第十話 淫紋
聖女シュニィの有様を見たシネッサ
モリアにとってシュニィは、まるで我が子のように聖女としての役目を教えた存在だったのだという。その娘同然の聖女がこのような形で穢され、そして呪われて帰ってきたことに、彼女は大きく哀しみの声を上げた。
やがて落胆の空気がひとまず落ち着くと、俺とアリサはモリアに色々と聞いてみることにした。
「彼女の淫紋を消す方法に、何か思い当たりはありますか?」
俺の問いに、モリアは
「消す方法があったとしても、それができるのはシュニィ自身しかおりません。あとは遠くにいる別の強力な聖職者を頼るくらいしか無いですね」
「最も近いところはどこになりますか?」
「ここから一番近いところとなると、オブグラッド寺院でしょうか」
オブグラッド寺院。エカール百八神という神を祀る、
イメージとしては、少林寺拳法なんかが近いのだろうか。その寺院の高位の僧ならばもしや、という話だ。
しかし、近いと言っても山間を歩く行程となるため、一か月はかかるという。馬でも行けなくはないが、せいぜい十日ほど旅程が短くなるくらいだそうだ。
その旅程を、今のシュニィに同行させるのは正直言って難しいだろう。
「いくつか試したいことがあるの」
不意にアリサがそう言った。
「淫紋を消すことは難しいかもしれないけど、効果を弱めたり一時的に無効にすることはできるかもしれないわ」
「聖なる力に頼らず、魔術でってことだね?」
俺の問いにアリサはうん、と頷く。
「二、三日、うちで聖女を預かってもいいですか?」
アリサはモリアにそう尋ねた。
「ええ、もし何か方法があるのでしたら、こちらからお願いしたいくらいです」
モリアはそう言って頭を下げた。
その後、俺たちはおやじさんのテントで今後のことについて話し合った。
まずシュニィの淫紋を何とかすること。消すのは無理でも、弱める方法を何とか探すということで落ち着いた。
それが終わったら、シネッサ聖女修道院の地下に潜り、魔王カッツエル討伐に向かい、それを封印すること。
そこで問題になったのが、おやじさんが持っている魂の封印石のことだった。前回のレーヴェウスの時と違い、今は俺とアリサが共に行動しているため、封印石をアリサに預けよう、ということになった。それならば、倒してすぐに封印が可能だ。
伴ってアリサが危険な目に晒されることになるが、そこは俺が責任をもって全力でアリサを守る、という事でおやじさんは納得してくれた。
カッツエルを討伐後、シュニィの淫紋を本格的に解くためにオブグラッド寺院へ行く事も決めた。そして、それについてはおやじさんから新たな情報を得た。
オブグラッド寺院も、トライスタの修道院やシネッサ聖女修道院同様、魔王を封じる役割を担っているのだという。そこに封じられているのは、魔王序列第六階位・苦痛の王子ゲパルエルと、魔王序列第五階位・欺瞞の王子レパルエル。その二体は双子なのだという。
そして、レーヴェウスが次の目的地として向かうのも、きっとオブグラッド寺院だろう、というのがおやじさんの見解だ。
レーヴェウスの目的は、きっと世界各地の魔王の封印を解き、人間界を我が物とすることなのだろう。だが、それは同時に魔王を魂の封印石に封印するチャンスでもある、と賢者連盟は考えているようだ。一つの石に七魔王全てを封じれば、それを監視することは今までよりも容易くなる。そして、それを砕く方法を何とか見つけ出し、永久に七魔王を放逐することこそが、賢者連盟の真の狙いだ。
俺が思うに、聖女シュニィの存在は今後の対魔王の戦いの中で大きな鍵となると見ている。彼女の呪いを解き、俺たちの助けとなってもらえれば、その聖なる力は大いに役立つ。
おやじさんは、レーヴェウスの行動を探るために一足早くオブグラッド寺院へ向かうと言った。俺たちが毎晩ポータルで自宅に戻ってる事を告げると、緊急で何かあった時は家の方に使い魔を送る、ということになった。
そして、その日俺たちは家にシュニィを連れて帰ってきた。
正直なところ、不安は色々ある。服を着せても相変わらずシュニィは淫らな言葉を口に出し、その態度はまるで俺を誘っているかのようにも見えた。
だが俺には彼女のその望みは叶えられない。シュニィがそれでどれだけ辛かろうが、耐えてもらうしかないのだ。
「そう言えばアリサ、何か思いついたことがあるって言ってたけど……」
「ええ、一昨日ヴァンパイアの牙を手に入れたじゃない?強力な解呪の薬を作れる材料になるって。それを試してみようかと思って」
そうだ、アリサは確かにそう言っていた。それでもしこの呪いの力が少しでも弱まるのなら儲けものだ。
「なるほど。……ところでさ、シュニィはこのまま自由にしちゃうの?俺、襲われそうなんだけど――」
油断も隙もないのだ。淫らな顔で俺にすり寄ってくる。
「やっぱりつらい?」
「襲われるならアリサに襲われたいよ」
「冗談を言えるうちは大丈夫ね」
いや、冗談じゃなく割と本音だったんだが……。
それにしても、てっきりアリサはシュニィの行動に対して焼きもちを焼くのかと思っていたが、意外とそういう面は見せない。俺的には焼きもちを焼くアリサも見てみたいのだが。
だが、シュニィが本当に好きでもない男に穢されたことを後で知ったら、その時はどれほど傷つくのだろうか?その気持ちを想像するだけで心が折れそうになる。
アリサだってシュニィのことをきっと俺と同じように感じているはずだ。彼女が努めて明るく振舞っているのは、その裏返しなんだとわかる。
「アリサ、俺も一つ思い当たることがあるんだ」
俺はなんとなく薄っすらと頭の中で考えていたことをアリサに告げることにした。
「アンゼリカ王妃の呪いを解いた解呪の王冠、使えないかな?」
「ヒュージ、名案じゃない!私もそれすっかり忘れていたわ」
あの王冠は他でもない、レーヴェウスがアンゼリカ王妃にかけた呪いを解いたものだ。ならば、同じレーヴェウスの呪いなら解けるかもしれない。
そう思い、俺はそれとなくシュニィの顔を見た。
シュニィは、自慰をしていた。
「ヒュージ、シュニィをお風呂に入れるの手伝ってくれない?」
アリサがシュニィを伴って浴室に入っていった後やや少しの時間が経ってから、彼女は浴室のドアから顔を出してそう言った。
「え?いやアリサ、それはちょっと無茶なんじゃないかなぁ?」
「え?どうして?」
平然と聞いてくるのがアリサらしいといえばアリサらしいのだが。
「アリサ、俺だって一応男なわけだし、まして今のシュニィに俺が裸で接するのはちょっと危険じゃないか?」
ああ、そういう事か、とアリサはやっと理解したようだった。
「ヒュージはシュニィに襲われるの嫌なんだ?」
「当たり前だろ!俺はアリサ一筋だよ!まかり間違って俺が本当にシュニィに襲われたらアリサだって嫌だろ?」
「事故なら仕方ないかなとは思うよ?」
「思うのかいっ!?」
仮に事故で襲われたとしても、他の女の子と身体を重ねるなんて俺はご免だ。ここは大変でもアリサに何とか頑張ってもらう外はない。
「って、冗談よ。手伝ってもらいたかったのはホントだけどね」
ニヤニヤ笑いながらアリサは言う。アリサは予想外なところで大胆なのが困る。二人っきりの時ならそれも歓迎なのだが。
「まあ、大変とは思うけど綺麗にしてあげてよ、シュニィもせっかくの美人が台無しだからさ」
俺がそう言うと、アリサはしぶしぶ浴室に引っ込んだ。
その夜、シュニィを寝かしつけるのも一苦労だった。結局最終的にはアリサが魔法でシュニィを眠らせたのだが、そこに行きつくまでがまた一苦労だったのだ。
だが眠りについたシュニィは、その見た目通り美しい女性だった。淫紋などという忌まわしいものさえ刻まれていなければ、淑やかで高潔そうに見える女性なのだ。
俺たちは普段一緒に寝ている元俺の部屋、現寝室にシュニィを寝せ、最近はすっかり使われなくなったアリサの作業部屋のベッドで夜を共にした。
お互い疲れていたし、昼間の塔での出来事があまりにも艶めかしすぎて、アリサにいたってはその光景に吐いてしまったものの、その後のシュニィの痴態にはやはりお互い思うことがあり、どちらからともなくお互いを求めあった。肉欲に溺れたのだとは思いたくない。お互いが愛を確かめたかったのだと思う。少なくとも俺はそうだった。俺が愛しているのはアリサ一人だし、俺はアリサ一人だけを見つめていたい。何よりも、誰よりも彼女が好きで大切で、彼女のためにその生涯を費やしたいと思っている。だから、俺が抱くのはアリサだけでいい。淫らになるならそれもアリサとだけでいい。
その夜のアリサは普段よりも激しかった。まるで貪るように俺の唇を求め、いつもよりも深く深く身体を沈め込んだ。だがその気持ちは痛いほどよくわかる。俺との情事で、昼間の忌まわしい記憶を上書きしたいと思ったのだろう。俺とて同じだ。
俺とアリサは激しく愛し合い、俺はアリサの中に己の高まりを思う存分解き放った。
そして翌朝。俺はどういうわけか左右にやわらかさと温かさを感じて目を覚ました。俺の右にはいつもの通りアリサが眠っており……そして、俺の左にはシュニィが眠っていた。
「ちょ、ちょっと待て!」
俺は思わず叫び声を上げた。その俺の声に、アリサも目を開けた。始めは惚けていたアリサも、シュニィの姿を見るなり声を上げた。
「ど、どど、どういうこと!?」
「俺が目を覚ましたら横で寝てたんだよ……」
唯一の救いは、シュニィが眠っているという事実だった。これがもし、目を覚ました状態で俺に何かをしていたなら、それこそ目も当てられない。
「ヒュージ、どっちが気持ち良かった?」
「いや、どっちも何も、俺はアリサしか知らないしアリサ以外で気持ち良くなりたいなんて思わないよ」
俺がそう応えると、アリサは嬉しそうに俺にキスをした。
「そのまま寝かせておいてあげましょ。きっと人肌が恋しかったのよ」
実際、シュニィは寝る前に着替えさせたパジャマのままだった。俺とアリサはもちろん裸だったのだが。
俺たちが朝食を終えた後も、シュニィはずっと眠っていた。
「アリサ、俺、城の地下に行ってくるよ」
「うん、なるべく早く戻って来てね?私も今のうちに薬の方、進めておくから」
アリサをシュニィと二人きりにさせるのにはいささか不安もあったが、まずは打てる手を打っておくに越したことはない。
俺は家を出てから、まっすぐ城の外壁の裏手に向かった。
トライスタ城は、レーヴェウスが地上に出た時に大きく破壊され、半壊状態となっている。城の右側はほとんど破壊され、左側三分の一程度が残されている程度だ。
本来ならば城の右側から階段を降り、城の地下に向かうのが正しいルートなのだが、瓦礫と化した城を整理して階段を探すなど途方もない時間がかかる。
そこで、俺は裏手から直接地下に潜れる階段に向かったのだった。
地下一階の監獄を抜け、そのまま拷問部屋がならぶ地下二階に抜けた。頭の中に刻まれたマップを思い出し、俺はアンゼリカ王妃の遺体が眠る祭壇の部屋へと向かった。
祭壇の部屋は相変わらずの状態だった。置かれている蝋燭には一切の炎が無く、そして祭壇の中央には、アンゼリカ王妃の死体が足を延ばした状態で置かれ、首の上には切断された頭部が乗っていた。そしてその頭部には、セドリック王から託され、俺がその頭部にかぶせた解呪の王冠が置かれていた。
アンゼリカ王妃の遺体は一切の腐敗もなければ乾燥しているでもなく、ここで死を迎えた時と変わっていなかった。いったいどういう理屈だろうか?
屍蝋という現象があるが、あれは適度な低温と湿気があり、そして長い年月をかけて死体が蝋化していく現象だったはずだ。わずかひと月半程度で起きうることではない。
俺はアンゼリカ王妃の遺体に手を合わせ、その冠をお借りします、と心の中で念じた。
俺が知る限りでは、アンゼリカ王妃の魂はあの世へと行き、今頃はセドリック王と共に死後の世界を過ごしているはずだ。きっとこの冠も、快く貸してくれることだろう。
俺はそっと冠を持ち上げると、それをバッグにしまった。
さて、アリサには早く戻ってきてほしいと言われていたが、俺はもう一カ所、地下で訪れたい場所があった。地下三階、幽霊のいる間の骨の山だ。
まだあの階には、ソーニャ達の魂がいる。あの骨の山を焼くことで彼女たちが成仏できると言っていた。
今の俺には、あの骨を焼く手段がある。ゲッコー丸……神刀・真月の力の一つに、聖なる炎を灯す『浄炎』という力があることを知った。その炎ならば、あの骨の山を清め、ソーニャ達を安らかに送ってやることができるはずだ。
俺は地下二階の大きな鉄の扉がある場所を目指した。そこには、床をすり抜け地下三階へ行く階段がある。その場所に辿り着くと、俺は霊体を触れる事ができる指輪を嵌めている右手を床に当てた。すると、すっと床を通り抜ける感覚と共に、身体が階段へとすり抜けた。
そのまま階段を降り、俺は骨の山の部屋へと向かった。
今の地下三階の幽霊は、俺の姿を見かけても襲い掛かってくることはなかった。
そして骨の山を目指している途中、ソーニャが駆け寄ってきた。
「おじさん!お久しぶり」
ソーニャの顔はどことなく嬉しそうだった。
「骨を焼きに来たよ」
俺の言葉に、ソーニャの顔がパーッと晴れ渡った。
「お母さんとお父さんに会える!」
うん、と頷き、俺はソーニャの頭をくしゃくしゃと撫でた。
やがて俺たちは、骨の山の部屋へと辿り着いた。
あれから骨が増えている様子は無かった。
俺は背中からゲッコー丸を取り出して、静かに抜刀した。そして鞘をベルトに挟むと、その刀身にそっと手を当て、『浄炎』と念じた。
めらめらと、刀身に銀色の炎が宿る。
「よし、いくよ」
そう言って、俺は骨の中にゲッコー丸の刀身を差し込んだ。一瞬の間をおいて、骨の山に炎が燃え移ったのを確かめると、俺は山からゲッコー丸を抜き、そっと納刀した。
ソーニャの姿が徐々に薄くなっていくのがわかった。
「ソーニャ、あの世でも元気にやれよ」
俺の言葉に、ソーニャは大きくうん、と頷いた。
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