第40話 怒涛の波状攻撃

 



 辺りはすっかりオレンジ色に染まり、その中心である夕焼けに向かって歩く男達。

 そんな彼らが向かった先は、


「ふぅー! この辺にも公衆浴場ってあるんだなぁ」

「意外と広いなぁ」


 黒前高校の近くにある公衆浴場だった。

 午後の練習は、正直疲れよりも実力の差を見せつけられた事実の方が大きかった。分かってはいたけど、翔明実業にあと一歩で勝てる寸前だったメンバーでさえ点差は開く一方。

 終盤、人数の少ない大学の先輩方に疲れが見え始めて、最後の最後でようやく勝てたけど……あんなのは素直に喜べることじゃなかった。

 はぁ……キャプテン達はどう思ってるんだろう。俺は自分の力の無さを思い知って、超ネガティブ……


「ほぉ、野呂君良い体してるねぇ」

「ありがとうございます」


「でもアソコは元気ないなぁ」

「めっ、面目ないっす」


「宮原さんは……さすがですね」

「そうかぁ? ありがとうっ! ってなんだなんだ? 聖君顔もイケメンなのに大層な勲章をお持ちじゃないか」

「俺だって負けてないっすよ!」


 ……うん。いい意味変わらないよ先輩方は。さっさと入って下さいよー?



 よっと。ここに来るのは初めてだけど、結構広いなぁ。それに透也さん達と温泉入りに来るなんて信じられないよ。もともと監督、夏合宿中のお風呂はここだって決めてたらしいしね? もしかしてこういう裸の付き合いってやつも狙いなんだろうか?


「ひっ、ひぃぃ」


 うおっ! なんだ白波、いきなりでかい声出すんじゃないよ。ん? なに俺の方見てんだ。


「バッ、バケモノだぁ!」

「なっ!」


 はぁ? なに俺の方指差して叫んでんだよ。


「ん? はっ! これは!」

「どしたのー?」

「ほほぅ」


 えっ? 一体どうしたんですか? キャプテンまで……なんだなんだ? あれ? なんか皆して俺の方見てる? しかも目線は下……? 


「海君……負けたよ。とんでもないバケモノを持ってるじゃないか」


 バケモノ? えっと透也さん? もしかして……俺の勲章のことですか? いやいや、普通サイズでしょ? 皆と同じくらいでしょ?


「どれどれ?」

「うおっ、雨宮お前すげぇな」


 やっ、止めて下さいよ! ジロジロ一点集中しないでください!


「そっ、そんなことないですってぇ!」

「ん? シーっ!」


 そんな俺の悲痛な叫びを遮るように、透也さんはそう言うと人差し指を口の前へと運ぶ。


 いやいや遮らないで下さいよ! このままじゃ誤解が……

 なんて思っていると、 


 ガラガラガラ

 という扉の開く音と共に、


「うわぁ、ひろーい」

「湯船が3つも」


 若い女の人の声が大浴場に響き渡る。このタイミングで女の人の声、それすなわち……黒前大学・黒前高校の女子達なのは間違いない。この場に居る野郎共は誰しもがそんな答えに辿り着いただろう。

 徐々に男女を隔てる強固な壁の方へと勝手に足が進んでいく中で、聞こえてきたのは


「それにしても希乃の胸はでかいなぁ」

「そんなことないよぉ」


「どれどれ? えいっ」

「きゃっ! だっ、だめだよ棗ちゃん」


「先輩だって凄く……」

「んっ……こっこら、立花ぁ」


 いやぁ大変耳の保養にはなったんですけど、姉ちゃんが居ると思うと少し冷めちゃうんですよね? 俺は風呂入りますよ? 先に入りますよ? ダメだ、キャプテンまでもがニヤニヤしてるもん。でもこの光景……夏合宿じゃないと見られないよなぁ。




 あの人達おかしいよ。何であそこまでお風呂場に居られるんだ? 俺は早々にギブアップで学校戻って来ちゃったよ。えっと、晩御飯の時間までは結構あるし……暇だからちょっと家庭科室の様子見に行こうかな?



 ガラガラ


「あっ、海。まだご飯できてないよー?」


 扉を開けた瞬間に目に入ったのは、エプロン姿に三角巾を被った湯花。中学の家庭科の授業以来のその姿は久しぶりと言えばそうだけど、なんか妙に……


「ん?」


 似合っている気がして、一瞬言葉に困った。


「あっ、あぁ。時間余っちゃったから何か手伝うことないかなって思ってさ?」

「へぇ、雨宮優しいー」

「そういう男の子はモテるよー?」

「そうそう。3年の連中も見習ってほしいよ」


 いやいや。お世辞でも多田さんと日南先輩、木島先輩に言われると良い気分になっちゃうよね。


「うん。身長もおっきいし、顔もスッキリしてる。しかもスポーツマンなら尚更ね?」


 おっと、さらなるご褒美ですか? ありがた……ん?

 度重なるお世辞の嵐に良い気分になってはいたものの、ある異変に気付くのにそこまで時間は掛らなかった。

 あれ? 手伝ってるのは湯花に、多田さん、日南先輩に木島先輩だよな? はて? じゃあ今の声は……


 そんな疑問に、少しだけ覗きこむように体を傾けると、その声の聞こえた奥の方へと視線を向ける。すると、


「あっ、そういえば初めまして。不思木ふしきマリリンでーす」


 正体不明な謎の人物は、不意に姿を現した。

 その容姿は褐色の肌に綺麗な金髪。そして日南先輩に劣らぬお胸。そんな膨大な情報量に頭が追い付くのは無理な話で…………誰? 結果としてその疑問だけが頭に残った。


「えっ……はっ、初めまして……」

「そうだ、海も初対面だもんね? この方は不思木マリリンさん。監督の奥さんだよ?」

「夫がお世話になってまーす」


 ん? 監督の奥さん……? えぇ! 監督の奥さんって外国の方なの? しかも不思木? あれ? 俺、監督の名前ずっと成海なるみだと思ってたんですけど? 結構先輩達、成海監督ー! って呼んでるじゃん? あれ? それってもしかして名前が成海なの? フルネームは不思木成海ふしきなるみなの?


「ちょっと雨宮? 何固まってんの? 綺麗だから見とれてんのー?」


 はっ! 確かに綺麗だよなぁ。てかものすごく若く見えるんですけど? しかもやっぱりあのデカさだよなぁ。日南姉妹の間に立って、是非並んで貰いたいくらいだもん。それにしても監督、なんて羨ま……


「……海?」

「なっ、なんだ?」


 ん? どうした湯花? 今俺は本日5個、6個目のメロンを眺めている最中なんだよ? いいところ……はっ!

 いやあの、なんでちょっと表情が怖いんですか? しかも、気のせい? 包丁こっちに向けてない? まっ、待て待て一旦落ち着こう。話せばわかる!


「とう……かさん?」

「私のお手伝いしてくれるかな? とりあえず玉ねぎ切ってくれる? はいっ!」


 はいって! 包丁の刃先あからさまにこっち向けるなよ! ある意味怖いから! 絶対わざとやってるだろ!


「えっ? あっ、はい」

「ありがとう?」


 いやその表情……目が笑ってないんですけど?




 そんなこんなで出来上がったカレーライスとサラダ。それを皆で食べた後は、念願の自由時間が待っていた。キャプテン達は監督のところで明日の打ち合わせに行ってるし、明日に疲れを残したくない面々がやることといったら、


「よっし。あがりー」

「白波? お前ジョーカー持ってんだろ?」

「ももも持ってないよ」


 就寝場所である教室で、皆してはしゃぐしかない。


 ふぅ。ご飯も食べたし、大体はここでくつろいでるなぁ。トランプしたりスマホいじったり、今日の練習考えたら疲れ残さないようにするのが当たり前か。それに、


「なぁ、保健室のアリス先生って監督の娘さんらしいぞ?」

「俺もさっき知ったわ。にしてもマリリンさんヤバくね?」

「あの胸はヤバい」

「でも俺はアリス先生だな? あのスラっとしたスタイル最高じゃん?」

「わかる。美人過ぎだよなぁ」


 あちこちから聞こえてくる会話は、普段とは違う雰囲気だからこそ……その内容もちょっと踏み込んだものだったりする。でもまぁ、こんな時間まで友達と過ごせるのはやっぱり楽しいよ。


「それにしても大学生の人達強かったなぁ」

「だな、全然歯が立たなかった」

「レベル……違ってたな」

「海、お前達スタメンがあんだけ点差つけられたの初めてじゃないか?」


 頭を過る午後の練習の光景。

 守っては速いパスワークに翻弄されて、攻めではそのディフェンスの激しさと連携の前に何度パスカットされたことか。それにあんなに練習してきたスリーポイントだって、最初は打つことすら無理だった。


 くそっ。今思い出しても悔しくて仕方ない。透也さんにぴったりマークされて何もできなかった。無理にシュートしてもすかさずブロックされて、ディフェンスが気なってフォームも乱れたり……自分が磨き上げてきた武器と、少しの自信はものの見事に砕かれた。


 ダメだ。全然足りない。こんなんで本当に翔明実業に勝てるのか? もしかして1発勝負のトーナメントだったからこそ、たまたま俺達はあの点差まで行けたんじゃないのか? 常勝軍団だぞ? そんな二の舞は絶対に許さない。俺達に油断なんてしないぞ? そんな中で俺のスリーは武器になるのか? その確証は……ない。


 どうしたら俺のスリーは通用する? もっとシュートの動作を速く? それとも、もっと遠くからでも狙えるように? じゃあそれができるようになるには……


 その瞬間、体の中が燃えるように熱くなっていく。そしてそれは、さっきまで重く感じてたはずの腕や足の疲労さえ焼き尽くすように、体全体へ広がっていった。


 今の俺の実力はわかった。少し上手くいっただけであって、本当は全くもって実力不足なんだ。じゃあどうする? このままでいいのか? ……いいわけない! だったら、


「あっ、ごめん。俺ちょっとトイレ行って来るわ」


 練習しまくるしかないだろ!




 一体何本打っただろう。誰も居ない体育館に響くのは、


 ガタン


 圧倒的にボールがリングに弾かれる音の方が多かった。


「ダメだ。やっぱ連続で入んねぇ」


 スリーを速く打つ。それは単純に邪魔される前にスリーを打てるってこと。けど、その分本来のシュートフォームが崩れるし、力加減だって調整が難しい。1日2日で使い物になるようなことじゃない。


「ダメか……やっぱすぐコツ掴めたら苦労しないよなぁ。ふぅ、じゃあ練習変えて、今度はロングスリーやってみるか」


 スリーポイントラインから1メートルくらい離れた……この辺りか? よっと。


 スッ


 うわぁ、リングにすら当たらねぇ。当たり前だけど距離離れた分、距離感とコントロールがいつも以上にシビアだ。けど、こんなところからまさか? って油断はされるし、成功率が上がったらドリブルで抜きやすきなったり……オフェンスの幅は格段に広がるはず。じゃあもう1本。よっ、


 ガタン


 はぁこっちもヤベぇ。

 気が付けば顔に滴る汗は止まらず、お風呂にに入ったっていうのに、そのTシャツももはやビショビショ。そんな状態で、体育館の天井を見上げていた時だった、


 パタンパタンパタン

 こっちに近付いてくるスリッパの音がだんだん大きくなってきたかと思うと、


「ふふっ、だと思った」


 体育館に響くその声は、顔を見なくたって誰なのか分かる。

 はぁ、なんでお前は俺がここに居るって分かるんだ? 必死なところあんまり見られたくないんだけど? なぁ、湯花?


 ゆっくりと視線を向けると、そこに居たのはやっぱり湯花で、少し笑みを浮かべている。

 ん? バスタオル首に掛けて、髪も若干濡れてる……あぁ晩御飯の準備手伝ってたから、この時間にお風呂だったのか。


「よっ、風呂上りか?」

「うん。にしても練習熱心だねぇ海は」


 練習熱心かぁ。ある意味その通りかもな? 実力がないから、練習しないとついて行けないって不安しかないよ。


「まぁな」

「……ねぇ海?」


「ん?」

「私もスリー打って良い?」


「良いけどスリッパだろ? 大丈夫か?」

「余裕余裕……えいっ」


 ガタン


「ふっ」

「あー笑ったなぁ!」


「いやだって、流石にスリッパは踏ん張れなくないか? しかもボールだって男子のやつだし」

「じゃあボール出してくるもん! 海? これはハンデ! 勝負だっ!」


 それから急遽始まったスリーポイント勝負。まぁやってることはいつもの居残り練習と変わらないんだけど、


「よぉし、次入れたら俺の勝ちだな?」

「むー! 外してしまえっ!」


 そんないつも通りのやり取りのおかげで、さっきまでの焦りが……少しずつ消えていくような気がした。


「ふふふっ、俺の勝ちな?」

「くぅ」


 悔しそうにしてるけど、お前スリッパだからな? さすがにそんなハンデで負けられないって。


「でもハンデ貰ってたし、引き分けで良いよ?」

「えっ? 本当? じゃあ引き分けで!」


「反応速いな」

「にししっ」


 そんないつもの笑顔を見せる湯花だったけど、その頬には汗が流れてて、しきりにTシャツで拭いていた。

 シュートしてる時は気になんなかったけど、止まった瞬間汗止まんないなぁ。夜だってのにヤバイ。しかもあれ? 湯花お前確かお風呂上がりでここ来たんだよな? なのにそんな汗かいたら意味なくね? まぁそれを言うなら俺もか。


「そういえば海? カレー美味しかった?」


 ん? いきなり? あぁ、自分も手伝ってたから気になるのかな? 


「カレー? あぁ、美味しかったよ」

「よかったぁ」


 甘口・中辛・辛口用意する辺り、凄いと思ったけどね? ……そう言えば湯花のやつ妙に包丁捌き上手くなかったか? 中学ん時なんて、調理実習で同じ班になったことなかったから、その辺の腕前は未知数だったけど……


「そういえば湯花。妙に包丁捌きが上手かったけど、家で料理とかするのか?」

「んー? まぁお母さん達が旅館の方に手伝い行ってる時は、お兄ちゃんと交代でご飯作ってたからねぇ。小学生の時からかな? まぁ交代って言っても、ほとんど私だったけど」


 へぇー、じゃあマジで意外と料理上手なのか?


「そうなのかぁ、じゃあ得意料理は?」

「んー肉じゃがかな?」


 肉じゃが? ガッツリ家庭的な料理じゃん! けど、なんかいまいち想像つかないよなぁ。しかも……余計に味も気になってくるし。


「肉じゃが? 凄いじゃん。なんか湯花が料理する姿想像できないぞ?」

「ひどぉい! さっき見てたじゃん!」


「ごめんごめん、そんな意味で言ったわけじゃないって。にしても……そこまで自信あるなら食べてみたいな」

「えっ……?」


 やべっ、からかい過ぎたか? 流石に食べたいなんて口にしたら……引くよな?


「あっ、悪いわる……」

「食べて……みたい?」


「ん?」

「本当に食べてみたい? ……肉じゃが?」


 あれ? 意外とセーフだった? とっ、とりあえず話合わせておこう。


「あぁ、だって気になるじゃん? 湯花の料理の腕前?」

「きっ、気になる……? じゃあさ……」


 あれ? この流れ、マジで作ってくれるの? それはそれで……


「もっ、もし海が良かったら……おっ、お弁当作って来てもいい!?」


 ん? 聞き間違えたかな? 今お弁当って言った?


「ん?」

「いっ、嫌ならいいんだ! ほっ、ほら料理の腕前気になるって言ったから、肉じゃがだけじゃないんだぞって……そう、見せつけたくて! あっ! もちろん肉じゃが入れるよ? 汁抜きで!」


 ……えぇ? マジで言ってんの? お弁当って、あのお弁当だよな? お昼に食べるご飯のことだよな?


「えっ、湯花。マジで言ってんの? お弁当って、あのお弁当だよな?」

「あっ、当たり前でしょ?」


 ちょっと待った。いきなり過ぎて頭がついて行かないんですけど? えっと…………料理の腕を見せつける為にお弁当を作ってきてくれる? で合ってるんだよな? マジか? まさかあの何気ない一言でこんなことになるとは思ってもみなかった。でも、


「けど、それだと湯花大変じゃないか?」

「だっ、大丈夫自分の作ってるから」


 確かに湯花はお弁当持参の時もあるけど……にしても2重で大変じゃないか? えっと……どうしよう。手作りのお弁当……いや、それはめちゃくちゃ嬉しいけどさ?


「えっと、お弁当作ってくれるのは嬉しいよ? でもマジで大変じゃない? ほっ、本当にいいのか?」

「うっ、うん……大丈夫だよ? 海さえよかったら」


 うっ! なんて顔してんだよ! その照れてる顔は卑怯だって! あぁ、もう……いいのか? お言葉に甘えて? 良いんだよな? 湯花?


「えっと……じゃあ湯花?」

「はい……」


「お願いしても良いかな?」

「……うんっ! 任せて?」


 その、ぱっと花が咲いたかのような湯花の笑顔を見た瞬間、なんでか知らないけど俺もつられて笑っていた。

 ……はっ! でもあれだ! 材料費は払わないと! そこまで負担掛けるわけにはいかないぞ?


「あっ、でも材料費は払うぞ?」

「えぇ? いいよー私が勝手に言ったことだし」


「ダメダメ、そこは譲れないぞ? ちゃんと払うから」

「ふふっ、そういうの海らしい」


「それ褒めてるのか?」

「褒めてるよー。あっ、じゃあさ? 合宿終わって、いつもの部活始まったら試しに作って来るね?」


 マジ? 夏休みの練習あとってお腹すくんだよなぁ。結構終わった後、湯花と買い食いしてるし。


「良いのか?」

「うん。それで美味しくなかったらバンバン言って? お試し期間みたいな感じでさ」


 いやいや、流石にそんなこと言えないぞ? 最後まで食べるって。


「いやそんなこと……」

「でもね? もし美味しかったら……学校始まってからも、お弁当作っていいかな?」


 はっ! 学校始まってからも!? いやそれは……って! 


 不安と期待が入り混じったような湯花の顔は、断るって選択肢を消すのに十分すぎる程に……愛おしく感じて、答えなんて1つしかなかった。


「よろしくお願いします」


 そして、そんな俺の言葉を聞いた途端、見せる笑顔は……


「いっぱい頑張るね?」


 いつも以上に可愛く見えた。



「ふっ、ふぅそいえば風呂入ったのに汗でビショビショだ」

「ふふっ、私もー」


「湯花?」

「ん?」



「もう1回、風呂入りに行くか?」

「うんっ! 一緒に……行こう?」



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