第22話 それはゆっくり蕩けるように

 



「やっちゃったぁぁぁ」


 そんな後悔を弱々しく口にしながら、手をぷらんぷらんさせている湯花。その格好は差し詰め電池の切れた人形のようだ。


 いやいや。やっちゃったぁぁぁって、こっちはなんのことかさっぱりなんですけど? 


「もしかして、言いたいこと思いっ切り言っちゃったぁ! とか?」

「……うん」


「思いのほか興奮しすぎて大きな声出しちゃったぁ! とか?」

「うん……」


「そのせいでお店に迷惑かけちゃったぁ! とか?」

「うん」


 ほとんど全部じゃねぇか!


「気にしすぎだって、ほれ早く起き上がれよ?」

「だって……」


 そう言うと、湯花は頭を軸にしてぐるりと顔をこっちに向ける。


「うおっ!」


 馬鹿! 動きがホラーだよ! しかも髪がいい感じに顔にかかって更にホラー感出まくり!

 まるで映画のワンシーンかのような動きに、思わず変な声が飛び出す。けど、そんな俺の姿なんか気にしてる様子もなく、


「なんか冷静になったら……色々と恥ずかしくなっちゃった」


 その言葉通り、髪の間から見える表情はどこか恥ずかしそうで……見覚えのある湯花の顔だった。

 とりあえずバーサーカー状態からは戻ったみたいだな? にしても、一気に変わり過ぎだろ? 確かにあんな湯花初めて見たけど……


「まぁ、お前からは想像できないくらいの口撃だったなぁ」

「……やっぱり? イラっとはしたけど美月も一応友達だし……言い過ぎたかな」


「言い過ぎたぁ? もしかして南がブツブツ言いながら帰った姿見たから?」

「うん」


 はぁ……そうだな。お前もその辺りの友情大事にしてるもんな? ただ、南のそれとはだいぶベクトル違うけど。


「だから気にしすぎ。てか湯花が言ってなきゃ、確実に俺が言ってた。それも比べ物にならないくらいドぎつい言葉で罵倒してたぞ?」

「……それはそれで聞いてみたかったかも」

「おいっ!」


 ったく、でもそんなこと言えるなら思ったより回復は早いのか? ん?

 なんて、どことなくいつもの雰囲気に戻り掛けていた時だった。その視界の端に現れた、テーブルに向かって来る人の姿。

 カタカタカタッという小刻みに聞こえる音に、おぼつかない歩き方。そして、


「おっ、お待たせしましたぁ!」


 その上ずった声は、明らかに新人さんで間違いない。


「ホットコーヒー4つ……ってあれ? 2人居ない? オッ、オーダー間違えた!?」


 あぁ明らかにテンパってるよ。確かにここに来るまでコーヒーカップに集中してたもんね? おい湯花、お前後頭部にコーヒーかかっても知らないぞ?


「あっ、間違ってないですよ? 4つ置いてください。ほら湯花、そろそろ起き上がれ。コーヒー置けないだろ?」

「うぅ……りょうかいー」


 そう言ってゆっくりと起き上がる湯花。

 やれやれ、とりあえずコーヒー飲んで一呼吸……


「ひっ、ひゃぁ! おっ、おでこが真っ赤ですよ!? 大丈夫ですか?」


 する暇もなかった。

 いやいや大丈夫ですよ。ほれ湯花お前もちゃんと言えよ?


「大丈夫じゃないかも……」

「やっ、やっぱり! すぐに救急車を!」


 はぁ!? 何言ってくれてんの? あなたもいくら新人さんだからってテンパり過ぎっ! 血も出てないでしょ? 


「だっ、大丈夫です! 全然大丈夫ですから」

「えっ……でも……」


 結構本気で心配してません? てか、湯花お前のせいでもあるぞ? あぁほら、こんなことしてるから余計他のお客さん達の注目の的なんですよ。2人いっぺんに相手はキツい!


「ははっ、演技の練習なんですよ。次の配役がこういう幽霊の役なんで」

「演技……?」


「そうなんですよ。こいつ初めての主役なもんで張り切っちゃって」

「なっ、なんだぁ。そうだったんですね? しっ、失礼しました!」


 そう言うと、俺達にお辞儀をしてスタスタと去って行く新人の子。

 ったく、天然なのか純粋なのかわからない人だなぁ。でも……めちゃくちゃ胸デカかった。普通にしててもおっ? って思ってたけど、あのお辞儀した瞬間はヤバかったよ。うん富士山だね? いやエベレストかな?


「さっきのウェイトレスさん、おっぱい大きかったねぇ」

「そうだな。ありゃ素晴らしい」


「挟まれてみたいもんだよねぇ」

「確かに、1度でいいから……」


 ん? ちょっと待て? 俺は誰と話してるんだ? ……マズい!

 そう思った瞬間、俺は急ぎ該当するであろう人物の方へと視線を向けた。するとどうだろう、嫌な予感程よく当たるとはまさにこのこと。そこで目の当たりにしたのは……あのニヤニヤした顔でこっちを見てる湯花だった。

 はっ! しまった。こいつ……いつの間に戻っていやがった!


「おい……そりゃ卑怯だぞ? 湯花」

「いやぁ、海とウェイトレスさんのやり取り面白過ぎてさ? にししっ!」


 面白い? そんな大層なことしてないと思うけど。強いて言うならあの新人さんのせいだろ? まぁでも……


「まぁいいよ。とりあえず……お疲れ様」

「おっ、お疲れ様って……私はただ本当のことを……」


 その瞬間、思い出したかのように視線を下に向ける湯花。その恥じらうような姿は、やっぱりいつ見ても慣れないし……容易にツッコめなくなる自分が居る。

 うっ……だからそれも卑怯なんだよ。ったく、でもとりあえずは通常状態なんだろ? なんか勢いに任せて色々口にしてたけど、ちょっと気になるところもあるし……この状況でなら聞いてもいいよな?


「それで?」

「ん?」


「ん? じゃないよ。南に向かって怒涛の攻めしてたろ。俺と羽場は、もはやただの傍観者だったんだぞ?」

「ははぁ、ごめん。……叶ちゃんに会ってたこととかだよね?」


 叶ねぇ……でも別に湯花は友達なんだから会ってても別に問題ないだろ。それに南に言ってた通り、俺と叶を近付けようなんて行動も言動もなかったのは、俺自身が1番よく知ってる。

 けど問題は、もしかして叶と会ったことと、いきなり俺と距離取り始めたことが関係するのかどうか。それなんだよなぁ。


「まぁそれはたいした問題じゃないかな?」

「えっ?」


「むしろ、それが原因かと思って」

「原因って……」

「いきなり俺と距離取り始めたことのさ?」


 俺の言葉に、こっちを見ていた湯花の視線がもう1度下を向く。

 まぁ、だからなんなのって言われたらそれまでなんだけどさ? でもやっぱ気になるじゃん?


「ふぅ……」


 不意に聞こえて来た長いため息。それが何を意味してるのかはわからない。けど、それ相応のことを言おうとしてるのだけは分かる。


 さて、一体何が出てくることやら……

 そこに一瞬の緊張感が生まれると、


「残念、不正解」


 少し笑顔を見せる湯花がそう呟いた。その言葉に一瞬拍子抜けしたけど、少しだけ……気持ちがホッとする。

 不正解……か? ってなにちょっと安心してんだよ。でっ、でもじゃあなんで? やっぱ何もなしに、いきなりあんな感じになるのはおかしいって。


「本当に不正解か?」

「うん。バカみたい絡んでたのが子どもっぽいって痛感したのも、高校生になってもあだ名で呼んでるの恥ずかしいって感じたことも、中学生みたいなノリは卒業しないとって思ったことも全部本当。でもさ、ごめんね。私、海に嘘ついてた」


 うっ、嘘?


「嘘って?」

「さっき、南にね? 2人のこと大事だからこそ、友達として見守ってる! なんて格好つけちゃったけど、あれ嘘なんだ」


 ……ん? 2人を見守ってるってのが嘘? でも、お前さっき叶と会ったことは関係ないって……


「じゃあ……」

「だって、見てるだけなんて……無理だよ? 無理だった。あんな海の姿見ちゃったら……」


 俺の姿……


「あの時の姿、頭から離れないよ。3年間1度も見たことなかったもん。それくらい悲しそうで、苦しそうで……本当に目を離したらどっか行っちゃうって危機感さえ抱いた」


 そんなひどかったのか? 当時の俺。


「だからさ? 絶対そうさせないように、そう思わせないようするには、高校生活を滅茶苦茶楽しませないとっ! て、勝手に暴走しちゃって……私、空回りしてたんだ。いつも以上にウザかったでしょ?」


 確かに……高校入って、湯花のそれはある意味中学ん時以上だった気がする。単に高校っていう新しい場所に興奮してるのか? なんて思ってはいたけどさ?


「まぁ、中学ん時よりもテンションは高かったよ」

「でしょ? 本当に……ごめんね?」


 ごめんって……今の話を信用するなら、結果として湯花は俺の為に空回りしていた? けど、だとしたら余計分からないよな。それがどうしてあんなことになったのか。


「べっ、別にいいよ……でもさ、そんな空回り状態から、なんで急に冷静になれたんだ?」

「へへっ、簡単な話。お兄ちゃんに言われたんだ」


 おっ、お兄ちゃんってことは、透也とうやさん?


「それまでも高校でのこととか、ちょいちょい話はしてたんだ? そんである日車で迎えに来てもらった時に、いつものように話してたら……」



『なぁ湯花。それはやりすぎじゃね?』

『えっ? なんで』


『なんでって、そもそも他の組であるお前がいきなり自分のところに来るだけでも、うおっ! ってなるぞ? しかも大声で名前を呼ぶとか……俺だったら恥ずかしくて窓から飛び降りるね』

『えっ、えぇ!? なにそれひどいよ』


『いやいやひどくないぞ? よく考えてみろ。いいか? そもそも中学ではお前の性格を知ってる小学校からの友達も居たし、うみちゃ……いや海君とも最初からそんなフレンドリーだった訳じゃないだろ?』  

『うん……』


『つまりお前らの関係は徐々に形成され、その結果徐々に周りにも浸透していったんだぞ?』

『そうだね』


『けど、高校となれば話は別。ましてや黒前高校なんて森白中から毎年1人行くか行かないかだぞ? つまりクラスの全員が殆ど初めまして状態。そんな状況で中学ん時みたいな行動されてみろ? お前は良いかもしれないけど、海君のクラスメイトはドン引き。海君だってそんなクラスメイトの目が気になって滅茶苦茶恥ずかしくなるに決まってるだろ?』

『そっ……それは……』

『別に俺は湯花の性格うんぬんって言ってる訳じゃない。ただ、大事なのは相手の気持ちだろ?』



『お前が良くてやっても、相手が嫌な思いしたらそれは……ただの自己満足だ』



「そう言われてさ、高校入って海にしてきたこと思い出してみたんだ。そしたら……お兄ちゃんの言ってたこと全部当てはまってた。さっき美月に言ってたこと、気付いたら私も海にしてたんだよ?」


 なるほど、それで……か?


「けど、私バカだからさ? あのさくらまつりに行った時もやらかしちゃったよね? 海の財布奪ったりして……」


 ……あったな。


「面白いかなぁなんて安易な考えだった。でも財布取り返した時、心底嫌そうにしてる海の顔が目に焼き付いて……間違いに気付いたんだ。私……なにやってんだろうって」


「それからだよ? 今までの自分の行動が恥ずかしくて、それに海にもたくさん迷惑掛けちゃってたって思って……そうしたら、どんな顔して海に会ったらいいのか、なんて話したらいいのかすらわからなくてなってさ? とりあえずあだ名だけは絶対ダメだって……」

「そんでいきなり名前で呼び始めたわけか」

「うん」


 なるほどね? てことは急に朝練始めたのも……


「じゃあ朝練始めたって言って、いつもの列車に乗らなかったり、車両離れたりしたのも?」

「はは……その通り。どうしていいかわからないから。それに、またもやごめん!」


 またもやって……あと何回謝る気だよ。


「朝練なんて本当はやってません。口実作る為の嘘でした」


 まっ、マジかよ!? めっちゃ練習頑張ってるなぁなんて思ってた俺の気持ちを返せ! あれ? ちょっと待て? 朝練が嘘なら、もしかして居残り練習も……


「マジか。てか、まさかだとは思うけど、居残り練も……」

「はい、嘘です。皆帰るのを待って、いつもより1本後の列車で帰ってました」


 やはりそうですか。はぁ……なんというか、それらしき理由が判明したのは良いけど、何だろうこの変な感じ? いや、俺が勝手に何か重大な理由が!? なんて想像豊かに考えてただけなんだろうけどさ? でも、当の湯花は……


「色々嘘ついて、色々冷たいこといってごめんなさい」


 本気で悩んでたみたいだしなぁ。


「なぁ、湯花?」

「はい……」


 確かに叶とのこと知ってたにしろ、高校入ってからの湯花の絡みは中学校の時並み……いやそれ以上だった。正直めちゃくちゃ恥ずかしかったり、ウザっ! って思ったこともあった。けど、


「お前には今の俺、どう見える?」

「えっ?」


「自分で言うのもあれだけどさ? 今の俺って、クラスの皆とも話できてるし、仲の良い友達だって居る。それにバスケに対する情熱も戻って、キツいけど放課後部活で汗垂らしてる。それに先輩達も皆良い人でさ? そんな毎日が……俺は楽しい」

「楽しい……?」


「そうだよ? だから……」


 山形や谷地とここまで打ち解けて、間野さんや水森さんと仲良くなれたのは、湯花の突拍子もない合コン風昼食会があったからだと思う。

 俺に勇気くれて、叶と真正面からぶつかれたから……俺はバスケへの熱も取り戻した。

 確かにお前の行動が恥ずかしくて、鬱陶しくて、イライラもした。けど、それ以上に……色々なキッカケを与えてくれてたのは確かなんだ。だから、


「湯花といつも通り学校行って、普通に話して、一緒にバスケやれるだけで、俺の高校生活はもっと楽しくなるんだよ」


 いつもの湯花が居たら、もっと楽しいに決まってる。


「えっ、えっ……」


 目を丸くして、口を開けたまま動かない湯花。その顔を写メで撮って保存しておきたいくらいの表情が、少し懐かしくも感じる。


「いいの? 一緒に学校行って良いの?」

「てか、行きたくないって言ってないじゃん」


「話していいの?」

「話すなって言ってないじゃん」


「一緒にバスケしていいの?」

「むしろ同じ部活だし、必然的にそうなるでしょ?」


「皆と一緒に帰っていいの?」

「だから……」

「…………嬉しい」


 少し下を向いて、零れるようにつぶやいた言葉。けど、俺の耳には……ハッキリ聞こえた。


 ヴーヴー


 そんな時だった、いきなり聞こえてくるバイブ音に太ももに感じる振動。

 ん? なんだ? 白波からストメ……


【忘れ物見つかったか? こっちは列車が止まってたりして、今やっと学校に荷物置けた。とりあえず黒前駅前のゴースト行こうって話になったから、そこ集合なー】


 やっべ! そう言えば皆でファミレス行くって話してたんだ! んで俺、忘れ物取りに行くって別れて……ん? 黒前駅前のゴースト?


 その瞬間、俺はテーブルの脇に置いてあるメニューに目を向ける。そこにはデカデカとレストラン&カフェゴースト! の文字。


「やっ、やべぇ」

「どっ、どうしたの?」


「白波達、ファミレス行くって言ってたの覚えてるよな?」

「うっ、うん」


「列車が止まってて、今学校着いたらしい。そんで皆で話して決まった場所が……ここだ!」

「えっ、えぇ!」


 まぁそうなるよなぁ。


「どうしよう! 私お兄ちゃん迎えに来るって言ってたんだ! それなのに一緒に居たら……」


 俺も忘れ物取りに行ったくせに、こんなところに居るなんて……普通に考えてあり得ないよな。


「はっ、早く出なきゃ! じゃないと……」


 とりあえずこの場から居なくなるのが得策ではある。けど、なんだろう? せっかく久しぶりに湯花と話せたし、変な距離感の理由もわかったし、結構スッキリした気持ちなんだよな。それに、どうせならもっと楽しみたい気がする……あっ!


「なぁ湯花」

「どしたの?」


「俺の忘れ物は、置いたはずの場所には既になかった」

「何言ってんの? 早く……」


「インフォメーションにも届いてなかった」

「えっ?」


「そんな忘れ物を……お前はお兄ちゃんのお迎えを断って、一緒に探してくれた」

「海……?」

「そんでお礼も込めて、ここに居る。そんな感じでどうかな?」


 そこまで話すと、湯花も俺の言っていることの意味がわかったようで、


「……うん。賛成」


 満面の笑みを見せてくれた。

 湯花には悪いけど、ちょっとは俺のワガママに付き合ってくれても良いよな? それに、まだ言えてないこともあるしさ。


 何だかんだ考えさせてごめん。それと、色々と俺のこと気にしてくれて……ありがとう。


【忘れ物、湯花に手伝ってもらってやっと見つかった。今丁度、黒前駅前のゴーストで休憩してたから】


【2人で待ってるよ】



 ピッ



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