第二十六話 トライスタ炎上
その姿はまさに魔王と呼ぶに相応しいものだった。
これまで見てきたどの悪魔とも違う、どの悪魔よりも禍々しく、威厳に満ち、見るものに恐怖と絶望を振り撒く存在だった。
これが、恐怖の帝王レーヴェウスの真の姿。今までの姿はただの遊びだったというのか。
遥か頭上から、強烈な勢いで大きな拳が迫る。
その一撃で、床が粉々に粉砕される。まともに喰らうのはあまりにも危険だ。
何よりこの体格差、果たしてどう戦えというのか。
レーヴェウスは大きく、破壊力が高い上に素早い。まだ俺の方がかろうじて敏捷には勝るが、敵は何よりリーチが長い。しかも手足に加え、滑らかに動く尾がある。
手足の間から、その尾が鋭く突き刺しに来る。咄嗟に避けるが、それに合わせて尾は突きから打撃へと動きを変え、俺の胴を横殴りした。強烈な一撃だ。
打撃はある程度吸収できるとはいえ、殺せる威力にも限度がある。俺の体が横に吹き飛び、周囲の瓦礫にぶつかる。
「ええい、邪魔だッ!」
レーヴェウスは吹き飛ばされた俺を無視し、そのまま前方の扉へ向けて突進した。そしてその勢いで周囲の壁ごと扉を吹き飛ばし、砦の外へと飛び出した。
砕けた瓦礫が俺の体に落ちてくる。俺は起き上がりながらそれを躱し、レーヴェウスを追いかけ外へ出た。
レーヴェウスは羽を大きく広げ、羽ばたき、空中で俺を待ち構えていた。その翼長は二十メートルを優に超えている。改めてその姿を見上げると、さながら首の短いドラゴンを思わせる。
その姿はまさに恐怖と絶望を俺に叩きつけていた。その存在が絶望的だ。俺はこんな化け物に勝てるのか?それ以前に、俺にどう戦えというのだ?
レーヴェウスの腕に何やらエネルギーが集中し始める。その腕を俺に向けたその時、真っ赤な、太い火炎の光線のようなものが俺に向かって伸びてきた。
俺は必死に横へ跳躍して避ける。
俺の元いた場所に、炎の柱が立ち上がった。あんなものまともに喰らっては死んでしまう。
視覚情報には先程から警告が出っぱなしだ。
「貴様を殺すことなど雑作もないぞ、人間。だがこれで終わるのはつまらなさすぎる。余の努力に水を差した相手を簡単に死なせるわけにはゆかぬ」
レーヴェウスの顔がニヤリと歪んだ。
「貴様には最高の恐怖を味わってもらおう――さあ、貴様の恐怖とは何だ?」
レーヴェウスの反対の手が伸び、そこから紫色の怪しい光線が伸びた。俺は再び跳躍して避けるが、レーヴェウスは器用に腕を動かし、俺を追尾する。
やがて俺の回避もむなしく、俺はその光線に捉えられた。
その光線は、俺にダメージを与えるようなものではなかった。だが、心の中がぞわぞわとする。まるで心を無理矢理こじ開けられているような感覚だった。
「ハッハッハ、貴様の恐怖の正体が見えたぞ人間。貴様の前に、まずはその女を殺してやろうではないか!」
まさか……アリサの事か!?
レーヴェウスは高笑いしながら俺に背を向けると、地獄への塔へ向かって飛び去って行った。何という事だ、まさかあの姿で地上へ向かうというのか!?
そしてアリサの命を狙うだと!?
こうはしていられない。俺も急いで地上へ戻らなければ。何か方法は――そうか、ポータル!
俺は焦りながらバッグからポータルの巻物を取り出した。そしてアリサの結んでくれた青いリボンをほどき、巻物を広げた。
ポータルの出現を念じながら、書かれている呪文を目で追う。と、俺の目の前に青白く輝く、人が一人通れるほどの光が出現した。急がなければ。
俺はポータルに飛び込んだ。
「アリサッ!」
ポータルから出るなり、俺は家に飛び込んだ。
「アリサ、無事かっ!?」
室内を見回す。
「どうしたのヒュージ……って、変身したまんま?」
アリサが驚いた顔で彼女の仕事部屋から駆け寄った。俺は変身態を解除した。
「大変なんだ、魔王が、レーヴェウスが街に来る。アリサが命を狙われているんだ」
「ど、どういう事?」
「俺はレーヴェウスと戦っていたんだ。だが、奴が俺の心を覗いて、俺が最も恐怖することを味合わせるって――」
俺はそう告げて、アリサを抱き寄せた。
「すまないアリサ、俺が君を想う気持ちが強いばっかりに、きみを危険に――」
「ヒュージ……それなら大丈夫よ、私は半年も同じ夢を見続けたの。あなたが私を危機から救ってくれる夢を何度も見たの。大丈夫、ヒュージは必ず私を救ってくれる。信じる信じないじゃない、これが真実なの」
アリサが俺の目をまっすぐに見つめてくる。
彼女の目は全く動揺していなかった。ただひたすらに俺を信頼している目だった。
そうだ、アリサとはこういう女性なのだ。
俺は、アリサに愛されているんだ。その俺が彼女を信じないでどうする――。
運命は告げている。俺は魔王に勝てるのだ、と。
その時、街が大きく揺れた。
「まさか、もう来たのか……!?」
俺は家を出て、街の方を見つめた。
城の方角から煙が立ち上っていた。その煙の中に、巨大な影がうっすらと見えた。
レーヴェウスが地上に現れたのだ。
レーヴェウスの羽ばたきが、周囲の煙を次第に吹き飛ばしていった。
いやまて、レーヴェウスの手に何かが握られている。人影にしてはやや大きい。まさか、フォクスエルか?裏切りを粛正するためにレーヴェウスがフォクスエルを襲った――充分に考えられる理由だ。
「行かなきゃ」
俺の呟きに、アリサが頷く。
「私も行くわ」
「いや、アリサは安全なところに――」
「どこにいたって結果は一緒よ、ヒュージ。それなら私はあなたの近くにいたい」
アリサの決意が固い事は、その顔を見れば一目瞭然だ。
「待ってて、杖を持ってくる」
言って一度家に入ると、アリサはすぐに杖を片手に戻ってきた。
俺たちは、一目散に城の方角を目指して駆け出した。
フォクスエルを片手に握り、レーヴェウスは空中を羽ばたきながら街に向かって炎の光線を何度も放っていた。光線が直撃した建物には火柱が上り、街中は大パニックとなっていた。
俺たちがレーヴェウスの元を目指している中、街の人々は俺たちとは逆方向に逃げていく。火柱の数はどんどんと増え、昼間にもかかわらずトライスタの街の空は赤く染まっていた。
そんな中、俺たちは幸いにしておやじさんとフォールの二人と合流できた。
「まさかレーヴェウスが地上に出てくるなんて……!」
おやじさんの顔に苦悩の色が浮かんでいた。
フォールの顔は目深に被ったフードで見えないが、彼も悔しそうな声を上げていた。
「おやじさん、俺がなんとか奴を倒しますから、封印の準備をお願いします!」
「そんなヒュージ君、いくらなんでも無理だろう!」
「今、レーヴェウスの手には堕天使フォクスエルが握られています。まずは彼を助けなければ」
俺は再び覚悟を決めた。
「変身ッ!」
俺の体が改造態へと変わる。
「ヒュージ君、その姿は一体……!?」
「これが俺の戦う姿です。俺は改造人間ヒュージ。悪魔を地獄へ送り返す者です!」
「改造……人間?」
「アリサ、おやじさんに説明しておいてくれ。俺は行ってくるよ」
「わかった。ヒュージ、頑張って!」
俺はアリサの言葉に頷き、レーヴェウスに向かって跳んだ。
何度かの跳躍の後、俺はレーヴェウスの間近に迫る。
まずはレーヴェウスの手からフォクスエルを取り戻さなければ……!
街を火の海にすることに躍起になっているレーヴェウスは、まだ俺の存在に気付いていない。
この隙に、と俺はレーヴェウスの左手に向かって大きくジャンプした。そしてその手の甲目掛けて正拳を放った。
そこでレーヴェウスはようやく俺の存在に気付く。
「遅いぞ人間。裏切者の堕天使はもう既に虫の息だ。そして次はお前の女の番だ」
俺は着地後もう一度跳躍し、レーヴェウスの左手に取り付いた。こうなれば指を一本一本折ってやる。
手始めに人差し指に向かって拳を振り上げ、思い切り叩きつける。が、その威力にレーヴェウスではなく、握られているフォクスエルがうめき声を上げた。いけない、このままではフォクスエルを苦しめてしまう。
「勇者よ、私はどうなっても良い、私に構わずレーヴェウスを倒すんだ……!」
どうなっても良いだなど、許されるわけがない。
俺はその位置から、レーヴェウスの顔を見上げた。
その首には、まだあの鍔が――無刀・新月が――、どういう理屈か固定されていた。
そうか、あれさえ何とかできれば、まだ可能性はある。
その首目掛けて俺は飛び上がった。無刀・新月に手をかけようとした瞬間――レーヴェウスの右手が俺を払いのけた。
衝撃と共に地面に叩きつけられる。ダメージは大丈夫だ。が、そこを目掛けてレーヴェウスが火炎の光線を放ってくる。俺は咄嗟に横っ跳びで回避する。
「クソッ!」
悪態をつきながら、俺は再び跳躍する。狙いは無刀・新月。あれを何とかレーヴェウスから引き剥がすこと。再度左手を中継し、右手に警戒しながら飛びつく。が、寸手のところでレーヴェウスが大きく羽ばたき、その体は上空へと逃げる。
「ええい、もう用はない!」
レーヴェウスが怒りと共に上空から俺に向けてフォクスエルを投げつけてきた。俺は全身でフォクスエルを庇い、受け止める。その衝撃は俺の体が吸収した。
「フォクスエル、大丈夫か!?」
「すまない、勇者よ……」
だが、そこへ向けて再びレーヴェウスの火炎光線が迫る。俺はフォクスエルを抱きかかえ、後方に大きく跳ねて避けた。そのままどこか建物の陰になる場所がないか周囲を探り、そこへフォクスエルを横たえると、
「フォクスエル、ここで待っていてくれ」
そう言って、再びレーヴェウスの元を目指す。
建物の屋根を伝い跳び、俺は必死にレーヴェウスを追った。
奴が目指しているのはアリサの元だ。追いつかなければ。意地でも食らいつかなければ。
先程アリサたちと別れた付近が近付いてくる。
レーヴェウスはその上空で滞空していた。
「やらせない!」
俺は大きく跳躍して、レーヴェウスに飛び掛かる。
「くどいッ!」
大きく振るわれた腕で、俺は近くの建物に勢い良く叩きつけられた。その威力で俺は建物の屋根を貫通し、内部に叩きつけられた。怪我こそないが、視覚情報にノイズが入る。
俺はその屋根の穴から再び外に出た。
そのタイミングを待ち構えていたかのように、レーヴェウスは俺の顔を見ながら言った。
「人間ッ!貴様に最大の恐怖を与えるぞ!」
レーヴェウスはゆっくりと腕を伸ばした。その先にいるのは……アリサ!
「恐怖に絶望せよ、人間ッ!」
レーヴェウスの怒りの叫びと共に、その手から火炎光線が放たれた。
同時に、俺の体は無意識にアリサの目の前に向かって跳んでいた。絶望などしていられない。恐怖など感じない。心ではなく、身体が動いていた。
間に合え――。
俺の背中を業火が焼いた。だが、俺の目の前にいるアリサは無事だ。間に合った。
ぶすぶすと俺の背中が焼け燻っている。
視覚情報に文字が飛び込んできた。
『体組織緊急回復モードに移行します』
そうして、勝手に改造態が解除された。
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