第68話 いつも通りに!

 



「おはようございまーす」


 肌寒さを感じるようになった朝の時間。その声を耳にした俺は荷物を持って玄関に向かうと、そこに立っていたのはチームジャージにリュックサックを背負った湯花。そして、


「おはよう海。ついに来たね勝負の日」


 その表情は、いつもの笑顔から張りつめたようなキリッとした顔立ちへと変わっていく。

 もちろんその意味を俺は十分理解している。だからこそ、


「おはよう湯花。あぁ、今日で全てが決まる」


 いつものようにふざけることもなく、ただただ真剣に……それに応えた。


「おっ! 湯花ちゃんおはよう」

「おはよう湯花ちゃん」

「あっ、おはようございます」


 そんな空気をぶち壊すように母さんと姉ちゃんがリビングからか出て来たけど、たぶん2人なりの気遣いなんだろう。


「2人共いつも通り頑張って来なさい?」

「試合で出来ることは練習でやってきたことだけ。たまにそれ以上のことができる時もあるけど、そんなのに頼るのは本当の強さじゃない。2人がどんだけ練習してきたのかは知ってるつもり。だから……悔いだけは残すなよ」


 いつも通り。

 練習通り。

 そして悔いを残すな。


 昨日から始まった、ウィンターカップ予選。高校総体の予選でベスト16に残った高校だけが出場するだけあって、初戦から気は抜けないはずだった。

 けど……3年生の参加、夏合宿から続いた今まで以上の練習。そしてこれまでにないくらい高まったチームの雰囲気。それが混ざり合った黒前高校は余裕のある試合運びで勝ち進み、今日の2日目へと駒を進めた。

 決勝を見据えたスタメンの温存が功を奏したのを、自分自身が実感している。そして、


『すいません! 俺、決勝までディープスリーとクイックモーション温存したいんです』


 全ては翔明実業に勝つ為、それにはなるべく奥の手を見せたくなかったんだ。でもそんな我儘も先輩達は快く受け入れてくれて……


『じゃあさ、俺も決勝までなるべくのプレースタイルで行こうと思う。その方が……奴ら驚くだろ? 数が多いほど動揺も誘えるだろ?』


 そんな俺に被せるような下平キャプテンの提案もクリアしてしまうほど、今のチームはまとまりを見せている。


 下平キャプテンのホントのプレースタイルは、相手にとっても慣れるまで相当時間が掛かるはず。そして、俺だって絶対王者にヒビくらいは付けられる自信はある。


 だから行こう。今までの全てをぶつけに……

 そして行こう。皆で全国へ!


「あぁ、それじゃあ」

「「行ってきますっ!」」




 コートから聞こえてくるより一層大きな歓声を聞きながら、俺達黒前高校バスケ部はロビーに固まって昼ご飯を食べていた。幸いなことに、午前中に行われた準決勝で男女揃って勝利し、共に決勝進出を決めている。

 特に女子は相手が高校総体予選で負けていた相手だけあって、その勝利はさらなる自身に結びついたはず。そして今コートで戦っている勝者が決勝の相手。もちろん、俺達男子の決勝の相手は言わずもなが、順当に翔明実業高校。しかも俺たち以上に余裕のある試合運びを披露するなど、その戦力は相変わらず恐ろしい。でも、やることは1つだけ、絶対に勝つ!


 ……それにしても、


「海? はいっ、はちみつレモン」

「おっ、さんきゅ。ウマっ!」


 はちみつレモンもそうだけど、湯花が作ってくれた試合前特別お弁当もエネルギーと消化重視でめちゃくちゃ美味かった。てか、自分も試合出てるのに今日も弁当作ってくれるなんて甘えすぎかな?


「湯花、大丈夫か? こんな日まで俺の分のお弁当作ってもらって」

「ん? 全然。むしろ海に食べてもらえるから、作ってる時嬉しくて嬉しくて」


 まっ、マジか?


「湯花……」

「おーい、ここはイチャイチャ禁止だぞ?」

「なっ!」


 ちっ、白波……良いとこで出てくるんじゃないよっ!


「しーらーなーみー? あんたそのお弁当、野菜残ってない?」

「っ! そそそっ、そんなことは」

「栄養バランスの重要性は私が丁寧に教えたつもりだけど……」


 おっ、多田さんナイスー! って、一応決勝前だぞ? そんないつも通りの……


「ふふっ、なんかいつもの感じだね?」

「だな。ったく決勝前だっての…………」

「どしたの?」


 ……あれ? いつも通り? そうだこの感じ、いつもの部活ん時と同じじゃん。それをなんで俺は否定しようとしたんだ。決勝だから、真剣だから……負けられないから? 


『2人共いつも通り頑張って来なさい?』

『試合で出来ることは練習でやってきたことだけ。たまにそれ以上のことができる時もあるけど、そんなのに頼るのは本当の強さじゃない。2人がどんだけ練習してきたのかは知ってるつもり。だから……悔いだけは残すなよ』


 ……そうだ、朝に姉ちゃん達にも言われたじゃん。あっぶね、勝手に力入り過ぎて、勝手に気負ってて、いつのも自分じゃなくなってたよ。


 そうだ、いつも通り……いつも通り……


「なんでもないよ湯花。いつも通り……決勝頑張ろうな?」

「うん!」


 俺達の力を見せよう。




 たくさんの観客に、鳴り止まない応援。1つのコートに視線が集まるその独特な雰囲気の中、


 ―――それでは黒前高校スターティングメンバーを紹介します―――


 そのコールに立ち上がり、日南先輩と監督に次々とハイタッチしていく先輩達。


 ―――キャプテン、下平聖君―――


 ―――5番、野呂大河君―――


 ―――7番、晴下黎君―――


 ―――8番、丹波嵐君―――


 そこにキャプテン達の名前が呼ばれた時の……嬉しさ。そして、


 ―――14番、雨宮海君―――


 その足は、前のように震えてはいない。


 体育館の照明が、スポットライトのように俺達に向けられる。前は眩しすぎて火傷しそうなくらい熱く感じたけど、今は体を温めるように心地良い。


 あぁ、ウィンターカップ予選の会場も……黒前市武道館で良かった。


 この場所に戻って来た。それだけで楽しく感じる。

 あの時のメンバーが横に居る。それだけでめちゃくちゃ嬉しい。


「それでは翔明実業対黒前高校、決勝戦始めます」

「「お願いします」」


 審判のその声を合図に一礼し、お互い対面する選手と握手を交わす。

 俺の目の前に居るのは、俺と同じ14番のユニフォームを身にまとう人物で、身長は俺よりちょっと小さいくらい。けど、総体予選の時には見なかった顔。そして軽く手が触れた時、


「お前も1年なんだって? 俺も同じ1年だ」


 そいつは少し笑みを浮かべて話し掛けてきた。


「お前の話は知ってる。俺と同じ1年でスタメンってこともな? そんな奴が俺の他に居るなんて嬉しくてしょうがない」


 いっ、1年でスタメン……翔明実業で? けど、だったらなんで総体予選の時居なかったんだ? でも、そんなこと今はどうでも良い。


「そっか、ありがとう」

「けど、同世代で1番上手いのは俺だ。それだけは譲れない、だから負けねぇぞ?」


 負けないか……正直、君の実力はわからない。でもスタメンって事実だけでも相当なんだってのは予想はつく。でも……


「俺も負けないよ」


 俺達は負けない。


 そんな信念を胸に、ついにその時は……訪れた。


 審判の笛が鳴り、センターサークルの周りでせめぎ合う俺達。そしてティップオフされたボールを最初に触ったのは、やはり高さに分がある翔明のセンターデイビス。そして狙い定めたように叩いたボールは翔明実業のキャプテン藤島の手に渡る。

 そう、それはまるで高校総体の始まりを再現しているかのように。


 やっぱりな。けど、行かせない。

 そんな光景に俺は不思議と冷静だった。そして少しでも攻撃を遅らせようと、躊躇なくその目の前へ立ち塞がった。


 マークマンは藤島じゃない。ただ、近くにいるなら容赦なくディフェンスする。俺のマークマンには先輩達がついてるはずだ。だから……こい。

 最初の攻撃が始まる……誰もがそう思った。


 トンっ


 その……本来の姿を見せつつある彼以外は。


 藤島の何気ないドリブル。その最初の攻撃、最初のドリブル。それにさほど意味はなかったに違いない。そう、油断。これから始まる試合をどうやってコントロールするべきなのか、いかに上手い藤島であっても、開始早々のこの瞬間を蔑ろにしていた。そんな状況下での最初のドリブル。けど……このコート上にはそれを見逃さない人物が1人だけいた。


「油断は禁物だよ?」


 こんな声と共に、後ろから綺麗にボールを奪ったのは下平キャプテン。そしてボールを保持したかと思うと、いち早くゴールへ向かって駆け上がる。


 それは奇しくも高校総体のそれと同じ。

 よっしゃ。


 そんな光景に幸先よく先制点が取れるかも……なんて思ってた。けど、相手は絶対王者。そして高校総体で熱戦を繰り広げた相手。

 いち早くそれに気付いたデイビスが目の前に立ち塞がると、キャプテンも無理には行かずスピードを緩めた。

 そして……ポイントガードである丹波さんにボールを預けると、試合は一端の落ち着きを迎える。


 流石は翔明実業、奪われた後も戻りが早い。そしてディフェンスは高校総体と同じマンツーマンで、俺についてるのはさっき握手した1年生。


 今回もスタートはマンツーマンか。お得意の2-3じゃないのは外のシュートを警戒してるって事なのか? けど、対峙するのはあの人。他の人よりディフェンスはキツくないかもしれない。それこそ夏合宿の時にマッチアップされた透也さん比べたら一目瞭然。じゃあ……


 俺は一瞬のスピードを生かし、スリーポイントから離れた場所まで行くと丹波先輩にパスを要求する。その意味を理解してくれた丹波先輩は、


「ふっ、ブチかましてやれ」


 その言葉と共に俺にボールを預けてくれた。受け取ったのは、スリーポイントラインから1mほど離れたところ。そこはまさに、湯花と練習してきたディープスリーの場所だった。


 相手はここまで来ない。ドリブルでのカットインを防ぐためのディフェンスだ。

 それにいくら3ポイントが打てるからって、この距離からは打たないだろう……そう思ているはず。

 試合の流れを引き寄せる最初の得点。相手に動揺を与える為にも、精神的なダメージを与える為にも……ここで見せつけろっ!


 俺にはドリブルが残っている。相手もそれを知っていて、警戒心もも相まってのこの距離感なんだろう。でも彼は知らない、俺にはここからでも得点を狙える武器があることを……磨き上げてきたそれを躊躇なく披露できるということを。


 その瞬間、俺は迷うことなく体を起こしそのボールに力を込める。


 俺は俺なりに考えた、どうしたらあの総体の悔しさを払拭できるのか。

 そして願い続けた、絶対に先輩達と……男女揃って、皆で全国大会に行くって。だから……



 スパッ




 俺達は絶対に負けない!



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