる心配は無いわけだ。ならば今のうちに――


「よし、連中を全滅させよう」


 俺がそう言うと、アリサとシュニィは何やら詠唱を始めた。


「ヒュージさん!」


 シュニィが俺にそう呼びかけ、杖を俺に向けた。と、俺の身体を銀色の光の粒子が取り巻く。


「防御の祈祷を付加しました」


「ありがとうシュニィ」


 シュニィのたっての希望で、俺は彼女の事を聖女様ではなく、シュニィと呼ぶことになっていた。なら俺のこともヒュージと呼び捨ててくれ、と言ったが、シュニィはそれは頑として拒否している。


 一方、アリサの杖にはいつの間にか電撃がバチバチと纏われていた。それを見て、俺はバックルのトルマリンに触れた。


『ライトニングモード』


 シュニィの声がモードチェンジを告げ、と同時に俺の身体も帯電を始める。

 そして、その一瞬のちアリサの杖から雷撃が飛び出した。チェインライトニングだ。


 俺もそれに合わせて敵の集団へと向かっていった。


 アリサの電撃を食らったゴーツが次々と感電し、数体がその衝撃でその場に倒れ伏していた。雷撃はまだ次の獲物を求めて蛇のように鎌首をもたげている。

 そして、倒れそこなった敵目掛けて、俺の拳が打ち込まれる。


 ゴーツは両手持ちの片刃の斧のようなものや木を雑に削って作ったであろうジャベリンを持っていた。連中の見た目は人間の肉体よりも筋肉がついており、一撃一撃が重そうに見える。が、その分スピードが伴っていないので俺にとっては雑作もない連中だった。


 アリサの雷撃と俺の電撃が次から次へとスパークし、オゾン臭と共に焦げ臭いにおいをまき散らしながら敵を蹴散らしてゆく。


 さすがに仲間に当たるのを避けてか、ジャベリンを投擲してくる敵はいなかった。

 あっという間に十体ばかりの敵を倒したものの、俺は大量の敵に囲まれており、そしてアリサたちの元へも数体の敵が迫っていった。


 しかし、シュニィが防御の結界を張ったようで、そこへアリサの火球が炸裂し、その数体は彼女たちの元へ到達することも無く倒れた。


 一方俺は、何やら祈りを捧げているシャーマンに注意を向けながらも、周囲の敵を捌いていた。


 角を突き立てようと頭突きを狙ってくる敵をいなして同士討ちを狙い、集団を混乱に陥れる。地頭が悪いためだろうか、連携といった高度な真似はできないようだ。ただ単に暴力的なだけの、他愛もない連中だった。


 しかしそこに、突然大きな雹がバラバラと降ってきた。シャーマンの祈祷だ。


 周囲にいる味方を巻き込みながら、拳大の雹がどんどん降り、勢いよくぶつかってくる。しかし、シュニィの防御の祈祷の効果に加え俺の身体のクッション性能もあり、ダメージは敵にばかり蓄積してゆく。


 無差別に降る雹に加え俺の攻撃で一体、また一体と敵が倒れていき、いよいよ残るはシャーマンだけとなった。

 俺はシャーマンの元へ駆け寄ると、左手でその頭部の大きな角を掴み、


「あの方とは誰だ?」


 と聞くと、シャーマンは驚いたように目を見開いた。


「貴様、我々の言葉がわかるのか!?」


 敵がそう応えた瞬間、その顔面に俺の右の拳が打ち付けられる。


「質問に質問で返すなぁッ!」


 そう怒鳴り再度拳を振り上げると、


「い、言えない、言えば殺される!」


 と怯えるように返してきた。


「ならば今死ぬか!?」


 俺はそう問いながら、再びその顔面へ拳を叩きつける。敵の左目がぐちゃりと潰れていた。


「ひいぃぃ、い、言います、な、嘆きの蝶様です!」


 嘆きの蝶?それは人の名か?


「誰だそれは」


 だがシャーマンは震えながら、


「あなたたち、に、人間の仲間じゃないのですか!?」


 そう言って首を振るだけだった。

 それ以上聞けないのならばもう用はない。



「フロッグ電光パンチ」



 俺の拳がシャーマンの頭部に突き立ち、雷撃がバチバチと全身を駆け巡った。


 力の抜けたシャーマンの亡骸を捨てると、俺は変身を解除し、縛られている二人の女性の元へ駆け寄り、その縄を解いた。


「助けに来ました。もう大丈夫です」


 一人は鎧を身に付けたがっちりした女性、もう一人はまだ十五、六歳くらいの少女だった。


 俺は助けた二人を連れ、アリサとシュニィの元へと戻った。


「助けてくれてありがとうございます!」


「命を救っていただき感謝いたします!」


 二人は銘々に俺たちにそう礼を言う。


「ひとまず殺される前に助けられてよかったわ」


 アリサはそう言って安心の笑みを浮かべた。




 馬車へ向かう道中、俺はアリサとシュニィに先程シャーマンから聞いた件を尋ねてみた。


「嘆きの蝶、と仰いました!?」


 なにか思い当たる節があるのだろう、シュニィがそう聞き返してきた。


「最近モンモーデルを中心に勢力を伸ばしつつある宗教ですね」


「宗教……?」


 アリサが問う。


「その嘆きの蝶と呼ばれる女性が教祖として崇められているんです。その教祖の名前がそのまま教団の名前として呼ばれているようです」


「どんな宗教なの?」


 アリサの問いに、シュニィは


「私も詳しくは知らないのですが、何やら予言者か何かだったはずですね」


 俺がシャーマンに尋ねた時、奴は「嘆きの蝶様」と敬称を付けて呼んでいた。ということは、教団ではなくその教祖本人を指すのだろう。


「でも、モンモーデルのあるヴェスピッド共和国って、海の向こうなのよね。それがどうしてこんな山奥でなんだろう?」


 アリサは首を傾げた。


「しかも人間の宗教をなぜ獣人が?なんか気になるわね」


 遠い国の宗教を、なぜこんな辺鄙な地で、しかも獣人が信奉していたのか――。謎でしかない。




 やがて、俺たちは馬車のある場所へと戻り付いた。


「おお、カーナ!」


 商人が、一目散に娘に駆け寄ってしっかりと抱きしめた。


「それにファナールさんも、無事でよかった」


 商人は護衛の女性にもそう声をかけた。

 その様子を見て、俺はふと思い出した。


 ……しまった、奪われた食料を忘れていた。


「すみません、奪われた荷物を忘れて――」


 すると、商人は俺の言葉を遮って、


「いえ、攫われた二人が無事戻ってきてくれただけでも充分です!どうかお気になさらず」


 そう言って俺たちに深々と頭を下げた。


「二人を助けて下さって、本当にありがとうございます」


 商人――名をニースといった――は俺たちと同じくオブグラッド寺院へ向けて旅していたのだという。そこで、俺たちは死んでしまった護衛に代わり、オブグラッド寺院まで護衛をしようかと提案したが、それは遠慮された。


「では、もしかしたらまた向こうでお会いするかもしれませんが――」


 そう言って、俺たちはニース一行の馬車と別れるのだった。






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