第十一話  解呪の薬

 俺が家に戻ると、アリサが困り果てた顔で俺に助けを求めてきた。


「ダメ、全然仕事にならないのよ。ヒュージ、シュニィを見ててくれない?」


 言われ、俺はシュニィの様子を伺うと、シュニィは昨日よりかは幾分マシとはいえ、やはりその顔は女の色気で満たされていた。しっかり心を自制しなければ誘惑されてしまうくらいには淫靡だ。


「女性ってここまで色気を出せるものなのか……」


 俺は半ば呆れながらそう言った。


「これがアリサだったら俺も喜んで襲われるんだけどな」


「あら、私に色気が無いってこと?」


「違うよ、むしろ必要以上の色気なんていらないよ。アリサだってすごく色っぽいんだから。自覚してる?」


 するとアリサは機嫌良さそうにフフッと笑みをこぼす。


「さて、と。さっそく試してみようか」


 俺はそう言ってバッグから解呪の王冠を取り出した。


「それが……解呪の王冠?」


 うん、と頷いて、俺はシュニィの目の前に立った。

 そして、ゆっくりとその王冠をシュニィにかぶせる。


 すると、シュニィの着ている服の上からもわかるほどに、彼女の下腹部が眩しく輝きだした。と同時に、シュニィが苦しみの表情を浮かべる。


「い、いや、やめてッ!」


 絶叫に近い声でシュニィが叫んだ。


 アリサが咄嗟にシュニィの服をめくり上げる。

 シュニィの淫紋が激しく輝く中、その中央にある七芒星から血が滲んでいた。

 俺はその様子に困惑し、シュニィの頭の上から王冠を取り上げた。


「どういうことだ?」


「ヒュージ、たぶん彼女、妊娠してる。しかもレーヴェウスの子」


 アリサの表情が深刻さを告げていた。


「解呪の力に七芒星が逆らっているわ。このまま続けていたら、この子きっと壊れてた」


 アリサは言いながら、持っていたハンカチでシュニィのお腹の七芒星から滲んだ血を拭っていた。


「まずはやっぱり身体の内側からアプローチした方がいいわね。急いで薬を作るわ。ヒュージはシュニィを見ててあげて」


 俺はわかった、と応え、苦しそうな表情を浮かべているシュニィをそっと抱きしめ、ポンポンと背中を軽く叩いた。


 俺のその様子を見て、アリサは少し安心した顔で仕事部屋へと向かった。




 シュニィはやや落ち着いた様子を見せ始めると、時々しかめっ面を見せるようになった。その目には苦しみや悲しみといった感情が滲んでいた。


 解呪の王冠の力で正気を一時的にでも取り戻したのだろうか、自分を襲った出来事に苦しんでいるようにも見えた。


 冷静に考えれば、彼女はおよそ三週間にわたって悪魔に犯され続けていたのだ。その苦しみたるや、とてもじゃないが今の俺には想像もつかない。お互い想い合って身体を重ねたわけではない。一方的な暴力、しかも女性ばかりがリスクを負う性暴力を、人ならざる者から受け続けていたのだ。


 しかも今の彼女は、魔王レーヴェウスの子を孕んでいるという。その事実を正気の際に突き付けられたら、心が壊れてしまうかもしれない。


 俺は何気なくシュニィに目を向けていた。先程の苦しんでいた光景が脳裏に浮かび、どことなく心が痛む。


 ふと、シュニィが口を開いた。


「ヒュージ、さん……」


 俺の名を……呼んだ?


「どうしたんだ?聖女様」


 言うと、シュニィが心細そうな顔で俺に手を伸ばしてきた。

 俺はその手を取り、軽くギュッと握った。すると、シュニィはおずおずと俺の近くに来て、俺に抱き着いた。


「辛いのか?」


 俺の問いに、シュニィが頷く。

 俺はシュニィを軽く抱きしめ、先程のように背中を軽くポンポン、と叩いた。


「私……怖いんです。襲われたことも、自分が乱れることも」


 シュニィは自分の痴態も認識しているのか。自分の変わり様に恐怖を抱いているのだ。


「大丈夫だ聖女様。アリサと俺がなんとかするから」


「ありがとう……ございます」


 そう言いながら、シュニィの俺を抱きしめる腕に力が込められる。

 シュニィは震えていた。

 俺も、抱きかかえる腕に少しだけ力を込めた。それによってその震えが治まってくれればいい、と思いながら。




 やがて、夕方近くなってアリサが仕事部屋からポーションのボトルを一瓶もって出てきた。

 シュニィはあれからずっと俺にしがみついていた。幸いまだ乱れる様子は見せていない。


「できたわよ、強化解呪薬。過去に淫紋に使われた実例のあるポーションのレシピを参考にしたから、少しは効果に期待が持てると思う」


 ボトルに入っていたポーションは、淡い緑色をしていた。


「シュニィちゃん、どうぞ」


 アリサに手渡されたボトルを、シュニィは恐る恐る受け取った。そして蓋を取ると、クイッと一気に飲み干した。


 すると、先程と同じようにシュニィの下腹部が光る。


「ちょっとごめんね」


 アリサがシュニィの服の裾をめくった。

 輝き方は、解呪の王冠をかぶせた時よりは弱い。だが、何より違うのは七芒星も同じように光っているという事だった。またシュニィが苦しんでいる様子もない。


 やがて、光が終息した。


「淫紋が薄くなったわね。調子はどう?シュニィちゃん」


 するとシュニィは弱々しいながらもハッキリと答えた。


「はい、自分の中にいたもう一人の自分の存在が薄くなりました」


 なるほど、もう一人の自分か。自分の別の側面が強調されていたのだろう。


「そうか、ひとまず良かったね聖女様」


 俺がそう声をかけると、シュニィは何かを思い出したかのようにハッとした表情を見せ、慌てて俺から身体を離した。


「あ、あのっ、ごめんなさいヒュージさんっ!」


 シュニィの顔が赤くなっていた。


「いや、大丈夫だよ。きみは何もあやまるようなことしてないよ」


 俺の言葉に、シュニィは無言でフルフルと首を振っていた。


「ア、アリサさんもごめんなさい!それと、ありがとうございます、薬の事」


 アリサもあやまられてきょとんとした顔をしている。


「私もあやまられるようなこと何も無いわよ?大丈夫?シュニィちゃん」


「い、いえ、結婚している方の旦那様に抱き着いたり淫らな真似をしてしまって……本当にごめんなさい!」


 ああ、そういう事か――。


「大丈夫よ、呪いのせいって私たちはわかってるから逆に気にしないで。それと、私たち恋人同士ではあるけど、まだ結婚してないからそこだけは訂正しておくわね」


 アリサの言葉にシュニィはハイ、と頷くと恐る恐る俺の方を見てきた。


 俺もうん、と頷いて返す。だがやはり照れがあるのか、シュニィは俺の方を見ると顔を赤くするのだった。




 その後、夕食の後でアリサがシュニィと入浴し、俺はその後で一人で風呂に入った。一人での入浴は随分と久しぶりだった。


 シュニィは俺たち二人とは随分打ち解けてくれたようで、入浴後にお茶を飲みながら、色々と話を聞かせてくれた。


 自分がいま置かれている状況を彼女ははっきりと認識していた。自分が受けた辱めを彼女はしっかりと真正面から受け止めていた。彼女はものすごく心の強い女性だと思う。普通なら心が壊れても仕方がないような事実を受け止められるだけでもすごいことのに、しかもそのことをほとんど見ず知らずの俺たちに、自分の言葉で語って聞かせるのだ。


「さて、実はもう一つ試したい事があるのよね」


 不意にアリサがそう言って、テーブルの隅に置いてあった解呪の王冠を手に取った。すると、アリサは解呪の王冠に鑑定の詠唱を始めた。


「……ふむふむ。この王冠、解呪の力は王冠の中央にある宝石に込められているようね。王冠自体の素材はミスリルで宝石の力を拡散するようにできているわ」


 そう言うと、アリサはシュニィの隣に移動した。


「シュニィちゃん、ちょっとごめんね」


 言ってアリサはシュニィの服の裾をめくり、淫紋が見えるようにすると、その中央の七芒星に王冠の宝石を当てた。


 すると、淫紋が再び強烈に発光しはじめた。七芒星は王冠の陰に隠れてみることができない。


「シュニィちゃん、つらかったら言ってね」


「だ、大丈夫です。お昼みたいな痛みとかは無いです」


 やがて、王冠を当てたままでも発光がおさまった。淫紋自体は消えてはいないが、薬を飲んだ後よりも色は薄くなっている。


「やっぱり薬を飲んでもらって正解だったようね。身体の中からも解呪の力が働いているから、身体が王冠の力をすんなり受け入れたみたい。完全には解けていないけど、少なくとも――」


 アリサは言いながら王冠を離す。すると、七芒星に紫色の光が走っていた。


「――七芒星を通してシュニィちゃんの子宮には解呪の力が働き続けるようね」


 王冠を外したことで、淫紋の色が少しづつ濃さを取り戻しつつあったが、薬を飲む前までの色には戻っていない。


「ヒュージ、この王冠、シュニィちゃん用に形を変えてもいいわよね?」


 突然話を振られたが、もちろん拒否するつもりはない。アンゼリカ王妃も聖女のためならはきっと許してくれるはずだ。


「うん、問題無いと思うよ」


 するとアリサは、


「じゃ、今からちょちょっと作業しよっか。シュニィちゃん、サイズ測りたいから一緒に来て。ヒュージも手伝ってくれる?」


 と、シュニィの手を引いて作業部屋に行った。俺もその後を付いて行く。


 作業部屋へ行くと、アリサはまずシュニィのウェストのサイズをテープメジャーで測定した。サイズを測ると、近くにあった紙にメモをつけてゆく。


 ちなみに、この世界にはもちろん独自の単位というものが存在する。ただ、俺のコンピュータは地球、特に日本での単位を元にセンサーの測定機能が働くため、俺はこの世界の単位も自分用の単位に換算して使っている。


 また、この世界の時間も同様だ。まだ技術的に時計自体は存在しないが、これも俺のコンピュータがきっちり時間を計測しているため、それに従っている。どういう理屈かは知らないが、一日がほぼ二十四時間なのは地球と一緒だ。


「シュニィちゃんスタイルいいわね、身長は私と同じくらいなのに、ウェストは私よりも細いのね。羨ましいわ」


 ちなみにアリサの身長は百六十二cm、シュニィは百六十三cm。俺は百七十八cmだ。


 なお、俺の見立てではおっぱいはアリサの方が大きい。ウェストもシュニィの方が細いとはいえ、アリサとの差は誤差の範囲だ。自慢じゃないがアリサもスタイルの良さは抜群だ。


「さて、まずは王冠を切り出さないと。シュニィちゃんの淫紋を覆い隠すくらいの面積は欲しいのよね」


 言って、作業机の棚にある中から薄手の紙を引っ張り出し、シュニィのお腹に当ててトレスしてゆく。


 もちろん、この世界の紙は貴重品だ。ましてトレスができるほどの薄い紙など恐ろしく値が張る。しかし、アリサはそれを自分で作り出すことができる。魔術と錬金術を用いて。


 アリサの恐ろしいところは、まるでスポンジのような知識吸収力だ。今彼女が線を引くのに使っている紙巻き鉛筆も、俺が教えた原理を元に芯を錬金術で生み出し、彼女が作り出したものだ。


 ささっとトレスを終えると、王冠の内側にその紙を当て、魔法で固定させた。そして何やら呪文を唱えると、アリサの指先から細い熱戦が出始めた。そう、まるでレーザー光線のように。


 そしてみるみるうちに王冠をカットしてゆく。カットしながらも、王冠の意匠は活かしているところがアリサのこだわりだ。


 カットを終えると、革でできた台の上に裏返しに置き、当て木を使いながら切り出した部分をやや平らに伸ばしてゆく。そして、プレート上の、元が王冠とは思えない装飾品のようなものがいつの間にか出来上がっていた。


 それを再びシュニィの服の裾を無造作にめくって、淫紋の上にぺたりと当てた。宝石の位置がちょうど七芒星のあたりに来るように切り出したようで、先程王冠を当てた時と同じくらいの光量と思われる光が、隙間から溢れてきた。


「どう?つらくない?」


「ええ、大丈夫です」


 その答えに満足したのか、アリサは再びそのプレートを引きはがすと、王冠の残りの部分を石でできたボウルに細かく砕いて入れ、魔法でそれを溶かし始めた。そしてごそごそと机の下にあるレンガか何かを取り出し、作業机の上にドンと置いた。鎖用の鋳型だった。


「ここからは少し時間かかるから、二人でリビングに行ってていいわよ」


 言われて、俺とシュニィは作業部屋から追い出された。

 いやちょっと待て、俺は何も手伝っていないぞ?





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