第十二話  乱れる聖女

 アリサの作業の待ち時間に、俺はシュニィにあるお願いをしてみた。


「あのさ、聖女様の声、使わせてもらってもいいかな?」


 唐突な、あまりにも唐突なお願いだった。というのも、シュニィの声はアリサとはまた違った、凛とした魅力ある声だったのだ。


「声を……使う、のですか?」


 何やら不思議そうにシュニィは首をかしげる。


「ちょっと待ってて」


 そう言って、俺はシュニィの前で改造態に変身した。


「あ、その姿……」


 塔の中でのことも覚えているのだから、もちろんシュニィはこの姿の事も見ているはずだ。


「これが基本の姿なんだけど――」


 そう言って、俺はバックルのルビーに触れた。すると、俺の拳にメラメラと炎が宿る。


「例えばこういう炎の戦士や――」


 続いてサファイアに触れる。と、身体の色がシアンに染まり、周囲が冷気に包まれる。


「こういう氷の戦士になったりできるんだ」


 シュニィは興味深そうに俺のモードチェンジを眺めていた。


「それでね、姿を変えた時にそれを知らせる声が欲しくて、聖女様の声を使わせてもらえたら嬉しいなって思ったんだ」


「いいですよ。それでヒュージさんに喜んでもらえるなら」


 言いながら、シュニィの頬がほんのりと桃色に染まった。了解してくれても、やはり声を使わせてくれといわれたら恥ずかしく感じるのかもしれない。


「ありがとう。それじゃさっそく」


 俺はコンピュータと脳内で会話を始める。



(コンピュータ、これまでの記憶からシュニィの声を取り出し、ボイスサンプリングしてくれ)


『完了しました』


(そのサンプリングデータから、ノーマルモード、フレイムモード、フロストモード、ライトニングモード、ポイズンモードのアナウンス音声を合成してくれ。彼女の凛とした感じを活かしてくれ)


『完了しました』


(以降モードチェンジの際に、それに対応した音声をアナウンスしてくれ)


『設定完了しました』




「聖女様、ありがとう。準備できたよ」


 するとシュニィはなにやらドキドキした様子で俺の方を見ていた。


「じゃ、いくよ」


 俺はバックルのトルマリンに指を這わせた。


『ライトニングモード』


 突如、ベルトからシュニィの声が発せられ、同時に俺の体が帯電を始めた。視覚情報にも『ライトニングモード起動』と表示されている。


「え?私の声ですか、今のが!?」


 普段自分の脳内に響く声と、実際の声は違って聞こえる。骨伝導の影響で、自分の声は実際よりも低く聞こえている。ちなみに俺も脳の骨格が金属に置き換えられて以降、自分の声が変わって聞こえるようになった。耳も強化改造されているから、今聞こえている声がそのまま他人に聞こえている声だと理解している。


 もちろん、俺にとっては今さっきのサンプリング合成された声も、普通にしゃべるシュニィの声も同じに聞こえるのだが、彼女は初めて聞く自分の本来の声に驚いたらしい。


「やっぱり綺麗な声だね、聖女様の凛とした感じが伝わってくるよ」


 続けて、再度トルマリンに触れノーマルモードに戻る。


『ノーマルモード』


「やっぱり少し違和感がありますね」


「そうかな?俺はこの声好きだよ」


 そう言うと、シュニィの顔がまた少し赤くなった。やっぱり声というのはどこか恥ずかしさを感じる要素があるのかもしれない。そう考えると、声優って凄いんだな、などと感じてしまう。


 俺は変身を解除して、改めてシュニィに礼を言った。


「これで、俺も戦闘の時に聖女様から応援されている気分で戦えるよ。ありがとう」


 そう言うと、シュニィはより一層顔を赤らめてフルフルと首を振った。……俺はそんなに彼女が恥ずかしがるようなことを言ったのだろうか?




 それからややしばらくして、アリサが作業部屋から例の解呪のプレートを持って出てきた。


「ちょっと試着して貰うわよ」


 いうや否や、またしても無造作にシュニィの服の裾をめくると、淫紋の上にプレートを重ね、シュニィの背中に両手を回してプレートから繋がっているチェーンを留めた。


 ウェストのラインから綺麗にチェーンが流れ、プレートが淫紋全てを覆いかぶさっている。少なくとも淫紋の事を知らない人間が見たら、美しいボディアクセサリーと思うほどには完成度が高い。


「凄いなアリサ」


「でしょー。もっと褒めてくれていいわよ」


 アリサがニコニコと微笑む。


「ミスリル主体でできてるから、普段から身に付けていても重さはあまり気にならないと思うわ。どこか違和感があったら教えて、シュニィちゃん。チェーンがすこしゴツゴツするかもしれないけど、それは明日なおすわね」


 シュニィは自分の腹部周りをキョロキョロと見回し、納得したようにうん、と頷いた。


「アリサさん、ありがとうございます!」


「じゃ、続きは明日ということで――」


 そう言って、アリサは再びシュニィのウェストに腕を回し、チェーンを取り外した。



 さてそろそろ夜も深くなり、明日に備えて寝よう、という段になった。昨夜と同じく、シュニィには寝室をあてがい、俺はアリサと一緒に彼女の作業部屋のベッドで寝ることになった。


「ねぇヒュージ、さっきはシュニィちゃんと何を話してたの?」


 ベッドの中でアリサが唐突にそう訊ねてきた。


「なんとなくなんだけどさ、聞こえてきたのよね、声が。こっちの部屋に」


 アリサはジト目だ。


「あ、いや、前にアリサにお願いしたことがあっただろ?モードチェンジした時にアナウンスボイスが欲しいなーって……。それを聖女様にお願いしたんだ。そうしたら、いいよって言ってくれて……」


「やっぱり。声関係は恥ずかしいのよ?シュニィちゃんも恥ずかしがってなかった?」


「まぁ、うん、顔を赤くしてたよ」


 俺がそう応えると、アリサが俺の頬を指でつついてきた。


「ほらほらぁ……で、それって今聞ける?」


 って、アリサお姉さん、散々反対してたのに聞きたいんですか!?


「変身しなきゃダメ?」


 言いながら、あ、と思いついた。


「ちょっと待ってね」


 俺はメンテナンスモードを起動し、ベルトだけ部分変身をした。そして、ルビーにそっと指を這わせる。


『フレイムモード』


 シュニィの声が響いた。


「あら、案外いいわね。彼女の声、こういうの似合うわね」


「だろ?」


 俺がそう言って微笑むと、


「ヒュージ、調子に乗らないの」


 再び頬をつつかれた。


「罰として、いっぱい気持ち良くさせて?」


 アリサはそう言うと、いきなり俺の唇を奪った。




 アリサとの濃密なひと時を終え、俺はまどろみかけていた。アリサは快楽の後の疲れが心地よかったのか、もうすっかり夢の国の住人となっていた。


 そんな中、ずりっ、ずりっ、と何かを引きずるような音が俺の脳内に侵入してきた。


「んっ……ぅんッ……」


 何やら艶めかしい声も聞こえてくる。

 しかし、俺の身体は動くことを拒否していた。頭もぼんやりとしている。


 やがて、その音はベッドの俺が寝ている側の下で止まった。

 そして、ひたっと何かが俺の左腕に触れた。


「……ュージ、さんっ、……す、けて……んっ……」


 その声の主は苦しそうな声で訴えてくる。


「……あッ……アンッ……」


 その嬌声に交じり、くちゅくちゅっと濡れた何かをかき回すような音も聞こえてくる。


 少しずつ、意識が戻ってくる。この声はシュニィのものだ。だが、彼女の手が触れている俺の左手は、まるで金縛りにあったかのように動かない。


「ヒュー、ジさん……私を……だ、いて……ッ」


 俺は左側を向こうと首に力を入れるが、身体が言うことを聞かない。


「ア……ア、……サ……!」


 声すら出せない。今や意識はハッキリとしているというのに。


 いつの間にか、左に膝立ちのシュニィがいた。

 俺はかろうじて動く眼だけでシュニィの姿を見た。その姿は全裸だった。彼女の左手は俺の左腕をしっかりと握り、右手は彼女自身の股間へと伸びていた。下腹部の淫紋が怪しく薄っすらと紫色に輝いていた。その目からは涙を流し、半ば快楽を求め、半ば苦しそうに顔を歪めていた。


 シュニィの左手から紫色の光が薄っすらと洩れ、まるで俺の体に浸透しているようにも見える。


 そして、俺の股間はがっちりと勃起していた。


 シュニィを妨害するものは何もない。


 だが俺は自分の意思を剥奪され、今にも逆レイプされようとしていた。頼むシュニィ、やめてくれ!俺の最愛の人の横で行為に及ぶなどそんな真似はやめてくれ!


 心でいくら抗っても、身体が言うことを聞いてくれない。


 頼むアリサ、気付いてくれ!


 だが俺の心の叫びも空しく、シュニィはベッドへと上がってきた。そして俺の腹の上に馬乗りになる。


「ヒュージ、さん……ごめ、んなさい……でも、あなたが、欲しいのッ!」


 俺の男根がシュニィの右手に握られた。そして、彼女の女芯の入り口が俺の男根の先でくちゅくちゅとかき回される。


 俺の目に涙が溜まるのがわかった。頼む、アリサを裏切るような真似を俺にさせないでくれ!


「ダ……メだ、……ュニィ!アリ……サ、助け……くれ!」


 その時、アリサが俺の方に向かって寝返りを打った。と同時に、何か違和感を覚えたのか、アリサがゆっくりと目を開けた。


「ヒュージ!?え、シュニィ!?」


 アリサがガバリと起き上がり、シュニィの身体を押しのけた。そしてアリサはベッドから飛び降りると作業机から解呪のプレートをつかみ取り、ベッドの上で仰向けに倒れ込んだシュニィの下腹部にそれを当てた。


 と同時に、俺を拘束していた謎の力が解除された。


「ハァ、ハァ、アリサ、ありがとう。助かった」


 俺の目から涙があふれていた。


「ヒュージごめん、もっと早く気付いてあげられなくて」


「いや、助かったよ。あと少し遅れてたら、俺はきみを裏切ることになってた」


 俺はそう言ってアリサを抱きしめた。感謝しかなかった。愛する人を裏切るようなことだけは絶対にしたくなかった。


 やがてシュニィも落ち着きを取り戻していた。シュニィも身体を起こして、プレートのチェーンを自分で留めると、大粒の涙を溢していた。


「ヒュージさん……本当にごめんなさい……」


 わかっている。彼女が本心から俺を求めていたわけではないことも、自分の意思で俺を襲おうとしたわけではないことも。


 全てはレーヴェウスに刻まれたこの忌まわしい淫紋という呪いのせいなのだ。

 こんな形で人の恐怖心を煽ってくるあの魔王の事を俺は心底憎んだ。




 翌朝。


 アリサは淫紋の呪いの仕業と割り切って、シュニィを責めることは一切なかった。


 それは俺も同じだ。俺の貞操の危機は守られ、シュニィも自分の身に起きたことをつらく感じているのが目に見えてわかった。そんな彼女を責められるわけがない。


昨夜ゆうべ、最初は落ち着いて眠れると思ったんです。けれども、枕についたヒュージさんの匂いを嗅いだ途端、身体の奥がものすごく熱くなって……最初は自分でどうにかして抑えようと思っていたんですが、その……無性に我慢できなくなってしまって、気が付いたらあんな真似をしてしまっていました」


 シュニィは顔を真っ赤にしながらそう告白した。


「悪魔は、魔王は人間の欲を操って卑劣な真似をするんだ。きみが悪いわけじゃない」


「そうよシュニィちゃん。そんなに自分を責めないで。私たちは大丈夫だから」


 だがそう言いつつ、俺の心の中にはしこりが残っていた。俺の男という性質上仕方ないこととはいえ、アリサ以外の女性に欲情して勃起してしまったことは、恥じ入るべきだ。


 無論、俺も聖人君子ではないから一切の煩悩を捨てるなど不可能だ。ましてやシュニィほどの美女に、ああいう形でとはいえ迫られれば欲情の一つや二つはしてしまうだろう。


 だがそのことが、俺にとってはアリサに非常に申し訳ない、と思うのだ。実際、もし仮に俺がシュニィに対して欲情してしまったことを責められても、俺には弁解の余地はない。ただただアリサに対しては申し訳ないとしか思わないし、自己弁護など絶対にしない。


 無意識に俺が涙を流していたことからも、アリサを裏切りたくないという思いがまごうこと無き本心だと自分でもわかる。


 裏切りかけた。こんな事なら、股間も改造されていればよかった。せめて、本当に好きな人以外に反応しないように自制できるくらいに。



 アリサは解呪のプレートの仕上げに取り掛かっていた。長時間身に付けていても肌の負担にならないように磨きの作業を行っていた。


 俺はシュニィにリビングで待っててもらうように言うと、一人で作業部屋に籠っているアリサの元に行った。


「アリサ……その、ゴメン」


 俺がアリサにそう言って頭を下げると、彼女はあっけらかんとした口調で、


「え?ヒュージ、何か私にあやまるようなことしたっけ?」


 と返してきた。


「いやその、昨夜のことだよ。……不覚にもアリサ以外の女性に欲情しちゃったこと、本当に申し訳なくて――」


「いや、逆に普通よそれ。シュニィだってあんなに魅力的だもの、ましてあんなにえっちなことされたら、興奮しない方がおかしいわよ」


「けれどもしあのままアリサを裏切ることになってしまったら――」


「その時はその時よ。私の魅力であなたを取り返すだけから」


 そう冗談じみたことを言うと、アリサは急に真顔になって俺の顔を見つめてきた。


「ヒュージ昨夜泣いてたじゃない。男の人が泣くなんてよっぽどの事よ。むしろそれだけ私のこと想ってくれてたんだって」


 やっぱりアリサは俺よりも大人だ。俺が思っている以上に俺のことをわかっている。俺が自分で気付かないことを、彼女はいつもこうして教えてくれる。


「ヒュージ、おいで?」


 アリサはそう言って俺の手を引っ張ると、俺の頭をその胸に抱えてぎゅっと抱きしめた。

 アリサの匂いが鼻孔いっぱいに広がる。彼女の声、抱きしめる腕、俺の顔を包み込む柔らかな胸、俺を見つめる瞳、全てが狂おしいほどに愛しく思えた。俺はやっぱりこの女性を心の底から愛しているんだ、と。





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