第二十四話  地下五階、或いは地獄への塔

 城の倉庫から再び次元の門をくぐり地下四階へ行き、俺はさっそく探索の続きを開始した。


 地下四階から下る階段は、真下へ吹き抜ける直径二十メートルほどの円筒に供え付けられた、反時計回りの螺旋の階段だった。下までは随分と距離がある。


 下までのおおよその距離をセンサーで測定すると、約二百メートルと出た。


 深い。


 まるで巨大な塔か何かを降りているような気分になる。しかも二百メートルともなれば、相当な高さだ。それを螺旋階段で降りるとなると、実質の距離も長い。


 幸い、敵はいなかった。戦わずに済むならそれに越したことは無い。


 それにしても何の目的でこんな深い地下への塔を作る必要があったのだろうか?そしてこれほどの吹き抜けにする必要は――いや、地下から羽を持つ者なら飛んで上がれるではないか。しかも高位の悪魔は羽持ちばかりだ。上から攻めるには難しく、下から攻めるには容易ということか。


 なるほど、それなりに考えて作られてはいるのだ。




 やがて塔の底が見えてきた。どうやらその円形の部屋の中央に、誰かがいるようだった。


 センサーには『非生命体 一体』と表記されている。おかしい、非生命体は悪魔と分類したはずなのだが。


『悪魔とは存在する次元が異なります』


 悪魔とは異質の存在ということか?


 やがて、その存在の姿がハッキリと見えてきた。上半身を中心に銀色の甲冑を身に付け、下半身は布が巻かれていた。背中には灰色の翼があり、そしてその頭上には黒く染まる輪が浮いていた。天使――いや、堕天使、なのか?


 手には一振りの剣を持っていた。顔はよく見えないが、何やら甲冑と同様に銀色の何かに覆われていた。身の丈は、人よりわずかに大きなくらいであろうか。


 階段を降り切り、俺はその人物の前へ進み出た。襲い掛かってくる気配はない。


「ずっと見ていたぞ、勇者よ」


 男の声だった。その顔には、無表情な銀色の仮面をつけていた。


「我が名はフォクスエル。堕ちし者にして、見定めし者」


 特に構えを取ることも、敵意を見せることも無く男は名乗った。


「俺の名はヒュージ。改造人間ヒュージ。悪魔を地獄へ送り返す者、だ」


「勇者ヒュージ、か。汝のこれまでの行動はここからずっと見ていた」


 落ち着き払った声で、フォクスエルと名乗ったその男は言う。


「汝はどこまで真相を知っている?」


「真相、とは?」


 いきなり問われ、俺は答えに窮した。


「ケンデウス王家と、恐怖の帝王レーヴェウスについてだ」


 ああ、と理解した。


「初代ケンデウス王が、この刀――」


 言いながら、俺は背中からゲッコー丸を取り出し続けた。


「――聖刀・月光で魔王を倒し、撃退した。そして、今回の王家の呪いはそれに起因するものであり、そのためにレドラムが裏で暗躍していた、と」


「それは事実であるが、真相には遠い」


 どういう意味だ?俺の頭は混乱する。


「汝はこの世界に来てからまだ日が浅い。故に、この世界の成り立ちから語ろう。なに、そう焦らずともレーヴェウスは逃げはしない」


 俺に……語る?


「そもそもフォクスエルと言ったか、あんたはどういう存在なんだ?」


「ただの堕天使だ。だがまだ完全に地獄に堕ちたわけではない。そしてこの先に進もうとするものを、ここで止めるも、ここを通すも私の手心一つ。だがアンフェアはいけない。だから、まず必要な事を汝に語ってから見定めようと考えているだけに過ぎぬ」


「敵でも味方でもない、とそう考えていいんだな?」


「ああ、そう捉えてくれてかまわんよ」


 言いながら、フォクスエルは頷く。


「この世界、オールド・レルムは、大きく三つの領域に別れる。上より天界、人間界、地獄界。それぞれに住人がおり、天使、人間、悪魔と呼ばれている」


 そこまでは俺でも知っている。天使側の存在を見たのはこのフォクスエルが初めてではあるが。


「遥か昔より、天使と悪魔は長く戦争を続けていた。何万年にもわたる長き戦争だ。まだ人間という存在が誕生する前からな。だが、天使にも悪魔にも、その戦争を無益であり、やめるべきだと考えているものが一定数いた」


 それを聞き、俺の頭に疑問が浮かぶ。


「天使と悪魔は何のために戦っていたのだ?」


 だが、俺の問いに答えは無かった。フォクスエルはゆるゆると首を振った。


「今となっては何故なのかはわからぬ。ただ、互いの存在――その主義主張や理念、存在意義、価値観、そういったもの一切を互いに拒否していたのだろう」


 何のためにかもわからず戦っていたというのか。


「そして、その戦いに意味などないと考えた者たちが、今人間界と呼ばれるこの世界に集い、互いに交わり、子を為したのが今の人間の祖先――天使と悪魔の子、イズニフと呼ばれている」


「イズ……ニフ?」


「そうだ。イズニフは天使と悪魔両方の特性を持ち、時にその両親をはるかに超える力をもっていた。そしてその力をもって、その両親たる天使と悪魔や、やがてイズニフ同士から産まれた人間たちを、襲い来る天界と地獄界よりの勢力から守った」


「天使や悪魔は人間という存在を認めなかったということか」


「そうだな。イズニフや人間は、天使と悪魔、どちらから見ても不浄な存在だったということだ。だが、人間は天使や悪魔には無いおそるべき発展性を持っていた。そして天界や地獄とは比べ物にならない速度で文化を気付き上げていった。やがて天使も悪魔も、そうなった人間たちには簡単に手を出せなくなった。そこで、直接的な手段ではなく、間接的な、回りくどい手段で人間界に関わるようになっていった」


 確かに、単純に攻めてしまえば良いだろうにと思うが、悪魔にしろ天使にしろ、人間界にそこまで直接的な戦争は仕掛けていないように思える。


「さて、人間には時として、まるで先祖返りとも呼べるようなことが起きる。稀に、かつてのイズニフと並ぶ力を持った子が生まれてくることがある。汝の知る初代ケンデウス王アルスエルの父、アルザイルがそうであった」


 アルスエルではなく、その父親がイズニフだった……?


「ここから、ケンデウス王家の呪いが始まったのだよ。というのもな、地獄界を束ねる七魔王の一人である恐怖の帝王レーヴェウスは、人間に宿ることで人間界に干渉するという力を得ていたのだ。そして、その対象が強ければ強いほど、レーヴェウスの力も強くなる、というものだった」


「つまり魔王が狙ったのはアルスエルの父親、アルザイルの体だったと?」


 その通りだ、とフォクスエルが頷いた。


 ああ、何という事だ。親子が殺し合わねばならなかったということではないか。魔王に乗っ取られた父親を討ち、アルスエルはケンデウスの国王となった――何という悲劇だ。


「そして、それから何千年も経った今また、悲劇の種が蒔かれたのだよ。ケンデウス王家に、またしてもイズニフの力を持つ者が生まれたのだ。しかも二人も、だ」


「まさか、今世の第一王子と第二王子――」


「その通り。第一王子スタンセンと、第二王子ハルホークの二人だ。そして、長らく王家を監視していたレドラムにより、レーヴェウス復活の準備が整えられた」


 ケンデウス王国の宿命とは、魔王の依り代となる血脈、そして先祖返りとしてのイズニフの力――。偶然ではなく、仕組まれたとはこういう意味だったのか。


「そして、第一王子は王国を出奔し、依り代は第二王子ハルホークとなった。ただ、当初はより力の強い第一王子が依り代となる予定だったのだがな」


「魔王は復活のための力を強め、依り代が大きくなった頃合いを見てトライスタに遷都し、そして復活をとげた、と――」


「その通りだ」


 フォクスエルは頷く。


「ゆえに、まだケンデウス王家の呪いは解けていない。そして、王家の者以外の手によりレーヴェウスが打ち倒されぬ限り、呪いは永劫続くのだ」


 そう言って、レーヴェウスはゆっくりと剣を構えた。


「さあ見せてみよ、汝が魔王を打ち倒すのにふさわしき者か否か、私が見極めよう」


 そうか、この堕天使はそういう役割なのか。


 ならば俺も全力で戦おう。


「忠告しておこう。堕天した身とはいえ、元々天界の住民である私にその聖刀・月光は通用せぬ。汝の最大の武器、その両手両足で向かってくるがよい」


 そう言われ、俺はゲッコー丸を背中にしまい、格闘の構えを取った。



 戦いは唐突に始まった。


 フォクスエルが猛ダッシュでこちらに突きを狙ってきたのだ。素早い上に鋭い。


 俺は躱しながら横を抜けていくフォクスエルの体に打撃を打ち込むが、それはその甲冑に難なく弾き返された。鉄ではない。もっと硬く、もっと軽い金属でできているようだ。


 互いに初撃が効かず、再び間合いが離れた。


 その後何合も打ち合うが、決定打が互いに一向に繰り出せない。フォクスエルの攻撃は俺が寸手で避けるか受けて躱し、俺の攻撃はことごとくが甲冑でガードされる。


 フォクスエルはその翼を自在に操り、自分の機動力を向上させている。が同時にその翼の大きさの分、回避にやや難がある。ゆえの甲冑による防御なのかもしれない。


 あの甲冑に何らかのダメージを与えられれば良いのだが。



 ……一つだけ、思いつく方法はある。あるのだが、自分のスタイルやイメージを考えると、なかなかそこに手が伸びない。だが、今回ばかりはそうも言ってられない。


 俺は、左手でベルトのバックルに手を伸ばした。


 視覚情報に文字が流れる。



『ポイズンモード起動』



 と同時に、俺の前腕の粘膜から蛍光グリーンの液体――毒液がじわじわと滲みだす。やがてそれは腕を伝い、指先からぽたぽたと床に垂れる。床に垂れたその液体が、床石からジュワッと煙を立たせる。


 俺はそのまま拳を握り、フォクスエルの懐に飛び込む。



「ポイズンパンチ」



 拳はまたしても甲冑により防がれるが、狙いは打撃力ではない。拳が命中した甲冑腹部に毒液が付着し、その表面を黒く変色させ、腐食させ始めた。


 フォクスエルが間近からその剣で俺の腕を断ち切ろうとするが、俺は後方に大きくはねのけながら、両手のひらを広げ、バツの字を描くように手を振った。



「ポイズンレイン」



 指先から雨粒のように毒液がフォクスエルの体目掛けて飛ぶ。それが命中した場所から、腐食性の煙が立ち上る。


 俺は再びフォクスエルに向かい飛び込む。が、今度はフォクスエルの剣が俺を出迎えた。


 しかしそれも想定内。俺は毒液が滲みだしている右の前腕でその剣を受け、それと同時に左手で刀身を手づかみした。剣戟は右腕の表皮クッションで吸収している。


 刀身からも腐食煙が立ち上った。フォクスエルは剣を前後に動かそうとするが、俺の手にはカエルの吸盤の機能があり、それががっちりと剣を掴んでいる。


 やがて、カラン、という音と共にフォクスエルの剣が中ほどから折れ、剣先が床に落ちた。離れ際、俺は右掌を甲冑の表面にぺたりと当て、毒液を付着させる。


「そんな隠し技があったとは」


 フォクスエルが唸るように声を上げる。


 俺の目的もほぼ果たせたようだ。今や敵の甲冑には大きく穴が空き、十分に拳を打ち込める隙間がある。そして、俺とのリーチ差の要因となっていた剣も折った。


 俺はポイズンモードを解除し、再び構えを取る。


 と、そこでフォクスエルは持っていた剣の片割れを捨て、両手を上げた。


「降参しよう、勇者。私では汝には勝てない」


「あんたは……敵ではなかったのか?」


 あまりにもあっさりと降参したことに、俺は戸惑いを覚えた。


「堕天使ということは悪魔の側なのだろう?!」


 するとフォクスエルはフッと笑った。


「言っただろう、天使も悪魔も、今は回りくどい方法でしか人間界には関与できぬと。これが私にとっての回りくどい方法だったのだよ。天使のままではそなたらに助言も忠告もできない。だからこそ私は堕天という方法を取り、こうして直接人間と対話したのだ」


「じゃああんたはそのために、自分の立場を捨てたというのか?」


「その通り。そして今見つけたのだ。聖刀・月光だけに頼らずにレーヴェウスに打ち勝てる可能性がある勇者をな」


 ゲッコー丸に頼らずに打ち勝てる……可能性?


「それはどういう意味だ!?」


「レーヴェウスと相対してみればわかることだ」


 かつて自分を打ち倒した手段に対して対抗手段を得ている、という事なのか。


「勇者よ、ここは地獄への塔と呼ばれている。無論、この先が本物の地獄というわけではないが、レーヴェウスはこの世界に関与するために、まずは肉体の依り代を得て、そして次にこの世界を攻めるためにこの地に地獄の一部を顕現させた。そこの扉を一歩出れば、そこに広がるのは地獄と同じ世界。その奥にレーヴェウスはいる。奴が地上に出て、トライスタの街に地獄を顕現させる前に奴を打ち倒すのだ」


「ああ、わかった」


 俺はそう頷き、扉の奥に向かおうと足を進める。


 そしてフォクスエルとすれ違いざま、彼はこう言った。


「勇者よ、もう一つだけお前に言葉を贈ろう。イズニフの血が目覚めた者がもう一人、この街にはいる。おまえが誰よりもよく知るものだ。お前とその者の力があれば、魔王は必ず打ち倒せる。信じて進むが良い――」



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