第十七話  夢

 その夜の俺は、異常にドキドキしてしまい、なかなか寝付けなかった。


 そもそも俺はこの歳になるまで、恋愛っていうものを経験してこなかった。気になるな、くらいの女の子は過去にいなかったことも無いが、それが恋というレベルまで発展した試しがなかった。


 つまり、アリサへの一目惚れは、俺の初恋でもあったのだ。


 しかもその初恋が実るなど、一体誰が想像するだろうか?


 確かにアリサが俺に抱き着いたり、抱きしめてくれたりという事は多かったが、ボディタッチの多い女友達も過去にはいたし、だから俺はアリサをそういうコミュニケーションが多い女性なのだと捉えていた。すっかり俺は自分の片思いなのだと信じ込んでいた。


 けれども、あの長いキスの後、アリサはなんと半年も前から――それこそ出会う遥かに前から、俺のことが好きだったのだと教えてくれた。俺がアリサに惚れるずっと前から、彼女は俺のことを想ってくれていたのだ。


 アリサから聞かされた話は驚きの連続だった。特に予知夢と、それにまつわる俺を召喚するに至る物語。


 彼女に予知夢の話を聞いた時、顔を真っ赤にした理由もその話を聞いて納得した。


 ともあれ、俺の初恋はこうして結ばれて、始まったのだ。




 だがそのドキドキも、やがて心地よい疲れとなり、いつしか俺は眠りについた。


 そして、その瞬間は唐突にやって来たのだった。




「あなたがこの夢を見ているということは、あなたは運命の人と結ばれたということですね」


 その声の主は、俺の顔を覗き込みながらそう言った。金髪碧眼の、アリサとはまた違った美しさを持つ――いうなれば、ミケランジェロの彫刻がそのまま生きた人となったような、美しい女性だった。ゆったりとしたローブ姿で、彼女の後ろには晴れやかな空が広がっていた。神々しさが漂っていた。


「わたくしは、異世界と異世界を結び、転生を司る女神リライアと申します。きっとこの夢を見ているあなたはもうご存じかと思いますが、あなたは元いた世界から、あなたの事を強く望む人の願いで、別の世界へと転生することになりました」


 そうだ、もちろん俺はそれを知っている。俺を強く望んだ人、アリサの強い思いで、俺はトライスタの街へ召喚されたのだ。


「本来の転生とは、死んだ魂を別の世界で新たなる存在として生まれ変わらせることです。ですが、このたびわたくしは、あなたを求める、深く大きな愛をその者から感じ取りました。そして、決めました。あなたをそのまま送り届けよう、と」


 そうか、アリサが言っていた召喚の女神というのがこの女性なのだ。アリサが描いたあの魔法陣は世界と世界をつなぐ役割を果たし、こうしてそれらを管理する神の元を経由するのだろう。


「ただ、今このままありのままの状態であなたを送り出しても、あなたは新たな世界で混乱するだけだということもわかっています。ですので、わたくしたち転生を司る神は、通常何らかの能力を与え、新たな世界へ送り届けることを常としております。けれども同時に、わたくしたちは送り届ける方がどのような力を持っているかをあらかじめ知ってもいます」


 なるほど、この女神は俺が改造人間であることを見抜いているのか。俺が常人よりも優れた能力を持つ存在であることを。そうだ、今の俺に更なる力などいらない。最後の脳改造直前に救われたという幸運こそが、俺に与えられた祝福なのだ。


「そこでわたくしは、あなたに一つだけ、能力を授けて送り出すことに決めました。向こうの世界でも言葉に困らないように、言語理解の能力を授けます。それにより、あなたは新しい世界でも、出会う方々と会話をし、あらゆる言語を読み書きできるようになります」


 やはりそうだったのか――。俺のこの能力は、女神から授かった力だったのだ。だがそれと同時に、俺の脳内のコンピュータも独自に言語を学習している。つまり俺は、二系統から言語を学んでいることになる。


「あなたは、二つの大いなる力を初めから授かっています。一つはあなたの肉体に施された様々な強化。そして、もう一つは、他の誰よりも大きな大きな愛。この二つの力があれば、あなたは新たなる世界で必ず、その世界を救う事が叶うでしょう」


 他の誰よりも、大きな……愛?


 それは何だ?


 俺は何か特別なものをまた別に持っているとでもいうのか?


「最初はそれがどういうものか、あなたには理解が難しいかもしれません。ですが、あなたがもし運命の人と結ばれる時が来たら、そこからあなたはその大きな愛を知る第一歩を踏み出すことになるでしょう。ですから、運命の人と結ばれた瞬間をトリガーとして、その日の夜に、あなたがこの夢を見るように、あなたの脳に記憶を刻んでおきます」


 運命の人――アリサの事なのか?俺と彼女の関係は、そこまで深く大きなものとなるということなのか?だから俺は今、この夢を見ている――?


「では、河津飛勇児よ、今あなたを新たなる地へ送ります。良き旅を、転生者よ」


 女神のその言葉と共に、俺の夢は唐突に終わった。




 夢の終わりと共に、俺は真夜中にもかかわらずハッと目を覚ました。


 夢の内容は鮮明に覚えている。夢ではなく、現実にあったことのように。


 俺が麻酔で眠っていた間に、俺はこんな夢を見ていたのか。たしかに、この夢の記憶を持ったままあの時目覚めたとしても、俺は混乱ばかりしていたことだろう。だが、アリサと出会い、彼女と結ばれた今ならば、この夢の意味はしっかりと理解できる。


 だからこそ、女神は条件付きでこの夢の記憶を俺に残して送り出したのだろう。


 だが同時に、俺の心に大きな謎が生まれたのも事実だ。


 他の誰よりも大きな大きな愛。俺はその愛を授かっているというのか――。


 これまで恋愛と無縁だった俺がえらそうなことは言えないが、愛とは一人でどうこうなるようなものだとは思えない。


 もし俺が運命の人と結ばれたというのならば、それは俺にとっての運命の相手であるアリサと共に育んでいくべきものなんじゃないかと思う。


 そして、それは一朝一夕で育めるような容易いものではない。長い時をかけ、二人で、ゆっくりと育んでいくべきものだ。


 その相手がアリサ、きみで良かったと、俺は心の奥底から思う。




 しかしながら、俺はそこですっかり目が冴えてしまった。夢を見ていた時間は一時間にも満たない。夢の内容ももちろんだし、心の中でいつまでも高ぶっている興奮もその要因だ。さてどうしたものか――。


 ふと枕の横を見るとケンデウス王家の歴史書が目に入った。


 そうだ、眠くなるまで本を読むのも一興か。


 幸い、月明かりがあれば俺の視力は増強できる。俺は本の表紙をめくり、パラリパラリとページを繰った。


 序文。という割には文章の量が多い。内容は伝承的なものを含んでいるようだった。


 ケンデウス王家の祖、初代ケンデウス王アルスエルが王に至るまでの物語だった。アルスエルは、恐怖の帝王レーヴェウス、つまり今このトライスタの街に現れた魔王を、東洋より伝わりし聖刀・月光を携え、討ったのだという。聖刀・月光――?


 まさかゲッコー丸の事か?


 ということは、セドリック王はかつて魔王を討った英雄の血と共にその聖刀を受け継いでいた――?


 そうか、これで合点がいく。つまり王家はその魔王を討った血筋ゆえに、魔王の今回の復活に際して真っ先に狙われ、呪いをかけられたのだ。魔王討伐の芽を摘むために。


 序文を読み解くにつれ、さらにここトライスタがかつてアルスエルが魔王を討った地であったこと、そして魔王をさらに強力に封じるためにその迷宮の真上に修道院を建立し、この地を清めたことが記されていた。


 ならば、王家がここトライスタに越してきたことも偶然ではなかったのだ。そして修道院は城の敷地内に隔離することで逆に他人の出入りを封じ、あえて放置されるように仕組まれたのだ。


 いけない、謎が解けることでかえって頭が冴えてしまった。これではいよいよもって寝るに寝れなくなる。


 少しでも長く眠らなければ明日に差し支える。


 眠らなければ――。





 翌朝、結局しっかりと眠れないままに俺は身を起こした。それはどうやらアリサも同じだったようで、二人で大きなあくびをしながらおはようと声を掛け合った。


 俺は昨夜のことを思い出してどこか気恥ずかしさを感じていた。アリサの顔を見ると、つい顔が赤くなる。


「ヒュージ、やっぱりあなたも眠れなかったみたいね」


 昨日の夜の会話の中で、これからはもう恋人同士なのだし、お互いさんづけで呼ぶのをやめよう、という話も上がった。


「うん、それが実は、ある夢を見たんだ――」


 俺はそう言うと、昨夜の女神リライアの夢の事をアリサに告げた。


 言葉の問題はやはりアリサの予想通りだったらしく、実際に転生の事例で言語能力を獲得することが多いということを説明してくれた。


 そしてもう一つ、夢を見るトリガーとなったのが昨夜のキスだったこと、そして他の誰よりも大きな大きな愛の話をした時には、さすがにアリサも驚いていた。


「私たちの恋が特別ってこと……?」


 いきなりスケールの大きな話になれば、アリサだって驚くだろう。実際俺だってどう捉えていいのかはいまだに謎だ。


 そして、俺の夢の話が終わると、アリサもぽつりと話し出した。


「実はね、私も夢を見たの。それこそ約半年ぶりにまったく違う夢を、ね」


「まさか、新しい予知夢?」


「今、ダンジョンでなにか行き詰ってる事って無い?」


 もしや、いまだ見付からない地下三階への道のことだろうか?


「うん、実は地下三階への階段が見つからなくって――」


「やっぱり。きっとそれよ」


 ピンときた、といった勢いで、アリサが食いついてくる。


「夢の中で、あなたが大きな鉄の扉の近くで床に吸い込まれて、階段を下りて行こうとしているのが見えたのよ。そして、その階段の下では、多くの幽霊たちが手をこまねいていたわ」


 大きな鉄の扉。城の地下二階とつながるあそこに階段が……?しかも床に吸い込まれるとはどういう状況だろうか?


 確かにあの扉の存在には何か引っかかりを覚えていた。扉の存在にばかり目が行って、あの周囲の何かを見逃していたのだろうか?


 そしてアリサの言う多くの幽霊の存在。ダンジョンの中で、幽霊のたぐいに遭遇したことは一度もない。それは城も含めてだ。だが、アリサが視たというならば、出るのだろう……幽霊が。


「幽霊って実体が無いよね。果たして俺に倒せるんだろうか?」


 地下三階への階段と、幽霊。何やらまた新たな問題が立ちはだかりそうだ。



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