第11話 本当の一歩

 



 茶色のブレザーにチェックのスカート。そして首元に目立つ赤いリボン。昨日は一瞬しか目に触れなかったものの、その聖涼せいりょう女子高等学校の制服に身を包む姿はどこか違和感がある。けど、背中までかかる黒髪と、おっとりした垂れ目。それだけは……やっぱり変わらない。


「座らないの? 海」


 少し微笑みながらそう促す叶。けど俺は、


「いや、いい」


 そう言って、ベンチに座る叶を正面に……対峙した。


 今までなら、迷うことなくその隣に座っていた。おそらく叶も、そのいつも通りだと思ったんだろう。ベンチの端に座り、その横はぽっかりと空いていた。


「そっか……」


 叶は俺が座らないとわかった瞬間、少し顔を俯かせた。けどすぐに顔を上げ、俺の顔を見て言ったんだ。


「ねぇ海? 昨日のストメ。どういう……意味かな?」


 正直、こういう事になっても叶はその事を言い出せないんじゃないかと思ってた。でも昨日、留守電の通り俺の家にまで来てた事を知って、その考えはなくなった。

 人の都合を大事に考えて、人に迷惑を掛ける事を嫌っていたお前が、自分の思うがままに行動した。なんでそんな事したんだ? 何がお前を変えたんだ? 理由はなんだ? 俺に別れを告げられて焦ったのか? それとも都合の良い2番の男を手放したくなかったからか? 


 聞かせてくれるよな? 叶。


「どういう意味って?」

「そのまんまだよ? いきなり別れようなんて……冗談にしてもひどいよ」


 ひどい……か。


「それに、昨日の夜……ここ通ったよね? 私声掛けたんだけどな……」


 昨日、やっぱりここに居たんだな。そこのブランコに。


「あぁ、少し目に入った。けど、昨日は面と向かって話せる自信なかった。あとさ……冗談じゃないから」

「えっ? 本気……なの?」


「そうだよ」

「どうして? 私の事嫌いになったの?」


 その不安でいっぱいな表情は、嘘には見えない。けど……それが本音なのか、それすらも分からない。


「嫌いか……どうかな? ただ、分からなくなった」

「分からない……?」

「あぁ、分からないんだ。だから聞いてもいいよな? 叶、俺になんか隠してないか?」


「隠すって……?」

「そのままだよ」


 俺も意地悪だよな。別に言いたい事を思いっ切り言えば良いだけなのに。でもさ、知りたいんだ。今、目の前に居る叶は……どれだけ俺の知っている叶なのかって。


「何の事? 何か疑ってるの? 私何も海に隠し事なんてしてないよ!?」

「そうなのか? 本当に?」

「本当だよ? どうしたのさ海、やっぱりなんか……」


 あぁ、やっぱそうだよな。言うわけないよな? 言えるわけないよな? そうか……


「去年の9月25日」

「えっ……?」


「なに? どうしたの? その日何かあった?」

「そうか」

「ちょっと海? 意味……」


「10月2日」

「2……日?」


「19時……15分」

「……」


 ははっ。ハッキリ言って思い出したくもない日にち。でもさ、俺の記憶には鮮明に残ってるし、口にしたくもない時間だ。でもさ、あのデータにはずっと残ってる。


「わからないよ……」


 なぁ叶。それ本音なのか? それとも演技なのか? やっぱさ俺分かんないよ。だからもういいよな? いいんだよな?


「分からないか。じゃあ……もう1つ聞いてもいいか?」

「なに……かな?」

「俺って優し過ぎるのか?」


 もう……止まれない。


「えっ!?」


 目を広げ、一瞬表情を変えた叶の姿。それは明らかに動揺してるようにしか見えない。


「なぁどうなんだ? 答えてくれよ」

「なに……? 急に?」


 なんだよそのとぼけた顔。その言葉、言った覚えあるんだろ?


「答えてくれよ?」

「海……?」


 早く言えよ。あいつに言ったみたいに。


「なんだ? 言えないのか?」

「……」


 目の前で……言えよ。


「田川には言えて、俺には言えないんだな」

「っ!」


 その瞬間、俺達の周りを包む空気が一気に重くなる。それを感じたのか、叶の顔はさっきよりもひどく、一言で言うならそれは……唖然とした表情だった。


 なんだろ? その顔見た事あるな? そうか……3年前告白した時か? その時もお前そんな感じで驚いてたよな? あれ? でもちょっと違うか? あの時は顔真っ赤だったけど、今は……真っ白だもんな。


「なんで……田川君が出てくるの?」


 ……これでも自分から言わないか。


「なぁ叶。俺が全部言わなきゃいけないのか?」

「全部って……私、田川君となにも……」


 何も? 匂わす言葉言っても……ダメなのか? とぼけてるのか? 


「なんもないのか?」

「あるわけないよ」


 あるわけない。

 それは叶にとっては、なんでもないただの言葉だったかもしれない。

 でも俺にはその言葉が突き刺さって……苦しい。だってそれは、今まで叶が俺に向かって、1度だって口にしなかった……嘘だったんだから。


「俺は知ってるよ? サッカー部の部室で2人が何してたか」

「ぶっ、部室?」


 あんな事してる時点で、裏切ってたと思う。


「あぁ、9月25日。道具を綺麗にするから先に帰ってって言ったよな?」

「日にちは覚えてないけど、そんな日もあったよ? でも……」


 あれからも俺にいつもと変わらない姿見せてたのだって、間接的に嘘ついてたって事だと思う。


「知らなかったよ。そこまで田川と仲良かったんだな? 手を触れ合いながら話するくらい」

「えっ……? なっ、なに言っ……」


 俺ヘタレだからさ? お前に問い質せなかった。でもさ結果的に、昨日までずっとお前は……


「吐くかと思ったよ、見間違いだと思ったよ。でも……」

「ちっ、ちがっ……」


 俺の前で、1度だって嘘を口にした事なかったじゃないか。


「10月2日19時15分、それは確信に変わった!」

「まって? 海……」


 あの光景見ても、何度動画見ても……俺は叶の事好きだった。


「あの日も先に帰ってって言ったよな? でも俺は帰らなかった。サッカー部の部室に行ったんだよ」

「はっ……」


 他の奴と手を重ねても、抱き締め合ってても、


「仲良さそうじゃなかったよ。むしろ別な……特別な関係にしか見えなかった。あんだけ長く、抱き締め合ってるの見たらな?」

「止めて……」


 キスしてても、


「あんだけ長く……キスしてるの見たらな?」

「止めてよ……」


 それでも俺の目の前に居たのは、嘘をつかない今までと全然変わらない叶だったから。だから……


「胸まで揉まれて、そのあと何してたんだろうな!?」

「止めてよっ!」


 自分を誤魔化す事ができたんだ。でも、それももう……



 終わり。



「なぁ、叶。俺は全部知ってる。それに動画も撮ってる」

「ハァ……ハァ……」

「だから答えてくれよ? 俺どっかダメだったか? 俺……優し過ぎたのか?」


 俺の言葉を最後に、辺りに静寂が広がる。だからこそ叶の息遣いだけが妙にハッキリと聞こえている。俺はそんな叶をただひたすら見ているだけだった。



 それからどのくらい経っただろう。時間も全然わからないそんな中……


「ごめん……なさい」


 静かにゆっくりと、叶の口が開いた。

 そうだとは思ったよ。なにか理由や原因があったら間髪入れずに反応してたと思う。それもなく無言になった時点で……それは確定したんだ。


「やっぱそうだったのか」

「ごめんなさい……ごめんなさいっ!」


「いつから?」

「……海が言ってた日。たぶん25日」


 たぶん……ねぇ。 


「へぇ……もしかして部活終わり毎日?」

「違うよっ! 毎日海と帰ってた! ……あの日だけだよ。道具を掃除してた日」


 確かにその日以外は一緒に帰ってたし、待ち合わせの時間も変わらなかった。まぁ部室に居る短時間でも……できることはできるけど。


「じゃあさ? 10月2日に初めてキスしたってか?」

「……はい。でもそれからはそんな事してない! あの時だけっ……」


 ぶっちゃけさ? どれだけ2人で居て、何回2人であんな事してたとか……


「それは別に言わなくてもいいよ」


 もう関係ないんだよ。


「はっ! ……ごめん……なさい。本当にそれからはなんにもない。2人で部室に居た事もない。それだけは……信じて」

「信じて……か。どうかな」

「そんな……」


 もうどうでもいいんだよ。事実は変わらない。変わらないけど……あの事は気になる。


「なぁ、叶? ちゃんと答えてくれよ? 俺どこかダメだったか?」

「海は……全然ダメじゃない。自慢の……彼氏」


 自慢? なんだよ意味分かんねぇよ。だったらなんで……


「じゃあさ、元彼として今後の参考までに聞かせてくれよ? なんであんな事したのか」


 浮気なんてしたんだよ。


「……浮かれてた」

「はっ?」

「私は浮かれてました」


 浮かれてた?


「……海? 私、小学校の時から好きだった海に告白されて嬉しかった。毎日が楽しくて、毎日が幸せだった。中学校の皆も私達の事知っててさ? それがさらに嬉しかった。そんな私にとって、海はかけがえのない自慢の彼氏だよ」


 でも、違ったんだろ?


「でもね? そんなに幸せだったのに……ある日私は変わっちゃった」

「変わった?」

「うん。皆に認められて、堂々と海と過ごしてる自分に……自信が持てなくなった」


 自信って……そんな素振りなかっただろ?


「自信って……なんだよ」

「海は知ってる? 女子の間で、海ってば結構人気あったんだよ? もちろんそんな話聞いたら、私嬉しかった。でもさ? 嬉しいけど……その度に、自分はどうなのって思うようになった。私はどうなの? 女としてどうなの? 海と釣り合ってるの? って」


 釣り合ってる? そんなの……決まってただろ?


「おかしいでしょ? でも本気で考えた。海の事好き、だから頑張って隣に居ても恥ずかしくない彼女にならなきゃって、そうしなきゃ海に捨てられるって怖かった」


「そんな時にさ? 皆との話の中で、彼氏が甘えてウザいとか……そういう話題になったんだ。キス求められたりとか、撫で声とか……そんな話してたんだよ? 聞いてるとさ面白くって、海はそんな事しないよーなんて思ってた。でも……違った。よく考えたら、おかしかったのは私の方だった。 ……海は甘えないんじゃない。私に魅力が無いから甘えられないんだって」


 魅力? 甘えられない?


「なんだよそれ。甘えるとか甘えないとか……」

「仕方ないじゃん! 私は真剣だった。だからたくさん調べたよ? 彼氏に甘えられない原因。出てきたのは、包容力とか、母性本能。全部女としての魅力だった。なのに私は? 海に甘えてばっかで甘えられたことなんて殆どない私は? ……女としての魅力がないんだって」


 何言ってんだよ……魅力なんて言うまでもなかっただろ? 俺は……そのままの叶が好きだった。


「それでさ……あの日も悩んでた。だから、少し冷静に考えようと思って、海に先に帰っていいよって言ったんだ。1人でボール綺麗にして、考えようって……そんな時」


 ……あいつが来たのか?


「いきなり田川君が来た。驚いたよ? 運動がてらに部活には来てたけど、いっつも途中で帰ってたから。そしたら手伝うよって言ってくれて、そのまま2人でボール拭いてた。部活の話とかしながら拭いてたんだよ? それに噂も……知ってた。知ってたよ? でも私はバカだった。知っていたのにも関わらずに浮かれたんだよ」



『叶ちゃんも3年間マネージャーお疲れ様』

『どうしたの? いきなり』


『いやいや、叶ちゃんが居たおかげで皆イキイキしてたよ』

『えぇ、そうなの?』


『そうだって。叶ちゃんめちゃくちゃ魅力あるんだもん』

『えっ?』


『ん? 魅力的だよ?』

『それ、本当?』


『本当に決まってるじゃん……俺はそう思うよ?』



「その言葉を聞いた瞬間……嬉しかった。バカだよね? 魅力って言葉に浮かれて、そのまま手を触れられたのさえ心地よかった。気分がよかったんだよ? でもすぐに海の顔が浮かんで……手をどけた」


 なんだよ……それ。魅力がある? そう言われたから? 


「冷静になったら、私とんでもない事したんだって後悔した。だからそれ以来部活では残らなかった、田川君に会わないようにした。けど……あの日、今日で全部綺麗にしようと思った2日……また田川君が部室に来た」


「あとは……海が見たとおり。魅力があるって言葉に浮かれて……海の事聞かれて、自分の気持ち言っちゃったんだ……優し過ぎるって。そして急に引っ張られて抱き締められて……耳元で言われた」


『俺甘えていいかな』


「なんだよ。それで良い気分になって抱きついたのか!?」

「そうだよ! バカだったの! 本気でバカだった! でも、ないと思ってた魅力を認められて、求められて……浮かれた! だからだから……」


「キスまでしたってか!?」

「……うぅっ」


 そのまま顔を俯かせて、小さく涙声をもらす叶。そんな姿を、俺は……許せずにいた。

 たったそれだけの理由で……そんな一言だけで……自分が積み重ねて来た3年間は一瞬で越された。消された……負けた。

 その悔しさと悲しさは重く心に突き刺さる。


「ははっ、それで? ついでに体までプレゼントしたのか」

「ちっ違う! 触られた瞬間、寒気がして振り払った!」


「どうだかな?」

「本当だよ!? ……ねぇ、じゃあしよう? ここでもいい。どこでもいい。しよう? それで確かめてよ? それだけはしてないって、海確かめてよ……」


 ははっ……ははは……どう言う事だよ。っていうより、お前は……誰だ? こんなこと言うなんて有り得ない。俺の知っている叶はどこへ行ったんだ? 何処へ…………あっ、そうか……


「なあ叶」

「早く行こう? 海の家で確かめて? それとも私の……」


「そういうのは……本当に好きな人とするものだろ?」

「……えっ?」


「魅力があるって言われて浮かれた? なし崩しに求められて、だから応じた? そんなの全然意味わかんねぇよ。だって、俺の知ってる叶は、大人しくて面倒見が良くて、料理が上手くて、誰とでも話が出来る雰囲気と笑顔が可愛くて、人の事第一に考える優しさと、いざとなったら意見する勇気と、話しているだけで落ち着く包容力と、嘘をつかない誠実さ。数えたらキリがないくらい……女の魅力に溢れた彼女だった」

「か……い……」


「俺、あんな事あっても叶の事好きだった。だって、お前そんな素振り見せなかったしさ? 俺の目の前に居たのは俺の知ってる叶の姿だったし、だから俺も頭の中で誤魔化して……いつものように振舞えた」


「けどさ……心と体は言う事聞かなかった。なぁ、最後にキスしたの覚えてるか? あれから1回だけしたけど、その時も必死だった。だって思い出したくもないのにあの光景がフラッシュバックすんだ。それに……甘くて柔らかかったはずの叶の唇は、冷たくて……気持ち悪かった」

「うっ……うぅ……」


「毎回デートのあとには、ギュッってしてたよな? でも抱き締めようとするたびに、周りの景色がサッカー部の部室になるんだよ。自分が田川になった感覚に襲われるんだよ。頑張ったけど……それもできなくなった」


「叶、なんで俺が昨日別れようってメッセージ送ったかわ分かるか? 俺さ? お前と手も握れなくなったんだ。あんだけ温もりを感じて愛おしかった手すら握れなくなったんだ。そうなったらさ……さすがに俺も気付いたよ」



「もう、俺の好きだった皆木叶は……居ないんだって」



「いやっ……グスッ……」

「だからさ、今俺の目の前にいる叶は、俺の好きだった叶じゃない。だから俺は好きじゃない。そして何より、理由はどうであれ……あの時の苦しみと悲しみは絶対に消せない」



「だから叶」

「いや、だめ……聞きたくないよぉ」

「俺と」




「別れてくれ」



 その瞬間、俺はやっと……


 本当の一歩を踏み出せたのかもしれない。



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