第29話 切られた火蓋

 



 体育館の熱気に、汗が滴る。

 口が乾いて、思わず生唾を呑み込む。

 高校総体決勝。そして相手は王者翔明実業。

 センターサークルに集う姿は、やはり大きい。


 手が震える。

 足もおぼつかない。

 こんな大舞台に足を踏み入れ、しかもスタメン。数か月前の自分だったら考えられなかった。ただ現に今……


【白、黒前高校。青、翔明実業。決勝戦、始めます】


 俺はここに立って居る!


 ピッ


 その笛と同時に、ティップされたボール。

 野呂先輩と翔明実業のセンター、デイビスが一斉にジャンプする。

 そして先に触ったのはデイビス。弾いたボールは、翔明実業の藤島へと渡った。


 背の高さじゃやっぱりデイビスか。けど、先制点は流れを作る大事なポイント。ここはしっかり守る!

 そんな状況の中、俺はすぐさま自分のマークマンを捉えると、ディフェンスの体勢に入る。満を持してのスタメン出場で、俺のミスから先制点を献上するなんて絶対に避けたかった。


 よし。とりあえず、この人に対する速攻はないな。

 黒前高校の基本となるディフェンスはマンツーマン。オフェンス1人にディフェンス1人が守り、常に1対1の状況で守る方法だ。


 だから、自分が守る体制を整えたからには……この人へは安易にパスさせない。どう動く? 藤し……っ!!

 その瞬間だった。丁度逆サイドでボールを手にした藤島は……迷うことなくドリブル! ゴールへ襲い掛かった。


 はっ? マジか! 試合始まって最初の攻撃。余程展開に恵まれてない限り、落ち着いて着実に先制したいのが普通じゃないのか? なのに迷うことなく!?

 ティップオフからわずか数秒……それは意表を突いた攻め。俺だけじゃない。先輩達の誰もが相手ボールになった瞬間、自分のマークマンを見つけるのに精一杯だった。そして経験者だからこそ生まれた油断。誰もがヤバいと思ったはず。


 マズい! まだ誰もゴール下にはディフェンスに行ってない。くそっ、俺がカバー行くか? いや、行くしかない!

 それは一瞬の判断だった。誰も居ないフリーな状態を作るよりだったら、目の前のマークマンを捨てて守りに行く。左足に力を込めて、思いっきり踏み込んだ。


 間に合え……

 そんな願いを込める様に、ゴール下へと向かった時だった。


「そんなに焦るなよ……敬」


 聞いたことのある声が……耳に響く。体育館はそれこそ両校乱れた応援で溢れ返っていたはずなのに、それは鮮明に届いた。そして、


 パンッ


 そんなボールを弾くような音が聞こえたかと思うと、コートに居た選手達が一斉に体の向きを変える。

 えっ? なにが……


 スパッ


 それは瞬く間の出来事。

 藤島のドライブであわや先制点を奪われる寸前だったはずなのに、そのボールは……


「よっと。先制点はいただくよ?」


 反対側のゴールに吸い込まれていたのだから。


 下平聖。

 黒前高校バスケ部キャプテン。

 俺はこの瞬間、天才の存在を改めて肌で感じた。


 まるで武者震いの様に体が震えたかと思うと、時間差で襲い掛かる高揚感。

 そして、思った。

 この人とバスケがした。この人から学びたい。そして、この人とだったら……


「さぁ、次はディフェンス。しっかり守ろう」


「了解!」

「分かりました」

「了解っすー!」

「はいっ!」


 全国へだって行ける。




 こうして見事決まった先制攻撃。

 たかが先制しただけ。他の高校も、翔明実業のベンチもそう思っていただろう。


 ただ、コートにいる選手だけは少し違っていた。

 必死に鼓舞する藤島。それに応える他のメンバー。けど、その動きは何処か硬くて、タイミングが合っていない気がした。


 少なくとも、あのキャプテンの先制点が及ぼした影響に間違いはない。

 攻撃も守りもリズムが合わない翔明実業。その隙を、俺達が見逃すはずがない。


 しっかり付いて行け! 俺! 3ポイントだけは絶対打たせるな! 


「くっ」


 よし。攻めあぐねてる。

 藤島にはキャプテンがぴったりマーク。となれば、一旦中に入れて組み立て直すはず!


「デイビス!」


 来た! 山なりのパス。飛べっ! ……指先当たった! パスは弱まっ……


「ナイスだ雨宮!」


 そんな勢いを失ったボールをキャッチしたのは晴下先輩。そして、


「嵐っ!」


 一目散に走り出していた丹波先輩へパス。


 パスカットは勿論、ディフェンスの切り替えは完璧。

 そこから生まれる良い流れが、俺達を……黒前高校を躍動させる。


 オフェンスもポイントガードの丹波先輩を中心に組み立て、速い攻撃を展開。

 着実に点数を重ね……第1クォーターを、20対10とリードして終えた。


 明るい雰囲気のベンチ。やってやったという先輩達。そんな姿に俺は、自分でも戦える! そんな気持ちで溢れていた。

 そしてまだ4分の1しか終わっていないのも関わらず、


 このまま……イケる! 勝てるぞ。翔明実業に!

 そんな自信さえ感じていた。


 だが、そんな浮かれた気分も……第2クォーターで無残に消え去る。


 第2クォーター。ベンチで何を言われたのかは分からない。けどディフェンスにつく翔明実業の雰囲気は……先までとはまるで違う。むしろ本来の姿を取り戻したと言っても良い。


 その証拠に奴らは万全の態勢を整えていた。

 代名詞でもあり、十八番でもあるディフェンスの形。そう、2-3ツースリーゾーンディフェンス。


 さっきまで使っていた俺達と同じマンツーマンディフェンスとは違い、ゾーンディフェンスは受け持つ範囲を決めて守る方法。抜かれてもカバーがしやすく、多人数でプレッシャーをかけることが出来るのが強みだ。

 そして翔明実業はこのゾーンディフェンスを最も得意としている。そして俺達にとって、一番厄介で因縁の守られ方。


 くっ、雰囲気が変わった。インターバル中に何があったんだ? いや、王者翔明実業。それを率いる監督やキャプテンの藤島が、あのままの状態で良しとするはずがない。だとしたらこの切り替えは流石としか言えない。

 それに……


「野呂先輩、中! あとはパス回し速めに!」


 丹波先輩の言うことは分かる。ゾーンディフェンスを攻略するには、ディフェンスとディフェンスの間に陣取ってパスを回す。もしくはカットインして陽動し、その特徴的な台形の形を崩す他ない。

 そして2-3……つまりゴール下にデイビスを始め長身ディフェンスが待ち構えてるから。ミドルレンジからのジャンプシュートだって簡単には決まられない。


 まずい。ただボール回すだけ。無理にドライブすれば囲まれる。かと言って……


 さっきとはうって変わって、攻めあぐねる俺達。確かに、翔明実業のゾーンディフェンスは固い。実際春季大会でも、このディフェンスを前に点差は縮まらなかった。勿論、その対策を怠った訳じゃない。けど、その練習相手もあくまで同じ黒前バスケ部。今まで王者としての磨き上げて来たそれとは全く違う。


 それにもう1つ。俺達、黒前高校はこのゾーンディフェンスと相性が悪い。その理由は……


「嵐! 一旦外。こっちだ」

「よっし。黎!」

「中がキツイのは知ってる。なら外から……くっ」


 黒前高校には3ポイントシューターが少ないこと。


 くっ、そこを狙うか。

 確かにスタメンやベンチも含めて、3ポイントシュートに自信がある選手は少ない。成功率が高いのは下平キャプテンと晴下先輩か。それでも先輩曰く、そこまで得意じゃないって言うくらいだ。


 それを翔明実業が狙わないはずがない。

 まずキャプテンにボールが渡れば、激しいプレッシャー。晴下先輩が外に出てボールをもらってもプレッシャー。

 それに、野呂先輩の次に背の高い晴下先輩が3ポイントラインまで下がると、ゴール前に居るのは野呂先輩だけ。必ず2人で抑え込まれるから、パスも容易に出せなくなる。


 こうして仕方なくボールを丹波先輩に戻せば、ゾーンディフェンスの戻りが早く……綺麗な台形の形がが元通り。結局攻め手を欠いたまま、24秒が怖くて無理矢理シュートする。


 けど、それが入る訳がない。

 リバウンドを取られて……


「あっ!」


 スパッ


 速攻で点を決められる。

 くっ……やっぱり固い。どっ、どうする。


 バスケットボールというスポーツは、常に流れが変わるスポーツだ。

 そのきっかけは様々。味方を震わせるようなビッグプレーや、相手を驚愕させるラッキープレー。それらが巻き起こす流れは、試合の展開を大きく左右する。


 そしてもう1つ。単純明快に流れを引き寄せる。いや、強制的に試合の流れを我が物にする方法がある。

 それこそが……


 圧倒的王者の威圧感。


 プライドと経験。幾度となく死地を乗り越えて来た精神力。

 その一体化した、まさしく壁は……対峙する者を尻込みさせる。


 くっそ。けど……けど……


 異常に長く、そして信じられないくらいの疲労感を覚えた第2クォーター。

 キャプテンはもちろん、俺だって意地で3ポイントを決めた。ただ、それ以上に容赦なく王者は襲いかかった。



 ピー


 第2クォーター終了。電光掲示板に表示された33対38という数字。


 黒前高校、5点のビハインド。



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