第84話 ミックスアップ

 



 その応援は、まるで地響きのように会場を震わせる。

 その熱気は、まるで夏さながらの蒸し暑さを思い出させる。


 北から来た無名の高校。そんな相手を目の前に油断でもしてくれたら、先制点で流れを引き寄せられる……なんて思ったけど、


 流石高校王者。油断や手加減なんて一切なしって……顔ですね。


 誰かが言っていた気がする。

 常に本気で挑まなければ相手に失礼だ。常に真剣勝負で挑むことこそ相手への敬意と思え。


 鳳瞭学園の過去の試合を見れば、愚直にそれを貫いてることが分かる。ラフプレーは元より、不必要なファールすらしない。相手を見下すことなく、ただただ自分達の持てる力を見せつける。そんな姿を前に、試合の最中戦意すら失う高校も数多い。

 ……この高校に油断・慢心なんて言葉はない。誰が相手だろうと本気で挑み、全力でぶつかる。


 それ故に……最強。


 インターハイでも翔明実業に30点差をつけ100点ゲームで勝ってるし、キャプテンが言った通り黒前高校創部以来最高最強の正念場だよ。


 だからこそ……絶対に勝つ!


 センターサークルの周りで、既にその攻防は始まっていた。ジャンパーが触れたボールを保持する為のポジション取り、そのせめぎ合いは……その合図が近付くにつれて激しさを増す。どちらも欲しいのは先制点。その思いがぶつかり合う中……


 ピー


 その笛は……ついに吹かれた。


 ティップオフされたボールを先に触ったのは、鳳瞭学園のセンターウィルソン。ただ、野呂先輩の想像以上のジャンプにチップするのが精一杯だったようで、そのボールはふわりと俺の方へと向かってくる。


 チャンスだ。隣の榑林より俺の方が身長は高い。

 その軌道に合わせるようにジャンプをすると、ボールは俺の手の中に……収まる。


 良し取った! おそらくキャプテンがすでに走り出してるはず、だったら速攻でパス出して先制点……

 そんな考えを頭に浮かばせながら着地した瞬間だった。確かに俺の手の中あったはずのボールは……その姿を消していた。


 っ! 

 頭を過るのは俺の隣に居た榑林。ジャンプで競り合わず、その光景を眺めていた狙いは最初からこれだった。着地した瞬間のスティール。

 そして俺がそれに気が付いた時には彼の背中しか見えず、そして無情にもそのボールは、エース守景へと渡る。


 やられた、先制点を……

 迷うことなく、最短距離を突き進む守景。けど、その動きは…………忽然とその勢いを失った。

 姿勢を低く、両手を広げ、まるでここは通さないと言わんばかりの表情。立ち塞がったのは、下平キャプテン。


 その様子に守景は一旦攻めるのを止め、ボールをポイントガードの海東へ。一瞬の攻防は落ち着きをみせ、鳳瞭学園のオーソドックスなセットオフェンスが……始まる。


 なんとか速攻の芽は摘んだ。けど、俺の不注意で一瞬の危機を招いたのは事実。榑林……精密機械の異名はディフェンスでも変わらないのか。でも、こうなった以上あっちも攻め急ぐことはないだろう。落ち着いてボールを回して……来たっ!


 ゆったりとした動きの中で、ボールは俺のマークしている榑林へ。スリーポイントライン付近で受け取った榑林がどんな動きをするのか……見極めが必要だった。


 さぁどうする? ドリブルか? 一旦戻すか? 先制点は大事なのは誰だってわかる、だからこそ初手でスリーを打つのは……


 それは……一瞬だった。

 瞬きを終えたその時、目の前の榑林の体はすでに……空中に羽ばたいていた。そしてその手元にはボールの影はなく、視線の先で綺麗な放物線を描いている。その軌道はあまりに真っすぐで、あまりにも美しく……まるでゴールへと吸い込まれるような感覚。


 スパッ


 そして響く、ネットの乾いた音。


 嘘だろ?

 目の当たりにした、精密機械のスリーポイント。その圧倒的なそれに俺は思わず、榑林に視線を向ける。だが彼はそんな余韻に浸ること無く、足早にディフェンスへと向かっていた。


 はっ、速過ぎる。まっ、瞬きした瞬間だぞ? チェックにさえ……行けなかった。しかも、何だよあれ。あの鬼のようなシュートモーションの速さ、理想的なアーチに、ブレることのない軌道。それに決めたあとに喜ぶこともなく、気持ちはすでに次のディフェンスって……こんなの普通だって言いたいのか? そう思えるのに一体どれだけの練習をしてきたんだ? 


 魅せつけられた異次元のプレイ。それは限りなく俺の理想に近いもの。

 そして……そんな相手を目の前に、沸々と湧き上がる感情は、試合中ましてやこの大一番の最中に、決して感じてはいけないもの。


 けど……それを抑えることなんて出来なかった。


 その速さに手が震える。

 その軌道に体が震える。

 その自信に心が震える。


 こんな凄い人を間近で感じられる。こんな凄い人達と同じコートに居られる。こんな最強のチームと対戦できる。そう思っただけで……



 楽しくて仕方がないっ!



 溢れ出す高揚感に比例するように、どんどん感覚が研ぎ澄まされて行く。

 色んなことを試したくてくすぶる体、その途端一気に体が軽くなる。

 最高のプレーを肌で感じたい、自分の全てを試したい。


 体の奥底から嬉しくて、心が……躍り出す。


 凄い。あの速さ、俺が求める理想のクイックモーションだ。でも、俺だって負けない。流石にスリーポイントライン近くだと厳しくついて、ボールさえ預けてもらえない。じゃあこの距離ならどうですか? ラインから1m離れたここだと……チェックが若干甘くなりましたね。

 良いんですか? そこまで距離空けちゃって。じゃあ存分に見て下さい、俺のディープスリー! 

 ……これで同点ですね?


 もう迷わない。榑林さん、あなたのスリーが脅威なのはさっきの1発で十分理解した。だから、ここからはあなたにボールを持たせない為のディフェンスするよ。フェイスガード……もちろん監督の指示には無いけど、こうしないと絶対にあなたを止められない。体力的に最後まで保つかなんて二の次だ。


 っ! スクリーン? ヤバっ、フリーにさせた! でも打たせな……パス? ゴール下のウィルソン。……あの動きの中でゴール下まで見てた? 榑林さん……どこまでも凄い。



 くっ、やっぱり丹波先輩と海東のミスマッチ付いて来るか。そりゃゴール下にパス通し放題なのは仕方ない。しかも厄介なのが、その位置でウィルソンがパスを散らせること。シュートを意識してると、他の4人が一斉に動き出して誰かがノーマーク。これが鳳瞭のオフェンスの軸か。


 でも、丹波先輩だってやられっ放しじゃないよ? その速さには海東もまだ付いて行けてないんだ。しかもカットインした先輩にはパスを警戒して誰もディフェンスに寄らない。そりゃ先輩はシュートが苦手だった。けど、それは……県予選までの話! ナイスシュートです先輩。これで鳳瞭もマークが絞れないぞ?



 野呂先輩。ガタイでは負けてないですけど、そのプレッシャーは相当なはず。ましてや高校ナンバーワンセンターのウィルソン相手だと、疲れだって尋常じゃない。しかもあいつ、スリーポイントラインまで出て行ってラッキーかと思うと……そこから打って来るんだ。中も外も出来るセンター……その能力は恐ろしい。

 でもそれに負けないのが野呂先輩の筋力。留学生に負けないくらいの鋼の肉体は、まさに縁の下の力持ちだ。それにゴール下での多種多様なムーブも取り入れて……出たっ! 練習を重ねて来たフックシュート。その身長にフックシュートが交じり合えば、そう簡単には止められない。



 晴下先輩。あなたはコート上のどこにでも常に顔を見せる。鳳瞭のスタメンで唯一の2年三条とのマッチアップ。同学年同士ではありますけど……完全に勝ってる。その身長に正確無比なパス、鋭いドリブルに力強いダンク。ユーティリティープレーヤーとしても、チームにしても……あなたの力はとんでもない。俺もそんな風になれますか? 全てをこなし、チームを救えるくらいのキープレーヤーになれますか? ……愚問でしたね。ただひたすら、追い駆けるだけです!



 うっ……この2人の1対1には迂闊に入っていけない。下平キャプテン対鳳瞭のエース守景。どちらかがボールを持つたびに、その雰囲気が異質になる。キャプテンがステップバックから綺麗なジャンプシュートを決めると、それに負けじと今度は守景が鋭いカットインでレイアップを決める。

 キャプテンがそのボールをカットすれば、守景は意地でもブロックする……まさに一進一退の攻防。でも、キャプテンは1対1にこだわらないんだ。体は熱く心はクールに、それが下平聖。それが俺達のキャプテン。フリーになった俺達を見逃さず、迷うことなくパスをくれる。そんなの受けたら……シュートを外す気がしなかった。



 やっぱり凄い。その全てが最高で最強の鳳瞭学園。プレー1つ1つが丁寧で魅せられて、ここに居るだけで今までの何十倍も上手くなれる気がする。

 でもそんな王者と渡り合ってる先輩達は……もっと凄い。俺達をここまで連れて来てくれて、そのプレーで気持ちまで引っ張ってくれる。下平キャプテンのエース対決、野呂先輩の体を張ったリバウンド、樋村先輩の諦めないディフェンス、晴下先輩のワンハンドダンク、丹波先輩の鋭いカットインからのノールックパス。



 本当にここに来れて良かった。この場所に立てて良かった。

 鳳瞭学園と……先輩達と一緒にもっともっと、バスケがしたいっ!



 …………あれ? おかしいな。なんで足……動かないんだ? 左……足? 

 感覚が……ちょっと攣っちゃったかな? でもまだまだやれるよ、マッサージすればすぐ良くなる。早く、早く動いて……動けよっ!


 立てない? あぁ……皆待って? 置いて行かないで、すぐ行きます。ディフェンス戻ります! 先輩達のところに行きますから、少しだけ時間を……


 先輩? なんでディフェンスしないんですか? なんで歩いてるんですか? なんでこっち来てるんですか? 

 あっ、クォーターが終わったんですね。多分次がラストですよね? すいません大事な場面で変な格好見せちゃって。すぐベンチ戻りますから、絶対勝ち…………せっ、先輩? 野呂先輩? なんで……なんで……



 泣いてるんですか? 



 まだ終わってないですよ? なのに……えっ? 樋村先輩まで? なんで……おっ、おい白波! お前まで何泣いてんだよ! ベンチが泣いてたら先輩達だって……あれ? 下平……キャプテン?


 すっ、すいません。迷惑かけて……でも休めば大丈夫です。


「雨宮、よく頑張ったな」


 本当ですか? キャプテンは諦めてないですよね? だから……だから……



「連れて来てくれて……ありがとうな」



 連れて来て……ありがとう……? 


 ……ありが……とう?



 そう……ですか……そうなんです……ね……



 俺達……俺達……




「負けたんですね……」



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