第二十二話  レドラム

 そこもまた、何かを祀る空間だった。広さは十五メートル四方ほどで、部屋の四隅には何やら台に乗せられた水晶が輝いていた。


 真正面には祭壇があり、種々雑多の呪物が置かれていた。


 そしてその前――ちょうど俺の真正面には、一人の人物が立っていた。


 相変わらずセンサーは一切の反応を示さない。そこにいるのがどういう存在なのか以前に、そこに誰かがいることすら示さないのだ。


 その姿は見るからに高位の魔導士に見えた。金の刺繍が施された黒の高価そうなローブを身に纏い、フードを深々と被っていた。首にはやたらとごちゃごちゃ飾り付けられた、へその辺りまで垂れさがる首飾りをかけ、肩にはやはり派手な装飾のされた肩当てから赤いマントが背に伸びていた。そのマントにもやはり金の刺繍が施されている。


 そして手に持つ杖――そこからだけ、やけに禍々しい空気が漂っていた。翼を広げた邪悪な悪魔が象られた、鈍く赤く光る半透明の黒い上半分から、どこか忌まわしい場所から拾ってきたようなねじくれた木の枝のようなものが伸びていた。そのねじ曲がり方がどこか不自然で、思わず目をそむけたくなるようなグロテスクさを伴っていた。


「こんなところに何の用だね?」


 その人物から洩れたのは、冷酷さを持つ女性の声だった。


「人間――ではないのか?」


 興味深げな声で、そう問いかけてくる。


 が、ローブで隠された顔の奥は見えない。


「俺の名はヒュージ。改造人間ヒュージ。悪魔を地獄へ送り返す者」


「改造……人間?」


 面白そうだ、と言わんばかりに、その人物はフードを捲り上げた。


 俺は、その顔に狼狽うろたえた。


「アリ……サ……!?」


「そうか、アリサという名か」


 ハハハハハ、と目の前のアリサの顔をした魔導士が高笑う。


「私の名はレドラム。ここまで来たということは、私がどういう立場の者かは聞き及んでいよう?改造人間とやら」


 いや、声は明らかに違うのだ。アリサはこんな声じゃない。もっと優しく、明るい声だ。


 だがその顔のつくりはアリサのものだった。童顔で、瑞々しい唇と、知的に輝く瞳。そして肩より少し長い赤茶毛のくせっ毛。


「なぜだ?なぜアリサの顔をしている!?」


「おやおや、質問に質問で返すとはお前の知性もうかがい知れるな。そんなにこの女が大事か?」


 アリサの顔で、アリサの口で、なぜそんな言葉が出てくるのだ?これは一体どういう状況なのだ?


「だったら何だというんだ?ああそうだとも、俺にとって誰よりも大切な人だ!」


 再びアリサの顔から高笑いの声が響く。


 いや、俺の知っているアリサはそんな笑い方などしない!


「アリサの顔でそんな下品な笑い方をするな!」


「この私を下品だと?王族の宮廷魔術師まで上り詰めたこの私を下品と言ったのか貴様?」


 今度はアリサの顔で怒りを見せた。いや、彼女はたとえ怒っても、そんな怒り方をするような人じゃあない。そもそも、そんなに簡単に怒る人ではない。


「そうだ。俺の知っているアリサは、そんな下劣な高笑いもしなければ、そう簡単に怒るような女性でもない。騙されないぞ偽物め!」


 いよいよもってその顔が怒りに歪んだ。ああそうだ、彼女の顔はそんなに醜く歪むことなど無いのだ。


「何様だ貴様は!?私を愚弄するな下賤な輩が!カエルの化け物がッ!」


 言うや否や、レドラムは杖を俺へと向けて振りかざした。と同時に、三本の氷柱がその杖から放たれ、俺目掛けて飛んでくる。


 やはりセンサーは何も告げない。だが目の前に迫る氷柱を大きく右に避けて躱す。


 俺が先程までいた場所の真後ろ――両開きの扉が大きく氷結し、砕けた。たったあれだけの氷柱でそこまでの威力か。


 続けて氷柱が現れ、次々と俺目掛けて飛んでくる。俺もそれを必死になって避ける。


 冷気攻撃をまともに喰らうわけにはいかない。まして金属すら氷結させて砕くなど危険極まるではないか。


 せめてセンサーが動いてくれれば、もっと楽に回避できるのだが――。


 ふと、部屋の四方に飾られているクリスタルに目が行く。


 俺は部屋の右隅に置かれているクリスタルの前に飛び出した。


 再びレドラムの杖から氷柱が現れるものの、飛び出してこない。


 そうか、やはり……!


 俺は振り返りながらそのクリスタル目掛けて回し蹴りを放った。


「貴様やめろ――」


 パンッ、という衝撃音と共に、クリスタルが砕け散る。瞬間、俺の視覚にセンサー系の情報が表示され始めた。



 悪魔一体。強力な魔力が前方より接近中。センサージャマーの存在を検知――。



 一度に多くの情報が蘇る。このレドラムという魔術師の正体は悪魔か。


 俺は接近する氷柱を避けながら、もう一方の隅にあるクリスタル目掛けて走る。


 そして部屋の角にたどり着くと同時に、正拳でクリスタルを破壊した。


 センサージャマー破壊、とメッセージが表示された。二つのクリスタルを壊せば、あとは線で繋がっているうしろの二つだけ。面で邪魔されなければ何の問題もない。


 俺は改めてレドラムを振り返った。


 そこにいたのは、確かに顔かたちこそ整っているが、アリサとは似ても似つかぬ女性だった。その青い目には怒りが宿り、俺を激しく睨みつけている。


「よくもアリサを侮辱したなッ!?」


 俺の心にも怒りの炎が燃え上がった。


 まずはあの杖だ。


 俺は拳に怒りの力を込め、水平に跳躍した。なまじ駆けるより一歩で飛ぶ方が断然早い。


 そしてその杖の悪魔の彫像目掛けて拳を突き出す。



「ジャンピングフロッグパンチ」



 ほんのわずかの音すら立てず、その杖は一瞬で半壊し、さらにはレドラムの真後ろにあった祭壇すらも粉砕した。


 俺は間髪入れず、その場で後を振り返りながらレドラムに回し蹴りを浴びせる。


 が、レドラムはマントを翻し、俺の蹴りをそのマントで受け流す。


 蹴りの勢いでマントは裂けるが、レドラムはその一瞬で後へと身を引いた。


「ハハハハハ、すごいな、改造人間とやら。幻影にも化かされず、結界も見破り、果てには杖まで破壊するとは。おかげで私は冷静さを取り戻せたぞ」


 向き直るその顔からは、怒りの色が消えていた。


「宮廷魔術師レドラム、いや悪魔レドラム!お前の目的は何だ!?」


「そんなもの決まっているだろう。我が主、恐怖の帝王レーヴェウスの復活に決まっていよう」


「そのために、どれほどの命を奪ったのだ貴様!」


「奪った?違うな。人間など我ら悪魔のにえに過ぎぬ。放っておけば勝手に増えるにえだ。それを捕食者である我々がどれだけ食おうが自由だろう?私はここトライスタに、主のための牧場を作ったに過ぎぬのだよ!」


 なんという言い草だ。営みのある人々をただの餌だと言うのか。


「俺たち人間は悪魔の餌なんかでは無い!」


「お前たちとて同じだろう?生きるために家畜を飼い、殺して喰らうだろう。それと何ら変わらんではないか」


 悪魔と人間が……同じ、だと?


「違う!」


 だがレドラムは容赦なく俺の心に言葉を浴びせてくる。


「人間とは我々悪魔の下位種族だ。上位種族である我々悪魔の真似事ばかりしている。戦争然り、殺戮然り。お前はここに来るまでに、どれほどの悪魔を屠ってきた?我々の眷属をどれだけ地獄に送り返してきた?その都度、お前の手足は悪魔の血肉にまみれたのだろう?」


「それは――」


「お前たち人間の残虐さも、我々悪魔より受け継がれたものだ。城の地下を見たのだろう?あれは悪魔ではない、お前と同じ人間の仕業だぞ?」


「あれはお前たち悪魔に操られた人たちがやったことだ!お前たちと一緒では――」


「ハハハハハ、我々はお前たちの心にある残虐性を目覚めさせる炎を灯したに過ぎぬ。王の所業を見ただろう?自分の妻さえも手にかけるほどのあの残虐性を」


「それを呪いというのだろう!お前たちが人々に呪いをかけたことによって王家は滅びたのだ。お前たちさえ現れなければ、ここトライスタの街も、ターコムも、苦しむことは無かったんだろう!」


 だが俺の言葉に、レドラムはゆっくりと首を振った。


「違うのだよ、全ては定められていたことだ。私は定められていたことを始めただけにすぎないのだよ。我々が王にかけた呪いも、その狂気の道を示したのも、その一端に過ぎぬ。これはケンデウス王家の宿命なのだ――」


 レドラムはそう言うと、俺の目の前で両手を広げて言った。


「もう止めることはできないのだよ。おしゃべりは終わりだ、そろそろお前にも死んでもらおう」


 突如、レドラムの体から紫色の稲妻が溢れ、彼女を包み込んだ。すると、その豪奢だった服は破れ、次第に身体が大きくなり、その頭部からは三本の角が生え、背中には大きく広がる羽が生えた。頭頂高約四メートルほどの、大きな悪魔へと変貌を遂げたのだ。


 悪魔となったレドラムが大きく唸り声を上げた。その低音は超振動となり、俺たちがいるこの小さな神殿のあちこちがボロボロと崩れ出した。


「どうせならもっと広い場所で殺り合おうか、改造人間!」


 再びレドラムはより低い声で唸りを上げた。神殿の周囲の石が、みるみる細かく砕かれてゆく。


 俺の体はその振動を吸収し、内部への衝撃を全て防いでくれている。


 と、レドラムの声がやむ。そして、神殿だったはずの周囲の光景はすでに跡形もなく、レドラムを中心としたドーム状の部屋となっていた。もともとの外の部屋だ。先程の神殿の痕跡は、足元に広がる細かな瓦礫と石粉だけだった。


 目の前の悪魔――女性だった痕跡は、その顔と乳房にしか残っていない――は、ゆっくりと戦いの構えをとった。俺もあわせて構えを取る。


 どちらともなく戦いの火ぶたが切られた。


 巨大ながら、レドラムの動きは素早かった。その一撃一撃が鋭く、そして重く俺に向かってくる。俺もそれを躱し、受け止めながら、隙を見て拳を叩き入れる。だが、圧倒的にリーチが違い過ぎた。上手く懐に入れないのだ。


 腕の長さは俺のほぼ倍だ。そして、その指先にはさらに鋭い爪が伸びている。


 何度目かの回避の際、その爪が俺の肩を切り裂いた。深くはないが、血が飛び散る。大丈夫、人工筋肉までは達していない。直ちにナノマシンが傷の修復を開始する。


 レドラムはそのリーチを活かした貫き手を何度も繰り出してくる。


 と、そこに一瞬の隙が見えた。俺は咄嗟に身体を捻りながら、レドラムの頬にカウンターの正拳を入れた。拳は何か固いものを捉え、ボキリと折った。が、俺も胸を少し切り裂かれていた。


 レドラムがプッと口から何かを吐いた――折れた歯だった。


 このリーチ差を埋めるには、やはりアレを使うしかない。


 俺は背中に手を伸ばし、ゲッコー丸を取り出す。


 抜刀――と同時に、レドラムへと斬りかかる。レドラムの貫き手を鞘でいなし、ゲッコー丸を上段から振り下ろす。レドラムは咄嗟に刃を右腕で防ごうとしたが、その刃に危機感を覚えたのか、大きく羽ばたいて後へと飛び退いた。


「その剣……どこで手に入れた!?」


「セドリック王から戴いたのだ!」


 俺は着地と同時に地面を蹴り、レドラムへ飛び掛かる。


 横一閃。


 が、レドラムはすかさず反対側へと回避する。しかし、さすがにその巨体ゆえか全身で避け切ること敵わず、その左の羽がざっくりと刃の餌食となる。


 途端、その傷口に銀色の炎が灯り、メラメラと焼き始めた。


「やはりその力か……クソ忌々しい天使どもめッ!」


 レドラムは警戒し、俺に近づかないように一定の距離を取り始めた。


 天使と言ったか?もしやこの刀も賢者連盟と何やら関係があるのだろうか?


 レドラムは距離を取りながら、俺に人差し指を向けた。



 『警告 冷気反応、前方十メートル』



 あの氷柱だ。しかもでかい。ゲッコー丸で斬るわけにはいかない。


 俺は右回りで回避しながら、徐々にレドラムとの距離を詰める。


 氷柱が二本、三本と発射される。


 左右に躱しながら、少しずつ懐へと近付く。


 四本目が発射されようというその瞬間、俺は身体を低くしてレドラムの腕の下に飛び込み、その腕目掛けて空中へと飛び上がり、ゲッコー丸を一閃した。


 ふっと軽い感触と共に、レドラムの右腕が上腕からぼとりと床に落ちた。と同時に、切断面に銀の炎が灯る。


「わ、私の右腕がっ!」


 まだだ。まだ終わらせない。


 その時俺は空中十五メートルほどの位置にいた。


「もう一本――ッ!」


 右腕の切断面を押さえようとしていた左腕目掛けて、俺は落下の勢いと共にゲッコー丸を振り下ろす。


 左腕の肘から先が再び地面に落ちる。


 これでもう魔法は使えまい。今こそとどめの時。


 俺はゲッコー丸を納刀し、再び空高く舞い上がった。高く、より高く。


 ドーム状の天井に到達する寸前、その天井をさらに強く蹴り、俺は上半身を思い切り捻じって身体をより大きく回転させながらレドラムに足を向けた。



「フロッグ――反転ドリルキック」



 そのつま先はレドラムの中央の角を割り、頭蓋骨を粉砕しながら激しく回転し、胸腔内に突き刺さると心臓をひき肉にし、さらに腹部を突き抜け骨盤を破壊し、貫通した。


 その肉体はさながら血肉のバラの花と化し、その中央には深々と突き立った俺の姿があった。


 ……身体が抜けない。


 破壊され切っていない左右の腸骨を両手で割り開き、俺はやっとの思いでレドラムだったものから抜け出した。




 ドーム状の空間の入ってきたのとは反対側――入ってきたときは小さな神殿のせいで見えていなかった――に、ドアがあった。


 俺はそのドアの向こうの様子をセンサーで探り、異常が無いとわかるとそのドアを開けた。


 そこは小さな部屋で、正面には下に降りる階段が続いており、脇には地下三階で見たものとよく似た、ただし規模の小さな次元の門があった。その向こうは何やら石造りの建物の中のようだった。


 どこに繋がっているのだろうか?


 そっと中に手を突っ込んでみるが、特に変わった反応はない。行ってみよう、と俺は次元の門をくぐった。


 そこは小さな倉庫か何かのようだった。木箱や樽がいくつか置かれ、何やら見覚えのある扉があった。


 上の方には格子窓があり、そこからは見覚えのある建物が見えた。


 トライスタ城。


 そうか、ここは敷地内の倉庫。


 だが、扉には鍵がかかっており、鍵が無ければ外には出られない。


 倉庫内を家探しすると、案外わかりやすいところに鍵が置いてあった。次元の門の真裏だ。次元の門からは行き先の様子が見えているため、その裏側は目に入らない。


 俺は鍵を拾うと扉にさして回した。ガチャリとロックが外れ、扉が開いた。外に出て再び鍵を回して閉めると、空は夕焼けに染まっていた。



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