案内されました
一分くらいの時間をかけて、ようやくふたりは気を取り直して。
ツキはコホン、と一つ咳払いをすると案内を再開してくれた。
「ここに並んでいるのは個人に割り当てられているロッカーです。基本的には出社前にはドレスが入っていて、勤務中には私服とカバンなどの荷物が入っています」
壁一面に並べられたロッカー。
高さ2メートル弱程度のそれは、狭い部屋をさらに狭く感じさせている。
数は10にも満たないことから、店員の数もその程度ということなのだろう。
「個人にロッカーが割り当てられているのはいいですね」
「はい、私のロッカーはこれです」
聞いてもいないのに、ツキは自身のロッカーの位置を自慢げに教えてくれた。
ツキの個人ロッカーの位置を知って、なんて返せばいいというのか。
下手なことを言うと変態扱いされそうなのだが。
「中は、ちょっと恥ずかしいので秘密です……えへへ」
お願いしてもいないのに、ツキは先んじて断りを入れてきた。
あくまで店の裏側の案内なのだから、パーソナルな部分に触れる必要もないのだけれど。
照れ笑いをするツキが可愛いので何も言わないことにした。
「奥にあるPCは、店長が仕事で使っているものです。発注だったり、お店の帳簿だったり、あれで色々と管理されているようです」
ノートPCが置かれているデスクの周りは書類でごちゃついており、本当に部外者が入っていいものかどうか疑問だ。
書類の中には、お客が見てはマズいものもあったりするのではなかろうか。
「たまに、私も店長に頼まれてPCを触ることもあるんですよ? エクセルとか、結構使ったことあるんです」
心なしか、ツキは誇らしげだった。
ITエンジニアからすれば、エクセルの操作なんて基本も良い所だけれども。
若い世代はスマホばかりで、PCは社会人になるまで学校でしか触らない子も少なくないと聞いたことがある。
業種によっては、エクセルなんて使わない人は一生使わないのかもしれない。
「それは凄いですね。最近はエクセルの使える若い方は少ないと聞いていたのですが、ツキさんはとても優秀なんですね」
「そっ、そんなことありません……触れると言っても、少しだけですし……」
それは社交辞令であったものの、
ツキは素直に喜んで、照れて、胸の前で指先を合わせてもじもじし始めた。
なんてゴマすり甲斐のある子だろうか。
上司が年下であっても、それがツキなら楽しい会社生活が送れるに違いない。
「ここが更衣室です」
ロッカーの列の端。
そこから一メートル程度しか離れていない距離に、その空間はあった。
そう、空間だ。
ツキは更衣室と言ったが、そこはカーテンで仕切りができるようになっているだけで控室の一部だ。
広さも一人であれば入れる程度で、二人入るには相当密着しなければならないだろう。
ツキはともかく、あの筋骨隆々なオカマたちはさぞ狭い思いをしているに違いない。
「ちひろさん……でしたっけ。あの人たちもここで着替えてるんですか?」
「あっ……えと……。ちひろさんたちは、あまり使ってないんです。狭いからって、ロッカーの前で……」
顔を手で覆いながら、ツキはそう答えてくれた。
半ば予想はしていた答えだ。
「あー、なるほど。でも、本人たちが気にしてないのならいいのかもしれないですね。……このお店には男性の従業員の方しかいないみたいですし」
「……」
顔に当てた指の隙間から、ツキの目がこちらを見ている。
ツキの性別はまだ不詳のままだ。
男性とも女性とも確信が持てていない
だからカマをかけてみたのだけれど、ツキはじっとこちらを見ているだけでその反応からは何もわからない。
「……あの……ツキさん?」
沈黙に耐え兼ね名前を呼ぶと、ツキは顔を覆っていた手を開いて――
「私は、ちゃんと更衣室で着替えてますよ? 誰にも見られないように」
――それは、小悪魔と形容するのがぴったりな微笑みで――
「さっきは誰もいないからって油断して、着替え途中でロッカーに忘れ物を取りに戻ってたんです。そしたら、お客様が入ってきてしまって……着替え、誰にも見せたことなかったのに、お客様には見られちゃいました……反省ですね」
その顔に浮かんでいるのは後悔ではなく。
着替えを覗いた人間への嫌悪でもなく。
まるで、ふたりだけの秘密を楽しんでいるかのような。
好意を向けてくれているのかも、なんて身勝手な願望を抱いてしまうような。
そんな風に、ツキははにかんでいた。
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