第二十話  ターコムの街

 後に聞いた話では、ターコムはケンデウス王国のかつての首都だったそうだ。十年前、ケンデウス王家が首都をトライスタに遷都してからは、ごく普通の港町として、国内の貿易の入り口となっていたそうである。トライスタからは南西に位置し、歩いておおよそ一週間の距離にあるらしい。


 俺は次元の門から、このターコムという街の、どこかの裏通りへと現れた。振り返ると、そこには今出てきた地下三階らしき光景が歪んで映っている次元の門が佇んでいた。


 空は曇っていた。まるでこの街の今の惨状を示すような曇天。この街もまた魔王レーヴェウスによって苦しめられているのだ。


 俺が門を出ると、その少し向こうを先程見た悪魔がひょこひょこと歩いていた。裏通りとはいえ、まさか悪魔が堂々と歩いているとは。


 周りの建物には人気は無い。きっとこんな裏通りの人間など、真っ先に悪魔にさらわれ、生贄にされたのだろう。


 俺は、先を行く悪魔を尾行することにした。ステルスモードを起動し、周辺の色に溶け込む。カメレオンほど高精細ではないが、それでも少なくとも見た目はそれなりにごまかせるはずだ。灰色に染まった街ならなおさらだ。


 俺はそのまま壁に張りつき、側面を伝って尾行する。ニホンアマガエルの能力を持つ改造人間の身だ、折角の能力を使わないのは勿体ない。


 悪魔は相変わらずひょこひょこと裏通りを進む。と、やがて港らしき場所に出た。とはいえ、使われていない倉庫が立ち並び、岸には船の一隻もない。


 やがて、その悪魔は倉庫の一つの前に立ち止まると、その入り口となる鉄の扉を開き、中に入った。俺が近くに行く頃には扉はすでに閉ざされてしまったが、倉庫の上の方には格子窓があり、そこから中を覗けそうだ。


 中を覗くと、そこには十数名の人が捕らえられ、縛られていた。先程の悪魔は品定めするかのようにそれらの人の周りをウロウロしている。


 どうやら一時的にここに連れてこられ、その後に改めて一人ずつ次元の門に連れて行っているらしい。となると、簒奪者さんだつしゃドルズという悪魔はまた別の場所にいて、そこでさらう人間を見定めでもしているのだろうか?


 しばらくそこから覗きながら様子を窺っていたが、特に新たな動きは無い。ならば応援が来ないうちに、あの悪魔を倒し、捉えられている人々を救うべきだろう。


 俺は気配を消しながら、入り口の鉄の扉へと向かった。扉の前まで来て、足音を殺して着地すると、俺は音を立てないように扉に慎重に手をかける。


 思ったよりも扉は軽く、静かに開いた。すかさず隙間から体を捻じ込む。


 と、捕らわれている人々が視界に入った。さすがにステルスモードとはいえ、俺の姿は見えているだろう。俺はステルスモードを解除すると、一気に悪魔との間合いを詰めた。


「トウッ」


 背後から近付くと同時に、後頭部に飛び膝蹴りを入れた。その勢いでそのまま頭の角をつかみながら、膝を後頭部につけたまま床に押し倒す。バキャッと鋭いような鈍いような音を立てると同時に、悪魔の頭部が潰れ、辺りに脳漿が撒き散る。


 咄嗟に周辺を見回すが、他の悪魔の姿は無い。


「みなさん、助けに来ました!」


 俺はそう言って手近の縛られている人に近寄るが、その人に避けられた。


「か、怪物!」


 いや、仕方がないのはわかっている。俺の見た目は確かにカエル人間、怪物だ。まして今悪魔にした仕打ちも、傍から見れば残虐行為に他ならない。その俺が助けに来たと言ったところで、そう簡単には信じてくれないだろう。


 俺は改造態を解除し、人の姿に戻り、繰り返した。


「助けに来ました!」


 改めて手近の人に近寄り、縛られた人の縄を解く。


 それでもやはり、改造態を見られた後では、人々の信頼を勝ち取るのは難しい。


 だが、俺は黙々と近くにいる人たちの縄をほどき、解放を続けた。


 最後の一人の縄を解き、俺はまだ入り口近くにいる人たちに言った。


「さあ、早く逃げて!」


 だが、今し方縄を解いた最後の一人がボソッと呟いた。


「どうせ今逃げられても、また捕まるんだ」


「いや大丈夫、これ以上そんなことはさせない」


 今すぐ信じてもらえなくてもいい、だが俺はこの街で人をさらう悪魔を必ず打ち倒し、次元の門を叩き壊す。これ以上の犠牲者を出さないためにも。


 俺はその人の背中に手を回し、出口へと連れて行く。


 と、その時だった。


 俺が歩いてきたのとは反対方向から、縄で縛られた人を五人ばかり連れた悪魔が三体と、その後ろには大きな怪物に跨った偉そうな悪魔が一体、この倉庫に向かってきたのだ。


「あいつだ、あいつが街に来てから、どんどん人がさらわれていったんだ……」


 隣で男が絶望の声を上げた。


「わかった、俺があいつを倒す。必ずだ。だから今は安全なところに避難を!」


 そう言って、俺は向かってくる悪魔の前に立ちはだかった。


「おまえが簒奪者さんだつしゃドルズか!?」


 後方の怪物に乗っている悪魔に、俺は問う。


「いかにも俺がドルズだ、人間。お前も捕らわれたいのか?」


 そうだ、こいつを倒せば、ターコムの街がこれ以上被害に遭うことは無いのだ。


「変……身!」


 俺は掛け声とともに、改造態へと変身を遂げた。


「俺の名は改造人間ヒュージ。悪魔を地獄に送り返す者だ」


 捕らわれの人を突き飛ばし、三体の悪魔が俺をさっそく取り囲む。


「いたぶってやれ」


 ドルズがその三体に命じた。


 だが、所詮は雑魚の悪魔だ。ものの数秒で三体を殺し、俺は再びドルズへと向き合う。


 ドルズが乗っている怪物は、二本の角が生えた猛獣の頭部に、ごわごわとしたゴリラのような長い腕と短い脚を持っていた。体高はおよそ三メートル。その背には鞍が取り付けられ、そこにドルズは悠々と跨っていた。そのドルズも、他の悪魔よりも遥かに体格が良く、また禍々しさも並外れていた。ドルズ自体も身長は二メートル半はあるだろう。このコンビ、厄介さで言えば、昨日のシェフ気取りよりも格段に上だろう。


「人間のクセにやりよるな。だが俺には勝てんぞ」


 いうや否や、ドルズの乗る巨獣が腕を振り上げ、ブン、と空気を震わせながら俺にその腕を叩きつけてきた。さすがに死ぬことは無いだろうが、直撃を受けたら後方にぶっ飛ばされるのは目に見えている。俺は咄嗟に空中へジャンプし、着地際に地面に突き立った巨獣の拳を狙い蹴りを繰り出す。だが敵も素早くその拳を引っ込め、俺の蹴りも空振りに終わる。


 しかし、俺はその引っ込めた腕を追った。と同時に、その腕に正拳を叩き込む。


「トウリャァーッ」


 拳は巨獣の前腕に勢いよく炸裂し、その筋肉へとめり込む。拳を抜くと、その傷口からドプッと血が洩れた。巨獣が痛みの叫びを上げ、後に一歩、二歩と後退する。だが、上で手綱を引いているドルズはそれ以上の後退を許さず、再び巨獣を俺にけしかける。


 と、巨獣が後ろ足のみで立ち上がり、傷ついていない方の腕を、手を広げて振るってきた。見るからに切れ味の良さそうな鋭い爪が何本も並んでいる。俺は後方へ身を翻すと、目の前に広げられた巨獣の手の甲目掛けて中段蹴りを放った。蹴りは手の甲にめり込み、中指と思われる骨を折る。痛みに動きを止めた巨獣の手の甲に、俺は拳の連打を浴びせた。


 何度も拳が巨獣の手の甲に突き立ち、やがてそれを粉砕した。


 これで巨獣は両の手に怪我を負い、そう素早くは立ち回れまい。


 ドルズの目は俺を憎々しげに睨んでいるが、対して巨獣は恐怖の色を浮かべていた。


 この隙に巨獣は沈めてしまった方がいいだろうと踏み、俺は飛び上がって巨獣の角を掴みながら、その顔面に膝蹴りを見舞った。鼻先を激しく陥没させられ、巨獣はもがき、暴れ回る。さすがにその暴れざまに耐えられなくなったのか、ドルズは巨獣から逃げ降りた。


 俺も振り落とされる前に角から手を放し、一度着地すると今度は大きく空にジャンプした。高度二十四メートル。



「フロッグ――垂直蹴り」



 ほぼ真下にかかる重力エネルギーを一点に集中させ、俺の足が巨獣の脳天を貫く。


 ドン、と鈍い音を立て、俺の貫通した蹴りが地面に突き立った。もちろん、俺の足は着地のショックに耐えられるようにできている。足元から、ジュゥッと焼けこげた音がする。


 巨獣の頭部は激しく爆ぜ、その断面には焦げが残っていた。蹴りの勢いが摩擦熱と化し、衝撃と同時に激しい炎となったのだ。


 頭部を失った巨獣はその場でぐらりと倒れ込んだ。


「貴様!」


 その様子にドルズが怒りを見せる。


「次はお前の番だ、簒奪者さんだつしゃドルズ!」


 俺はドルズを指さす。


 ドルズが構えを取る。それに合わせるように、俺も身構えた。


 耳の上から上に向かって伸びたドルズの角が、禍々しい光を帯びた。


「喰らえ!」


 その声と同時に、紫色に光る激しい稲妻がその角の間から発生し、俺に襲い掛かった。


「くっ!」


 その衝撃に、思わず俺の口から声が洩れる。全身がびりびりと痺れる。電撃だと?そんな馬鹿な、俺の体は絶縁体のハズだ。


 しかし、その正体は俺の視覚情報で明らかになった。この電撃は魔力によるものだ。


 これを何とかするには、あの角を折るしかない。


 魔力の電撃を食らいながらも、俺はドルズに挑みかかる。跳躍からその角目掛けて手刀を見舞う。だが、敵もそれを見越して頭を逸らし、俺の攻撃は空振りに終わる。


 なおも続く電撃。ダメージ自体は微々たるものだが、痺ればかりはどうにもならない。


 ならば……!


 俺は背中に背負うバッグから、魔剣ゲッコー丸を引き抜いた。鞘から抜刀し、その鞘をベルトに挟むと、両手でゲッコー丸を構えた。すると、ゲッコー丸が避雷針の代わりとなったのか、魔力の電撃はゲッコー丸に集中する。無論、そのまま電撃は俺の体に伝わってくるわけだから何の変りもないのだが。


「セイッ」


 痺れる身体に鞭うちながらも、俺はドルズに剣戟を叩き込む。しかし、敵はその攻撃を見切り、躱してくる。


 だが俺は休む暇を与えず、何度もゲッコー丸で打ち込む。一撃でもあの角に当たってくれればそれでよいのだ。


 そして、その隙はついに訪れた。俺の剣戟を避けることに必死になるあまり、足元に転がる巨獣の死体にドルズが足を取られたのだ。


 チイィィン、と鋭い音と共に、ゲッコー丸がドルズの両角を捉えた。その断面はあまりにも美しく、俺は一瞬目を奪われたほどだ。だが、その一瞬のちに、角の断面に銀色の炎が灯り、ジュウジュウと音を立て、泡立ち始めた。


「ぐおぉぉッ、角が、角が痛むッ!」


 無論、角を斬った時点で魔力の電撃は無くなっている。俺はようやく体の痺れから解放された。


 ドルズは角が銀色の炎に包まれていることに苦悶していた。今がチャンスだ。


 俺はゲッコー丸を納刀すると、ゆっくりとドルズに向かって歩を進めた。


「終わりだ、簒奪者さんだつしゃドルズ」


 俺は右足に渾身の力を込め、ドルズを空中高くに蹴り上げた。


 そして、落下してくるドルズの頭を目掛け、



「フロッグキック――」



 言うと同時に、俺は後を振り向きながら上段回し蹴りを決めた。


 パンッ、という音と共に、ドルズの頭が爆ぜる。


 俺の後ろでドサリという音と共に、ドルズの身体が地面に激突した。




 ドルズを倒したのち、俺は次元の門を再びくぐり、地下三階へと戻るとその次元の門を構成する枠をゲッコー丸で粉微塵に切り裂いた。次元の門だったものは銀色の炎に焼かれ、やがて白い灰となって燃え尽きた。


 と、その様子を見ていたのか、ソーニャが俺の元へてくてくと歩いてきた。


「ソーニャ、簒奪者ドルズは俺が倒した。ターコムの街はもう大丈夫だ」


 俺の言葉に、ソーニャは少し嬉しそうに笑った。



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