第85話 全てのあとに
目が覚めてから、どのくらい経っただろう。
気が付けばベッドに横になっていて、その左足の違和感はこれが現実だということを突き付ける。徐々にハッキリしていく意識の中、体のあちこちに感じる痛み。無理に動かす気力もない俺は、徐に……天井を見つめていた。
それからどれだけ経ったのか覚えていない。ただ、色々なことが……頭の中を駆け巡っている。
左足が痙攣して、言うことを聞かなかった。
心の中ではたくさん言葉を出しているのに、それを声として喉から出すことが出来なかった。
手を挙げて喜ぶ鳳瞭学園の選手。その横で涙を流す野呂先輩。その光景を目にして、自分でもなんとなく分かっていた。けど、こんなにもバスケを楽しめた時間が終わって欲しくなかった。そして何より……先輩達ともっと一緒にプレーがしたかった。
大丈夫。あと1クォーターあります。少し休めば、途中からでも出れます。スリー決めますから!
そんな思いを胸に、やっとのことで立ち上がった。地面を踏んだ瞬間その左足の震えは大きく感じたけど……
まだやれる。やれます。自力でベンチ戻れますから!
その一心で一歩足を踏み出そうとした瞬間だった。目の前に現れたのは下平キャプテンだった。
『雨宮、よく頑張ったな』
優しい笑みを浮かべながら、俺に向けてくれた言葉。
その一言が、心に響いて嬉しかった。
その一言が、俺の足にもう一度力を与えてくれた。でも……
『連れて来てくれて……ありがとうな』
続けざまの言葉で理解したんだ、それは戦う為じゃないんだって。
連れて来て……ありがとう……?
……ありが……とう?
そう……ですか……そうなんです……ね……
俺達……俺達……
正直そのあとのことは良く覚えてない。ただ、最後の最後まで自分の足でコートの上に立っていた……それだけは何となく記憶にある。たぶん、最後に先輩が力をくれたのは……この為だったんだと思う。
この最高の舞台に、最後まで自分の足で立っていられるように。
実際、コートを後にしてからの記憶は……ない。
「あっ……やべ」
なんてことを思い出していると……その瞬間、自分のしでかしたであろう出来事が憶測として浮かんでくる。
まてまて、よくよく考えると記憶が無いってことは、俺気を失ってた? ということは誰かが俺をここまで? てか着替えは? 荷物は? やっ、やばい! 負けたことで俺よりショック受けてるだろう先輩方に多大な迷惑をかけたのでは?
ぼやけた頭がスッキリとして行くにつれて、恐ろしいほどに冷や汗が噴き出る。
はっ! 白波は? ……居ない! てか、今何時だ? 俺はいったい何時間寝てたんだよっ!
急いで体を起こすと、体の至る所から感じる痛み。
「っ!」
まさしく筋肉痛に似たその痛みは、自分がどれだけ試合に夢中で、どれだけ体を追いこんでいたのか身を持って思い知らせてくれた。
いってぇ……えっと荷物は椅子の上か。あと、今何時だ? 確かベッドの隣に時計が……って7時!?
試合終わったのって遅く見積もっても2時とかだよな? 約5時間……考えるだけで色々ヤバい。
少し体を動かしてベッドから足を下ろすと、深呼吸をしながらゆっくりと考えをまとめていく。とりあえず長時間気を失って、皆に迷惑をかけたことはハッキリしていた。だけど一体何から始めればいいのか……その優先順位が定まらない。
とりあえずキャプテンのところか? いや、監督? 7時ってことはいつも晩ご飯終わってミーティングしてる時間だよな? だったら1階のレストランか? しかも同じ部屋だから白波にも迷惑かけたよな?
あと湯花。こんな姿見せちゃって心配させちゃったかもしんない。
……ん? 湯花? 湯……花……?
あっ! そうだよっ! 隣のコートで湯花達も戦ってたじゃん! 女子! 女子はどうなったんだ? しかもあいつ……右手の突き指は大丈夫だったのか? 人のこと心配する癖に自分のことは無視するからなぁ。えっと、どうするどうする?
頭の中に色々な人の顔が浮かんでくる。そんな中、より一層強く、ハッキリと浮かんでくる顔が1つ。それは紛れもなく、
……湯花に決まってるっ!
とにかく試合の結果と、指の状態聞かないと!
そこからの行動は我ながらかなりの素早さだったと思う。きしむ体に悪戦苦闘しながら立ち上がると、とりあえずスマホを探して鞄を開ける。
えっと、誰かは知らないけどおそらくリュックの中に……あったぁ! ありがとうございますバスケ部の誰か! 湯花からストメは……来てない。とりあえずどこに居るかだけ聞いとくか。
そのまま素早くメッセージを送ったものの、そう簡単に返事が来るはずもなく……焦る気持ちに耐えきれなくなった俺は、
既読付かない。とっ、とりあえず部屋行ってみるか?
エレベータに5階の文字が表示されると、その扉はゆっくりと開いていく。
結局居ても立っても居られなくなった俺は、そのたどたどしい速度で部屋をあとにし……一直線に湯花達が泊まっている部屋、510号室を目指していた。
俺達の部屋の丁度真下か。じゃあ、右に曲がって……あと3部屋先……
なんて考えていた時だった。その声は……不意に後ろから聞こえる。
「うっ、うみちゃん?」
そんな聞き覚えのある声に、反射的に後ろを振り返るとそこには……
「湯花」
間違いなく宮原湯花が立っていた。
「うっ、うみちゃん大丈夫なの? それにどうしてここに……」
そう言いながら急ぎ足で俺の方へ近付いてくる湯花。俺の方こそ、なんでこんな所に? なんて一瞬驚いたけど……その元気そうな顔、そしてテーピングも痛々しい様子も見られない右手の親指を確認出来ただけで、そんなのどうでも良くなる。
良かったぁ。
それに、心の底から安心しきっちゃって。思わず……
「歩いて大じょ……きゃっ!」
湯花のことを思いっ切り抱き締めていた。
腕にも背中にも若干の痛みが走る。でもそれ以上に湯花の体は柔らかくて、温かくて……心地良い。
「湯花ごめん。なんか色々あり過ぎて上手く言えないんだけど……湯花に会いたかった」
「うみちゃん……私も……会いたかった。ねっ、雅ちゃん監督のところに行ってるんだ? だから……お部屋でいっぱい話ししよっ」
湯花に手を引かれ、足を踏み入れた510号室。そこにはもちろん多田さんの姿はなくて完全に2人きり。そんな中で徐にベッドに腰掛けると、湯花はゆっくり……話をしてくれた。
女子の試合は男子が終わる少し前に終わってたこと。
試合には負けてしまったこと。
俺に褒めてもらいたくて、自分で言うのもあれだけど結構頑張ったこと。
男子の応援をしようとしたら俺がうずくまっていたこと。
そして、コートから出た瞬間……倒れたこと。
それで野呂先輩の肩借りて、そのあとは白波が全部やってくれたって訳か。あとでお礼言わなきゃな……白波には特に。
「悪いな、心配かけちゃって」
「最初は驚いたよ。けど、皆に支えられてたから」
「キャプテン達にもあとでお礼言わなきゃな」
「うん! そうだね」
「ふぅ。それにしても……負けちゃったな」
「負けちゃった。でもね、うみちゃん? 私そんなに悔しくなかったんだ」
「悔しくない?」
「なんかね? 今自分の持てる力を……出し尽くしたから。これで負けたんなら仕方ないって思えたんだ。あっ、でももう次のこと考えてるよ? もっと練習してもう1回この舞台に立って、絶対リベンジしてやるって燃えてるんだからっ!」
次のことか……
「うみちゃんは……どう?」
「ん?」
「後悔……してる?」
後悔かぁ。確かにキャプテン達とはこれで最後なんだよな。でもさ? 何でだろう……
「いや? 俺も湯花一緒だ。考えれば考えるほど、自分の全てを出し尽くした試合だったって……胸張れる」
ある意味達成感に似た感情しか浮かんでこないよ。でも、さっきの試合に関してだからな? 来年に向けてってなると話は別!
「本当?」
「あぁ、でも……来年は絶対リベンジするぞ?」
「ふふっ、うみちゃんらしくて安心しちゃった」
安心? ……もしかして湯花、俺が最後の最後で力尽きたから……自分を責めてると思ってたんじゃないか。でも大丈夫。例え負けても満足してるよ。それに……気持ちはすでに来年に向かってる!
「そっか。それにしても湯花? 話し聞く限りかなりの活躍だな」
「でしょでしょ? でもうみちゃんだってヤバいよ?」
「本当にさっき言ってたスタッツなのか? にわかに信じられないんだけど」
「本当だって! そんなことで嘘言わないよ」
「んーそうか」
「……ねぇうみちゃん。私達頑張ったよね?」
「えっ、確かに……頑張ったな?」
「じゃあさ? ご褒美……良いんじゃない?」
ごっ、ご褒美って! 目瞑ってこっち迫って来たら……大体わかるじゃんか。
でも、確かに俺達頑張ったよな? 自分の持てる力出し尽くしたよ。
「わかったって」
だから……今だけは……
「はぁ……ん……んっ……」
ご褒美許して下さい。
「ん……ぷはっ」
「「ふふっ」」
「ゴホン! そういうのは別な場所でしてもらっても良いかなぁぁ?」
この後多田さんにみっちり説教されたのは……言うまでもない。
黒前高校 79対90 鳳瞭学園
雨宮海 20得点(内スリーポイント6本) 成功率6/7
黒前高校 68対76 鳳瞭学園
宮原湯花 4得点 5アシスト 5スティール
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