五月十四日 多摩川沿いから武蔵野南岸にて
かつては「趣味の多い」と独り歩く若い文人に形容された武蔵野の南方も今は水底にある。上丸子や目黒は海進の時期まで、発展も著しく浸水から守るべき地域と謳われたが、最終的には努力も虚しく放棄地とされた。当時懸命に嵩上げがなされた一部地域が島嶼のように残るが、生活基盤が悉く飲み込まれ、今はもぬけの殻である。
ビルや鉄塔の廃墟が、間を縫うように走る定期船のために光る。東京の河岸はその線こそ移れどなお、今も真昼の如く光り、東洋の宝石と謳われる。
私は湾のように抉られた古い野に、やはりその俤を見ようと、川崎線に乗る。海岸を縫う送電定期船の路線名称は沈水した地域から付けられる。
しばらく多摩川を下っていくと、僅かに残った鉄塔がいくつか顔を出している。何の用途に使われていたかを目視で推し量ることは難しいが、所沢に今も残る文献保存区域の公式首都改造記録及び別冊研究に詳しいほか、古地図データでも代表的な物は公開されている。
波に飲まれかけながらも強かに残る基礎部分には、植物や土壌とは全く異なる情趣を覚える。長い時間に溶解されていく空間が水中にはある。こうして走る船の下にも確かに見える。高価なものや有害な物質を流しかねないとされた部分は除去され、完全な抜け殻になった巨人が実は足下に直立し、静謐を湛えたまま、水上に残る文明の光を見据えているのである。
武蔵野は、辺りを囲む川の狭間が台のように高いために、残った場所も多いが、やむを得ず人が手放した場所もまたかつて文人達が同じ名で呼んだ大地である。私は多摩川を抜け、なおも拡大を続ける湾に出て、今度は南から武蔵野の微高地を眺める格好になった時に、やっと気付いた。
荒れ狂う出水の狭間借り暮らす 人の故郷武蔵野や
A.D2321 武蔵野 直木 草明 @taketake0622
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