第31話 身を知る雨は溢れるように
不意に聞こえて来たその声は、俺も良く知っていた。正直、変に気を遣わずに話し掛けてくれたことが少しありがたい。
でも、今はいつもみたいに話せる自信ないぞ? 湯花。
ゆっくりとその声のした方へ顔を向けると、そこには言葉の通りいつもと変わらない表情の湯花が立っていた。
「あぁ……湯花」
「よっ! 隣いいですか?」
「いいよ」
「それじゃあ、お邪魔します」
そう言って、俺の隣に座ったのも束の間、
「海お疲れ様」
湯花はごく普通に……話し始めた。
「あぁ……湯花もお疲れ」
「へへっ、ありがとう」
そう言いながら、俺は体を起き上らせると背もたれに体を預ける。そして時折湯花の方を見ながら、ゆっくりと口を開いていく。
「結構試合にも出てたし、十分活躍してたよ」
「そんな……全然だよ」
「何言ってんだよ。スリーだってバッチリ決めてただろ?」
「そこまで見てくれてたの?」
「全部は見れなかったけど……決めたところはバッチリ」
「ふふっ、嬉しいなぁ」
「それに良かったな3位」
「うん。最高成績だし、先輩達も喜んでた」
「そっか」
先輩達……か。キャプテン達、表面上は笑顔見せてたけど、やっぱ怒ってるよなぁ。
「あっ、そう言えば海? さすがに表彰式ドタキャンはダメよ?」
「表彰……あっ」
そういえば俺、着替え終わってからあんま覚えてないんだよな。もしかしてそのまま帰っちゃったのか……?
「皆焦ってたもん。雨宮がフラフラと外行ったぁ! って」
フラフラ? なんだそれ、もしかして俺相当ヤバかったのかも。
「マジか? あんま覚えてない」
「やっぱり? でもさ、白波君とか海に声掛けようとしたんだよ? けど下平先輩がそれを止めたんだ。そっとしてあげようって」
「キャプテンが?」
「うん」
やっぱ放って置けって思うくらい、気分悪くさせちゃってたのか……
「そっか。当たり前だよな、先輩達怒ってただろ?」
「んー、確かに怒ってたよ? ……うちのキャプテンが」
うちのキャプテン? って、もしかして女子バスケ部の立花先輩?
「立花先輩のことか?」
「そうそう」
マジか……確か立花先輩とキャプテンって、小学校ぐらいからの付き合いだったよな? まさか女子まで敵に回すとは……
「結構本気で怒ってた……下平先輩と監督にね?」
「えっ?」
ん? キャプテンと監督に? 一体どういうことだ?
「なんであんな状況で、1年生に責任負わせるようなことしたんだ! 信じられないってね?」
「そっ、そんなことを……」
「あそこまで怒ってる姿は私達も見たことなかった。でもさ、そんなキャプテンに下平先輩はいつもの感じでこう答えたんだ」
『あの場面、スリーが1番上手い人に打たせるのは当たり前だろ?』
「ってね?」
……1番上手い?
「それに続けて、こうも言ってた」
『だから雨宮が外したなら、俺が打っても、晴下が打ったとしても外れてたよ。だから俺は、雨宮に最期を託して……全く後悔はしてない』
こっ、後悔してないだって? 嘘だそんなの有り得ない。だってあと少しで全国に行けたんだぞ? なのに俺のせいで……
「まぁこんなこと私が言っても信じてもらえないだろうけどさ? 表彰式の時、先輩達……凄く良い顔してたよ? 後悔してるなんて思えないくらいにね」
「嘘……だろ」
「こんなこと嘘ついてどうするの? それに海も知ってるでしょ、私は嘘が超絶下手なんだって」
確かに……湯花は嘘が嫌いで下手で、常に本音しか言わない性格のはず。他人……ましてや先輩を巻き込んだ嘘を付くなんて想像できない。
だとしたら本当に……先輩達は後悔してないのか? 俺に対して怒ってたりしてないのか? もしそうなら俺は……
「せっかくの表彰式。一緒に居なくて……俺って最低だな」
「ははっ、それに関しては樋村先輩が怒ってたかな? 明日覚悟しとけよーって」
マジか……まずいな。
「明日休もうかな……」
「それやったら怒りのボルテージが増幅されて……」
「やっぱ止めよう」
「ふふっ」
そんな湯花との会話は、さっきまでの押し潰されそうなくらい重かった気持ちを、少しだけ軽くしてくれた。でも、それでも……事実は深く心に残る。
「海? 大丈夫?」
「ん?」
大丈夫って……今聞くのか? ったく順番が違うんじゃない?
「あぁ、だいぶ……」
「本当?」
その食い気味な言葉に一瞬湯花の方へ視線を向けると、その目は俺の方をじっと見ていた。そしてその表情はいつもの見せてるものとは違って、何というか……どこか優しさを感じるような笑み。
「なっ、なんだよ」
「海? 中学の最後の試合覚えてる?」
「覚えて……るよ」
「私はさ、負けた瞬間悲しくて悔しくて……皆と一緒にボロボロ泣いちゃってた」
「そうだな」
まぁ……それが普通だろ? 皆必死で練習してたもんな。
「でもさ? 海は違ってたじゃん? 負けて、皆悔しがってても1人だけ……顔上げよう! 胸張ろうぜって、皆の努力を笑顔で誇ってくれてた」
違う……
「悲しいはずなのに、皆に声掛けて……私にはそんな真似できないって心の底から思ったよ?」
違う……そんなの単なるやせ我慢だったんだ。
「でもね海?」
「悲しくて悔しくてどうしようもなかったら……泣いていいんだよ?」
泣いて……いい?
湯花の口から出た、泣いていいんだよって言葉。それを聞いた途端、なぜか体の奥底から熱い何かを……感じる。
キャプテンとして弱音吐いちゃダメだって。キツイ練習頑張ったことを皆で胸張らなきゃって思ってた。
あの最後の日だってそう。俺が弱いところ見せたら、泣いてしまったら、その努力を否定してしまいそうで怖くて……皆の前で強がってたんだ。
けど、家に帰って布団の中に入った瞬間、もう皆とバスケ出来ないって思いが溢れて、それで1人で……
その瞬間、自分の頬を伝う何かを感じる。
あれ? なんだ?
そんな疑問が頭の中に浮かんでも、その何かは……俺の意思を無視するかのように止まることはなかった。
なんだこれ? もしかして涙? なんで俺泣いてんだよ。しかも公園で……しかも湯花の目の前で!
必死で止めようと上を向いても、無駄だった。それどころかどんどん胸が熱くなって、その粒は徐々に大きくなってくる。
なんで? なんで? なんで止まらない? なんでこんなに胸が熱い? なんでこんなに苦しい? なんでこんなに……悔しい。
皆で全国へ!
不意に過る……その声。それはついさっきまで俺自身が固く心に決めたもの。けど、それを果たすことはできなかった。俺がシュートを外したせいで……それは紛れもない事実。
あぁそうか、そうだ。先輩達の力になりたくて、必死に練習して武器を見つけて、全国の舞台に手が届きそうだったのに自分のせいで届かなかった。そんなの……そんなの……
「あぁ……くやしい……くやしいよ……」
そんな絞り出すように言葉が零れた瞬間だった、蓋でも外れたかのように涙が一気に……溢れ出す。
胸からこみ上げる何かを我慢なんてできずに、俺は……悔しい思いを感じるままにひたすら泣いていた。公園だとか、湯花の前だとかそんなのは……もうどうでも良い。
「いいんだよ? 泣きたい時は泣いていいんだよ? 我慢する必要なんてないだよ」
そんな湯花の言葉の通り、ただただ自分の感情を隠すことなく、正直に……泣き続けた。
それからどれだけ泣いてただろうか。気付けば涙はすっかり枯れてて、無意識に吸い込む鼻水の音だけが辺りに響いていた。そんな状態になって、
めっ、目が痛い。鼻水止まんない。
ようやく体の異変に気付けるくらい落ち着くことができたんだと思う。
あぁ、顔が涙で濡れてるんですけど……
「はい、ハンカチ」
「あっ、サンキュ」
ふぅ。
それにしても泣き過ぎたからか? 喉乾いたな……
「はい、スポドリ。ちょっとぬるくなっちゃったけど」
「あっ、サンキュ」
ゴクッゴクッ
「はぁ……」
「落ち着いた?」
「うん。おかげ様で」
「ほら、冷えピタもあるよ?」
「冷えピタ?」
「腫れた目には効果抜群だよー?」
「いやいや、流石に目には貼れないだろ……って」
そっ、そういえばそうだ、隣に湯花居たんだった! 気にしないでガンガン泣いちゃってたぁ……あぁヤバイ恥ずかしい。しかもなんで俺の欲するものを都合よく持ってんだ?
「ちょっとまった、何でハンカチ持ってるの?」
「えっ? ハンカチとティッシュは必需品でしょ?」
そういえば……そうか。別に変じゃないのか。
「なっ、なるほど。じゃあスポーツドリンクは!?」
「それは試合終わってから海に渡そうと思ってたんだけど、あんな状態だったからそのまま……」
マジか!? 俺に? いやその……あの……
「そっ、そうだったのか? ……ありがとう」
「ふふっ、どういたしまして」
でもみっともない姿見せちゃったよな。隣で男が号泣って……引くよな?
「でも悪い。いきなり泣き出して」
「気にしない気にしない。悔しかったり悲しかったりしたら泣くのが普通でしょ?」
「まぁ……」
「それに……海の泣く姿初めて見たしね?」
「あっ、当たり前だろ? 誰にも見せたことないし、大体恥ずかしくて見せられないだろ?」
「えっ? 誰にも……かぁ」
はっ! 自分で言っといてあれだけど……結構ヤバイところを見られたか?
「なんてね? でもさ、思いっきり泣いたからちょっとはいつもの海に戻れたんじゃない?」
「それは……そうかも」
「目は真っ赤かだけどね? ウサギさんみたい」
「うっ、それは言わないでくれよ」
「ふふっ」
でも確かに……どこかスッキリした気がする。けど、いくらなんでも湯花の目の前で泣くなんて、自分でも驚きなんですけど……
「あっ、海? 言うの忘れてたっ!」
「ん?」
「今日の海……とっても格好良かったよ?」
あぁ湯花。このタイミングでその笑顔とそのセリフ。お世辞でも……
素直に嬉しいよ。
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