第十五話 魔女の家 第四夜
人をさらう悪魔が出るのが反対の街はずれだったとわかったとはいえ、やはり心配なものは心配だ。
大丈夫だとは思うが、やはり顔を見るまでは安心できない。何というかヤキモキするのだ。
俺は正直、自分がここまで心配性な人間だとは今まで思ってもいなかった。
だが、アリサという想い人ができて、俺の心は一変した。
今までろくに恋などしてこなかったから、人を好きになるということがここまで自分を変えるなんて考えたことも無かった。
俺の世界は今までは自分の事だけを考えていればよかった。何しろ天涯孤独の身で俺を縛ることなど何も無かったし、何かあっても自己責任、としか考えていなかった。
それがどうだ、今では何よりもまずアリサのことが大事で、自分の事など二の次。彼女が幸せなら俺も幸せだし、彼女のためならこの命すら惜しくもない。彼女を守るためなら何だってする――人のことなど二の次だったはずの俺が、この僅か四日でここまで変わるなど一体誰が想像しただろうか?
以前の俺を知っている奴が今の俺を見たら、絶対に驚くだろう。何がそこまでお前を変えたんだ?と。
俺は今、色んな不安を抱えている。探索を進めていくにつれ、敵がどんどん強くなってきている。果たしてそんな中で俺は生き延びることができるのだろうか。
そして、自分の死を恐れている。なぜなら、俺が死んでしまったら、一体誰がアリサを守るのか。
俺は彼女と約束した。この街に降り立った魔王を倒し、彼女を救うと。彼女の勇者であり続けたいし、何より今はそれが俺の生きがいだ。
半年前、組織にさらわれ何度も人体改造を重ねられた結果、俺は改造人間となった。そして最後の手術に至り、俺は自分が失われるであろうことを半分受け入れていた。
だが今はどうだ?自分が失われることなど絶対にごめんだ。俺はアリサのおかげで命を取り留めたのだ。ならば、俺は彼女のための騎士であり、勇者でありたい。
そしてもう一つ。俺はアリサのおかげで人間性を保っていられる。本来であれば、改造人間たる自分は戦うための人間兵器のようなものだ。敵を倒すことに感情はなく、ただ黙々と敵を殺していくことが自分に課せられた役割なのだと思っただろう。
だが実際はどうだ?敵は悪魔とは言えど血肉があり、骨もあれば感情もある。そんな連中を殺し続けていけば、どこかで歯車が狂うだろう。人間の精神はそんなにタフではない。
今日、あのシェフ気取りの悪魔と戦った時、俺は明確な殺意を持った。今まで戦ったどの敵よりも、あの悪魔を激しく憎悪した。その感情は、本来人間が持っていいものではない。たとえ相手が悪魔であれ、だ。
戦うならば、本当ならば、粛々と敵を倒していくべきなのだ。だが俺の心は弱い。感情に揺さぶられるし、血肉を持つというだけで相手を人と同一視――とまではいわないが、そこに罪悪感を感じている。それを押し殺しながら俺は戦っている。本当ならば狂ってしまいそうな心を抑え込んで戦っている。
そんな俺を救ってくれるのが、アリサの優しさなのだ。
どんなに辛かろうが、苦しかろうが、彼女に抱きしめてもらえるだけで、俺はまた戦える。そして、また彼女のために戦おうという気持ちにさせてくれる。
アリサがいるからこそ、俺は道を踏み外すことなく正気を保っていられるのだ。
俺は彼女を失いたくないし、そして俺にもしものことがあったら、と考えるとその結果も怖い。
だから決めた。
俺は今夜、彼女に自分の気持ちを伝えよう、と。
「アリサさん、ただいま」
ダンジョンを出たのが夕刻前だったこともあり、今日の帰宅は早かった。
アリサは相変わらずの優しい笑顔で俺を出迎えてくれた。
「おかえりなさい、ヒュージさん」
彼女の顔を見て、俺はいったいどれほど安堵した事か。
「良かった、無事で」
俺は無意識にそう呟いていた。
「どうしたの?何かあった?」
アリサは心配そうに俺の顔を覗き込む。
「うん、実は、今日ダンジョンの中でフォールという男と知り合いになったんだ。彼はダンジョンの中で捕らわれの身だったんだけど、なんでも最近街はずれに悪魔が出没して、かなりの人数がさらわれているって聞いて――」
「私の事、心配してくれたんだ?」
アリサはにっこりと笑って、俺の手をその両手で握った。とても暖かくて、滑らかな優しい手だった。
「結局街はずれとはいってもこことは正反対の方だったんだけど、やっぱりどうしてもアリサさんの事、心配になって……」
「ありがとう、ヒュージさん」
そう言って、アリサは俺に抱き着いてくる。ああ、これが幸せってやつなんだ。
彼女がこうしてくれる限り、俺は何度だって立ち上がれる。
夕食を終え、アリサが片づけをしている姿を見ながら、俺はふと思ったことを呟いた。
「アリサさん、今日の服もよく似合ってるね」
今日の彼女は、いつものショートパンツとタンクトップに赤の革チョッキ姿ではなく、黒いノースリーブのワンピース――アクセントとして二cmほどの太さの赤いラインが左胸で十字に交差していた――の上に赤の皮チョッキというスタイルだった。彼女の体のラインの美しさが存分に引き立っている。
「ありがとう!今日建設屋さんに行くのにちょっと気分を変えたくて」
宝物庫の件だ。
「どうだったの?」
「うん、さすがにいきなり宝物庫だと変に疑われると思って、頑丈な倉庫をお願いしますって頼んだわ。扉には丈夫な鍵をつけて欲しいって。今日うちの土地も見てくれて、大体の場所と大きさも出してくれたの」
思ったよりも仕事が早い。それなら安心して仕事が頼めそうだ。
「それでねヒュージさん、完成したら結界を張りたいと思って、おばあちゃんの魔導書を色々調べていたんだけど、その中に古代文字で書かれた魔導書があって、もしかしたらヒュージさんなら読めるんじゃないかって思って、帰ってきたら相談しようと思ってたのよ」
なるほど、結界か。さすがは魔術師。
「うん、俺で読めるなら手伝わせてよ」
俺がそう答えると、アリサは研究室の奥に行き、一冊の古い魔導書を持ってきた。
表紙には『結界系統魔術大全』とあり、その下にもラベルが張られ同じ内容が別言語――普段からよく見る、この世界での標準語だろう――で書かれていた。
「上に書かれているのが古代文字だね?」
俺がそう尋ねると、アリサはうん、と頷く。
「読めるの?」
「うん、上下とも同じ内容が書かれているよ」
なるほど、やはり上の文字が古代文字か。
その魔導書にはいくつもしおりが挟まっており、それだけでも研究の熱心さが伝わってくる。
「私も多少は古代文字を勉強しているんだけど、難しい表現とか言い回しとかでわからないことも多くて」
言いながら、アリサは魔導書のしおりの挟まったとあるページを開く。
俺はさっそくそのページを覗き込む。
「『限定対象者のみを通す建造物用結界』か」
「そう。私とヒュージさんだけが入れるようにしようと思って――」
「なるほど、完璧な泥棒除けになるね」
言いながら、そのページの文面に目を通す。と、視覚情報に文字が浮かぶ。
『文字言語パターン解析完了』
おいおい、たったこのページだけで古代文字まで解析したというのか。何気にすごいんだな俺の脳内コンピュータ。
が、書かれている文字や文章はわかるのだが、専門用語が多すぎてとても意味まではわからない。まあそこはアリサの領分なので俺が理解する必要はないのだが。
「とりあえず現代語に訳して朗読しようか」
俺が尋ねると、アリサはすかさずペンをインクに浸しながら「うん、おねがい」と返してきた。
一通りその結界用魔術の項を読み終えると、何かが納得いったのか、アリサの顔は晴れ晴れとしていた。
「すっごくわかりやすかったわ。ヒュージさんいい先生になれるわよ!」
「いやいや、それは無いな。専門用語が多すぎて、俺には内容がさっぱりだったよ」
しかも、これがはたして俺の脳内のコンピュータの解析結果によるものなのか、はたまた転生の女神様とやらが授けてくれた言語能力の賜物なのかすらもわかっていない。
「でもこれで、目的の結界を張る方法がわかったわ。ヒュージさんを召喚した時の魔法も古代文字で書かれていて、解読にものすごく時間がかかったのよ」
俺を召喚した時の魔法、つまりあの魔法陣を呼び出した魔法か。
「その、俺を召喚した時の魔法の本って読めるかな?」
「待ってて、今持ってくるわね」
言って、アリサは再び研究室に行き、また別の古い魔導書を持ってきた。『召喚術の行使 理論と実践 Ⅳ』と書かれている。なるほど、巻数がそれなりにあるということは、召喚術はきっとバリエーションが多いのだろう。
テーブルのその魔導書を置くと、本の割と後半の方を開いて見せてくれた。
『予知夢に見た存在を召喚するための魔法陣構築方法』と書かれていた。
「予知……夢?もしかしてアリサさん、そういう能力を持っているのか?」
俺がそう尋ねると、アリサが途端に顔を真っ赤にしながら、しまった――と言った顔をした。どういうことだろう?なんだか申し訳ない気がしたので、俺はさっそく本の内容を読み始めた。
やはり専門用語はさっぱりだが、魔法陣を構築するにあたり様々な触媒を必要としたようで、その収集にもかなりの努力を費やしたことがわかった。そして、この術式は魔法としての難易度が相当に高いものだということも。
「そうか、こんなに大変な思いをして、アリサさんは俺をこの世界に呼んでくれたんだな――本当にありがとう」
感謝しかない。予知夢で見た存在の召還、ということはすなわちピンポイントで俺を召喚したことに他ならない。他の誰でもない、俺でなければならなかったのだ。
そして、これは勇者という存在の召喚ではない。
そうか、だから「私の勇者様」だったのか――。
予知夢の事は、突っ込むとアリサが困るようなので、そのうち話してくれる気になった時にでも聞こう。
さて――俺は今日、ある決意を固めたわけだが、今この状況は果たしてタイミングとしては良いのか悪いのか。別の日にするべきなのか?
ひとまず一旦落ち着こう、お互いに。
「あの、アリサさん……お茶でも、飲まないか?」
「そ、そうね、お茶飲みましょうか」
そう言うと、アリサはそそくさと立ってキッチンへと向かった。
アリサがお茶の準備をしている間に、俺は召喚術の本をパラパラと流し読みする。
高位精霊召還、天使召喚、悪魔召喚、他次元よりの存在の召喚、星の者の召喚――召喚といっても様々なものがあるようだ。気になったのは悪魔召喚だ。少し読み込んでみる。
扱いとしては禁呪となっているようだ。下位の悪魔ではなく、アークデーモンなる上位の悪魔の召還術だった。だが、対価が恐ろしい。何十名もの命をささげる必要があるという。禁呪扱いも当然だ。これは邪悪な人間がやる行為だ。俺が戦っている悪魔も、人の命を贄にこの世に呼ばれたのだろう。それを思うと、やはり悪魔という存在を許せなく思う。
ほどなくしてお茶が入り、アリサは再び俺の右隣に腰かける。俺は開いていた魔導書を閉じて脇に置くと、さっそくティーカップに手を伸ばした。
今日のお茶は、柑橘系の香りのするフルーツティだった。
「あ、俺この味好きかも」
「ホント!?良かった、今日街に出た時に買ってきたのよ。気に入ってもらえればいいなぁって」
こうして普通の話題を楽しむアリサは、どこにでもいるごく普通の明るい女性だ。俺はなぜ彼女が街の人々から魔女などという二つ名で呼ばれているのか、さっぱりわからない。
元いた世界での歴史のイメージから、魔女という言葉のイメージは決して良いものではない。俺以外の人間と接している姿こそ見たことは無いが、相手によって大きく態度を変えるような人ではないことくらいわかる。なにしろ俺の改造態と話している時ですら、彼女は俺に普通に接してくれていたのだ。
俺は、アリサが今日街に出た時の話に耳を傾けていた。何だかんだ言って彼女も小さいときからこの街に住んでいるだけあり、街にも知り合いは多い。どこそこの誰それさんが――という話も、これから俺が生活するにあたって必要な話でもあり、俺も注意深く、興味を持って聞いていた。
やがて、アリサの話も一段落し、なんとなく気まずい沈黙が訪れた。
いや、気まずくは無いのか。むしろ、今このタイミングを逃したら、伝えたいことを伝えられるチャンスは、今日では無くなる――。
俺は、意を決して口を開いた。
「アリサさん、俺、アリサさんに伝えたいことが――」
「ヒュージさん、私、あなたに――」
俺たち二人の言葉が重なった。
俺たちの視線が絡み合う。なんというか、バツが悪い。
「ヒ、ヒュージさんから……」
アリサが顔を赤く染め、そう言う。俺も、自分の顔が火照っているのを感じている。
人工心臓が普段よりも激しく鼓動している。
「アリサさん……俺」
アリサの目をしっかりと見つめた。頭が真っ白になりそうだ。
鼓動がより激しさを増した。
「俺、アリサさんの事が――好きです」
すると、アリサはより顔を赤く染めながらも、ホッとしたような表情を見せ、一息おいて口を開いた。
「うん、知ってた」
眩しいくらいの笑顔で、彼女はそう言った。
「気付いてた、最初からずっと。嬉しい……だって私も――」
そこまで言うと、アリサは椅子から腰を上げ、俺に抱き着き、ゆっくりと顔を寄せた。
そして彼女は眼を閉じ――その唇が、俺の唇に重なった。
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