第71話 その真意

 



「透也先輩……私じゃ……ダメなんですか?」


 その声は、今まで聞いたことのないくらい自信なさげ。

 その顔は、今まで見たことのないくらい弱々しい。


 そんな突然の出来事に、さっきまで心の奥底から感じていた楽しさはどこかで迷子状態。それに驚きすぎて、どんな反応して良いのかすら分からないってのが正直なところだった。けど、


「私は……私は……ずっと先輩のことが好きでした」


 その言葉が……引き金になったのは間違いない。


 俺の知ってる姉ちゃんは、昔から明るくてサバサバした性格で……それこそ俺にとっては姉ちゃんって言うより兄ちゃんって言った方がシックリきてた。だからこそ話しやすくて、仲が悪かったって感じたことは1度もない。


 けど、今この瞬間思い知らされた……姉ちゃんも女なんだって。

 今まで見たことのない姿を見て、本当なら嬉しかったり興味津々になるのかもしれない。でも……自分の中の姉ちゃんのイメージが崩れていくことを恐ろしく感じている自分が居る。


 だから俺は、そっと顔を俯かせると……姉ちゃんの顔を見るのを止めた。そして……聞いたことのない震えるような姉ちゃんの声だけが耳に伝わってくる。

 どういうことだよ姉ちゃん。


「棗……」


 透也さんのことが好きって……


「7年間ずっと想い続けてきました。恥ずかしくって今までも何度か冗談交じりに伝えてました」


 7年間って……中学1年の時から? そんな素振り……見たことが無い。


「本当は同じ高校へ行きたかった。でも、先輩が私のバスケを褒めてくれことが嬉しかった。そして私ならもっと上手くなれる。その言葉が何よりも胸に残って……私は黒前高校へ行きました」


 嘘だろ? 最初から黒前高校行く気満々だったじゃないか。


「会場で会う度、話ができるだけでドキドキした。成長した自分の姿を見てもらいたくて緊張した。そして……先輩が黒前大学へ行くって聞いた時は胸がはち切れそうなくらい……嬉しかった。でも……」


 でも……か。たぶん、その時には透也さん……


「私が先輩と同じ場所に辿り着いた時には、その隣に……真白さんが居た」


 弱々しかった声に、次第にかすれ声が混ざるようになると……正直俺はもう限界だった。もちろん弱々しい姉ちゃんの姿を見たくないってこともあった。でもそれ以上に……


 必死に何かを伝えようとする姿を俺なんかが見ちゃいけない。


 そんな気がしてならなかった。ましてやこんな覗き見なんて、偶然とはいえ罪悪感の元にしかならない。もちろんこんな場所でそんなこと言う方も悪いとは思う。でも、今この瞬間が姉ちゃんにとって……大切な時間であることは容易に理解できる。


「ふぅ……」


 思わず口から溢れた小さく長い息遣い。そして思わず生唾を飲み込んだ時だった、不意に温かい何かが……手のひらを包み込む。

 そしてその温もりと感触に、思わず向けた視線の先。そこに居たのは……心配そうに俺を見上げる湯花だった。


 湯花……

 顔を見つめ合う俺達の間に会話はない。でも、その瞬間湯花はゆっくりと頷いた。そう、まるで俺が何を考えているのか、どうしたいのかを理解しているかのように。


 湯花、俺何も言ってないぞ? それでも……俺の気持ちわかるのか?


 こんな状況で唯一の救いは、隣に湯花が居たことだと思った。もし1人だったら……想像するだけでも不安に陥る。でもこの温もりが俺を助けてくれた。


 ありがとう。


 そう心で呟くと、俺も湯花に向かってゆっくりと頷く。そして、


「先輩……私と……」


 その全てを聞く前に、その答えを聞く前に、俺と湯花は……


 静かにその場を後にした。




 手を繋ぎ、もと来た道を戻ってどれだけ時間が経っただろう。その間、湯花はまるで俺が落ち着くのを待ってくれているように、黙って俺に付いて来てくれて……そんな俺はというと、まだ頭の中にさっきの光景が色濃く残っていた。


 見たことの無い声に表情。

 7年間透也さんを想っていたこと。

 そんな姿、誰だって持ってるってことは分かる。けどそれ以上に、


 透也さんはいま桃野さんと付き合ってる。

 だから姉ちゃんの望む答えは絶対に返ってこない。


 その事実が、引っかかって仕方なかった。


 姉ちゃん、そりゃずっと好きだったのは分かる。でも今透也さんには桃野さんって彼女が居るんだ。それにあの2人の雰囲気……俺たち以上に知っているだろ。肌で感じてただろ? それなのに……なんでわざわざ告白するんだ。答えなんて知ってるじゃないか。

 それを理解できないほど、姉ちゃんバカじゃないだろ? 分かってるのに、なんであえてそんな行動を……何か理由でも…………あれ? 理由? 


 姉に対する疑問。それらを並べていく内に、やっぱり引っかかったのは【どうして今なのか】だった。

 普段はおちゃらけているけど、あぁ見えて頭が良い方なのは知っている。

 ふざけているように見えて、周りを良く見ていることも知っている。

 そんな人物がこんな行動をとるには……何か理由があるに違いない。


 ……そうだ。この状態で告白したって自分の願いが叶わないこと、姉ちゃんが分からないはずがない。だとしたらどうして? 今更7年間の想いを……ん? 今更? 7年間? ……はっ! もしかしてっ!


「海? 大丈夫」


 頭の中に1つの答えが浮かんできたと同時に、俺の耳に聞こえてきたのは心配そうな湯花の声。

 思わず立ち止まり、視線を向けると……その表情はやっぱりめちゃくちゃ不安げだった。


 やばっ、そう言えばずっと無言で歩きっぱなしだった! そりゃそんな顔にもなるよなぁ。ごめん、湯花。


「あっ、あぁ大丈夫。ごめんな? 心配かけて」

「うぅん、全然だよ。でも……」


「驚いたな」

「うん……」


「俺も驚いた。全然そんな素振りなかったし……湯花はそんな気配感じてた?」

「全く感じなかったよ。てか、海ですら分からなかったのに、私が分かったら怖いでしょ」


「いやぁ、女の勘っていうか……」

「あのねぇ、棗さんとお兄ちゃんが一緒に居るところなんてサークルくらいしか知らないでしょ? 女の勘も何も情報量少ないって」


「あっ、確かに」

「ったく。でも……なんかいつもの海に戻ってくれたね」


 そう言って、優しく微笑む湯花。

 まぁ少し落ち着いたし、何となく姉ちゃんの意図も読めたし……けど、


「まぁな。でも湯花。よく俺があそこから居なくなりたいって分かったな?」


 あそこで隣に居たのが湯花で良かったよ。


「……そりゃ分かるよ。だって……好きな人の気持ちくらいわかって当然でしょ?」

「おっ、おう」


 胸に穴が開いたかと思うくらいの衝撃に何とか耐えつつも、即座に返答するにはそれが精一杯だった。


 ヤバイ、前々から思ってたけど絶対わざとやってるよな? ここぞというタイミングで上目遣い、八重歯チラ見せの笑顔……ドキッてするに決まってるじゃん。ととっ、とりあえず別の意味で動揺してるってのバレたら恥ずかしいから……そうだ、話を本題へ戻そう。


「なぁ湯花?」

「うん?」


「姉ちゃんのことなんだけど……俺なりに思うところがある」

「思うところ?」


「あぁ。最初はなんでこのタイミングで告るんだよっ! なんて思ったりしたけど、よくよく考えればそれ自体がおかしいんだよな」

「おかしいって?」


「だって、透也さんと桃野さん付き合ってるの知ってるんだぜ? それなのに告白するなんて普通じゃちょっと考えられなくないか。何か理由がない限り」

「つまり……それをわかっていても、自分の気持ち伝えなきゃいけない何かがあるってこと?」

「そうだ、それでさ俺なりに考えたんだ……多分姉ちゃん」


「自分の恋を終わらせようとしたんじゃないか」

「こっ、恋を?」


 だって姉ちゃん言ってたじゃん、7年間想い続けたって。その間に冗談交じりで思いを伝えてたけど、大学再会した時には……そこに自分の場所はなかった。そしてそんな2人の様子を目の当たりにして悟ったんだと思う。この人には絶対勝てない。この関係は……絶対壊れないって。


「まぁ俺の憶測だけどね。俺から見ても透也さんと桃野さんはお似合いだ。それにあの2人の雰囲気って一目見ただけで、そういう関係なんだって分かるじゃん?」

「確かにそうかも……」


「数回しか見てない俺ですらそう思うんだぞ。それを何度も目にした姉ちゃんが……諦めるのも無理ないかなって」

「……」

「だから多分、最後に自分の気持ちをキチンと伝えて……区切りをつけたかったんじゃないかな」


 もちろん確証はない。でも、そう考えると色々と辻褄が合うのも事実だ。あの後どういうやり取りがあったのかは知らない。でも……きっとそうだと思う。いや、そうだと信じたい。


「そっかぁ……なんかごめんね?」

「えっ? なんで湯花が謝るんだよ」


「だって……なんかうちのお兄ちゃんが……」

「透也さんは関係ないって」


「そうかな?」

「そうそう」


 そうだ、透也さんは関係ない。姉ちゃんだってそれくらい知ってるって。

 ……にしても、姉ちゃんの7年間のアピールがどんな感じだったかは知らないけどさ、それに心動かされなかった透也さんをモノにした桃野さんて……何者? だって大学で一緒になったんだよな。確かに美人でスタイルも良いけど……


「あっ、湯花? ちょっと聞いていいか?」

「なにかな?」


「単純に気になったんだけど、透也さんと桃野さんって大学で知り合ったんだよな?」

「うん、そうだよ? それがどうかしたの?」


「いや、自分の家族だから贔屓するって訳じゃないけど……姉ちゃんのアプローチになびかなかった透也さんを射止めた桃野さんて、何者なのかって思ってさ」

「あぁ……そうだねぇ」


 ん? 何か……心当たりある感じなのか?


「心当たりでも?」

「まぁ、あるっちゃあるかな。それこそ2人揃って立ってるのを見た瞬間、赤い糸って実在するんだって思ったくらいだもん」

「あっ、赤い糸?」


 なっ、なんだよそれ? 


「うん、てか2人はさ? 良い意味で色々とおかしいんだよ」

「色々とおかしいって……なんだよそれ?」


 そんなに含み持たせたら……結構気になっちゃうんですけど!


「ふふっ、じゃあさ? 海に1つ質問だよ」

「質……問?」



「海は……運命って信じる?」



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