第七話  魔女の家 第二夜

「アリサさん、俺……セドリック王を倒せなかった」


 アリサの家に戻るなり、開口一番俺は彼女にそう告げた。


「ヒュージさん……ひとまず座って?」


 俺の顔が余程疲れているように見えたのだろう、彼女は俺に気遣って、俺の手を引き椅子まで連れて行くと、そう言って俺を座らせた。その次の瞬間――


 アリサはそのまま、俺を抱きしめた。


 俺の頭を胸で抱え込むように。


 彼女の豊かなバストに、俺の顔が挟まれている。暖かく、やわらかい彼女のふくらみが俺の顔を包み込んでいる。ふわりといい匂いが鼻孔に飛び込んでくる。


「ヒュージさん、お疲れさま。どうかそんなに思い悩まないで」


 アリサはそう言いながら、俺の頭を撫でる。


 俺の悔しさに満ちていた心が浄化されていくようだ。


 なんだろう、この幸せは。


 でも、女性に抱きしめられるだけでこんなに幸せな気分になれるのか……?


 いや、これはアリサに抱きしめられているからなのではないか?


「アリサさん――ありがとう」


 俺はそう言いながら、彼女の腰に手をまわし、ぎゅっと抱きしめ返す。



 どれくらいそうしていただろうか、しばらくたってどちらからともなく抱きしめていた手を緩めると、アリサはその場を離れ、お茶の準備を始めた。


 俺はその間に、背中に背負っていたリュックを下ろし、サイドポケットから指輪と宝石を取り出して、テーブルの上に置いた。


 お茶が入ると、彼女は俺の右隣に座った。


「アリサさん、これ、城の隠し部屋で見つけたんだ。アリサさんに差し上げます」


 テーブルの上の宝石と指輪を、アリサの方へすっと差し出した。


「ちょっと待って、鑑定してみるわ」


 そう言って、彼女は何か呪文のようなものを唱える。


「あら、この指輪……これは、ヒュージさんが持っている方がいいわ」


 そう言うと、彼女は指輪を俺の掌に乗せた。


「これは魔力感知の指輪といって、付けている人が魔力のあるものを見分けることができるようになるのよ。私はもともと職業上魔力感知ができるから、あなたが持つべきね。それとそのバッグ――」


 言いながら、俺が抱えていたリュックを指し示すと、彼女は続けた。


「魔法空間のバッグといって、見た目の何十倍もの荷物を入れることができるものよ。いくら物を入れても重さも変わらないという貴重な魔法のバッグ。あなたの戦いの役に立つと思うわ」


 なんと、そんなに貴重なものだったのか。隠し部屋にしまってあったわけだ。


「宝石も随分と高価なものが多いわ。私、こんなに戴けないわ」


「いや、それはぜひともアリサさんに受け取ってもらわないと困る。俺の宿代と食費と思って受け取って欲しい」


 どうせ男の俺には宝石の価値などわからないし、もし仮にアクセサリーにして身に付けるなら、アリサのような素敵な女性が身に付けるべきだ。


 俺の意志が固いと悟ったのか、アリサは遠慮がちにありがとう、と受け取ってくれた。


「礼を言うのは俺の方です。アリサさんのおかげで、俺は何度も救われているんですから」


 秘密結社デストロイから命を救われ、何も知らないこの世界で衣食住を救われ、無力感にひしがれていたところを心で救われ……この恩は、絶対に忘れられないものだ。


 そして、このアリサという女性は恩人という以外でも、俺の心の中でもすごく大きな、大切な存在となってきている。出会ってまだ二日しか経っていないというのに、彼女の存在が俺の中でものすごく大切に思えてならない。だが、これはまだ俺の秘めたる思いだ。



「ところでアリサさん、セドリック王の呪いで、何か知っている事ってあります?」


 少しばかりの気恥ずかしさもあって、俺は唐突にアリサに質問を投げつけた。


「あ、ええ、もしかしたら、という噂は知っているわ」


 彼女は突然話題を振られたことに少し驚きながらも、言葉を続ける。


「セドリック王は、ここトライスタに来るまでは別の都市に住んでいたのよ。そして、十年前に突然誰かの進言によってトライスタに新たに城を築いて引っ越してきたのだけど、その直後から王の身に不幸ばかりが襲い掛かったわ。最初は、第一王子が王に反発して国を出て行き、それから程なくして第二王子が行方不明になったの。それ以降、王は血眼になって第二王子を探し続けたんだけど、次第に人が変わったように家臣に疑いを持つようになって、それはやがてトライスタの街の人々まで広がっていったわ」


 跡取りを次々と失ったのか。王家の人間としては、それは苦心しただろう。


「そして、疑われた家臣や街の人々は、城の地下にある牢獄に入れられ、残酷な拷問を受け、最後には無残に殺されていったの。けれど、王のその行いに疑問を抱いた騎士団長ダナールが、二年前に王に謀反を起こし、王を殺害したの」


「王は謀反で殺された……」


「そう。けれども、王は魔王の呪いによって不死の存在となって蘇ったわ。私が知る限りでは、王を殺す方法は、騎士団長ダナールが知っているとのことだけれど、そのダナールが今、どこにいるかはわからないの」


 なんと、ヒントを知る者が今は行方知れずだというのか。


「まずはその騎士団長を探さないといけない、という事か。城で騎士団に深くかかわる場所って、どこです?」


「離れの塔が騎士団の宿舎と見張り搭を兼ねていたわ」


「塔……か。明日はそこを調べてみることにします」



 その後、ややしばらくしてから夕食となった。


 アリサの料理は美味しい。彼女自身も料理が好きなようで、そのこだわりは彼女の料理の手際を見ていればしっかりと伝わってくる。


 そして、彼女は料理を美味しそうに食べるという俺を見て微笑む。


 俺は改造人間で、内臓も人工内臓に置き換わっているが、食事は普通にできる。しかも普通の人間よりも食事のエネルギー化の効率が良いらしく、またそのエネルギーはしっかり管理されて貯蔵されるため、太るということがない。


 元々運動をしていたこともあって、俺は食事に貪欲だった。


 そこにきて、アリサの料理の美味さである。たらふく食わないわけがない。


 彼女は喜んでくれた。


「美味しそうに食べてくれる人、好きよ」


 頬を赤らめながら、アリサはそう言う。


「俺も、こんなに美味しい料理が食えて幸せです」


 俺の言葉に、アリサはより一層笑顔になる。


 笑っているアリサはとにかくかわいい。その笑顔を見るだけで幸せな気持ちになる。自分の身に起きた不幸など吹き飛ぶくらい、幸せを感じる。


 この時間が永遠に続けば良いのに。そのためなら、俺はどんな努力も惜しまない。




 夕食が終わり、二人でお茶を飲んでいる時に、アリサがふと、俺に尋ねてきた。


「ヒュージさんって、元の世界には、大切な人っていたの?」


「大切な人?いや、いなかったよ。俺は親もいなければ兄妹もいない、親戚すらいない、天涯孤独の身だったんだ。だからきっと、誘拐しても誰も何とも思わないと考えられたんだろうな」


 そうなんだ、とアリサが少し寂し気に言った。


「私も今は天涯孤独の身よ。私が赤ちゃんの頃に両親が亡くなって、この家で母方のおばあちゃんに育てられたの。おばあちゃんも魔術師兼錬金術師で、私の先生でもあったわ。でも、二年前におばあちゃんが病気で亡くなって、それからは私一人」


 そうか、ここはアリサと祖母の思い出の家なのか。どおりで大切にされている。


「ヒュージさんって今、何歳?ちなみに私は二十四よ」


「俺は、今二十一歳です」


「あら、年下だったのね」


 アリサは二十四歳か……。ちょっと大人のお姉さんという感じだ。三歳差というのは、絶妙にお姉さん感をくすぐる。もし俺が中学三年生だったとしたら、アリサは高校三年生となる。まさに大人っぽいお姉さんじゃないか。ヤバい、ますます妄想が膨らんでしまう。


「アリサさんは……年下の男って――」


「嫌いじゃないわよ。むしろかわいいって思うわ」


 その言葉にホッと胸をなでおろしている自分がいた。




 翌朝、アリサは出がけに三本のポーションの瓶を持たせてくれた。


「えーと、この赤いのが回復ポーション、青いのが精神力ポーション、そして白いのがスタミナのポーションよ。もしもの時に使って」


「え?もらっていいのかな?」


「もちろんよ、そのために昨日仕込んだのよ。使ってもいくらでも代わりはあるから大丈夫」


 そうか、さすがは魔術師兼錬金術師。薬の精製はお手の物ということか。


 俺は貰ったポーションの瓶を、バッグのフロントポケットにしまった。


「アリサさん、ありがとう」


 では出発だ。今日は騎士団長ダナールの行方を捜し、なんとしてもセドリック王を倒す手がかりを見つけないと――。



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