第90話 色んな意味で忘れられない

 



「そこって……うっ、うみちゃん!?」


 上ずった声に、慌てて俺の顔を見上げる湯花。思いがけない一言に驚いたんだろう。その声と同時に、握っていた右手にも力が入り、顔はみるみる内に赤みを帯びてきた。

 いっ、いきなり過ぎたか? でも……ここはちょっと強気で!


「ダメ……かな?」


 少し俯き気味になる湯花。まぁ突然こんなこと言われたら恥ずかしくなるに決まってる。これは少し時間が……何て思っていると、湯花は徐に俺の顔をもう一度見つめて、


「ダメ……な訳ないじゃん」

「えっ」

「うみちゃんとなら……行きたい」


 恥ずかしがりながらも、小さい声でそう……答えてくれた。

 てっきり少し抵抗されるかも? なんて考えていた俺にとって、それは思いがけない言葉だった。けど、優しく笑みを浮かべるその顔は顔の赤みも相俟って……男の心に火を着けた。


「本当?」

「当たり前じゃん。でもうみちゃん? その……どういうシステムなのか分からないよ?」


「俺だって分からないよ」

「ふふっ、もう1つ……うみちゃんの初めて貰っちゃった」


 くっ、相変わらず言葉1つ1つの破壊力がヤバい。でも、ここは冷静に……とりあえずスマホでホテル調べればホームページとかあるんじゃないか?


「こっ、こっちのセリフだっての! とりあえず調べてみるから、一瞬だけ時間ちょうだい!」


 急げ急げ! えっと……あった! 何々? 入り口から入ると各種部屋の画像があって、使用中のところは赤くなってると。使用可で気に入った部屋があれば、一目散にエレベーターでゴー? なんか随分ポップな文面だな。


 んで、部屋に入ったらお楽しみタイムスタート。お支払いはお帰りの際に部屋の入り口近くの精算機でラクラク……お帰りの際は、入店してきたお客さんと別経路なのでバッタリ遭遇なんて有り得ません! それはありがたいな。それとショートタイム2時間? 休憩3時間? どっちが良いんだろうか。でも……どっちでも手持ちでいけるぞ! 


 こうしてとりあえず一連の流れを理解した俺は、スマホをしまうとすかさず湯花の手を握る。ドキドキと緊張が入り混じるとはまさにこのことかもしれない。触れ合た瞬間、どっと手汗が滲み出てる気がした。でも、


 ふぅ、大丈夫だ。緊張するけど……大丈夫。よしっ!

 自分にひたすらそう言い聞かせ、ついに意を決した俺は……


「バッチリ。じゃあ行こう」

「うっ、うん!」


 湯花の手を引き、未知なる世界へと旅立った。

 そう大人への第一歩を駆け上がる為に!




 パチッ

 明かりをつけると、そこにはシックな壁紙に大きなベッド、テレビやテーブルが置かれた部屋が広がっていた。もちろん見た目は普通のホテルと似たような感じなんだけど、


「おっ、大きなベッド……」

「だな……」


 その独特な雰囲気に、俺達はどっぷり飲み込まれていた。


 なんか緊張してきた。てか入り口からヤバすぎるんだよぉ! いやいや色んなテーマの部屋があるのは知ってたけど……その幅よ! あぁもう、見本画像見た瞬間、明らかに上級者向けだってわかる部屋の数々。俺も湯花も少し固まっちゃったじゃん。まぁそういう場所なんだけど……めっちゃ意識しちゃうんですけど?


「あのベッドの上で……」


 湯花だっていつもと全然違ってるし……いや、ここは俺が率先してエスコートしないと! 誘ったのは俺なんだからな。


「とっ、とりあえず荷物置こうか」

「うん」


 よし。じゃあ次は……ん? あそこは風呂? そうだ、一旦風呂に入って落ち着こう。うん!


「あそこお風呂かな? とりあえずお湯入れて来るよ。そしたら湯花も一緒に……」

「はっ! おおおっ、お風呂で?」


 そりゃお風呂でも……って違う! もう、俺以上に意識しすぎなんだよぉ!


「違うって、とりあえず一緒にお風呂入ろう?」

「ゆっくり…そっ、そうだよね? うん。入ろう!」


 とりあえず……ゆっくりお風呂入って、一旦落ち着こう。それからでも全然大丈夫。時間はじっくりあるんだからさ? なっ、湯花?




 ……とんでもない間違いを犯したのかもしれない。

 タオルを腰に巻き、一足先にベッドに腰掛けながら……俺はそんな考えにふけっている。お風呂に入るという選択肢は間違ってはいなかったと思う。お互いお風呂は好きだし、2人では入れるなら楽しいに決まってる。少しは緊張もほぐれるだろう。

 だが、湯加減を確認して、入っても良いぞと声を上げた俺の前に現れたのは……生まれたままの姿の湯花。改めて見るそのラインはいつも以上に刺激的で……


 ヤバイ! 落ち着くどころか悪化させてんじゃねえか!

 なんて悶える俺の前に、


「待った?」


 今度はバスタオル一枚で登場する湯花。普段であれば有り得ないその格好に、またしても心は高鳴る。


 とっ、とにかく落ち着かないと! そそっ、そうだテレビでもつけよう!


「全然! そうだテレビでも……」


 慌てるようにリモコンを手にし、電源ボタンをポチッとな。少しでもテレビを見て落ち着けば……なんて思っていた時がありました。ついさっきまで思ってました。けどそんな願いは、ものの数秒で……消え去る。


「はっ!」

「うっ、うみちゃん……これ……」


 無情にも映し出されたのは、大人のレスリング。これには正直、俺も隣に座る湯花も唖然とするしかなかった。けど……結果としてそれが、なんとか留めようとしていた何かを吹き飛ばしたのも事実。


 テレビに映し出された人たちにつられるように、胸が高鳴り、体が熱くなる。それは湯花も……一緒だったみたいだ。


「ねぇ……うみちゃん……」

「……湯花」


 そして俺達はそのまま……重なり合った。




「うみちゃん? 大丈夫?」

「あぁ、大丈夫だ! 誰も居ない!」


 部屋のドアを少し開け、廊下の様子を探る俺と湯花。

 その姿は、数時間前のたどたどしさはどこへ行ったのかわからないくらい……いつも通りのものだった。


 いやぁ慣れって怖いかもしれない。あの雰囲気のまま何度も重なり合い、ピロートークに花を咲かせていると、改めてこんな場所に2人で居られることが嬉しくて仕方なくなった。そして自然と笑みが零れて……


『うみちゃん、また来ようね?』

『あぁ』


 いつの間にか、この空間が心地良くなってたっけ。その後のお風呂はめちゃくちゃ楽しくて……今は差し詰め映画のマネかな? なんかデジャブな気がするけど。


「よし、出るぞ?」


 誰も廊下に居ないのを確認し、一歩足を踏み出そうとした……その時だった、なんともナイスなタイミングで2つ隣の部屋のドアが突然開く。


 ヤッベ! 

 その瞬間、俺は反射的に開けかけたドアを隙間程度にまで戻すと、とりあえず……


「人出てきた!」

「ホント?」

「あぁ、とりあえず待とう」


 その人物達が去るのを待つことにした。


 ったく、タイミング良すぎだろ。誰だ誰だ? どんな大人だ?

 それとなく、自分たち以外にどんな人達が利用しているのか純粋に興味もあった。だからこそ、その2つ隣の部屋から出てきた人達をじっくり観察していたんだけど……ちらりと見えた両者の顔。それを目の当たりにした途端、口からは掠れた声しか出なくなっていた。


「湯花……ヤバイ」

「ヤバいって……あっ!」


 ヤバイ。興味本位で見なければよかった。なんと言うか、心底後悔しているかもしれない。だってさ? まさかこんなところで遭遇するとは思わないじゃん? そういうイメージ無かったじゃん? だからこそその驚きは想像以上なんですよ?


 その人物達を、自分は知っている。むしろ湯花だって知ってる。見知った仲だからこそ、こういうイメージがなかった。だから……俺も湯花も気が付けばじっとその人達を凝視していた。


「うっ、うみちゃん! あれって……」

「あぁ。おそらく下平先輩と……」

「立花先輩だよね?」


 部屋から出てきたのは、紛れもなく黒前高校バスケ部の前キャプテン下平先輩と立花先輩。もちろん2人が付き合ってるのは誰もが知ってた。けど……まさかこういうところに来るなんてイメージが無いのは事実だった。


 ヤバイ。なんかこうやってみると、先輩達の意外な関係というか付き合いが見え隠れして嬉しやら……怖いやら……でも多分、俺も湯花も考えてることは一緒だろうな……


「湯花」

「うみちゃん」


「せっ、先輩達も……こゆとこ来るんだな」

「せっ、先輩達も……こゆとこ来るんだね」




 これは間違いない、俺達は今日という日を……忘れることはないだろう。



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