第43話 いつも傍に、いつも隣に

 



 タン……タン……タン……タン……


 聞こえてくる規則正しい足音は、段々と大きくなってくる。それは確実に俺達の居る4階へと近付いている証拠だった。そして、


 タン……タン……


 どこか遠くに聞こえていたそれがすぐ後ろの廊下に響くと、途切れることなく聞こえて来た足音がパッタリ止んだ。


 階段を上がり終わって、立ち止まった……?

 その誰かが4階に居るのは何となく分かる。そして立ち止まったということは、どっちへ行こうか迷っているに違いない。


 瞬間、湯花を支えている両腕にも自然と力が入る。 

 俺達の居る方か、それとも反対側か……どっちだ?


 その緊迫した雰囲気に、生唾を飲み込んだ時だった、


「立花ー、誰も居ないぞ?」


 廊下から聞こえて来たのは、囁くような人の声だった。


 ん? 立花って……

 誰なのかは正直分からない。けど、立花……確かにその人を呼んでいるのはハッキリしてる。そしてその名前で思い出す人は、バスケ部じゃ1人しか居なかった。


 タンタンタン


 まるでその言葉が合図だったかのように、また聞こえてきた足音。それはさっきの人とは違い結構早歩き。


「ホント? 良かった」


 そして足音が止まったかと思うと、聞こえてきたのは女の人の声だった。

 ……女?


「よっし、じゃあちょっとそっち行くか」

「そうだね」


 もう1人は……男の人?

 そんな2人が言葉を交わすと、瞬く間に聞こえてくる足音。それは明らかにこっち向かっていた。


 だっ、大丈夫だ。この柱に隠れていれば廊下側からは見えない。それにしても誰だ? ちょっとだけ窓から廊下が見えるように体を動かして……見えた! さぁ誰だ? 誰が来る?


 徐々に近付く足音に、


「それにしても初めてここ来たかもしんない」

「でっ、でしょ? 私も……」


 ハッキリと聞こえてくる会話。そしてついに窓の端っこにその人物達の姿が現れた。

 えっ? その姿は意外と言えば意外かもしれない。もちろん立花って名前に聞き覚えはあったし、むしろ驚くとしたらその名前を口にした人の方かもしれない。


 なんで……こんなところに? 何しに来たんですか? 下平先輩と立花先輩。

 黒前高校バスケ部の両キャプテンが、すぐそこに間違いなく……居た。


「湯花、下平先輩と立花先輩だぞ?」


 思わぬ人物達に、慌てながら小声で湯花に話し掛けてみた。けど、なんの反応もない。

 ん? 湯花?


「湯花」

「へっ?」


 今度は顔を見ながら名前を囁くと、若干驚いたような顔で俺の顔を見上げる湯花。


「見ろ、あの足音下平先輩と立花先輩だったんだ」

「えっ」


 俺はそう言うと、窓の方へ何度か窓の方へ視線を向けた。その意味を理解したのか、湯花も俺の体から若干身を乗り出すように窓の方を見つめると、

 一瞬で俺の方へ視線を戻して、


「ほっ、本当だ」


 驚いた表情を見せる。

 けど、なんで先輩達が4階に? 肝試しは3階のはずだし……大体残りの2人は? 


 そんな疑問なんてお構いなしに、廊下に佇む先輩達は外を眺めながら何やら話し込んでいるようだった。


「それで? なんでここに行きたいって言い出したのかな? 立花」

「だって、夏合宿中じゃ誰かが近くに居るでしょ?」


「……なるほどねぇ」

「本音聞きたくてさ、正直今のバスケ部……どう思う?」


 バスケ部のこと?


「んー? 男子バスケ部の状態は、ハッキリ言って最高だよ? 気合も十分だし、この夏合宿通してチームとしても強くなってる」

「だと思った。まぁ下平がウィンターカップ予選出るって言い出した時には驚いたけどね?」


「後輩達にあんな必死な顔されちゃったら、応えるのが先輩でしょ?」

「雨宮と宮原?」


「それに晴下もね。それに総体では雨宮に随分重い荷物背負わせちゃったし、なにより今のメンバーは強いって自信もある」

「なるほどね」


 下平先輩……


「そんで? 女子は?」

「女子? 言わなくてもわかるでしょ? 最高」


「ははっ、だろうね」

「強豪と言われはしてるものの、総体では決勝に行ったことなかった。今年も行けはしなかったけど、過去最高の3位。私も今年のチームが1番強いと思ってる」


「まぁお互い、今のチームの原動力になってるやつらに出会えてよかったなぁ」

「原動力? ふふっ、何となく分かる。そう考えると私達……良い後輩に恵まれたね?」


「戦力としてはもちろん、チームに足りなかった何かを持って来てくれたよ。だからこそ最初で最後のこのメンバーで全国行きたいんだ」

「私もだよ」


 マジか? 2人共、俺達後輩のことをそんな風に見てくれてたのか?


「ふぅ。スッキリした」

「そりゃよかった。どうせ立花ことだし、本当はいきなり決めちゃった夏合宿に対する皆の反応聞きたかったんだろ?」


「そっ、そんなことないよ。ただ、バスケ部のキャプテンとして様子を知りたかっただけなんだからっ」

「分かった分かった」

「もぅ」


 そんなことを言った後、立花先輩は外を眺めるのを止めて、下平先輩の方へと体の向きを変える。そして、


「じゃあ……もうバスケの話はおしまい」

「ん?」

「少しぐらい2人きりになったっていいでしょ? 聖……」


 先輩のことをいきなり名前で呼んだ立花先輩。その姿はまるでいつも部活で……いや、俺達が知ってる先輩の姿じゃないような気がした。


「……そうだなぁ、めい」


 そしてそれに応えるように、名前で呼び返す下平先輩。その瞬間2人の間にあったバスケ部のキャプテン同士って空気は一変して、感じるのは……まるで恋人同士かのような甘い雰囲気。


 この2人幼馴染だってのは知ってた。仲が良いのは部活でも学校の中でも分かっていた。もしかしてって皆で噂もしてた。けど、それは今ハッキリした。


「おっ、おい湯花……知ってたか?」


 思わず問い掛けると、湯花は俺と全く同じ表情で、


「しっ、知らなかった。女子でも、もしかしたらって噂はあったけど……」


 だよな? 俺達の前では仲の良い幼馴染って姿しか見てないし、それらしい言動とか素振りは一切なかった。けどやっぱり……


「最近は部活終わったら図書室で勉強ばっかりじゃん……たまには遊びに行きたいよぉ」

「それは俺だって同じさ。けど、今年で卒業……部活も勉強も手は抜けないだろ?」


 完全に彼氏彼女の会話じゃんっ!

 いつもと全く違う2人の姿。それを覗き見していて良いのかという葛藤も少しあったものの……その好奇心を抑えることはできなかった。


「うん、そうだよね。それにキャプテン同士が付き合ってるって知られたら……私達について来てくれて、必死に練習してる皆に示しが付かないもん」

「ごめんな? 俺がそうしようって言ったせいで、辛い思いさせて」

「大丈夫。だって2人で全国行こうってのが夢だったじゃない? だから……大丈夫」


 目の前で繰り広げられる甘い会話。そして溢れ出る雰囲気。

 こっ、これがいわゆる大人っぽいの恋愛というやつなのか?


 そんな光景に、なぜか顔が熱くなってきて、心臓の鼓動も早くなる。


「でも、今まで頑張ったご褒美欲しいな? 最近お互い忙しくて……おあずけ状態だったし……」


 おっ、おあずけ? ちょっ! 一体ここで何を……

 それは一瞬だった。そのお願いを聞いた下平先輩が、


「仕方ないなぁ。……めい?」


 聞いたことのない甘く囁くような声を向けると、そのまま立花先輩を抱き寄せて……キスをした。

 そしてそれは触れ合うような優しいものから、段々とお互いがそれを求めるように激しさが増していく。


 俺の知らないまるで大人のそれに、時折零れる吐息と重なり合う2人の姿。それが月の光に照らされ、とんでもなく綺麗で幻想的にさえ見えた……はずだった。

 ヤバッ、先輩達のあんな姿見たことない。


 顔が熱くなる。

 心臓もドックンドックン激しくなってるのが分かる。


 ん? 興奮しすぎか? なんか胸の辺りも熱く……

 胃から何かがこみ上げてきそうで……気持ち悪い?


 あ……れ? なんか目の前ぼやけてる? 

 ちっ、違う? ぼやけてるのは……先輩達? なんで? どんどんぼやけて消えて……


 違う


 頭の中にそんな言葉が浮かぶと、


 違……う


 途端にそれが響き渡る。


 そして響き渡ったそれが一気に弾け飛んだ瞬間、思い出す。

 その光景が、目の前のぼやけた2人に重なっていく。


 思い出したくもない。動画だって4月から全く見ていない。なのになんで今更? 完全に消え去ったはずじゃないか。なのになんで……なんで……


 あいつらの影が重なっている


 あの日、部室の中。

 抱き合い、そして……


 キスをする叶と田川。


 有り得ないはずなのに、蘇るあの日の記憶。目の前に広がる……あの日見た光景。


 苦しい

 泣きたい

 悔しい

 悲しい

 吐きたい


 止めろ……止めろ……


 確かに体は熱いはずなのに、体の奥底は悪寒にまみれて……震えが止まらない。


 寒い

 嫌だ

 息が苦しい

 気持ちが悪い


 もう止めてくれ……

 誰か……止めてくれ……


 自分じゃどうにもできない。どうにかなってしまいだ。だから、


 誰でもいい……誰でもいいから……



 助けてくれ



「海……?」


 そんな時だった、震えるような声が……聞こえる。冷たかったお腹の辺りになにか温かいものを感じる。

 そして、首元のTシャツが力強く握られている感覚。


 誰……だ?


 あそこには誰も居なかった。

 俺だけしか居なかった。

 だから俺は1人であの苦しみを抱えてきた。


 けど、確かに感じる誰かの存在

 誰かの鼓動

 誰かの体温


 あの忌々しい光景から目を逸らし、その誰かが居る場所へ顔を向けると……


「海……」


 そこには確かに居てくれた。俺の近くに居てくれたんだ……湯花が。


 湯花……?

 俺のTシャツを思い切り掴んで、俺の顔をじっと見上げている湯花。教室が暗くても、その表情だけはハッキリとわかる。


 不安そうな顔してどした?

 泣きそうな顔してどした? 


 なんでそんな顔で俺のこと見てるんだ? 

 俺の目を真っすぐ見てるんだ?


 湯花は何も言わない。けど、両手に込める力が強くなっているのだけは感じる。そして、


「はぁ……はぁ……」


 どこか色っぽくて、どこか甘えるような息遣いに、心が揺れた時だった、シャツを下へ引っ張り、背伸びをするように……自分の顔を徐々に近付ける。

 嘘……だろ? なんで近付けて? めちゃくちゃ近い!


 その距離は次第に近く、さっきまで薄っすらだった吐息が胸に当たる。それに湯花の表情はさっきから変わらないはずなのに、それは次第に何かを待っているような、何かを欲しているような。そんな気にさえさせる。


 そしておそらく精一杯のつま先立ちなんだと思う。動きが止まった途端、湯花は俺のをじっと見つめてゆっくりと……目を閉じた。


 そのすべてを受け入れるような表情に、心臓の鼓動はさらに激しく音を立てる。それに俺自身、見たこともない湯花に……その唇に……無意識のうちに吸い込まれていった。


 あぁ、ダメじゃないか? まだ付き合ってないのに、返事だってしてないのに。好きかどうかすらわからないのに。雰囲気に流されてキスしてもいいのか?


 あれ? でも俺、さっき湯花の手握ってたよな?

 あれ? 湯花のこと抱き締めてる? 

 あいつの時は体が動かなかったのに、無理だったのに……あぁ柔らかい、温かい、心地良い。それに……俺にも聞こえる湯花の鼓動。トクントクン可愛い音がめちゃくちゃ早い。じゃあさ湯花にも俺の鼓動聞こえてるんだよな? こんなにも体密着させてるんだから。


 そっか、あの思い出したくない光景。それから救ってくれたのは湯花だったんだよな? 俺のこと呼んでくれて……助けってって俺の言葉掴んでくれた。


 なんでかな? なんでお前は俺が苦しかったり、悲しかった時いつも居るんだ? 

 あいつにメッセージ送ってどうしようもなかった時。

 あの公園でめちゃくちゃ泣いた時。

 そして今も……なんで傍に居るんだ? なんで隣に居てくれるんだ?


 どうして俺を……いつも救ってくれるんだ?


 あぁ顔が近い。もう、鼻と鼻がぶつかる。

 目をつぶった顔は見たこともないくらい可愛くて、その求めることに応えたくなる。

 その唇は暗闇でもわかるくらい艶っぽくて、その柔らかさを直に確かめたくなる。

 そして近付くにつれて感じる体温に、落ち着くような石鹸の匂い。

 湯花を抱きしめる腕に自然と力が入る。今まで以上に体が密着して、お互いの呼吸さえわかる。


 湯花の匂いがする。

 湯花の鼓動が届いてる。

 湯花の体温もその息遣いも……その全てを体に感じる。


 その瞬間、俺はゆっくりと目を閉じて……考えることを止めた。

 自分の体の赴くままに身を投げ出すと、まるで磁石のように惹き寄せられていく。



 そして俺達は優しく、その存在を確かめ合うように……




 そっと唇を重ねた。



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