第十三話 シネッサ聖女修道院
調整された解呪のプレートは、シュニィにぴったりと貼り付くようにその下腹部に収まった。
シュニィいわく、心の中のもう一人の自分がより薄くなった、とのことだった。
「ところでシュニィは呪いを解くような祈祷とかは使えるの?」
アリサの何気ない疑問に、シュニィの顔が暗くなる。
「使えます。が、この呪いには効かないと思います」
だがアリサは遠慮がなかった。
「今やってみて」
言われ、シュニィはハイと応え、祈りの言葉を囁きだした。
ややあって、シュニィの足元から銀色の光の粒子がチラチラと舞い出し、やがてそれはシュニィの体中を包み込んだ。シュニィの下腹部が銀色の光で覆われる。が、その一瞬後、まるでガラスが割れるかのようにシュニィを包み込んでいた銀色の光が砕け散り、消滅した。
「祈祷に対する
「そう……なのですか?」
シュニィの疑問に、アリサはええ、と頷き続ける。
「モリアさんは高位の聖職者の力で解呪するしかないって言ってたけど、祈祷では難しいかもしれないわね……。結論を出すにはまだ早いから、オブグラッド寺院に行ってから最終判断を下すけど」
「もし祈祷類でダメなら?」
俺は何気に質問を投げかけてみる。
「それこそ私の系統になるわね、つまり魔術。実際に薬も解呪のプレートも魔術の産物だから、そっち方面で調べていく方が結果が伴うんじゃないかと思うわ、正直なところ」
「そうですか……」
シュニィの瞳が
事実、今のアリサの言葉で、シュニィは信仰の力が半ば否定されたかのように感じたのだろう。何よりも信仰の力はシュニィのアイデンティティそのものだったのだから。
モリアから聞いた話によると、本来は信仰の対象となっている聖女だが、その聖女自身にも信仰する対象が存在する。地獄界の七魔王と対極の存在である、天界の六柱の大天使だ。シュニィの力はその大天使たちの加護を受けて顕現している。
だが、本来であれば魔王と対極を為す存在の加護は、その魔王によって破られた。
魔王にその力を否定され、さらに魔術師によってそれが裏付けされたことによって、シュニィは心を打ちのめされたに違いない。それこそ、シュニィの女性を穢されたこと以上に、彼女にとってはショックなことかもしれない。
「まあ、まずは現状でなんとかやりくりするしか無いわね。薬もまだストックはあるし、じっくり対策して行くしかないわ」
アリサの言葉に、シュニィは小さく頷いた。
その後、俺たちはシネッサ
「ひとまず現状であれば私たちの旅に同行できるくらいには回復したと思います」
アリサの言葉に、モリアは深々と頭を下げた。
「この
「大事なのは今後です」
アリサはそう言って、彼女が打ち立てた推測を語って聞かせた。
「今は私が調合した解呪薬と、魔法のアイテムで呪いの影響を抑えています。その状態で彼女に退呪の祈祷を自身に行ってもらいましたが、その際に魔王レーヴェウスが彼女に仕掛けたと思われる
「
「ええ。薬やアイテムでは発動しませんでしたから、祈祷に対してのものだと思われます。念のため、オブグラッド寺院で高位の僧に退呪をお願いしてみるつもりですが、そこでダメだとしたら、アプローチを変えなければなりません」
「アプローチを変える、とは?」
モリアが不思議そうな顔で聞き返す。
「祈祷がダメなら魔術です。幸い、薬は魔術と錬金術、魔法のアイテムも魔術の産物です。こちらが打ち消されていないことを考えると、祈祷よりも魔術の方が効果的かもしれない、と考えました」
「なにか当てがあるんですか?」
問われ、アリサはうん、と少し考えながら、
「北方のアースカ砂漠のモンモーデルの街に、呪いの研究で名の知れるカレジ・アフェアという魔術師がいるんです。彼を頼ってみようか、と」
「とすれば、シュニィはしばらくは留守ということになりそうですね。わかりました、王国の方には私から説明しておきます。お二人にしばらくシュニィをお預けしますので、どうか彼女を救ってください」
「もちろんです。シュニィちゃんとも約束しましたから。絶対に助けると」
アリサがそう言って俺の方を見た。俺もはい、頷く。
「というわけで、その前にまず私たちは魔王カッツエルを討伐して修道院を取り戻さないといけません。ですので、その間シュニィちゃんをよろしくお願いします」
アリサがぺこりと頭を下げてそう言った。
「いえいえ、こちらこそ魔王と修道院の事まで面倒を見ていただくことになってしまって、かえって申し訳ありません」
モリアもそう言って頭を下げた。
というのが約二時間前。
そして俺とアリサの目の前には、今シネッサ聖女修道院が見えている。
古い石積みの建造物だが、歴史を感じさせる重みがある。奪われてまだひと月にも満たないためか、汚れているようには見えない。
その入り口周辺には見張りのためのデーモンレディが何人もいた。
「強行突破するしかないか」
「弓矢で武装している奴は私が優先的に狙うわ」
「うん、そうしてくれると助かる」
俺はさっそく改造態へと変身した。
「待ってヒュージ。先に不意打ちしよ」
言って、アリサが呪文の詠唱を始める。と、アリサの手にバチバチと電撃が帯電した。
「チェインライトニングよ。これでまずそこら辺の連中を感電させるわ」
そしてアリサが帯電している手を敵に向けると、強烈な音と共に一番近くにいた敵に電撃が炸裂した。と同時に、鎌首をもたげるように電撃が周囲を窺い、その次に近い敵に向かって延びてゆく。そしてその電撃は瞬く間に十人ばかりの敵の命を奪った。
「よし、行ってくる。援護を頼む」
俺はそう言い残して、慌てふためいている敵の中央に向かって突き進んだ。
駆け抜けてゆく中、バックルのルビーに指を触れる。
『フレイムモード』
シュニィの凛とした声と共に、俺の拳が真っ赤に燃えた。
「フロッグ爆熱パンチ」
集団の中央にいる敵に向かって拳を叩き込むと、まるでアリサが放った火球のような爆発が起きた。その炎は周囲の敵を巻き込む。
このボイス、何気に燃えるものがある。まさに俺が求めていたのがこの高揚感だ。
「フロッグ火炎回転脚」
爆発に巻き込まれた敵に追い打ちをかけるように、炎を纏った蹴りを一騎に周囲にばら撒く。さらに追撃とばかりに、吹き飛ばした敵に次々ととどめを刺す。
と、アリサの火弾が俺を追い越すように前方に飛んで行った。その先には、こちらを狙っている弓を装備した連中がいた。その連中の末路を横目に、俺は次の集団へ向けて駆け抜けた。
その集団の中央を目掛けて大きく跳躍し、着地と同時に中心の敵に燃える拳を叩きつける。そのまま拳は地面に突き立ち、激しく爆発して周囲に土煙が上がる。
だが視界が悪くとも、俺のセンサーが敵の明確な位置を捕らえている。俺は次々と敵の先手を打ち、一切の反撃を許さずに壊滅させた。
そしてその一方的な命のやり取りを終え、俺たちはシネッサ聖女修道院の入り口の前に到達した。
一度フレイムモードを解除する。
目指すは地下、苦悩する乙女カッツエル討伐と、その封印だ。
センサーで捕らえている限り、扉の向こうも悪魔だらけだった。
「アリサ、準備はいいかい?」
突入と同時に呪文を放てるよう、彼女は詠唱を終えていた。杖にピキピキと冷気がまとわりついている。
「いいわよ、タイミングはヒュージに任せるわ」
よし、と俺は両開きの扉を開け放った。
と同時に、目の前を猛吹雪が襲う。アリサのブリザードだった。
あっという間に、修道院の入り口のホールが氷漬けとなった。そして一拍おいて、まるで氷の彫刻と化した悪魔たちが破砕する。
「何してくれちゃってるのよあんたたち!」
冷えたホールの中を、女性の怒声が大きく響き渡る。
俺はホールの奥の祭壇に目を向けた。その祭壇には、一人の少女が脚を組んで座っていた。
「あー、あんたたちね?あたしの大事な獲物を奪ったのは」
俺たちは慎重にその祭壇へと向かっていった。
その少女は、白い肌に白い服――上着はノースリーブのタイトなシャツに、下はホットパンツ――、焦げ茶色の長い革手袋と同色のロングブーツ、髪は銀色のショートボブで、その頭にはブーツと同色の焦げ茶色の猫耳が生えていた。幼いが整っている顔立ちに、大きなサファイアブルーの目。そしてふらふらと白い尻尾が動いていた。まるでシャム猫のようなスラリとした印象だ。
「せっかくこれから新しい餌を探しに行こうと地上に出てきたってのに、どうして邪魔してくれるかな」
少女は憎々しげに俺たちにそう吐き捨てると、チッと舌打ちした。
「お前は――誰だ?」
「知ったら震えておしっこちびるわよ、あんた」
俺の言葉に軽口を返してくる。まさか――いや、あながち間違ってもいないのか。「地上に出てきた」とその少女は言ったのだ。
「おまえが魔王カッツエルか」
「なんだ、知ってるのか。つまんないわね」
言いながら、少女――苦悩する乙女カッツエルは脚をぶらぶらとさせている。
その表情にはどこにも苦悩の色は浮かんでいない。
「貴様らのせいで聖女は、シュニィは穢されたんだ。絶対に許さん」
俺の怒りがメラメラと炎を心に宿す。
「穢れ?冗談!あの娘はあたしたちのおかげで快楽を知ったんだよ、それを穢されたなんて」
「だが貴様らに彼女の神聖なる純潔を奪う権利など無い!」
「純潔?処女ってこと?だったらあたしの方がよっぽど神聖で純潔だわ。あたしはまだ乙女よ」
カッツエルはプッと吹き出すように笑う。
「ただの膜ごときに神聖さだのなんだの、ちゃんちゃらおかしいわ。あんたたち人間どもは黙って快楽におぼれてあたしを満足させればいいのに。もちろんその後、メインディッシュの苦悩も添えて、ね」
見た目がたかだか十四、五歳の少女の口から出てきていい言葉ではない。
と、アリサがつかつかと祭壇に向かい――カッツエルの頬を平手で打った。
パンッと高い音がホールに響き渡った。
「魔王だか何だか知らないけど、男に抱かれたことも無いお子様が生意気言ってるんじゃないわよ!」
アリサが……怒っていた。彼女が怒っているところを、俺は初めて見た。
だが、今はさすがに危なさすぎる。俺はすかさずアリサの元に駆け寄り、彼女と魔王カッツエルとの間に割って入った。
カッツエルはわなわなと震えていた――怒りで。
俺はアリサを後にジリジリと押しやる。
「たかが人間の分際で、あたしに何をした?」
カッツエルの目つきが変わっていた。悪戯じみた青から、氷のような冷たい碧に。
カッツエルから立ち上るオーラに、俺は覚えがあった。レーヴェウスと対峙した時のあの威圧感。こんな少女の身体から、あの時と同じオーラが立ち上っている。
「アリサ、危ない!」
俺はアリサを守りながら、彼女の体を抱えて後へ下がる。
俺たちが今までいた場所に、無数の氷の針――長さが一メートルはある――が突き立っていた。
こんななりをしてあんな話をしていたが、まぎれもなくこの少女は魔王だ。
「今からたっぷりあんたたちの苦悩を味合わせてもらうわよ」
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