第12話 ただ、ひたすらに前を

 



 あれ? なんか妙に体が軽い気がする。なんだろ、この感覚。

 あれから普通に自転車乗って帰って来ただけなのに。


 ガチャ


「ただいまー」

「お帰り」


「あれ? 姉ちゃん。今日サークルは?」

「忘れ物取りに来たんだ。今から出るよ」


「そっか」

「あっ、そういえば……ちゃんと叶ちゃんに連絡したぁ?」


 ……あっ、そうか。そうだった……


「あぁ、うん。ちゃんと別れたよ」


 俺は……本当の一歩を踏み出したんだ。


「…………はいぃぃ!?」





「マジか。叶ちゃんがねぇ……話聞いても、まだしっくりこないわ」

「動画あるよ? 見る?」

「みっ、見ないよ! 今の話だけで十分お腹いっぱい」


 十分か……



 ――――――――――――



 あの公園で本音を言ってから、叶は声を押し殺すように泣いていた。そんな姿を目の当たりにして、俺は改めてあの光景は現実だったんだって思った。


『ごめん……なさい。別れ……ます……』


 叶がそう呟いたのは、しばらくしてから。顔を上げて真っすぐ俺を見る目は充血して、腫れていた。


『じゃあ決まりだな』

『ごめんなさい。海の変化にも気付かなくてごめんなさい。きっと受験でそういう気分になれない。きっとそうなんだって自惚れてて……ごめんなさい』


『……それには答えれないよ。正直叶のした事、理由はどうであれ許せないし、今は許せる気がしない』

『そう……だよね。でも……私償い続けるから』


『いや、償うって……』

『別れたこと、皆に言っていい。私のこと聞かれたらもちろん、聞かれなくても言っていい。理由聞かれたら私が浮気したって言って、言いふらしてもいい。皆にどう思われてもいい。嫌われたっていい。そのくらい私のしたことは……最低な事なんだ』

『それがお前の償いだってか?』


『うん。海? さっき動画あるって言ってたよね?』

『あぁ』


『それは、その……顔とかハッキリ……』

『今のスマホの画素数わかるだろ? それとも見て確認するか?』

『うぅん。見たくない……ねぇ?』


 だろうな? それで? まぁ大体予想は付くよ? 動画を消して欲しいんだろ?


『なんだ?』

『その動画……海が私のこと、憎くて憎くてどうしようもなくなったら……皆に見せて、広めて』


 広めてもいい……か。本人公認ってわけね? 正直そこまで言うとは思わなかった。たださ? それは慎重に判断するよ。


『そして私は、もう海の前に姿を見せない。嫌な思いさせるってわかってるから』


『それが自分への戒め、私の……一生の償い』


 戒め……償い……ねぇ。

 そんな決心できるのかよ。覚悟ができるのかよ? 


 ざけんなよ、ふざけんなよ。今更そんな姿見せられてもさ……


 遅いよ。


『そっか……分かった。じゃあ、そろそろ行くよ』

『海……本当に本当にごめんなさい』


『いや。俺も……叶の本心に気が付けなかったのは悪かった。ただ……』

『うん。だからって、私のしたことは……裏切り。最低なことだから』


『……今までありがとな。叶』

『ありがとう……海』



 ――――――――――――



「姉ちゃんはさ、信じてくれんの? 俺の話?」

「当たり前じゃん。弟のこと信じないわけないでしょ? それにあんた嘘つくの下手だし」


「下手って……つい最近誰かにも言われた気がする」

「ははっ。それにさ、今のあんたの顔……久しぶりに見た気がするよ」


「久しぶり?」

「うん。なんか……大会の前の顔だよ。あんた試合近くなると楽しそうでワクワクだったでしょ?」


 確かに……試合前は、自分がどれくらい成長できたか早く知りたくてウズウズしてた気がする。


「まぁ良い意味で戻ったんじゃない? いつもの海に」

「戻った……かぁ」


「姉ちゃん?」

「ん?」

「大学のサークルって、俺行っても大丈夫かな?」



 ――――――――――――



 うおぉ……全身が痛てぇ。

 全身に感じる筋肉痛。その久しぶりとも言える感覚に襲われながら、俺は朝の列車の中をゆっくりと歩いている。そして、癒しを求めるかのように、そっとその座席へと腰を下ろした。


 れっ、列車の柔らかい座席ですら、座った瞬間お尻に痛みを感じるよ。こんな感覚久しぶりすぎる。ったく姉ちゃんの嘘つき! なぁにがサークルだよ! がっつり監督も居るし、聞けば男女とも地区リーグ1部って……そりゃ練習もキツイに決まってる。


 その刹那、頭を過る昨日の……地獄の様な練習メニュー。

 あぁ、あのスクエアパスは速過ぎだった。33秒ランは思い出したくもない。3メンとかもうやりたくもない。鈍ってた体には地獄そのもの。

 けど……楽しかったなぁ。


「いよっ!」

「あぁ、湯花か」

「あれー? 完璧な不意打ちだったのに反応薄くない?」


 全身それどころじゃないんだよ。お前の登場に反応すらできないくらいに傷めつけられてんの! けど……こいつの前でそれはご法度だ。知られた瞬間どうなるか……想像はつく。


「ふっ、3日もすりゃ慣れるに決まってんだろ?」

「なんだとっ! くそぅ……早急に対処せねば」


 頼むから窓から登場とかはナシな?


「よいしょっと、それよりうみちゃん」


 なんかごく普通に隣座るよね?


「なんだ?」

「なんかあった?」


 なんかあった? まさか筋肉痛の事がバレているのか?


「なっ、なにもないぞ」

「本当? だって今日のうみちゃん、一昨日見た顔とも、昨日見た顔とも違うもん。なんか……楽しそう」


 楽しそう? 俺が?


「なんか大会の前みたい。うみちゃん試合前はテンション爆上げって感じだったし? そんな顔するってことはさ? なんかあったのかなって?」


 マジかよ。それ昨日姉ちゃんにも言われた事だぞ? もしかして俺無意識の内にそんな顔になってたのか? でも確かに、筋肉痛で体は痛いけど……なんかさ?


 心地良い。


 もしかしたら取り戻せたのかな? あの出来事以前の……自分。って! それじゃあ一歩踏み出したんじゃなくて戻ったって事にならね? 


 ……違うか。

 自分の本音を思いっ切りぶつけて、踏ん切りつけて、一歩踏み出せたからこそ……今まで誤魔化してた自分と、心の中に溢れてた鬱屈が消えたんだ。

 だからそれは、戻ったんじゃない。確かに俺は前に進めたって証拠なんだ。


「んで? なんかあった?」


 けど、なんでこいつそれに気付くんだ? まじで怖いよ。

 でもまぁ湯花に話したことが、こんな風になれたキッカケの1つかもしれないし? まるっきり部外者ってわけでもないし……とりあえず報告だけでもしとくか?


「まぁ……ちゃんと別れた」

「おっと、そっちか!」


「そっちってなんだよ」

「いやいや、てっきり如何わしい趣味でも見つけたのかと……」


「んなわけないだろ。それに……何となく気付いてたんだろ?」

「まぁね? さっきも言ったじゃん? うみちゃんの顔違ってたって。だから、結果は分からないけど決着はついたのかなって」


「まぁ、その結果がそれだ」

「なるほどねぇ」


「詳しく……聞かないのか?」

「んー? それはいいよ。だって、うみちゃんが晴々しいなら、叶ちゃんだってそうなんだよ。それが分かるだけで十分でしょ?」

「そうだな」


 こいつ……なんだよ。その、たまに言う格言的なのずるくね? いい意味で裏切りやがって……だから中学校の時は散々負けっぱなしだったんだよ。


 けどさ……悔しい気持ち半分、あとの半分は楽しかったりしたんだけどな。


「しかし、名探偵の名は捨てた方が良いな? 犠牲者1号宮原湯花」

「ぎっ、犠牲者1号? はっ! もしかして」


「詳しく聞かなくていいんだろ?」

「ぐぬぬ……前言撤回!」


「おまえ、速過ぎだろ!」

「細かい事気にしてたら、この世の中生きていけないのだよ?」


「「…………」」


「ふっ」

「ふふっ」

「「ふははっ」」


 でもとりあえず、今回に限っては湯花に助けられた事がたくさんあった。だから一応……言っとくか。


「なぁ、湯花?」

「なんだい?」



「ありがとな?」



「にっしっし。私はなんもしてないよ? でもさ? やっぱりうみちゃんは……その顔が1番似合ってる」



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