第十九話  地下三階

 昨日フォールと共に脱出した、反対の町はずれにあるダンジョンの入り口から、今日の攻略がはじまった。改めてダンジョンの入り口を見ると、周囲はわりと巧妙に隠されており、しっかりと探索するつもりでも無ければそう簡単には発見できないようなものだった。


 そして、悪魔共はここから街へ出入りしては人をさらい、あのシェフ気取りの悪魔のために牢獄へととらえ、悲惨な死を遂げていたのであろう。何とも惨い話だ。


 俺は入り口から改めて地下へと潜った。出てきたときはさほど気にはならなかったが、通路は割と急勾配だった。ここを早足で抜けたと考えると、フォールもなかなか鍛えられているのだとわかる。


 やがて、牢獄部屋の扉に突き当たった。俺は改造態に変身し、スキャンの反応を見る。センサーは特に反応ない。


 俺はそのまま扉を開け、中に踏み込んだ。そしてそのまま悪魔のキッチンへと向かう。


 悪魔の死体はそのまま放置されていたが、料理されていたはずの男の死体が無くなっていた。フライパンの上にあった輪切りは、黒焦げになっていた。


 まずは例の大きな鉄の扉に向かおう。


 脳内のマップを頼りに、周囲に気を配りながら迷宮を進む。


 そして、開けっ放しにして放置していた例の大きな鉄の扉の前に辿り着いた。


 アリサの予知夢によれば、ここに地下三階への階段があるのだという。そしてその地下三階には、多くの幽霊がひしめきあっている、と。


 俺はセンサーをフル回転で作動させ、何か異変や仕掛けは無いかと丹念に探った。だが、隠し扉やスイッチ、幻影、そういったものは何一つ見つからなかった。


 どうなっているのだ?何も無い。アリサの予知夢が外れたということなのか?そんな馬鹿な。


 と、その時だった。


 迷宮側の石の床から、突然青白い半透明の何かがすうっと伸びてきたのだ。


 それは、一本の腕だった。その細さから見て、きっと女性の腕だろう。そしてその指には、豪奢な指輪がいくつも嵌められていた。見覚えがある。


 そうだ、この手指は、アンゼリカ王妃の――。


 俺は思わず、その手を掴んだ。半透明の、幽霊のような手を。


 だが、半透明ながらその手には確かに感触があった。そして掴んだと同時に、俺はその手に引っ張られた。


 ズリッとそのまま、床にぶつかる――そう思った瞬間、俺の腕が、顔が、身体が、床下に引きずり込まれた。まるで俺が幽霊になったように、まるで石床をすり抜けたように――。


 すり抜けた先は、下へと続く階段だった。思わず上を見ると、そこにあるはずの天井は無かった。そのまま階段の上、つまり地下二階の天井が見えた。


 俺の手を握っていたのは、やはりアンゼリカ王妃の霊だった。その首に傷跡は無かった。


「わらわの呪いは解けたようね」


 アンゼリカの霊は俺にそう語り、フフッと笑みを浮かべた。そして俺の視線に気付いたのか、首にそっと指を這わせると、


「そなたのやさしさのおかげで、わらわの首には傷は無いぞ。そして、こうやってそなたをここへ導けた。これでわらわはもう思い残すことは無い。安心してセドリックの元へ逝ける」


 そう言って、アンゼリカの霊は微笑みを浮かべる。


「そうだ、勇者よ――」


 そう言って、アンゼリカの霊は俺の手を握ったままそれを上に持ち上げると、握った手を放し、その中指に嵌まっていた小さな宝石の付いた指輪を外すと、俺の右手の小指にそれを嵌めた。霊体の指輪がそのまま俺の手に残る。


「その指輪をつけている限り、そなたは霊体に触れることができる。それはわらわからそなたへの個人的な礼だ。受け取ってくれ」


 なるほど、この指輪の存在が、俺がアンゼリカの霊に触れられた理由だったのか。そしてそれはアンゼリカから俺に譲られた。だからこそ、まだアンゼリカの霊に触れていられるのだ。これから数多の幽霊を相手に戦うとするならば、これはなによりも助かる品だ。


「ありがとうございます、アンゼリカ王妃」


 俺は感謝の礼と共に、頭を下げた。


「では、わらわはそろそろ逝こう。どうか魔王を滅ぼし、この街を救ってくれ、勇者よ」


 アンゼリカの手が俺から離れ、その姿はゆっくりと上へと上って行った。


「セドリック王と再会できることを願っております」


 俺はそう言って王妃の霊に別れを告げた。


 王妃の霊は、最後まで微笑んでいた。




 さて、地下三階だ。やっとここに辿り着けた。


 今までの階と違い、地下三階は妙に乾いた印象だ。普通なら、幽霊といえば墓場のじめっとした空気感を想像するだろうが、どうにもその印象とはかけ離れている。むしろカサつくようなこの空気は、ミイラか何かを想像する。


 だが――やはり出るものは出るのだ。


 幽霊。


 姿はただの町人の男のようだが、その顔は狂気に歪んでいた。


 センサーには一切の反応は無かった。やはり感知できる存在ではないということか。


 その幽霊は声にならない叫びを上げながら、俺に向かってきた。


 ただがむしゃらに掴みかかってくるようだが、伴い何か寒気のようなものを引き摺ってくる。


 触られてはマズい、と俺の勘が囁く。咄嗟に俺は横に避けた。


 だが、戦うには触れなければならない。いや、さっきアンゼリカから貰った指輪の力で触れることはできるのだ。だがこの寒気は大丈夫なのか――?


 いや、考えていてばかりではどうにもならない。


 俺は横を過ぎ去り、こちらを振り向いた幽霊に挑みかかった。


 正拳突き。


 拳は幽霊の顔面を捉えた。その顔面は拳の威力にひしゃげ、幽霊の体が後方へ吹き飛ぶ。


 と同時に、拳になにやらひんやりとする感触が伝わった。冷気とも違う。ふと拳を見るが、特に異常はない。視覚情報にも負傷の情報は無い。


 俺の、幽霊に対する先入観だろうか?


 ただひんやりするだけなら良いのだ。改造態の俺は両生類の特性を持つ。つまり変温動物。冷えたところで影響は……あるのか。むしろ弱点だ。


 俺は再び構えを取る。吹っ飛ばされた敵も態勢を立て直し、こちらに再び向かってくる。


 おや?そういえばこいつら足がある。俺の知っている幽霊には足なんて存在しなかったはずだ。先程のアンゼリカ王妃の霊の段階で気付くべきだった。俺の知っている幽霊とは違うのだ。俄然戦える気が湧いてきた。


 向かってくる幽霊に、俺は気合のハイキックを入れた。


 パン、という音と共に、幽霊の頭が破裂し、その場でゆっくりと消滅した。


 だが、やはり俺の足の甲にはひんやりした感触が伝わっている。


 改めて脳内のコンピュータに異常を問うが、反応はない。体温も正常だ。


 気のせいにしておこう。


 気を取り直し、地下三階の探索を再開する。


 地下三階の作りは今までの階とは違い、その雰囲気も含めて墓標のない墓場、という印象だ。存在するのは大半が幽霊だが、その幽霊にも敵対して襲ってくるものからまったく無害なものまで多岐にわたる。また、時々それら幽霊をどこかへ引っ張っていく悪魔がいるのだが、そいつらは例外なく俺の姿を見ると襲い掛かってきた。


 幸い悪魔はセンサーがしっかり存在を捉えてくれるので対処が効くが、幽霊に関してはその対処が利かず、稀に不意打ちを食らうこともあった。とはいえ、きっとアンゼリカに貰った指輪のおかげだろうか、本来なら通り抜けて心臓をつかみに来るような攻撃が俺に対しては普通に打撃として当たるので、ダメージはほとんど無いに等しい。


 やがて、俺はある部屋へたどり着いた。


 そこには半分床に埋まった巨大な窯があり、その窯には半透明の青緑っぽい液体が満たされ、その周りには窯をかき回す数体の悪魔と、窯に幽霊を叩き落とす数体の悪魔がいた。どうやら幽霊を引き連れた悪魔はこの窯の部屋を目指していたらしい。


 窯に落とされた幽霊は苦しみながら窯の液体に溶け、消滅してゆく。


 悪魔たちは自分の作業に一心不乱で、俺の存在には気付いていなかった。が、たまたま幽霊を窯に突き落としたばかりの悪魔がこちらを振り返った時、その悪魔と目が合った。


 悪魔はもちろん俺に襲い掛かってきた。するとその騒ぎに気付いた他の悪魔たちも俺の周りに集まり、俺は悪魔の集団に取り囲まれることとなった。


 だがこの状況、俺にとってみればヒーローが敵戦闘員に取り囲まれているのとそう変わらない。むしろ普通に死んでくれる分マシだともいえる。


 戦っている最中、物は試しと悪魔の一体を窯へと放り投げ込んだ。するとどうだろうか、幽霊と違い、悪魔はブクブクと中に沈んでいき、やがて死んでぷかりと浮いた。溶けはしないらしい。


 敵の集団とのケリがつき、俺は改めて窯の周りを見回した。幽霊は今はほとんどいない。が、部屋の隅に一人だけ、ちょこんと座っている少女の霊がいた。


 俺は彼女の存在が気になり、近付いて話しかけてみた。


「どうしたんだ?」


「窯を見てたの」


 少女の霊は俺の言葉に普通に返事をする。


「俺はヒュージ。きみは?」


「わたしはソーニャ。おじさん、生きてるのね」


 おじさん……?何気にその言葉が引っ掛かる。いや、少女におじさん呼ばわりされたことは別にどうだっていい。そのくらいの年代の子が俺くらいの男をおじさんと呼ぶのも普通にあることだと思っている。問題はそこではない。俺はアマガエル男の外見をしているのだ。


「おじ……さん?ソーニャは俺の姿、見えていないのか?」


「見えてるわよ、魂の形が」


 そういうことか。彼女に見えているのは俺の外見ではなく、中身だということか。もしかして幽霊というのは得てしてそういうものなのか?とすれば、霊体となっていたアンゼリカにも、俺の変身態ではなく人間態であろう魂の姿が見えていたのだろうか?


 それよりも、ソーニャが見ていたというこの窯。


「この窯は何なんだい?」


「人の魂を魔王に捧げる窯よ。ここに連れてこられた人は、遅かれ早かれこの窯に投げ込まれるの」


 やはりそういう代物か。それにしても、ここに連れてこられるとは、どういう事だ?


「どこからここへ連れてこられるんだ?」


 するとソーニャは、


「おじさん、ついてきて」


 そう言って立ち上がると、俺の手を引き、トコトコと歩き出した。


 ソーニャに引きずられ、俺は迷宮のさらに奥へと案内された。するとそこには、またしても驚くべきものが立ちふさがった。


 天井を突き抜け、上の階へまで伸びている白骨の山。


 俺は思わず、脳内のコンピュータのマップ情報を呼び出し、二階と照らし合わせた。


 案の定だ。城の地下二階で、スケルトンが誕生していた骨の山の穴。その真下にここが位置していた。


 そして驚くことがもう一つ。さらに奥の部屋から生きた人間が悪魔によってここへ連れてこられ、この骨の山に生き埋めにされているのだ。そして生き埋めにされた跡から、その人物の幽霊が這い出して来るのだ。


 生きた人を拉致し、ここで幽霊を生み出しているというのか。これも魔王の贄とするために……?


「連れてこられた人はみんなここで殺されているのか?」


「そう。私もここでああやって殺されたわ」


 ソーニャはそういうと、さらに奥の部屋――今し方生きた人が悪魔に連れられてた部屋へと俺を引いて行った。


 そこにはまたしても驚くべき光景が広がっていた。何やら空間を捻じ曲げたような景色が浮かぶ、窓のような建造物が部屋の中央にあった。先程生きた人を連れてきた悪魔が、ちょうどその中に入っていくところだった。


「な、何なんだここは……?」


「次元の門っていうらしいわ。私たちはこの向こうから連れてこられたの。ターコムっていう街よ」


 よその街から連れてこられているというのか。そしてこんなに大勢の人たちがここで殺され、幽霊にされ、魔王の贄にされているというのか?なんと悪辣な。


「この向こうにね、簒奪者さんだつしゃドルズっていう悪魔がいて、ターコムの街からみんなを引っ張って来てるの。大人も子供も、みんな」


 ソーニャは悲しそうな顔をする。


「そうか。その簒奪者さんだつしゃドルズって奴を倒せば、ターコムの街の人はこれ以上苦しめられずにすむんだね?」


 俺の問いかけに、ソーニャはコクリと頷いた。


「わかった。その悪魔は俺が倒してくるよ。ソーニャは安全なところで待っていてくれ」


 俺の言葉に、ソーニャは再びコクリと頷いた。



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