第89話 相棒

 



 練習後の居残り練習。それは俺と湯花にとって、もはや欠かせないもの。そしてここ数日は来たるべき新人戦に向けて、いつも以上に熱が入っていた。


 榑林さんと対峙して、自分には足りないことだらけだって実感した。スリーポイントだけ磨いて来たけど、それだけじゃ上では通用しない。そこに至る工程や、それすらを囮にした動きが出来ないと話にならない。その為にも今までのシュート練習に加えて、1対1で勝てるスキルの習得に励んでいた。


 タイミングの外し方。間合いの取り方。

 相手へドリブルもあるんだと印象付ける動作をしないと。だったら、もっと早く、もっと緩急をつけてステップを……


「うおっ!」


 その瞬間、ぐるりと回る視界。脇腹や背中に、なにやら固い感触を感じつつも、その頭はなかなか処理に追い付かない。そして気が付くと俺は……なぜか片膝をついてしゃがみこんでいた。


 あれ、何で俺しゃがんでるんだ? ドリブルの練習しようとして、確か思いっ切り力を込めたら……そうだ途中で踏ん張れなくなって……


「うっ、うみちゃん大丈夫!?」


 湯花にディフェンスついてもらってたんだよな。でも、なんでこんなに距離が離れてるんだ? 踏ん張れなくなって……転んだ?


 その時、何やら違和感を感じる右足。正確に言うと右足のバッシュなんだけど、どことなくスースーする気がして仕方なかった。そしてそんなバッシュに恐る恐る手を触れてみると……なんで踏ん張れなかったのか、なぜ横に転げ回ったのか。その理由は一目瞭然だった。


「ヤバい湯花」

「えっ?」


「ソールの部分……ベロンベロンになっちゃった」



 ――――――――――――



 そんなこんなであくる日曜日、俺は黒前駅へと来ていた。

 もちろんその目的は、昨日その天寿を全うしたバッシュの後継者選びで間違いはない。けど、


「ふぁー! 天気良くていいねぇうみちゃん!」


 思いがけないデートもプラスされ、正直結構心は躍っている。


「湯花、悪いな。付き合ってもらって」


 昨日の居残り練習で見事にバッシュが壊れ、タイミング的には今日日曜に買わないといけなかった。


「全然だよ! むしろうみちゃんにお願いされるだけで嬉しいし……」


 それに、いつもだったら自分で好きな物を買うんだけど、最近のバッシュはそのポジションに適した物が売っているらしく……第三者の意見も聞きたくて、湯花に買い物付き合ってってお願いしたんだ。

 むしろ昨日の今日で買い物に付き合ってくれてありが……


「2人でバッシュ選ぶなんて……幸せだもの」


 ……やばい、俺も幸せかもしれない。


「俺もだよ。じゃあ、色々とアドバイスお願いしようかな?」

「まっかせて?」


「じゃあ……ほらっ腕掴んで」

「えっ……」


「道路凍ってるから、転ばないようにさ?」

「ふふっ、ありがとう。やっぱり優しいなぁ」


 ……格好つけて良かった。




「ところでうみちゃん? 前履いてたバッシュの新しいモデルは気にならないの?」


 沢山のバッシュを目の前に、聞こえてくる湯花の声。

 ここは湯花行きつけのスポーツショップで、俺も何度か店の前までは来たことがあった。でも、実際に中に入るのは今日が初めてなんだけど……その2階に足を踏み入れた瞬間、驚きを隠せなかった。

 ほとんどがバスケ用品で溢れていて、中でもバッシュの種類はとんでもない。あり過ぎて困るなんて贅沢かもしれないけど……ここへきて数十分間は、飾られたそれらを眺めているだけであっという間だった。


「最初はそう思ってたんだけどさ……」


 いや、ホントは前に履いてた奴の新しいモデルが良いなぁなんて思ってたよ? けど、こんなにもバッシュあったら見てるだけで楽しいよ。なんだあれ? 聞いたことのないメーカーだぞ。あっちはどこの国のやつだよっ!


「だよね? ここの店長さんバスケ好きでね? 自分の趣味も重なって色々なメーカーのバッシュ置いてあるんだよ」


 何列にも渡りシューズラックに飾られたバッシュ。その数は100足はある気がする。メジャーなメーカーは勿論、国外のメーカーや通販でしか売ってなさそうなバッシュまでその種類は様々。変わったデザインやめちゃくちゃ高い物まで置かれていて、見ているだけでも楽しくて仕方ない。


「こんなにあったら……迷うぞ?」


 やべぇ! やば過ぎる! 大型のスポーツショップならまだしも、ここって個人経営っぽいよな? それでこの数? しかも色んなメーカーのがあって凄いぞ。なんだあのバッシュ! ハイカット過ぎるだろ。あのバッシュはデザインがやべぇ! あっちはカラーが目立ち過ぎ!


「ふふっ、うみちゃん。満足するまで付き合ってあげるから、じっくり見てね?」


 ありがとう湯花。なんたって……さっきから笑顔が止まらないんだ。高揚しきって嬉しくて仕方ないよ。そしてこの中から果たして選べるのか? なんて思っていた時、


 ん? あれはどうだ。NBAの有名選手のモデルだぞ? でもやっぱ履いてた次のモデルも…………なんだ?


 それは不思議な感覚だった。


 自分でも、なんで端にあったそのバッシュが目に入ったのかは分からない。けど、確かに俺の視線はそのバッシュを捉えて離さなかった。そしてそれに呼ばれる様に近付いて行くと、そのデザインに鼓動が大きくなるのを感じる。


 一般的なミドルカット。白がメインだけど、ヒールのアッパー部分から流れるような青のラインが無数に出ていて、まるで滝みたいな模様だ。それにソールの部分も青くて、それを含めると滝が大きな波になっているように見えてかっけぇ! しかも……かっる! なんだこれ? 前のも軽いと思ってたけど、それ以上に軽いぞ? 


 まさに自分好みのデザインに軽さ。そんなバッシュを手にとって、履きたくならないわけがない。展示されている物のサイズを見ると28cm。ここまでピッタリだと、履き心地だって……


「ヤバい、最高だ」


 履いて尚その軽さが身に染みる。ピタリと止まるソールに足全体を包み込む内部。それを体感した瞬間だった、俺の相棒は……決まった。


 これだ。これに決めた! ヤバいぞ? てかこんな凄いバッシュ有名じゃなきゃおかしいと思うんだけど? メーカーは……KARASUMA? からすま? んで名前が……一心いっしん? しかもカラ―ネーミングが大海たいかい? 聞いたことないメーカーだけど、メイドインジャパンって書いてるからネーミング的にも日本のメーカーなのかな? まぁいいや、何処だろうと問題ないよ。惚れちゃったもんは仕方がない!


「ん? うみちゃん、もしかしてお眼鏡にかなうバッシュ見つけちゃった?」

「あぁ、これに決めるよ」


 湯花の次に惚れ惚れしたやつ見つけたよ。




 右手に袋を持ちながら、最高の気分を味わいつつ湯花と一緒に歩く黒前駅前。たぶん幸せな時間トップ10に入るであろうその時間を、俺は余すことなく満喫していた。


「良かったねぇ、うみちゃん」

「あんなに気に入ったバッシュあるとは思わなかったよ。てか、これも湯花があのスポーツショップの常連だったからこそだよ。本当にありがとな?」

「ふふっ、全然だよぉ」


 あの後、少し席を外してた店長さんにも挨拶出来た。人の良さそうな方で、なんとこの前のテレビで俺のこと見てて、名前知っててくれたのは嬉しかったぁ。なんでも透也さんとも知り合いらしくて、その経緯で湯花も常連になったって言ってたな。


 まぁ何にしろ、気に入ったバッシュをゲットできたのは良かった。店長さんも、たまたま知り合い伝いで知ったメーカーって言ってたもんな? 東京のメーカーらしいけど聞いたことなくて、でもデザインとか良さげだから、ディスプレイ用に男女2足ずつ仕入れたらしい……しかも昨日入ったばかりだって? これは……ある意味運命だよな。絶対そこいらのスポーツショップじゃお目にかかれないよ。KARASUMAだっけ? あとで調べてみよう。


「でもさ、絶対このバッシュ凄いと思う」

「私もそう思うよ? レディースタイプ取り置きしてもらっちゃったし」


「湯花も履いた瞬間驚いてたもんな?」

「めちゃくちゃ軽いんだもん! しかもめちゃ止まるし! てか、うみちゃん。良くあんな端っこにあったの目に付いたね?」


「俺も不思議だった。でも気付いたら視線の先にあったんだ」

「運命ってやつかな?」


 運命かぁ……確かにそうだな。あっ、ここで湯花の次に運命の出会いとかって格好つけて見ようかな?


「確かに、湯花……」


 徐に顔を見上げ、頭の中で考えていたセリフを言おうとした時だった、そんな目の先に……ある看板と建物が俺達を見下ろしていた。


「うみちゃん?」


 その全貌を目の前に、ゴクリと生唾を飲み込む。そして何度もその名前を……確認する。

 ホテルラブ&タイム。矢印の先は少し小道になっていておそらく入口があるんだろう。幸い、今日は日曜日。比較的多かったジャージデートじゃない、私服デート。そして耳に残る運命という2文字。


 これは……このタイミングで目の前に現れたということは……これも運命なのでは? そうなんじゃないのか? だとしたら…… 


 繋いだ左手に少し力を込めると、俺は思い切って湯花の顔を見つめる。


「どっ、どしたの?」


 行け海。運命のバッシュを手に入れ、服装だって私服。そして周りには……誰もいない。


「なぁ、湯花?」

「は……い?」


 そして目の前にはラブ&タイム。行け、海! これは……


 こうなる運命なんだ!



「あの……さ?」

「うっ、うん」



「湯花さえ良かったら、そこ……入ってみない?」



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