第十六話 アリサ・グリーバー
アリサ・グリーバーは幼少の頃からひときわ変わった夢を見る女の子だった。
アリサの母親は彼女を産んだ際に亡くなり、その後父親は妻の母、つまりアリサの祖母に当たるプラム・グリーバーを頼ってトライスタの街にやって来た。しかし、その父親も若くして病に倒れ、アリサは生後半年で両親を失うこととなった。
その後、アリサは祖母によって育てられ、今から二年前、アリサが二十二の時に原因不明の――一部からは呪いではないかとも疑われた――病で祖母を失った。
アリサの祖母は古くから魔術師兼錬金術師として研鑽を重ねてきた身で、その技術は孫娘であるアリサにも受け継がれている。祖母は人当たりも良く、快活な性格で街にもよく馴染んでいたが、その職業柄、時に親しみを込められ、時に悪意を持って、魔女と呼ばれていた。
そのプラムの技と知識、そして性格を受け継いだアリサも、やはり祖母の跡を継ぎ、今の家でポーションや魔法の道具の販売、魔法のアイテムの鑑定をするようになり、魔女の二つ名を受け継ぐことになった。
だがそれ以上に、アリサには魔女たる特異な要素があった。そのひときわ変わった夢を見る、という能力である。
それが発現したのは、アリサが三歳のころだった。アリサが夢の内容を祖母に伝えるようになったのだ。それも連日、同じ内容の夢を。その内容は他愛もないものから深刻なものまで多岐にわたり、そして何より奇妙な事に、その夢は後に必ず現実となった。
プラムはそれを予知夢と知り、もし回避できうる内容であれば、その内容を関わる人に忠告するようになった。時にはそれが功を奏して悲劇を事前に防ぐこともあったが、ほとんどは忠告が意味をなさず現実として降りかかることが多かった。
悪意を持って魔女と呼ばれたことの原因が、プラムのこの忠告であった。
幼い頃よりプラムのそうした行為を見てきたアリサは、祖母が善意で忠告してもそれが悪意で返ってくることを哀しみ、やがて、余程の事がない限りは予知夢についてを話すことをしなくなった。
彼女の予知夢は、王家がトライスタに移住してきたことや、その後王家に降りかかった災い、そして魔王の復活についてなどをも言い当てていたが、これらに関しては、どういうわけかプラムは第三者には何一つ口外しなかった。
これには、実はある理由が存在していた。というのも、プラムはある理由でトライスタに定住していたのだが、その定住も含め、とある組織に属していたからだった。
賢者連盟。
それが組織の名だ。その誕生は数千年以上前に遡るのだが、世界中に存在する魔術師のうち、ある存在によって啓示を受けた者たちが独自で作り出した、対魔王組織である。
プラムは、組織の一員として早くから世界に七体いると言われる魔王の存在を知り、その内の一体、恐怖の帝王レーヴェウスがいずれこのトライスタに現れるであろうことを予言により知らされ、三十年前に移住してきた。そう、その魔王出現の監視のために。
故に、魔王の復活やその後の一連の王家の出来事に関しては、一切口を噤む以外に選択肢が無かったのだ。逆にそれを公にしていれば、真っ先に命を狙われたのはプラムとアリサだったであろう。
その代わり、プラムは賢者連合に所属する者たちと常にコンタクトを取り、魔王の動向を各地の組織員に伝えていた。そして時には戦士を要請し、裏から対魔王の支援を行ってきた。
しかし二年前、そのプラムは呪いと思われる謎の病でこの世を去った。それは、セドリック王が騎士団長ダナールによって殺され、王家が滅びた時期とほぼ重なる。つまり、魔王の動きがより活発化した時期だった。
さらに不幸な事に、アリサは賢者連盟についてはほぼ何も知らされていなかった。時々プラムを尋ねてくる組織に属する魔術師達を、アリサは祖母の友人としか思っていなかった。
そして、プラムの死を知った組織の者たちは、プラムの死後、アリサの元を訪れなくなった。
それから一年半ほどが過ぎ、アリサはまた毎晩のように同じ夢を見るようになった。
街が火の海となっている中、アリサの前に立ちふさがる魔王レーヴェウス。だが、夢は決まってある男性が彼女の前に立ち、彼女を庇い、魔王に戦いを挑むところで終わるのだ。
夢に出てくるその男性は、黒髪に黒い瞳を持ち、優しい顔でいつも力強くアリサに向かって頷き、そして魔王へ立ち向かっていくのだった。
何度も同じ夢を見るうち、アリサの心はその謎の男性に惹かれていた。自分を守ってくれる、私だけの勇者様。アリサはいつしか、その男性に恋をしていた。
四か月ほど前、アリサは祖母が残した古代語で書かれた魔術所の中に、偶然、『予知夢に見た存在を召喚するための魔法陣構築方法』という記述を発見した。これがまさに彼女の運命の分岐点であった。
思い焦がれる夢の中の男性に会いたい一心で、彼女は必死に古代語を解読し、魔法陣の構築に必要な触媒を集め、術式を訓練し、そして何度も魔法陣の描き方を学んだ。
発動に必要な魔力を魔力薬としてプールし、術式を空で暗唱できるようになるまで何度も繰り返した。
そしてついに四日前、全ての準備が整った。
アリサは逸る気持ちを抑え、家の近くの橋の近くの河原で、召喚の儀式を行った。
術式は完璧だった。魔法陣の構築にも一切のミスは無かった。必要なだけの魔力も充分に注ぎ込んだ。そして、魔法陣は確かに輝いた。
輝いたのだが、魔法陣に誰かが召喚される気配は一向になかった。そして、魔法陣は静かに消えた。
一時間経ち、二時間が過ぎても、何も現れない。
術式が失敗したのかもしれないと途方に暮れ、アリサは重い足取りで一度家に戻った。
しかし、やはりどこか諦めがつかなかったアリサは、夕刻過ぎにもう一度河原へ行った。そしてそれから数時間後、再び魔法陣が輝いた。そして、その上には何やら人影にも見えなくもないものが召喚されていた。いや、伸びた……巨大なカエル?そして、そのうち魔法陣は再び輝きを失った。
声をかけるにもかけられずに躊躇しているうち、なぜか酔っぱらいの若い男の集団が現れ、その巨大なカエル人間を踏んだり蹴ったりし始めた。悪魔の手先だの怪物だのと罵りながら。
やがてそのカエル人間は意識を取り戻したのか起き上がったのだが、酔っぱらいは一向に暴行をやめなかった。それどころか、剣を持っていた男があろうことか斬りかかったのだ。しかし、そこで驚くべき出来事が起きた。カエル人間が腕を交差し、剣を食い止めたのだ。やがてカエル人間はその場で立ち上がるも、暴力行為など一切せずに会話で何とかしようと努めた。にもかかわらず、剣を持った男が再び斬りかかる。が、そこで再び驚くべき光景が繰り広げられた。カエル人間が素手で剣を受け止め、それを叩き折ったのだ。
それに驚いた酔っぱらいたちは、銘々焦りながら一人、また一人と去って行った。そして剣を折られた当人が去ると、カエル人間は辺りを見回し、やがて橋の下にいるアリサに気付いたかのように近付いて行った。
アリサも、そこにきてようやく声を掛けねば、と姿をみせ、カエル人間に近付いた。
「やっぱり召喚が成功したのね!来てくれてありがとう、勇者様!」
逸る気持ちを抑え、アリサがそう声をかけた。
「いや悪い、人違い、いや、カエル違いじゃないのか?」
カエル人間が半ば焦りながら応えると、アリサは堂々と続ける。
「間違いじゃないわ、私が結んだ魔法陣で召喚されたんですから!ちょっとタイムラグはあったんだけど……」
カエル人間はそう聞いてややしばらくアリサを観察するように見てから、ぽつりと尋ねた。
「えーと……誰、ですか?」
だが、そう聞いて一瞬のち、改まって言い直した。
「あいや、まずは俺から。カワズヒュウジ、職業は大学生、でした。今は改造人間……です」
そう言って、カエル人間――カワズヒュウジはペコっと頭を下げた。
「えーと、私はアリサ・グリーバー。魔術師兼錬金術師よ」
アリサも、改まって自己紹介する。
カワズヒュウジと名乗った目の前のカエル人間は、カエルというには巨大すぎ、人間というにはやや不格好過ぎた。手足は人間のそれだ。腰には何やら奇妙なベルトを巻いている。
体色は鮮やかな黄緑色で、目がクリっとしていてかわいらしい。鼻から耳を経由して首元まで黒いラインが走り、口からお腹にかけては若干灰色がかったクリーム色をしていた。
決して不気味ではない。むしろ愛嬌があるな、とアリサは感じていた。
「すると、要するに魔術師のあなたが、魔法陣を使って俺を召喚した、と。そういう事?」
さしたる驚きも見せずに、カワズヒュウジはそう尋ねる。
「そうよ。私の魔術で、異世界から勇者を召喚しようと思って今日のお昼ごろ魔法陣を使ったんだけど、その時は何も現れなくて。失敗しちゃったって思っていたんだけど、なんとなくその後も気になってて、それで夜になって様子を見に来たら魔法陣を描いた場所にあなたが転がっていたの。それで声を掛けようかどうしようか迷っていたら、酔っぱらいの集団があなたの事を見つけちゃって……」
アリサの説明に、カワズヒュウジは納得したようだった。
ふとそこで、彼は何かに気付いたかのように言う。
「えーと、驚かないでくださいね」
すると、突然カエル人間の体表が身体の中央に吸い込まれるようにズルリと飲み込まれ、それを覆うかのように背中から奇妙なオレンジの服装の男の姿が現れた。その時間、およそ五秒。あっという間だった。
そこに立っていたのは、アリサの夢にこの半年間いつもでてきていた、黒髪に黒い瞳のあの優しそうな青年だった。
「これが、俺の本当の姿です」
その瞬間、アリサの顔に驚きと嬉しさが浮かんだ。
そして彼女は思わず、全力で青年を抱きしめていた。
鼓動が高鳴る。心の底から嬉しさが込み上げてくる。夢で見続けた青年が、やっと彼女の目の前に現れてくれたのだ。
「良かった……やっぱり私の勇者様だった!」
どれだけ彼に恋い焦がれていたことか。半年に及ぶ一方的な恋が、ようやくスタートラインに立った瞬間だった。
「あ、あの、アリサさん、こういうの、すっごい嬉しいんですけど、ひとまずどこか落ち着けるところで色々お話を聞かせてもらえませんか?」
青年も、嬉しさ半分、驚き半分といった様子で戸惑いながらも、そうアリサの耳元で囁いた。
その言葉に、アリサはしまった、といった顔つきで飛び跳ねるように青年から離れ、申し訳なさそうに言う。
「あ、ご、ごめんなさい!あまりにも嬉しくって、つい……」
そう言って落ち着き払ったようなふりをしながら、アリサは立ち上がり、続けた。
「じゃあ、うちに行きましょうか」
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