第54話 手拭いと遠い過去
若い沙菜と年配の2人との生活には、やはりジェネレーションギャップが生じる事がある。
沙菜の年齢では、公衆電話が街中にあったとか、電車の切符をハサミで切っていたとか、また、祖父が得意気に言っていた『昔は、定期券の日の部分を指で隠して提示してその月いっぱい乗っていた』なんて事の感覚が全く分からないのだ。
そんな事を言うと、祖父母からは凄くガッカリされてしまうのだが、仕方がないことなのだ。
そんなセンチな気分に浸っていることも出来ずに、今日も祖父は入院中のため、沙菜は工場のいつもの場所に佇む、ワインレッドのコンパクトなクーペの元へと足を運んだ。
「ピアッツァかぁ、それじゃぁ、はじめるよ」
と言うと車葬を開始した。
いすゞ・ピアッツア。
いすゞが乗用車を生産していた事も、今や遠い過去の事となりつつある。
戦前からトラックメーカーとしてその名を知られていたいすゞは、戦後の国策である海外からのノックダウン生産に手を挙げ、英国ルーツグループのヒルマン・ミンクスの国産化に成功し、ノウハウを学んだ。
ちなみに、他にノックダウンに立候補したメーカーは、日産が英国のオースチン、日野が仏のルノー、三菱が米のカイザーフレイザー及びウィリス・ジープなどである。
本題に戻り、ヒルマンの国産化に成功してノウハウを手中に収めたいすゞは、念願の乗用車へと進出し、上級車ベレルを登場させるも、ライバルであるクラウンやグロリア、セドリックなどには敵わずに消滅。
以後は小型クラスのベレットのヒット、ミドルクラスのフローリアンなどの最小限のラインナップと、欧州基調のロングライフ生産及び垢抜けたデザインなどで、一定の評価を得る。
しかしながら、欧州メーカーのようなロングランのモデルライフと、少ない車種ラインナップ、そして欧州志向の理想主義に振ったモデルは、日本で車が売れた時代の波に乗る事ができずに、トヨタ、日産はもとよりホンダやマツダといった後進のメーカーにも抜かれてしまい、いつの間にか先端から後端へと立ち位置が移動していた。
悩んだいすゞは、いくつかの国産メーカーと提携を結んだ後、世界規模の車作りを学びたいとして、GMと提携を結んでグループへと入る。
1974年に発売されたジェミニは、GMグループのグローバルカー構想に基づき、ドイツのオペル・カデットをベースに独自のエンジンや足回り、内装を与えるという世界中にブランド違いの姉妹車のいる当時の日本には無かった国際感覚溢れる車として、一定の地位を得ることに成功する。
カデットのモデルチェンジ後も、ジェミニはモデルチェンジを行わずに独自の進化を遂げ、デザインをジェミニオリジナルの形にマイナーチェンジすると共に、いすゞお得意のディーゼルエンジンや、ツインカムエンジンのスポーティ版を加えるなど、日本市場に合わせて昇華を行った。
一方で'83年に登場した一クラス上のフローリアンの後継であるアスカは、やはりGMのグローバルカー構想に基づいたモデルとしてジェミニと同じスタートを切ったものの、販売が上手くいかなかった。
そこで、'85年に登場した2代目ジェミニは、いすゞ独自の開発による単独車種としてデビュー。
垢抜けた欧州調デザインは、当初玄人の評価しか得なかったが、フランスのスタントチームを召喚して街中でワルツを踊るCMが評判となり、日本で大ヒットを飛ばして、いすゞの乗用車として初めてメジャーブランドに登り詰めた。
その勢いを維持したまま'90年に登場した3代目であったが、GMの要求から大味でアメリカンになった内外装は日本国内では受けずに販売が減速。
今後も開いていく日米のニーズの乖離に応えていくのは困難と結論付けて、'93年に乗用車部門の自社開発からの撤退を発表し、翌年いっぱいでジェミニはホンダ・ドマーニの、アスカはホンダ・アコードの、ワンボックスのファーゴは日産・キャラバンのOEMとなって、以後は北米中心にSUVの開発と販売に注力していたが、2002年にSUVのビッグホーン、ミュー、ミューウィザード、更にはOEM供給を受けていた3車を含めて撤退を発表し、いすゞは以後トラックメーカーへと回帰してしまう。
時系列は前後して、いすゞには以前よりイタリアのカロッツェリアにデザインを依頼した美しいスペシャルティクーペの系譜も存在した。
第一作目は'68年にフローリアンのシャーシをベースに誕生した117クーペで、その美しいスタイルは当初はハンドメイドで製作、GM傘下に入った際もその美しいスタイルにGMは生産中止をさせずに量産化させる等、延命化を図った結果、時代に合わせて2度のマイナーチェンジを行い、13年のモデルライフを全うする。
その後継作として'81年に登場したのがピアッツァである。
ちなみに、デザインしたのは117クーペをデザインし、カロッツェリアから独立していたイタリアの鬼才と呼ばれるデザイナーであった。
彼の出世作である117クーペの後継作という事で、当時の彼の最高傑作と言われるデザインで登場したそれは、当時の日本のクーペの中では図抜けた美しさと優雅さを備え持っていた。
以前にショーモデルとして世に送り出したデザインをほぼ手を加えずに作られたエクステリア、インテリアデザインは素晴らしく、唯一の欠点は当時の日本でドアミラーが認可されていなかったために取りつけられたフェンダーミラーであった。
シャーシは当時初代だったジェミニのもので、エンジンもジェミニ用を排気量アップした2000ccのツインカムとシングルカムエンジンで、シャーシ性能も、エンジンに関しても、当時最新技術を続々と投入したライバル車に比べると望むべくもないものであったが、優れたデザインと豪華装備、目新しさやハイスペックは無いものの、余裕あるエンジンで優雅にクルージングする大人のクーペとして一定の評価を得て、いすゞの旗艦車種に相応しいものとなった。
後に2000ccターボの追加、提携関係にあったヤナセ向けの姉妹車ピアッツァ・ネロ、またGMグループ内ならではであるドイツのチューナーであるイルムシャーがプロデュースしたイルムシャーや、イギリスのスポーツカーメーカー、ロータスとの提携で産まれたハンドリング・バイ・ロータス等のマニアックながら違いの分かる2種の海外の有名ブランドとのコラボにより、ピアッツァは安定した地位を得るに至り、そのモデルライフは10年に至った。
'91年に登場した2代目は、初代と同じくジェミニがベースとなったが、初代のロングランを示すかのように2代目を飛ばして3代目がベースとなっていた。
エンジンは、初代に引き続いてジェミニよりも大型化されて、1800ccとなったが、ボディがコンパクト化されているために、充分以上のパフォーマンスを発揮した。
デザインは、カロッツェリアではなくいすゞ内製となり、フロントマスクに初代の面影を残すものの、全体のフォルムは全く異なるものと変わった。
と言うよりも、2代目はジェミニクーペの前後ビューが変わった程度の差異しかなく、初代がいすゞの旗艦としての必然から生まれたものであるならば、この2代目は営業の必然から生まれたに過ぎない、雑多なジェミニの派生車種の1つとなってしまった。
初代はアメリカに輸出されていたが、このまま初代を生産することによるコストの上昇(初代は後輪駆動、2代目ジェミニ以降は前輪駆動のため)、商品力の低下に加え、GMからは3代目ジェミニをベースにしたクーペ、ジオ・ストームが発売される事からモデルチェンジを断行したに過ぎないのだ。
結果、『初代は世界で最も美しいクーペだったが、2代目は世界で最も醜いクーペ』などと評され、評判も販売台数も急降下してしまう。
結果、散々な評判のままいすゞの乗用車撤退騒動の波に飲まれたピアッツァは、華のないまま'94年いっぱいで消滅する。
尚、2代目ピアッツァがいすゞが最後に自社開発した乗用車となった。
次に持ち主の情報が浮かんでくる。
この車は2人のオーナーの手に渡っている。
新車購入時のオーナーは40代後半の男性。
117クーペに乗っていたが、エンジンの具合が悪くなったのと、床の腐食が激しくなったために代替する。
「庭師だ」
沙菜は浮かんでくる画像を見て言った。
彼は毎朝、ピアッツァのラゲッジに、造園はしごや、高枝バサミなど道具を積み込むと、あちこちの庭に行っては、剪定や造園作業を行っていた。
大きなお屋敷の庭や、商業施設のテラス、商業ビルの箱庭や、街路樹、一般家庭の庭木に至るまで、ありとあらゆる現場へと赴いていた。
そして、休憩になると、お茶を飲みながら煙草を吸いにピアッツァに戻ってきていた。
毎日がゆったりと流れる時間が長く続いたある日、1つの変化があった。彼に弟子がついてくるようになった。
今までにない経験に戸惑うピアッツァだが、更に驚いたことが起こる
1年が過ぎたある日、弟子が独立する際にピアッツァを弟子に渡してしまい、その日から2人目のオーナーである弟子のもとで過ごすことになる。
毎朝、アパートの部屋から師匠と同じように荷物をピアッツァに積み、色々な場所で剪定をしている彼の手さばきと雰囲気を見て
「あっち側の人だ……」
沙菜は確信したので、もう少し深いところを見ていく事にした。
どうやら、以前にラシーンの車葬をした彼女と同じパーティにいた人物のようで、彼女と同じ世界観が見えてくる。
しかし、立ち位置が違うため、見えてくる景色が若干違っている。
彼女のように後方ではなく、前方を守っているのだ。
やはり、同じ経緯でこちらの世界に飛ばされてきた彼は、向こうの世界で大きな刃物を振り回していた事から、こちらでもそれを活かせる仕事を探した結果、造園業に辿り着いて、かなり頑固な先代のところへと弟子入りし、独立するとピアッツァと過ごすようになった。
彼も、造園業と言うと軽トラや軽バンという構図の中、ピアッツァでクールに乗りつける親方に憧れ、遂に1人前の証に譲って貰ったのだ。
先日、走行中に突然動かなくなってレッカー移動され、修理工場へと担ぎ込まれた結果、寿命を迎えた部品が入手できないため修理不可と言われて、泣く泣くここまでやって来た経緯だった。
沙菜は、車からの思念を丁寧に読み取った。
この車には込められた思念が多く、沙菜はゆっくりとながら確実に1つ1つを受け止めて、最後はピカピカのボンネットに掌紋がくっきり付くほど手をついて
「良き旅を……」
というと車葬を終えた。
◇◆◇◆◇
翌日、早速オーナーの男性がやって来た。
一応、心当たりである龍坊さんには連絡を取り、現物合わせでやってみるしかない……という事で、今朝、当該部品を外したところだった。
「それで、どうなります?」
彼は心配そうに沙菜に訊いてきた。
「こればっかりは、やってみないと何とも言えませんね。そして、最初に辛い事を言いますが、直ったとしても、今までのように毎日の仕事には使えません」
沙菜は真顔で答えると、彼はうなだれてしまった。
この部品は、走行距離や年数により、寿命を迎えるものなので、毎日の仕事に使われてしまうと、そう遠くない将来、同じ事態に直面する。
走行距離的に恐らく彼の親方である前オーナーはストックを持っていたものと思われるのだ。いすゞ車の部品は既に2000年代序盤には供給が枯渇しており、入手困難だったので、愛好家は解体車から部品をストックしておくのが常だったのだ。
彼は、混乱した様子を一瞬見せたが、すぐに切り替えて力強い表情で言った。
「分かりました。直っても仕事には使いません。代わりに軽トラでも買います」
「さすが勇者だけあって、切り替えが早いですね」
沙菜が答えると、彼は初めて狼狽した表情を見せて言った。
「何故、それを?」
「ここには、色々な方が来ます。既に宇宙人や異世界人、過去の世界の方、そして、あなたのパーティの方も来られています」
「ええっ!?」
沙菜の言葉に驚いて、脱力しかかっている彼に、以前魔法使いの人が来て車葬をした事、少なくとも他に神官の娘が、こっちの世界へと漂流してきている事を伝えた。
「そうなんですか……それは良かった」
彼が話したところによると、やはりパーティを率いていただけに、自分だけが助かってしまったのだとしたら申し訳が立たず、向こうに戻って確認し、もし、犠牲者が出ているなら死んで詫びないと死にきれないと思っていたそうだ。
しかし、少なくとも2人の無事を確認でき、魔法使いの彼女が、こちらの生活をエンジョイしていると聞いて、ひとまずは、安心したとの事だった。
こちらにやって来た彼は、剣しか使えなかった自分が世間の役に立てることが無いかを真剣に考えた末、テレビで見た庭師の世界へと飛び込んで行ったそうだ。
紹介された親方は、本来は一匹狼で弟子など取らない人だったが、世話になった人からの強い頼みで致し方なく彼を弟子にしたそうだ。
そして、口癖は『人に教わろうなんて10年早い』『見て技術が盗めない奴なんか、一生かかっても半人前のままだ!』だそうで、しょっちゅう殴られていたそうだ。
そして、修行から数年経った今年の初めに突然『俺も大バカだが、お前も大バカだ。だから、これを使え』と言ってピアッツァと、自分の名入りの法被と手拭いを作ってくれて、独立させてくれたのだそうだ。
しかし、その後大事にしていた手拭いを無くしてしまって、そしてピアッツァまで故障してしまい、彼の中で、凄く大事な物が立て続けに無くなってしまって、打ちのめされていたそうだ。
すると沙菜は、濃紺の手拭いを差し出した。
彼はそれを見ると
「何故?」
と言ったので、沙菜は
「ピアッツァから言いつかっています。こんな物落として無くしたなんて知られたら、親方に引っ叩かれるぞって」
と言うと、彼は手拭いを愛おしそうに眺めて
「そうだな、親方にぶん殴られちまうな……」
と言って遠くを眺めていた。
更に沙菜は1枚の紙を差し出して
「庭師の方なら、この辺りなんかも宜しいかと」
と言うと、彼はそれを見て驚いた後でニコッとした。
2週間後、ピアッツァは動くようにはなったが、仕事の相棒としての役目を引退させ、休日専用車となった。
代わりに、彼の仕事の相棒を務める車もこの日に納車となった。
「おおっ!? やっぱりいいっスねぇ!」
彼は、アパートの2階から顔を出して言った。
沙菜が持ってきたのは、1世代前、Z33型のフェアレディZだった。
型落ちのため価格も手頃で、ハッチバックで長尺な仕事道具も積めて、なによりも色が妖艶なメタリックオレンジで、落ち着きの中にも情熱を感じさせてくれ、ワインレッドのピアッツァからのイメージの連続性も感じられる。
まさに、彼の心機一転にピッタリのタマがあったのだ。
これからも、仕事をする彼の傍らには、渋い色のクーペが太陽のように佇み続けることになっていく、沙菜はそう確信した。
これこそが、親方から受け継いだ彼の最大の財産なのかもしれない。
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