第九話  堕落の塔

 村人に教えられた道を辿ってゆくと、向こうに古めかしい塔が見えてきた。四階建てくらいだろうか。特に飾りらしい飾りはなく、積み上げられた石の表面も年月を感じさせるそれだ。


 塔に近づくと、何やら甲高い声が聞こえてきた。快楽とも苦痛とも思えるような嬌声だった。


「一体何をしているんだ?」


「なんか怪しい声よね」


 どこか空気が怪しげに思える。なんとなく気まずさを感じる。アリサの顔が薄っすらと桃色に染まっている。


「アリサ、大丈夫かい?」


 なんとなく答えはわかっているが、聞かずにはおれなかった。


「え、ええ、大丈夫よ」


 言いながら、アリサが俺の腕に抱き着いてくる。その声はどこか上ずっていた。

 それはそうだ、こんな怪しげな雰囲気に晒されれば、アリサのような清純な女性ならば気恥ずかしさを感じるだろう。俺だって気まずく感じている。

 塔の入り口は、木でできた両開きの扉だった。


「入ろうか」


 アリサにそう声をかけ、俺は扉に手をかけた。ゆっくりと扉を開く。


 そこに待ち受けていたのは、想像を絶する奇妙な光景だった。

 広い室内に、大きな檻が二つ。一つには男が、一つには女が、それぞれ十名ほど閉じ込められていた――全裸で。


 部屋の一角には、脱がされたのであろう衣服が山のように積み上げられていた。男物、女物の区別もなく、だ。


「た、助けてくれ!」


「ここから出して!」


 両方の檻から、助けを求める声が殺到する。

 檻には大きな錠がぶら下げられていた。


「壊すしか……ないよな」


 俺はアリサの顔を見ながらそう呟いた。

 俺の意図を察したのか、アリサは抱き着いていた腕を放し、一歩後ろへと下がる。

 俺は直ちに改造態へと変身した。すると、檻の中から俺を恐れるような声が聞こえてきた。


「大丈夫、敵じゃないですから」


 俺はそう言って、ベルトのバックルのエメラルドに触れた。

『ポイズンモード起動』

 と、腕に蛍光グリーンの毒液が滲みだす。


 俺はまず女性が捕らえられている檻の扉にぶら下がっている錠を掴み、毒液で腐食させ始めた。ジュウウと煙が立ち上り、錠の金属が黒く変色して溶けてゆく。やがて、ゴトリと大きな音を立て、錠が落ちた。俺は慌ててそこから離れ、


「この緑の液体には触らないでくださいね、強力な毒ですから!」


 そう言って、檻の扉を開くと、中に捕らえられていた女性たちは慎重に足を運びながら、山のように積み重ねられた服の方へ向かって行った。


「ありがとうございます!」


「たすけてくれてありがとう!」


 今にも泣きそうな声で女性たちはそう礼を言う。俺は続けて男の捕らえられている檻へと行き、同じように錠を破壊し始めた。やがて同じように錠を怖し、男たちを助け出す。


 俺は直ちにポイズンモードを解除した。

 助け出した男女は銘々が自分の服を山の中から見つけ出し、服を着て礼を言いながら外へと逃げて行った。数名が上の階を気にしているようだったが、俺は安全の為と外へと促した。


「上に行こうか」


 俺の言葉に、アリサが頷く。


 階段を上って二階に行くと、またしても信じられない光景が待ち受けていた。

 干からびた、全裸の男女の死体が無造作に積み重ねられていた。十二、三人分はあろうか。どの死体の顔も、なぜか満足そうな笑みを浮かべていた。


「なんなの、これ――」


 アリサの顔が辛そうに歪む。

 俺は思わず人間態へと戻り、アリサを抱きしめていた。アリサの両腕が俺の背に回され、その手はぎゅっと俺の服を掴んでいた。


 上の階からは、何人もの嬌声が聞こえてくる。どことなく艶めかしい匂いが漂ってくる。


 上の階で何が起きているのかは、見なくてもおおよその想像はつく。多くの男女が乱れているのだろう。声といい匂いといい、それ以外に想像がつかない。


「アリサ、辛いならきみはここで待っていて――」


「大丈夫、ヒュージがそばにいてくれるなら、私は大丈夫」


 服をつかむ手に、ぎゅっと力が込められた。


「わかった、上に行こう」


 俺はアリサの手を握り、さらに上の階へと足を踏み入れた。


 そこは、想像を絶する光景だった。

 総勢二十四人の男女――いや、十二人の男女と、十二人の悪魔が混じり、重なり合っていた。悪魔たちは男も女も、耳の上に肩ほどまである蝙蝠のような羽を生やし、尻からは小さな尻尾が生えていた。男は総じて筋肉質であり、女は胸と尻が大きくウェストがキュッとしまっていた。男はインキュバス、女はサキュバスだった。


 人間を下に組み敷き、サキュバスとインキュバスがその上で激しく腰を動かしている。あちこちから嬌声が溢れている。精液と愛液の混じり合った強烈な匂いが充満し、大量のフェロモンがまき散らされていた。


 俺の頭にも痺れに似た何かが押し寄せてくる。


 アリサがうっと声を上げ、部屋の隅に行くと屈みこんだ。


「アリサ、気持ち悪いなら吐いてしまった方がいい」


 俺は優しく彼女の背を撫でる。

 嗚咽と共に、アリサは胃の中のものを吐き出した。


 こんな光景、見るのもつらいだろう。ましてやアリサのような純粋な女性には、こんな禍々しいものなど嫌悪感にしかならないはずだ。

 俺は持っていた水筒をアリサに渡した。


「口の中をゆすいだら、ハンカチか何かで鼻を覆っているといいよ。ここで待っていて、俺がこれをやめさせる」


 言って、俺は改造態へと変身した。


(コンピュータ、悪魔からのフェロモンを特定してフィルターで除去してくれ)

『特定完了、フィルターを起動します』


 俺は人間と悪魔の乱交の場へと足を踏み入れた。すぐ近くで女性を犯しているインキュバスの首を後から掴み、そのまま空中へ持ち上げた。


「な、なにをす――」


 間髪入れず握力を込め、その頸椎を砕く。

 抱かれていた女は、恍惚の表情を浮かべながら半ば気を失っていた。

 続けて男に馬乗りになっているサキュバスの後から腕を首に回し、ゴキリと捻り首を折る。

 すると、馬乗りにされていた男が俺に向かって烈火のごとく怒り出した。


「せっかく最高に気持ち良かったのになんてことをしてくれるんだ!」


「あんた、このままだったら殺されていたんだぞ!?」


 俺は怒鳴りながら首をあらん方向へ向けて死んでいるサキュバスを指差し、


「自分が抱いていた相手が悪魔だってわかっていたのか!?」


 だが、俺の声は届かない。


 相手の怒鳴り声に辟易しながら、俺は人々を堕落へと貶めている悪魔共を次々と地獄へ送り返していった。


 やがて嬌声は男たちの怒り声と女たちのすすり泣きに置き換わった。


 それにしても――これは余談だが、サキュバスが男の精を吸って、快楽を与えながら殺すというのはわかる。だがインキュバスはどうだ?奴らも吸うのか?しかも女性から?

 だが現に、下の階で死んでいた女性や、今この場にいる女性の数名は明らかに命を吸われたようにやせ細っている。一説ではインキュバスは女性に悪魔の子を孕ませるための存在と言われているが、そんなことはインキュバスではなくとも、男の悪魔なら可能だろう。でなければ、イズニフの存在の説明がつかない。悪魔と天使の男女がまぐわい、その結果生まれるのがイズニフのはずだ。



 俺はアリサの元へ戻り、再び人間態になって彼女を介抱した。

 アリサは明らかに疲弊していた。


「どうする?これ以上が無理なら一度村に――」


「ありがと。でも、もう大丈夫。それに、まだ夢で見た場面に辿り着いていないのよ」


 そうか、予知夢の件があったか。ならば、それはこの上の階で待ち受けているのだろう。


 俺はアリサを支えながら、今だに乱れた姿で感情を乱している人々の視線の中、上の階を目指した。


 階段を上りきると、そこにもまた淫靡で堕落した景色があった。

 鎖で四肢を封じられているうら若い女性が、今まで見てきたものとは明らかに様子の違うインキュバスに激しく犯されているところだった。


 だがそのインキュバスは、これまでの連中とは違い、俺たちの姿を認めるとその行為をやめてこちらを向いた。


「彼女……よ」


 アリサがそうぽつりと言った。

 その女性――長く美しい金髪を振り乱し、うるんだ瞳は綺麗なブルーグレー。そして最も目を引くのは、下腹部に光るタトゥーにも似た何かの紋章だった。女性の内性器のような模様が刻まれ、その子宮と思しき部分には七芒星が描かれていた。


 七芒星。この世界では七魔王を示す、忌み嫌われた紋様だ。


 その女性は、乱れきっていても、そしてそのような紋章が刻まれていてもなお美しかった。


「何者だお前たちは」


 そのインキュバスは、不愉快そうにそう問うた。


「そういうお前たちこそ、ここで一体何をしていた!?」


 もはや俺の心には怒りしかなかった。

 人を餌のようにしか扱わない悪魔ども。中でも今回の連中は、快楽を餌に人々を陥れ、それを貪る下劣な連中だ。人間の肉欲を餌にし、それを好き勝手に吸い尽くし、人々を堕落させる。そんな連中を許せるはずがなかった。そして、その目的には不要とばかりに子供と老人を殺しまくったのだ。


「この堕落の塔はな、カッツエル様に苦悩と肉欲を捧げるために用意されたのだ。俺はここにいる聖女の無尽蔵の力をあの方に捧げるためにこうして快楽を貪っていたのだ。お前たちに邪魔される謂れなど無いわ」


「聖女……だと!?」


 ここで犯されている彼女が、拉致された聖女シュニィだというのか!?こいつらはそんな神聖な存在まで穢したというのか!?


「貴様……許さん!」


 俺はアリサからそっと離れると、目の前のインキュバスに対して構えを取った。


「変身ッ!」


 俺の体を黄緑色の体表が覆った。


「俺の名はヒュージ。改造人間ヒュージ。悪魔を地獄へ送り返す者だ!」


「このジャビア様をただのインキュバスだと思うなよ」


 ジャビアと名乗ったそのインキュバスは、目の前でみるみると姿を変えた。耳の上から生えている蝙蝠状の羽は背中まで届くほどに大きく広がり、その額からは二本の角が生えた。腕はより筋肉をつけ、禍々しく盛り上がる。屹立した男根が肥大化し、大蛇となってうねりだした。


「ゲッコー丸!」


 俺は背中に手を伸ばし、ゲッコー丸と取り出すと直ちに抜刀した。


「まずはその薄汚いモノを断ち切ってやる!」


 しかし、先制の攻撃を繰り出してきたのはジャビアだった。股間の蛇が大きく口を開け迫ってきたのだ。


「カエルは蛇に睨まれて固まっているがいい!」


 しかし、その大きく開いた口を俺は咄嗟にゲッコー丸で防ぐとともに、一気に刀身を引いた。瞬間、蛇の下顎から腹にかけてが水平に断ち切られ、だらりと垂れる。ブシャア、と大量の血が飛び散る。


「ギャァァッ!」


 ジャビアの絶叫が部屋に響き渡る。

 と、そこへジャビアを取り込むように八本の氷柱が出現した。アリサの攻撃だ。氷柱は次々とジャビアに突き刺さり、貫いた場所を氷結させてゆく。

 が、次の瞬間ジャビアの股間の蛇はたちまち傷を癒し、氷結した場所も元の色へと戻ってゆく。


「さすがは聖女様の生気だな、傷もたちどころに癒えるわ」


 俺はアリサの方をちらりと見やる。と、アリサがこくりと頷いた。

 再び氷柱がジャビアを取り囲む。と同時に、俺は指をバックルのサファイアへと添えた。


 『フロストモード起動』


 視覚情報と共に、俺の体がシアンに染まる。俺は咄嗟にゲッコー丸を納刀する。

 ザンッとアリサの氷柱が再びジャビアを襲う。次々とジャビアの体が氷柱に貫かれ、そこからまたジャビアの体が氷結してゆく。


 俺は氷結した身体を見極めた。左腕と下腹部――ならば下腹部だ。

 俺の鋭い蹴りがジャビアの下腹部を貫く。と同時に、氷結していた股間の蛇が瞬時に砕け散った。そしてすかさず俺はその蹴りをクンと上方に振り上げ、その左腕目掛けて振り下ろす。またしても氷結した腕が粉々に粉砕される。

 だが俺の攻撃は終わらない。振り下ろした蹴りは再び角度を変え、ジャビアの左側頭部を捕らえた。その大きな羽が粉々になる。


 一瞬で起きた出来事にジャビアは驚愕していた。

 砕け散った部分の根元がぐにぐにと動き再生しようとしているが、そうは問屋が卸さない。三度みたびアリサの氷柱がジャビアを取り囲み、またしてもその体を貫く。

 その一本がジャビアの鎖骨付近に突き立ち、首を中心に氷結が始まった。

 今こそ、最後の時。

 俺は右手に力を込めた。冷気が一気に右腕を鋭い刃へと変える。



「フロッグ――極寒チョップ」



 一閃。俺の手刀がジャビアの首を切断した。と同時に切り落とされた頭部がたちまち凍り、床に落ちると同時に砕け散った。身体は僅かの間再生しようとぐにぐにと動いていたが、やがてその動きがとまると、ばたりと崩れ落ちた。

 俺は変身を解くと、


「アリサ、ありがとう」


 と軽く手を上げた。パンッとアリサが俺の手のひらを叩いた。




 さて、と俺たちはジャビアの死体を跨ぎ、目の前で繋がれている聖女へと目を向けた。


 その淫らな姿は、正直目のやり場に困る。胸の双丘が弾み、淫靡に開かれている女芯からはだらだらと愛液が滴っている。


 聖女の目が訴えていた。もっと自分を犯してほしい、と。もっと淫らにさせてほしいと。

 だが俺にはその望みは叶えられない。


「なんとかできないんだろうか?」


「――今すぐは無理ね、淫紋が刻まれているから」


 アリサが眼をそらしながら言う。


「淫紋?あのお腹の……?」


「ええ。女性を淫らにさせる呪いの一種。きっと、レーヴェウスに刻まれたんだと思う。あれを消さない限りは難しいかも」


「消せ……るのか?」


「正直、自信ないわ。本当ならそれをできる本人がこうなっちゃってるから。でもやるだけやってみようよ、ヒュージ」


 そうだね、と応え、まずは彼女を解放するために再び変身した。そして彼女を縛り付けている鎖を引きちぎり、変身を解除すると俺はバッグからアリサが用意していた服を取り出した。下着一式と、ゆったりとした白のワンピース。


「ヒュージ、着せるの手伝って」


 いつまでも体をくねらせている聖女に服を着せるのは一苦労だった。


「パンツは履かせるだけ無駄ね……この調子ならすぐ汚しちゃうし」


 半ば諦めの口調でアリサはそう言うと、パンツを俺に渡してきた。俺はいそいそとそれをバッグにしまった。


 服を着させた聖女を二人で支えながら、俺たちは下の階へと移動した。そこにはまだ数名が動けず残っていたが、身体のやつれ具合を見るに、今すぐ助けるのは難しそうだった。あとで村の人を助けに来させよう。


 そして塔を出て、俺たちは村に戻るとおやじさんと合流した。村の生き残りの人々に一通り事情を説明し終えると、さっそく何名かが塔に向かった。


「さて、俺たちも戻るとするか」


 そう言うと、おやじさんがポータルを開いた。


「あ、俺たち馬を村の入り口につないでるんで、ちょっと待っててもらえます?」


 ああ、わかった、とおやじさんが頷いた。





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