延長しました

「こちらはお化粧スペースなんですけれど……すみません、ちょっと散らかっちゃってて……」


 大きな鏡が壁に何枚もかけられている一角。

 テーブルの上には化粧道具やらヘアアイロンやらが散らかっている。

 あのオカマたちも一応身だしなみは整えているらしい。


 身だしなみが整っていても、彼らにはもっと根本的な問題があるのだが。


「化粧って、わざわざお店に来てからするんですか?」

「そうですね……例えばですけど、ちひろさんがあのお顔で外を歩いていたら目立っちゃうと思いませんか?」

「……めちゃくちゃに目立ちますね」


 ここはキャストが男性であるオカマバーだ。

 キャストからすれば、店内で化粧をする方が都合がいいのだろう


「それじゃあ、ツキさんもここで化粧をされてるんですか?」

「いえ。私は家でしてきてるんです。私はそこまで目立つメイクはしていないので、ここではお化粧を直すくらいです」


 確かに、ツキの顔はメイクが濃いようには見えない。


 薄化粧とナチュラルメイクという言葉を知っているだけで、その違いも知らないけれど。

 ツキの顔はキャバ嬢のような目立って華のある感じではないことはわかる。


「あ、あの……」


 大きくて丸みのある目。

 薄い桃色の唇。

 成長途中を思わせる小さな鼻。


 ツキの顔は女というよりも、少女という印象を強く受ける。

 これが化粧によるものなのか、それとも本当に若いのかはわからないけれど。

 それでも、そもそもの素材が良いというのはわかる。


「おっ、お客様?」

「えっ?」

「その……そんなにまじまじと見られてしまうと……ちょっと、恥ずかしい……です……」

「っ! す、すみません! つい、どんな化粧なのか気になってしまって!」


 無意識にツキの顔を見つめてしまっていた。

 人の顔を観察するなんて無礼、普段であれば絶対にしないというのに。


「……」


 ツキがこちらを見ている。

 頬を赤らめて。

 手を前で組んで。

 俯きがちに。


 そして、またツキに見惚れてしまっている。


 キャバ嬢に入れ込むなんて、よっぽどお金のある人間でないと許されない。

 ましてやここはオカマバーで、ツキは年齢も性別も不詳だ。

 金銭的にも、精神的にも、これは良くない兆候だと理解している。


 それでも、心はどうしようもなくツキに惹かれ始めている。


「……あの、どうですか?」

「ど、どうとは?」

「っ……わ、私のお化粧、どうですか?」


 ツキの言葉は歯切れが悪かったものの、意図は明快だった。

 その仕草が、ツキの求めている言葉を物語っていた。


「……とても素敵で、可愛いと思います」

「……ありがとうございます」


 花のつぼみが開くような、そんなツキのはにかみ。


 それがくることは事前にわかっていた。

 だから、心の準備ができた。


 しかし備えが出来ていたからと言って、耐えられるかどうかは別の話だ。


「えっと……お店の裏側の案内はこれで終了になります。すみません、お見せできるようなものが少なくて」

「いえ、とても興味深かったです……」

「……それでは、表へ戻りますか?」


 ツキは否定して欲しくてその言葉を言ったんじゃないかって。

 そんなの、おそらくは都合の良い妄想なのだろうけれども。 


「あの……」

「はい……」

「もう少し、ツキさんとお話できませんか? その……ふたりだけで」

「……はい」


 これは、ツキがイレギュラーだからだ。

 あまりにも謎が多いから、好奇心が勝っているだけなのだ。


 今は、そう心に強く言い聞かせることしかできなかった。

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