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「あ、あの……」
心を無にして。
機械的な反射だけでオカマたちをやり過ごして。
注がれた酒をチマチマと飲んで時間を稼いで。
それでもじわじわとエグい下ネタで心にダメージを負って。
そろそろ限界だと思い始めた時。
ツキがやってきた。
「お待たせしました……。着替え、終わりました……」
オカマたちとは比べるべくもない、高く柔らかい女声。
深紅のドレスから伸びる筋肉とは無縁の細い腕。
立ち居振る舞いも。
仕草も。
見た目も。
女性にしか見えない。
少女にしか思えない。
しかしここはオカマバーだ。
ツキはここのキャストだ。
普通に考えれば、ツキの性別は男性なのだけれども。
しかし、ツキは何かしらのイレギュラーであるという可能性もありえないわけじゃない。
ツキを見ていると、例外を意識せずにはいられなかった。
「えっと……っ、お客様?」
先ほどの出来事をまだ引きずっているのか。
ツキは俯きがちで、
ちらちらと視線を逸らしがちで、
頬を朱に染めていた。
「はい、何ですか?」
「で、ですから……ご、ご案内できます。お店の、裏……見たいんですよね?」
「あら、もしかしてツキちゃん案内したいの?」
「はい……失礼を働いてしまったので、そのお詫びに……。ちひろさん、いいですか?」
「んもう、そんな顔でお願いされたら断れないわよ。いいわ、今回はツキちゃんに譲ってあげる」
「ありがとうございます」
初めて、ツキが顔を綻ばせたところを見た。
それは本当に嬉しそうな笑顔だった。
案内役がツキに代わってくれるのはこちらとしてもありがたい話だ。
仮にツキがオカマだったとしても、その性格はちひろたちとはかけ離れている。
ドギツイ下ネタをハイテンションで連発するオカマよりも、
ツキのような落ち着いた子といっしょの方が心地良い時間になるのは明白だ。
「そっ、それでは、お客様?」
「?」
ツキは躊躇いがちに。
それでもはっきりと、右手を伸ばしてきた。
成人男性よりも一回りは小さい掌。
オカマたちと比べると、それこそ子と大人くらいの差はある小ささだ。
「ご案内いたしますので……お手をどうぞ?」
そういえば、そうだった。
ここはキャストが客をもてなす店だった。
オカマたちとの時間があまりに辛すぎたせいで忘れていた。
ツキの見た目であれば、リードされる側の方が似合っているのだけれど。
みんなの視線の前でそんなことをするのも恥ずかしいのだけれど。
差し出された手を拒否するのも気が引けるので。
だから、ツキの右手の上に左手を乗せた。
「案内、よろしくお願いします」
「はい。承りました」
小さな手がきゅっと閉じられて、ツキと手を繋ぐ。
触れ合う指と指。
すべすべとした感触。
少し力を入れて握り返せば、壊れてしまいそうな頼りなさ。
それでも、ツキはしっかりと手を握ってくれていて――
「ちょっとだけ、照れちゃいますね……えへへ」
――俺にだけ聞こえるようにそう言って、はにかんだ。
酒を飲んで体が火照っているからだろうか。
ツキの指はやけに冷たく感じられて。
ただ手を握っているだけなのに、なぜだかとても心地が良かった。
翠とツキが控室の中へ消えた後。
カウンターに立つヨシミは、しきりに控室の方を見ていた。
「どうした? もしかして心配なのか?」
ヨシミの様子を気にしたテツが声をかけた。
「ええ……。大丈夫かしら、あの子……」
「安心しな。ミドリに店の子襲うような度胸も甲斐性もねえよ。そもそも男同士だしな」
笑いながらテツはそう言って、グラスに注がれたハイボールを呷った。
「……そっちの心配じゃないのよねえ」
グラスに酒を注ぎながら、
テツにも聞こえないような声で、
ヨシミはそう呟いたのだった。
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