第二十五話 地下六階、或いは地獄の顕現
地獄への塔を出ると、そこに広がるのは地下景色ではなかった。
荒野――そう言って差し支えない。ただ、近くを川のようにマグマの流れが走っていた。
空はマグマの照り返しのように赤い。本来であれば巨大な洞窟か何かであるはずなのに、フォクスエルが言っていた通り、ここは地獄の一部が切り取られ、そのまま顕現したような場所なのだろう。
空気はマグマの熱気を含んでいた。
カエルの生存には不向きな環境だ。いくら多少の湿気があれば生存できるニホンアマガエルとはいえ、これだけ熱い場所ならば湿気以前の問題だろう。
そしてさらに厄介な事にこの地には、随分と多くの悪魔が蠢いていた。
迷宮ではない分見通しが良いため、やたらと敵が群ってくるのだ。
悪魔の種類は多岐にわたる。それこそ地下迷宮に入ってから遭遇したほぼすべての種の悪魔に加え、頭の左右から大きな翼を生やしたほぼ全裸の女性の悪魔――後にサキュバスというのだと教わった――やら、悪魔に飼われている猛獣の類、城の地下で遭遇したいかにもな姿をした悪魔など、まるで悪魔の動物園のような有様だった。
俺はゲッコー丸を手に次から次へと敵を打ち倒しながら、何やらひときわ高い丘のような場所に建っている廃墟のような建物を目指して進んだ。
距離としては決して遠くはないのだろうが、何しろ敵の数が多い。
つまりは、まだこれだけの敵をダンジョンにも配備できたのだろうし、いざ地上を攻めるとなればこれらを引き連れて侵攻できたのだろう。恐ろしいにもほどがある。
だが、対する俺も学習コンピュータのおかげでどの悪魔がどういう攻撃に弱いか、どういう戦闘パターンが多いかなどを解析し、より効率的に敵を倒せるようになっている。このわずか一週間に満たない期間で、俺の戦闘能力は大幅に向上している。
そして、地味に実入りもいい。今までの階層に比べ、敵が持っている魔法の宝に込められている魔力がより高いのだ。これらの品が後にアリサの役に立つのであれば、それは喜ばしい話だ。
しかし、アリサといえば別れ際のフォクスエルの言葉が頭にチラつく。アリサがイズニフ、つまり天使と悪魔の間の子の力に目覚めた存在であること――。何より彼女の持つ予知夢の能力などその最たるものの一つだろうし、あの年齢にして一流の魔術師として活躍している事実、高位の呪文を扱える実力、それもそのイズニフの力の証なのだろう。
同時に、彼女が魔王に狙われるのではないか、という心配もある。いや、そこは杞憂か。むしろ祖母の呪死の際に共に命を狙われなかった理由が、彼女がイズニフの力を持っているが故だったのだとしたら、逆に彼女が魔王の依り代とされていた可能性だってあるのだ。そんな恐ろしい事を許せるわけがない。
フォクスエルの身も心配だ。果たしてどうやって魔王側に取り入ったのかは知らぬが、俺に様々な事実を知らせ、俺を通したのは明らかに魔王からすれば裏切り行為だろう。罰せられ、命を落とすこともあるのではないだろうか?
フォクスエルは、今となっては俺の恩人の一人だ。知らなかった事実が彼によって知らされ、謎が彼のおかげで一点に収束された。王家の宿命の真実、魔王との因縁、解かなければならない呪い。俺に課せられた使命を彼は明らかにしてくれた。これまで連綿と続いてきた王家の因縁を、王家と無関係なものが断たなければならないとするならば、これまでこの世界とは無縁だった俺の存在は誰よりも適任だろう。
そして割とさらりと流されたが、重要な事実も判明している。
魔王が依り代としているのが、行方不明だった第二王子だったということだ。
そう考えると、早いうちに国を離れた第一王子はある意味幸運だったのかもしれない。
さて、このままの流れでは、俺は今日中には魔王と相対することとなる。無論、倒すつもりでここに来ているのだが、もし倒したとしたら、おやじさんを呼んで魔王を魂の封印石に封じなければならない。
この世界にスマホでもあればおやじさんに待機してもらって、などということもできたのだろうが、あいにくそんな通信手段はない。倒した後、ポータルで一度街に戻り、おやじさんの居場所を探して改めておやじさんと戻ってくる以外に方法は無いだろう。
俺はふと、アリサの夢の事を考えた。彼女が半年間見続けたという予知夢の事を。
彼女が火の海と化している街中で魔王に襲われそうになっているところを俺が救い、俺は彼女に頷いてみせ、魔王に立ち向かって行った、と。
もしその夢の通りになるのだとしたら、魔王は街中に出現するということになる。そして街が火の海と化す、と。
もしかしたら、今こうして雑魚の悪魔と戦っている間にも街が襲われる可能性もあるかもしれない、ということだ。そう考えるならば、もしかすれば残された時間は少ないどころか、もう時すでに遅し、という事も考えられる。
急がねば――そう考えて、俺は敵を倒す速度を上げた。
魔王の城、と言うには雑に過ぎる廃墟に辿り着いた頃には、それからたっぷり二時間は過ぎていた。敵を倒した数など数えていないが、俺の通ってきた後には血みどろ死屍累々の殺戮道が続いていた。
その廃墟は、かつては何らかの砦か何かであったのだろう。ただし、人間用ではない。通路や扉の跡は明らかに人間用に比べて大きかった。それは間違いなく悪魔が問題なく使えるようになっていた証であり、この地が人間のものではなく、古くから悪魔共に使われていた事を物語っていた。
すでにほとんどの壁は何らかの損壊を受けており、基礎しか残っていないような場所も散見される。
廃墟の中にも敵はいたが、ここまでの道のりに比べたら数は少ない。
だが、奥へ奥へと近付くにつれ、何やら恐ろし気な声が響き渡るのが気になる。
やはり、魔王――恐怖の帝王レーヴェウスはここにいるのだ。
その二つ名の通り、響き渡る声だけでも恐ろしさを感じずにはいられない。
正直、本音を言えば恐ろしい事ばかりだ。果たして倒せるのか、それどころか戦って無事でいられるのか、取り逃して街を悲惨な目に合わせたりはしないだろうか、アリサを救えるのだろうか、俺は生きて帰れるのだろうか――挙げ出したらきりがない。
だが俺は、恐いとは思えど、尻尾を巻いて逃げ出すような人間ではない。その恐怖に打ち勝ち、全力で戦い抜かねばならないのだ。そのためにここまでやって来たのだ。
そして、いよいよその時は目前に迫っていた。
廃墟の中心部には、まだほとんど壁が破壊されていない構造物が一つだけ残っていた。
恐怖を振り撒く声は、ここから響いていた。
今俺の眼前には、巨大な両開きの扉があり、開けられるのを今か今かと待ち構えているように見える。
センサーは確実に中の存在を捉えている。悪魔一体。
俺は、意を決して扉を開けた。
そこにいたのは、身長ニメートル半程度の、さほど大きくない悪魔だった。ただし、見た目は強烈だ。獅子のような下半身から筋骨隆々な人間状の上半身に続き、上腕もまた筋肉で太く、前腕はシャープで、指からは長く鋭い爪が伸びている。顔も獅子に似てたてがみがあり、その頭部にはたくさんの角がまるで冠かと言わんばかりに生えている。そのうち二本は横に長く、別の二本は上へ、額に伸びる一本は前方へと鋭く伸びていた。体表は燃えるような赤。背中には立派な羽があるが、今はたたまれていた。首からは、なにやら円形に似た大きなネックレスか何かをぶら下げていた。どこかで見たことのある意匠だ。そして、目は煌々と金色に輝いていた。その後ろには、何やら赤く紋章が光る石板が一枚。
その目が、鋭く威嚇するように俺へと向けられた。ぞくりと悪寒が走る。
体中から発するオーラが、今までの敵とは段違いに強い事を物語っている。
この悪魔は明らかに強者だ。一歩も動くことができない。
「この数日間で余の配下を殺しまくったのは貴様だな、人間」
まっすぐに俺の目を見据えながら、目の前の魔王はそう言った。恐怖心を煽る、低くも怒りに満ちた声。
「余の復活のための努力をどれだけ無駄にしたのか、わかっていような?」
その怒りが俺に恐怖をガンガンと打ち付けてくる。
「その手に持つ剣、それで余を斬ろうなどとは思わぬことだ」
俺の手にあるゲッコー丸――聖刀・月光――を一瞥し、目の前の魔王は口を歪める。
「貴様、許さぬぞ」
恐怖の帝王レーヴェウスは、そう吐き捨て、一歩、俺に向かって足を踏み出した。
今の俺は、まさに蛇に睨まれた蛙だった。
動けない。
レーヴェウスがまた一歩、こちらへ向かってくる。
もう一歩。
そして、俺の目前に到達した。
レーヴェウスが、動けない俺の顎に指を這わせる。
「その剣を余に向かって振るってみよ」
圧倒的強者が、恐怖を叩きつけてくる。
俺はこんなに恐ろしいものを倒そうとしていたのか。これは俺が戦える相手なのか?
その目で見据えられると、恐怖以外の感情が全て押さえこまれてしまう、いや、恐怖だけを無理矢理引き出されている。自分をコントロールできなくなる。
ゆえに恐怖の帝王なのか。
「振るえッ!」
ビリビリと空気を震わせながら、魔王がそう怒鳴る。
この腕を動かせというのか。
緊張でガチガチに固まった腕を、無理矢理上へ持ち上げた。柄を握る指が固まって満足に動かない。だが、振らないと殺される。
ガッ、とゲッコー丸がレーヴェウスの肩口に当たる。だがその刃は、レーヴェウスを切り裂くどころか、そこでピタリと動きを止められた。レーヴェウスの体が一瞬銀色に輝き、その輝きが刀を受け止めたようにも見えた。
「フハハハハハ!余は切れぬぞ、人間」
その笑い声すら恐怖を煽る。
「無刀・新月。それがこの名よ」
レーヴェウスは満足そうな顔で、その首にかかっている円形の何かを指さした。
それは鍔――日本刀の鍔だった。それをネックレスのように、チェーンで絡め、首からぶら下げていたのだ。
「これさえあれば、余は二度とその剣では斬られぬ。二度も同じ轍は踏まぬぞ、人間」
フォクスエルが言っていたのはこの事だったのだ。
だが、ゲッコー丸が効かないのは最初からわかっていたこと。
それよりも、だ。今俺を支配しているこの恐怖心から、どうやって逃れるか。それができなければ戦う事すら叶わない。
「貴様は何者だ?人間」
目の前でレーヴェウスが俺を見下しながらそう問うた。
「お、俺の名はヒュージ。……改造人間ヒュージ。悪魔を、地獄へ送り返――」
その瞬間、レーヴェウスの膝蹴りが俺の腹部へ突き立った。
体表が衝撃を吸収したためダメージはほぼ無い。
「ここが地獄だ」
レーヴェウスは言い放つ。
「そして貴様は、地獄へ舞い込んだただのカエルだ」
ドン、と腹を蹴られた。と同時に、すぐ後ろの扉へと俺の体が叩きつけられた。
一瞬、心の中から恐怖が薄まった。何があった?
そうか、目だ。今俺は、身体がくの字に折れることでレーヴェウスから視線を逸らされた。その瞬間恐怖による支配から俺の心が一瞬逃れたのだ。もしや――。
(コンピュータ、レーヴェウスの視線から何か特殊な波長が出ているか解析してくれ、出ているようなら波長の遮断を試みてくれ)
『解析完了、特定の波長を検知。視覚にフィルターを適用しました』
よし、これで戦える。
俺は顔を上げ、レーヴェウスと目を合わせた。
「どうした?恐怖で動けま――」
その言葉と同時に、俺のハイキックがレーヴェウスの頭部を捉えた。
「恐怖の帝王レーヴェウス、よく聞け。俺の名はヒュージ、改造人間ヒュージ。悪魔を地獄へ送り返す者だ!」
俺は急ぎゲッコー丸を納刀し、格闘の構えを取る。
「貴様、余の恐怖を味わ――」
最後までは言わせない。俺はその腹に強烈なボディブローを叩き込む。
「無駄だ、もう俺は貴様の恐怖になど屈しない!」
そこから、俺とレーヴェウスの打ち合いが始まった。恐怖の力などなくともそこはさすがに魔王、それ以降は簡単に打ち込ませてはくれない。しかしそこは俺も同じ。敵の攻撃を避け、受け、返す。何度も拳の、足の応酬が続く。実力が拮抗し合っている。やがて時々互いに打撃を喰らうようになってきた。互いの動きが読めるようになってきたのだ。
「人間ごときがッ!」
「人間を下等とみる悪魔の傲慢など愚の骨頂ッ!」
瞬間、互いが互いに強烈な拳を喰らう。クロスカウンター。
「おのれ人間ッ!貴様に真の恐怖を教えてやる!」
レーヴェウスは怒りでそう叫ぶと、俺から距離を取り、全身に力を込め始めた。
突然、レーヴェウスの全身の筋肉という筋肉が盛り上がり、伴って骨格が拡大をはじめた。それまで毛並みで覆われていた体表はゴツゴツとした甲殻類のようなそれに変わり、頭部を飾っていた角がさらに肥大化して、より複雑な形状へと変わってゆく。口からは牙が何本も伸び、羽には複雑なファイアパターンが描かれてゆく。そしてこれまで存在しなかった長い尾が、バシンと床を叩く。
そこに現れたのは、体高八メートルを超える巨躯の悪魔だった。まるで今までの姿などただの戯言と思わせるような、まさに恐怖を顕現させた存在だった。
「恐怖の帝王レーヴェウスの真の姿を見たこと、後悔させてやるぞ、人間ッ!」
響き渡る声が恐怖と絶望を乗せ、俺の耳に轟いた。
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