第六話  伯爵夫人マリエッタ

 地下二階への階段は、さらに深くまで下っていた。階段を降り切る頃には、既に地下二十二メートルほどの深さまで下っていた。地下一階の空気よりも湿り気がある。


 降り立った場所はホールか何かのようだった。天井までの高さは約九メートル。

 ホールの広さはおおよそ二十メートルほどであろうか。


 奥の方が数段高くなっており、その中央には今までの玄室にあった石棺よりも装飾が行き届いたものが置いてあり――その上に、一人の女性が片膝を立てて座っていた。


 漆黒の美しく艶のある髪の毛に、青白い肌。黒を基調とした細身のドレスを身に纏っている。顔は全体的にシャープな印象で、冷たさこそあるが美人であった。しかし。


 その目には白目が無く、眼球は全て艶のある黒。口からはちらりと牙が覗いていた。


 片手にはワイングラスを持ち、その中には赤い透明な液体が注がれていた。

 その女性の傍らには、一本のワインボトル。


「ようこそ、私の封印の間へ」


 妖艶さを感じさせる声だ。


「私はヴァナール伯爵夫人、名はマリエッタよ、以後お見知りおきを」


 棺に座ったまま、女性――マリエッタはそう名乗った。


「封印が解かれてからおおよそ三週間――そろそろお客様が来る頃だとは思っていたわ。あまりにも退屈だったから私の方から出向こうかと思っていたくらいよ」


 なかなかにおしゃべりなヴァンパイアのようだ。


「それで、貴方たちは?」


「私はトライスタの魔術師アリサ・グリーバー。そして彼は――」


「俺の名はヒュージ。改造人間ヒュージ。悪魔を地獄へ送り返す者だ」


「……魔術師はわかるとして、ヒュージといったかしら。改造人間?おもしろいわね。カエル人間にしか見えないわ。それと申し訳ないけれど、私はヴァンパイア。悪魔では無いわ。だから地獄になんか用はないの」


 フフッとマリエッタは笑う。


「それで、貴方たちは何しに来たの?聖女がいないのなら、封印ではないようだけれど」


 そう言って、マリエッタはワイングラスに口をつけ、その液体を一口流し込む。


「封印ではなく、倒しに来た」


「愉快な事を言うわね。私の事を倒しに来たの?できると思って?」


 ニヤリとマリエッタは愉しそうに笑う。


「せっかく三百年ぶりに解放されたっていうのに、みすみす倒されるわけないじゃない。今ならまだ冗談として見逃してあげてもいいわよ?」


「さっきから聞いていれば、随分とおしゃべりなヴァンパイアねあなた」


 アリサがそう言って、マリエッタに杖を向けた。と、杖の先に野球ボール大の火球が現れ、マリエッタへ向かって解き放たれた。


 ゴウッという音と共に火球が炸裂する。しかし、その爆破はマリエッタを包むドーム状のバリアのようなもので防がれていた。


「いきなりご挨拶ね、魔女のお嬢さん」


 マリエッタは余裕の態度を崩さない。

 俺は咄嗟にアリサの目の前に立ち、構えを取る。


「……死にたいの?貴方たち」


 マリエッタのその言葉と同時に、彼女の纏う雰囲気が一変した。マリエッタはその手に持つワイングラスを一気に煽り飲み干すと、そのグラスを横に叩きつけ、ゆっくりと棺の前に立った。


 俺はジリジリと慎重に間合いを詰める。アリサが後で呪文の詠唱を始めていた。


 と、マリエッタが右手でパチン指を鳴らした。と同時に、その指先から小さな電気が青白い光を見せる。そのまま右手をブン、と横に振ると、剣のような形を保った稲妻が出現した。


 ならば。俺は右手でバックルのトルマリンに触れる。


 『ライトニングモード起動』


 そのまま指を滑らせ右端のアメジストに触れると、カチャリとグリップが飛び出した。俺はそのままグリップを引き抜く。ライトニングウィップ。


 俺とマリエッタは互いに睨み合いながら、隙を伺いあう。と、その時だった。


 マリエッタの頭上に十数本の氷柱が出現すると同時に、それが一気に突き立つ。周囲の空気がピンと凍り付く。が――。


 やはり先程と同じように、マリエッタはドーム状のバリアで魔法を防いでいた。


 だが、隙はできた。俺はすかさずウィップを打ち付ける。しかし、マリエッタの稲妻の剣がウィップを弾く。俺は咄嗟に手首をスナップし、弾き飛ばされたウィップを反対側に向けて打ち付けた。さすがに予想外だったのか、その一撃はマリエッタの左上腕に命中した。だが相手も電撃を纏っているのか、ダメージはない。


 俺は再びウィップを引き寄せると、剣を持つ右手目掛けて解き放つ。が、敵も咄嗟にその動きを読み、身体ごと左へと避ける。


「やるねぇ、ヒュージ。なら、これはどう?」


 マリエッタが笑いながら間合いを詰めてくる。そして右手の稲妻の剣を横に薙ぎ払う。俺は上体を後にして躱しながら、宙返りの姿勢で右足から蹴りを繰り出した。しかし、マリエッタもその蹴りを躱し、さらに左手のひらを俺に向けてくる。その手のひらからナイフ大の電撃の刃が飛び出してきた。すかさず姿勢を直し、俺は左手でマリエッタの左腕を払いのける。


 このヴァンパイア、確かに強い。その実力は口だけではない。

 と、再びアリサが呪文の詠唱を終えていた。


「ヒュージ!」


 アリサの掛け声に、俺は身体を右へ避ける。と、そこに紫色に光る魔法陣が飛び込んできた。


 その魔法陣はマリエッタのドーム状のバリアに衝突するが、魔法は消失しない。それどころか、魔法陣を中心にドーム状のバリアが消失していく。


「小娘め、解呪ディスペルか!」


 憎々しげにマリエッタが叫ぶ。

 アリサは早くも次の呪文の詠唱に入っていた。

 俺もアリサが邪魔されないように、マリエッタに向けて攻撃を繰り出す。


「セイッ」


 何撃かの打ち合いの末、俺の左拳のボディブローがマリエッタに迫り、その鳩尾に拳が叩き込まれる。そして俺の耳がアリサの呪文詠唱の終わりを捉えたと同時に、俺は後へ身を翻した。そこへ、床からいくつもの氷のスパイクがマリエッタへ向けて解き放たれる。


 その一本がマリエッタの左足を貫通した。と同時に左足が氷結を始める。

 だがマリエッタの行動は冷静だった。左手に炎を出現させ、凍り始めた左足を解かし始めたのだ。


 これは戦い慣れしているからこその行動だ。自身の体を解かしながらも、右手では相変わらず稲妻の剣を構えながら俺を牽制している。


 稲妻の剣は実体がないため、ライトニングウィップで搦め手を繰り出すわけにもいかない。


 俺はアリサの方を向きながら、ウィップをバックルに格納し、右手でバックルのルビーに触れた。その動きを見て、アリサが頷きながら呪文の詠唱を始めた。


 『フレイムモード起動』


 と同時に、アリサが呪文の詠唱を終えた。再び火球がマリエッタへ向けて放たれる。

 そして俺は、火球が爆発するタイミングに合わせてマリエッタの懐に飛び込み、その顔面へ向け正拳を打った。


「フロッグ業炎パンチ」


 アリサの火球が腹部を、俺の業炎の正拳が顔面を捉えた。

 マリエッタの体が後の棺に叩きつけられ、大きくバウンドする。


「やるわね、貴方たち。それどういう連携なの?躱せないじゃない」


 マリエッタが不敵な笑みを浮かべながらその場で立ち上がる。シュゥゥと音を立てながら、左顔面と腹部に受けた火傷が煙を上げ、傷が治っていく。

 なんなんだこの強さは!?下手な悪魔よりも遥かに手ごわい。


「このままなら殺されるわね私。そろそろ本気で行かせてもらうわ」


 そう言うと、マリエッタの目が黒から赤に染まった。それと同時に、左腕の形が変わってゆく。まるで巨大な蝙蝠の羽のように。その先端には鋭い爪が光り、翼膜の縁もまるで鋭い刃物のようにぎらついている。

 今までのはまだ本気ではなかったというのか?ならば俺も――。


「ゲッコー丸!」


 俺は背中に手を伸ばし、魔法空間のバッグからゲッコー丸を取り出した。抜刀し、鞘をベルトに挟む。


 マリエッタの羽が鋭い勢いで迫る。左からの袈裟懸けを、俺はゲッコー丸で受け流す。翼膜とゲッコー丸の刃がぶつかり合い、火花が散った。


 その動きの隙を捉え、アリサが数本の炎の矢を放つが、マリエッタは羽を盾にしその攻撃を受け止める。攻防一体の羽、非常に厄介だ。


 ならば、と翼膜の中央付近を狙いゲッコー丸を横に薙ぐも、翼骨で弾き返される。だが、敵も無傷とは行かなかった。若干の切り傷が入り、そこから銀色の炎が立ち上がる。


「その刀、退魔の力か!」


 初めてマリエッタの顔に不安の色が浮かんだ。だが、これでやっと対等のようなものだ。


 ゲッコー丸とマリエッタの羽とが何合も打ち合う。

 少しずつだがマリエッタの羽に切り傷が蓄積され、銀色の炎がその面積を増やしてゆく。


「おのれ小癪な!」


 マリエッタの鋭い一撃がゲッコー丸の刃を滑り、俺に迫る。が、その斬撃が鍔――無刀・新月――に達した瞬間、鍔を中心に傘のように銀色に光る粒子の障壁が広がり、マリエッタの一撃を弾き返す。


「これが――神刀・真月の力……!」


 マリエッタを弾き飛ばした一瞬の隙に、アリサが唱え備えていた呪文が発動する。青白い光と共に、マリエッタの足元に稲妻でできた鎖が現れ、雁字搦めに纏わりついた。


 それによって生まれた隙をついて、俺は跳躍し、上方からマリエッタの羽を目掛けてゲッコー丸を振るう。

 瞬間、マリエッタの羽が大きく裂けた。その裂け目から、盛大に銀の炎が吹き上がる。

 慌てふためくマリエッタの足元目掛けて、俺はゲッコー丸を床に突き刺し叫んだ。


「退魔の結界!」


 ケンデウス王家の歴史書に記されていた神刀・真月の力の一つ、退魔の結界。突き立てた刀身を中心に結界を張り、そこに捕らわれたものの動きを封じる技。


「クソッ!動けないぞ!」


 アリサの稲妻の呪縛に加え、退魔の結界でマリエッタの動きを完全に封じ込めた。

 俺はバックルのサファイアに指を触れた。


 『フロストモード起動』


 俺の体表の緑色が、シアンに染まる。


 今こそ、最後の時。


 俺はマリエッタの懐に入ると強烈に床を蹴り上げ、その顎に上段蹴りを入れた。その威力でマリエッタの体が数メートル上に吹き飛ぶ。蹴りの命中した顎を中心に、氷結が始まった。だが俺の攻撃は終わらない。



「フロッグ氷結ダブルキック」



 マリエッタの体と共に上昇する身体を捻り、もう反対の足で再び顎に蹴りを入れた。瞬間、氷結しかけていた顎から喉にかけて微細なひびが入り、まるでガラスのように砕け散る。


 俺が着地すると同時に、マリエッタの身体がどさりと床に落ちた。その目にはもはや色はなく、生気の無い白一色となっていた。マリエッタの左腕を中心に、銀の炎がメラメラと燃えている。

 と、そこにアリサが駆け込んできた。


「ヒュージ、ちょっとゲッコー丸で手伝ってくれると嬉しいんだけど……」


 アリサが上あごの残っているマリエッタの頭部に近付き、そこから伸びている牙を指差した。


「ヴァンパイアの牙。貴重な魔法素材なのよ。強力な解呪の薬を作るのに使えるの」


 なるほど、そんな使い道があるのか。

 俺は床に突き立てていたゲッコー丸を抜くとマリエッタの牙を二本、その刃で切り落とした。


 やがて、銀色の炎がマリエッタの全身を包み、焼かれた身体は徐々に白い灰へと変わっていった。


「さ、討伐完了ね。帰ろ?ヒュージ」


 どことなく嬉しそうな顔でアリサはそう言って、俺の手を握った。





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